アネモネの屋敷 - 庭園
アネモネ。
人間、男。職業は戦士、それからロード。
引退するまでに得た実績はそこまで目立つものではないが、引退してから指導者として輩出した協定者の数は、フェンリル級の中でも群を抜いている。
フェンネルが聞いた。
「じゃあ、腕自体はそこまでって事か?」
ダイアンが返す。
「フェンリル級がそこまでな訳がない。
実際……目立った特技とかは持ち合わせていないけれど、基本がとにかく優れているというのが一番似ているか。
自分の才覚を自覚し、毎日欠かさず研鑽を積んだ果てにある、大木のような重厚さ。
それがアネモネさんだ。だからこそ、自ずと教えるのも上手くなったと思っている」
「俺とかヤローも、教えを乞いにいったら強くなったか?」
「いや……アネモネさんは基礎をしっかりと盤石にする事を優先していてな。そこから先は基本放任主義だったんだ。
アネモネさん自身、自分が愚直に基本を伸ばす事しか出来なかった事を負い目に感じている部分もあったからだと思うが。
だからワイバーン級になればもう十分だと追い出されたし、リザードマンのようなその太い尻尾を使っての戦術やらはアネモネさんでも教えられなかったんじゃねえかな」
「要するに、ササンクァの未来の姿みたいに思っておけば良いのか」
それを聞いたササンクァがびくんと跳ねた。
「ええっ!? いやっ、私はアネモネさんみたいに成りたいと思っているけれど……。成れるかな……」
離れた後、フェンネルはダイアンに小さく聞いた。
「もしかして、ササンクァってそのアネモネに恋でもしてたのか?」
「いや、アネモネさんにはきちんと妻子も居るんだが、どっちかって言えば育ての父親みたいなもんだな。ササンクァは孤児だったから」
「あー……」
*
アネモネの屋敷に程々に近付いて、既に避難している民家の幾つかを借りる。
しっかりと体にエネルギーを蓄える為の食事と、十分な睡眠で一晩を過ごしてから、その翌日。
明確にアネモネの屋敷に月が落ちたと判明してから、二日目。
ギルドの人達はアキャの他にも既に多く集まっており、先に無断で入った協定者達や、以前ジョコー達が調子に乗って全滅しかけた時のように、勝手に探索に入ってしまうような事ももう出来ない。
また、各地で忙しくしている、グリフォン級の上位、もしくはフェンリル級以上の腕利き達はまだ居ない。
日が昇り、アネモネの屋敷に朝日が差し始めた。
外観だけは特に何も変わりのない、田園風景にどんと建つその屋敷。
ウィローの見立てによれば、屋敷の全体はすっぽりと蒼月の影響を受けた力場となっているらしい。
その中へアネモネと、少なくとも5つ以上のパーティが既に中に入ったまま出てきていない。
そして、窓を割って出て来るどころか、その窓越しに人陰が見える事すら確認出来ておらず。そこから鑑みるに、中は最早、常識が通用しないような空間になっていてもおかしくはない。
調子を整える為の軽い朝飯を食べながら、ジョコーは聞いた。
「迷宮の王が誕生している可能性も高いと思うんだが」
アキャは少し考えてから答える。
「過去の事象から推測するに、4割くらいでしょうかね」
その返答に、ジョコーは続けて聞く。
「だったら、その中にグリフォン級に成り立てのパーティが入って生還する確率は?」
「……3割は切ってますかね」
ジョコーは深く溜息を吐いた。
「けれども、良く分かってない異能持ちが二人も居ますし、グリフォン級になったばかりとは言え、元々成れる素質まで全員あった訳ですし。それ含めたら3割以上は真面目にあると思いますよ」
「4割は行くのか?」
「いやー……私も、本人すら理解していないような異能がどれだけ生還率に寄与するのかまで含めての推定までは流石に出来ませんね」
……そこは嘘でもあると言って欲しかったな。
その時。
「ねえちょっと」
