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アネモネの屋敷 - 3階 1

 3階。

「ごろ……じで。もうごれはぁ゛、私じゃ、な゛い゛」

 トリリーはそんな、才あるような魔術師の成れの果てを、いつもと変わらない平静な目で見つめていた。

 手も足もほぼほぼ消え失せ、頭すらも一つの肉塊に丸く収まりつつあるようなその姿。その表面はうじゅる、うじゅると派手に音を立てながら胎動していた。

 人の形すらもう殆ど保てていないその姿は、魔術師らしく、より魔術の真髄へと近付けられるように、だとしても醜悪過ぎる。

 ……このまま成れ果てたのならば、きっと魔法を効率的に放つだけの罠そのもののようになるのだろうな。

 そしてとうに、この蒼月の場所でしか生きられなくなっているだろうし、殺した後に蘇生出来たとしても、人の形は戻らないだろう。

「遺言があるなら聞いておこうか」

「そごの机の中の紙に゛ぃ……もう゛、書いであぁるぅ。だがらぁあぁ」

「分かった」

 トリリーは返すや否や、辛うじてあるその顔に、苦無を的確に吸い込ませた。

 しかし聞こえてきたのは、どぶぅ、と頭蓋を貫通したにしては柔らか過ぎる音。

「骨ももう無いのか。そして……」

 致命傷とも程遠い。

「えぎぃあごぶべぼぉ」

 成れの果て、異形はとうとう自我を失い、ごろごろと転がりながらトリリーに迫ってきた。

 ……触れたくはないし、近付きたくもないな。

 そう思いながら、取り出したのは油壷。

 導火線に火を付け、床に置き。そして逃げる。程なくして割れた音がして。

「おぎゃべばぶげげごごぎぃあぁ!?」

 ぼう! と燃え上がったその肉塊。真っ直ぐトリリーに向かって転がっていた肉塊は、最早人が発しているものとは全く異なる悲鳴を上げながら一度止まり、同時に収縮していき……。

 びゅん! と触手のようなものを、様子見していたトリリーに向けて放った。

「おう」

 やや大げさに避け、後ろでべちゃあ、と肉が潰れる音がした。

 傍目で見ると、廊下の先まで伸びた触手が、何もないような空間に当たって潰れていた。

「ぎゅあぎゅアべびゅビュウあアぁア!?!?」

 そして肉塊から伸びた触手が戻っていくと同時に、自らに魔法で水を降らせ、全身を丸焦げにしようとしていた燃える油を完全ではないにせよ鎮火する。

「……不愉快だ」

 トリリーはそう端的に吐き捨てると、本格的に一人でそれを潰す決意を固めた。


*


 4階。

 リコリスは目の前の異形と成れ果てた、元が何だかも分からないそれを何度か燃やしていた。

 それと対面した時にはもう自我も何もなかったから、まずは燃やしてみたのだが、燃やしても、雷をその身に貫通させようとも、どうにも完全に死ぬ様子がない。

 ……きっと私と同じく、蒼月から力を得ている。

 それが肉体の再生を助けている。

「やるなら、徹底的に」

 そう呟くと一度強く距離を取る。目を閉じ、より深く集中し、蒼月の力の流れをより深くにまで感じ取る。今まで身に受けた中でも格別に濃く、そして刺々しい、痛みすら覚えるような。それ故に流れに身を任せてしまえば、一気に体そのものが作り変えられてしまいそうな力。

 影響の薄い部分のみを選び取るように体内の魔力と練り合わせ、方向性を定める。

 魔法は、古くから限られた人のみが扱えるものだ。そして、数え切れぬ程の代を経た魔術師の家系を以ても、理論として構築出来た部分は、大海と比較した水溜り程度しかない。

 とは言え。

 優れた感覚を持つ事を前提とするものの、先人達の残した道標となるものは数多に転がっている。

 少なくない時間を掛けてかき集めてきた、感覚も多分に含めた盤石な法則に従う。

「ゥウヴヴウうヴヴヴ」

 目の前からは、黒焦げになった部分をはらりはらりと剥がれ落としながらも。

 形を取り戻しつつある異形が三本の足を引きずりながら。

 鎧と全身が、長剣と手が歪に一体化したそれを振るおうと歩いてくる。

 距離がより近付く前に。

[……陽光よ]