ニンファエアが話しかけてきて、持っていた何かを差し出してきた。
出されたのは、水神のお守り。ニンファエアを含め、パーティの全員が身につけている、水のように透き通る青い宝石を嵌められた装飾具。
ソニアにとっては、水神をその身に下ろす為の触媒でもあるそれ。
ジョコーはニンファエアと最初に交わった時に貰ったもの。それが5つ。
「これを身に着けておけば、ソニアなら外からでもどこ辺りに居るかは分かるから。……蘇生は出来ないけれど」
「……分かった。おーい、皆、これ」
そう言って皆に配る。
ニンファエアの隣に居たソニアが不満げな声で続けた。
「きちんと返してよね。本当は里以外の人に渡すなんてしちゃいけないものなんだから」
……多分、ニンファエアが説得したのだろう。いや、ニンファエアも着いて行きたかったが、それに対する妥協案か。
ジョコーは過去に貰ってからピアスとして付けていたそれに触りながら言った。
「返せるように努力する」
「ジョコーのは返さなくて良いから」
「あ、はい」
*
朝飯を食べ終えて、体を解し。
諸々の装備を再度確認し終えて、準備が整う。
クリスが、中で未だ助けを待っているであろう人達の為の、薬や食料を備えた大きい背嚢を担いだのを確認すると。
ジョコーは覇気のない声で言った。
「じゃあ、さて。気は乗らないが、再び月が落ちた土地へと入るとするか」
トリリーが言う。
「別に今回はドラゴンは出ないって分かりきってるからな、それよりは気は楽だな」
「迷宮の王が別に居るかもしれないけどね」
リコリスがそんな事を返した。
ギルドの人が声を掛けてくる。
「何かあったらすぐに戻ってきて下さいね」
振り返って返す。
「そう、出来たらな……」
後ろでは、ニンファエア達も見送りに来ていた。
そのニンファエアは、僅かばかりではあるものの、不安そうな様子を隠せていなかった。腕を組み、尻尾を自身の体に巻き付けているのは、そうでもしないと体が勝手に動いてしまうからというような素振り。
「何か声でも掛けなくて良いのか?」
ダイアンが小声で聞いてきた。
「必ず生きて帰ってくるから、とか言っても逆に不安にするだろ」
「……」
何故か呆れた目で見返された。
門を通って庭園に足を踏み入れる。
裏口なども幾つかあるが、外に出てきた者は居ないのだから、どこから入ろうとも同じだろうと、正面から堂々と。
リコリスが呟く。
「蒼月の感覚が一気に濃くなったわ」
他の皆も少なからず覚えたその感覚。そしてリコリスは一度門から出たり入ったりして付け加える。
「うん、ウィローの言う通り、かなりきっちりと境界が分けられている」
庭園に入るだけでは、まだ閉じ込められる事はないものの、何が起こるかもう分からないという事だ。
そして、庭園の中を歩く。
過去にアネモネの下で鍛えられていた時の記憶とそう大差ない庭園であるが、たった一日手入れをされていないだけなのにも関わらず、刈り揃えられているはずの木々がぼうぼうと枝を伸ばし始め、ものによっては季節外れの花を咲かせていた。
もう何日が経ったら、自立して動き始めてもおかしくはない。
そのまま何事もなく、屋敷の前まで辿り着く。
窓から中を覗いてみるが、人影など何一つとして見えないのが逆に不気味さを唆る。そして窓を割ろうとしてもみたが、ガラスとは別の何か硬質な壁に当たったような音がして、びくともしない。
クリスがメイスを一本取り出して言う。
「一回、全力で叩いてみますか?」
「……やってみてくれ」
「分かりました。離れていてください」
クリスは背嚢を降ろして、ガラスの前に立ち、呼吸を整えて。
「MooooOOOO!!」
思い切りメイスを窓に叩きつけた。
メイスの頭が砕けてそこらに弾け飛ぶものの、窓は壊れる事もなかった。
「……こうも手応えがないと、ちょっと凹みますね」
残念そうな顔で柄だけになったメイスを投げ捨てる。
「大槌でもあれば壊せそうな予感はあったり?」
「私の力に耐えられるものがあれば、もしかしたら」
「結局無理って事だな」
クリスの力に耐えられる武具を作ろうとした事もあったが、生半可な素材ではクリス自身ですら持ち運ぶ事自体が労力になってしまう重さになってしまい、取り止めになっている。
他にも外から呼びかけてみたり、屋敷の周囲をくまなく探索してみたりとしたものの、入ってみる他に手段はないというところで。
そこまでを一旦外に伝え。ついでにメイスを補充し。
再び扉の前に立ち、特にジョコー自身の感覚が何も訴えて来ない事を確認してから。
「…………」
ゆっくりと屋敷の扉を開けた。
キィ、と軽く軋む音を立てながら扉が開く。
……冷たい空気が流れてくる。
扉を開けても、そこには何の変哲もないような広間があるばかり。日の光が間接的にしか入ってこない、薄暗いその中。
血などの目立った汚れもない。人が倒れていたりする事もない。ジョコーの死を察する感覚も変わらず沈黙を貫いている。
あるのは、より濃厚な蒼月の力が流れている感覚。まるで人の背筋を冷たく撫でるような。ドワーフの指先をざらりと舐めてくるような。エルフの耳に無秩序な音を延々と流し込むような。ミノタウロスの鼻が一気に乾いていくような。
『別に今回はドラゴンは出ないって分かりきってるからな、それよりは気は楽だな』
トリリーが言っていた事が脳裏に浮かぶ。
しかしそれは、あの時に潜った場所よりも倍は濃いその感覚に打ち消されていた。
ジョコーは振り返った。
「え…………」
それに釣られて皆も振り向いた。
ササンクァが呟く。
「……もう、逃げ道はない、のね」
庭園の外でこちらを見ていたはずの皆がすっぽり居なくなっていた。
更に庭園の方へと戻ろうとしても、屋敷を覆っていた壁と同じようなそれにぶつかって進めない。
まるで、別の空間に閉じ込められたような。
「冒険の始まり、か」
目的は、中を少しでも明らかにする事。取り残されている人達を救助する事。そして何よりも、脱出方法を見つける事。
そうして、屋敷へと入る。
がらんどうな広間の中。
調度品なども飾られているものの、どれも手の凝ったような印象がないもので、多くもない。
そして荒らされたような印象も、どこを取ってもなかった。
「意外と中は質素なのですね」
クリスの率直な感想。
「アネモネさんは必要以上に豪華にするのは好まなかったから。その代わりに掃除とかは徹底させられたけれど」
「そうですね。正直、ここまで整然とされていると私にとっては落ち着きませんが……」
きっとニンファエア達も同じような感想を抱くのではなかろうか。
そんな事を思いながら、辺りを再び見回す。
荒らされた痕跡もなければ、人の気配も感じない事こそが異常であるものの、その原因を調べる為にはとにかく動かなければいけない。
ジョコーは軽く歩いて、その調度品の一つの大皿を見た。
埃も被っておらず、人の手の脂などもなく、丁寧に磨かれたままのそれ。
「取り敢えず……探索するしかないんだろうな。
トリリーは何か感じる事でもあったりするか?
…………トリリー?」
返事がない事に、ジョコーが振り返る。
「……え?」
そこにあった光景は、入ってきた広間ではなく、長く伸びる廊下だった。
もう一度振り返る。今の今まで見ていた大皿などどこにもなく、前後に長く伸びている廊下がただあるだけだった。
壁には幾つか扉がある。一時ここに住む事すらしていたジョコーにとっては、見覚えこそあるものの、似たような構造が各階にある為に、どこに居るのか判断がつかない。
そして何よりも。
ダイアンも、ササンクァも。トリリーもリコリスも、そしてクリスも誰も居なかった。
「おい、おいおい、おいおいおいおいおい…………」
結論として。
何階かも分からない廊下に、ジョコーだけが気付かぬ内に転移していた。