 リコリスは端的な言葉と共に、魔法を発した。

 太陽のように輝く小さな球体が目の前に形作られる。目を開いていたらそれだけで失明してしまいそうな輝き。そして何よりも皮膚が灼けてしまいそうな熱を発するそれが、ゆっくりと異形に向かっていく。

 また、それが顕現するよりも先にリコリスは背を向け、ただローブに身を潜めていた。

 魔法の威力を高めるだけならば、そう難しい事ではない。ただ、前衛の邪魔をせず、利にのみなるように、となると一気に難度は跳ね上がる。

 この魔法は、そんな実用性とはかけ離れた代物の一つだった。

「ギィアァあぁ? ……アギィィィィ!!??」

 悲鳴が聞こえてくる。その緩慢さでは、もう逃げるよりも先に灼き尽くされるだろう……。

 そう確信した瞬間。

 どず。

「……え?」

 そんなリコリスの足に。長剣が突き刺さっていた。

「いぐっ……」

 膝から崩れ落ちて、その先を見れば、一体化している腕が切り落とされていた。

 灼かれる前に、腕を自切して投げつけた?

 魔法も乱れて霧散してしまう。けれども、脂汗をだらだらと垂れ流しながらも必死に振り返る。

 前衛程に痛みには慣れていないにせよ、この程度で、敵に好き勝手させてしまう程弱い訳ではない。

 異形の上半身は、黒焦げどころか、ほぼほぼ灰になっていた。下半身の三本の足も炭化しており、少なくとも今すぐに再生してしまう事はなさそうだった。

 僅かな安堵。けれど。

 剣が突き刺さっている足は脳にまでつんざくような痛みと、少なくない血を流し続ける。

「クリス……」

 クリスが居れば、さっと引き抜いた上で僧侶にしては治癒効果の薄い祝福を幾度と重ねがけしてくれるのだろうけれど。

 今は、自分でやるしかない。薬は、ある。こんな傷すらも治してくれるものが。

 だから。

「う、うぐあああああ゛あ゛あ゛あ゛」

 叫び声を上げながら、リコリスはそれを引き抜き始める。

 体ががくがくと震える。頭が痛みでスパークする。

 その最中、迷宮と化したこの屋敷に変化が起きつつあるのに、リコリスは気付く事はなかった。


*


 どれだけ打ちのめされようとも、スノーはその度に起き上がり、ジョコーに向かって襲い掛かった。手斧を振り回し、異形と成りかけている事でその不快感とは裏腹に絶好調な肉体を動かして。

 けれども、ジョコーにはそのどれも当たる事はなかった。まるで動きが全て見えているどころか、予知されていると言って等しいレベルで、全身から無作為に生えてくる棘の一部が掠る事もない。

 何度も何度も、ジョコーはスノーから歪に生える棘を切り落とし、角をへし折った。時に転ばして手足をへし折っても、めぎめぎと言うような音を立ててそう時間の経たない内に再生する。

 その度に体に生える棘は増えていく。折った角もすぐに元以上の長さ、太さになって歪に枝分かれしていく。

 腕力も脚力も再生の度に強くなっている。

 けれども、それでも。

 猛者と比較してしまえば、どれもが劣化に過ぎなかった。

 手斧と小盾を扱う技量はクリスにこそ勝っていても、ダイアンと比較してしまえば劣っていた。そしてクリスのように技量を補うような圧倒的なパワーのようなものもなかった。

 ニンファエアのように目で追っていては、到底回避も間に合わないような速度もない。

 またグリフォン級からフェンリル級に成ろうとしている人達の中には、単独でジョコーの異能すらも正面から突破してくるような飽和攻撃を仕掛けられる者も居た。

 けれどもスノーの行く先には、このまま異形になろうとも、そのどれにも派生しないような感覚がした。有り体に言ってしまえば、死を回避する異能すら持てなかった自分を見ているようだった。

 そしてそれを、スノーは自覚しているに違いないとジョコーは察していた。

 ジョコーがスノーを傷付ける度に、スノーは段々と人から外れた容姿になって再生していく。

 攻撃のどれもが当たらなくとも、何度転ばされても、何度体を折られても、立ち上がってくる。立ち上がらなかったら、自分の誇れるものが何もかも無くなってしまうような必死さで。

 だからジョコーはいつしか、無心でそれに応えていた。

 そしてスノーが最早、人とはかけ離れた姿になってしまった後に、異変は起きた。


*


 屋敷の扉を開けなければ、庭園の中であれば、閉じ込められる事はない。

 その事実から、お守りを身につけている相手の場所が分かるソニアと、そして蒼月の力の流れを誰よりも正確に見る事の出来るウィローは、嫌々ながらも屋敷に近付いてその中を調べていた。

 その付き添いとして、ニンファエア達も付いて来ていた。

 5階建てのアネモネの屋敷。2階に3人。3から5階に1人ずつ。そして、階が高くなる程に蒼月の力は濃くなっている。

「2階から4階に飛ばされた人が誰だかは、はっきりと分からないけれど。5階に飛ばされたのは多分クリスよ」

 アキャが聞く。

「何を根拠に分かるのでしょう?」

 ソニアはぶっきらぼうに返した。

「単純に身長。床の高さからして、多分ね」

「……そうなると、蒼月の力への適性の高さか、異形になった時に役に立つかで決めているのでしょうか」

 屋敷に入った途端に姿が見えなくなった。更に転移が発生したと分かった直後には、この場所の危険度は跳ね上げられていた。

 既に迷宮の王が顕現している事は確かで、そして何かしらの目的に則って動いている。

 ウィローが聞く。

「蒼月への適性の高さって、例えば?」

「まずウィローさんはとても高いですね。その気になったら、もしかしたら自分の意志でどう成るかを決められるかもしれないです」

 期待するように言うアキャと比較して、ウィローは余り嬉しくなさそうだった。

「そういう特例を除いてしまえば、基本的には魔法を使える素質がある人が高い傾向にあります。彼等は無意識にでも蒼月から力を借りている事が多いですから」

 それからウィローに顔を近付けて、こっそりと。

「そして同じく、神に仕える者も、ですね。神もまた、蒼月の力を受けた成れの果てであるという説もあるくらいですから。

 ……あ、これはあんまりおおっ広げに口にしないで下さい。敬虔な人にこんな事言うと最悪殺されかねないので」

「……」

 ウィローはソニアの方を見たが、何を言っていたのかは聞こえなくても察しているように見えた。


 屋敷を一周している間に、ソニアが各所で何かしらが起き始めているのを感知した。

 特に2階と3階で、お守りの位置が激しく動いているのを感じている。

 加えて4階において、ウィローが蒼月の力の流れが微妙に歪んだのを感じる。

「……異形とかが発生するには流石に速いと思うのですが。でも、中で戦うものと言ったら、異形しかありませんよね……。

 私にはそこまで感じ取れないので、ここがどれだけ強い力を帯びているのか分からないのですが。

 ウィローさんも、月が落ちた場所に来るのなんて、初めてですよね?」

「うん」

「せめて、比較出来れば良かったのですが……」

 そして、屋敷を丁度一周した頃。

 ウィローが耳を立てた。

「……え?

 …………呼ばれてる」

 ウィローは、まるで操られたかのように自然と足を一歩前に踏み出す。

 アキャが咄嗟に叫んだ。

「ウィローさん!」

「え? あれ、わ、わたし、何を……?」

 大きな声に耳を立ててはっとし、けれど呆然とするばかりのウィローに、アキャはその胴体を抱えながら叫ぶ。

「逃げましょう!!」

「え、あ、う、うん、いや、……もう、遅い」

 ウィローが諦めたような声を呟き、耳を垂れた。

 そして、ウィローを抱えながら庭園の外へと走っていたはずのアキャは。

 また、それに一瞬遅れて逃げ始めたニンファエア達は。

 更に、庭園のすぐ外で待機していたギルドの人達も含めて。

 纏めて消えた。

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