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街 - 宿

 ギルドから外に出れば、まだ日が空高くある時間帯。

 ニンファエアに連れられるがままに、街で一番大きな宿屋に入り、そのまま二人用の部屋を取る。ニンファエアは迷わず一番良い部屋を選んだ。

 グリフォン級の報酬が来たとは言えど、流石に出費として痛いくらいの値段。

「俺も泊まった事ねえぞ……」

「私もよ?」

「そうですか」

 案内人に連れられながら、時に百人以上もの協定者を泊める事も珍しくないその宿屋の、足を踏み入れた事のない階層に辿り着く。

 顔を覗かせると、もうそれだけで場違いな印象が。

 土足で踏み入るのも烏滸がましいような、細かい模様が織り込まれた絨毯が敷かれている。

 壁際には窓際には、花瓶や調度品が並び立つ。景観に合うように装飾や生けられた花そのものは控えめながらも、どれもが一級品である事が分かる。

 そして勿論、埃が立っているなどと言うこともない。

 一つだけ幸いと言うのならば、その廊下に今現在歩いている人は居らず、薄汚れた格好でも人の目を気にする必要はないというところだろうか。

 ニンファエアもその絢爛さに押されて足を踏み入れる事を躊躇っていると、先導してきた案内人は口を開いた。

「これよりグリフォン級に成る、お二方様に忠告となります。

 これから貴方様達は、より舐められない事……格式を必要とされる時も出てきます。

 その為にも、このような敷居の高さにも慣れておくべきかと存じます。

 ……特に、好き好んで馬小屋に泊まるようなお仲間様達にとっては重要で御座います」

 馬小屋に好き好んで泊まる仲間は、クリスの事だ。

 ベッドより藁の方が寝心地が良いし藁も食えるとの事で、当然と言えば当然なのだが、それよりも。

「……ニンファエア達はともかく、俺達の事も知ってるのか。パーティ全員も含めて」

「この街において、グリフォン級の見込み以上の方々は全員存じています」

「えっと……何人?」

「見込みを含めると、この街の近隣においては500人は超えていますね」

「それを全部、名前とかだけではなく、どういう人かも含めて覚えている?」

「ええ、はい」

「凄いな……」

「適材適所というものですよ。私は貴方様達のように首狩りウサギを倒せる訳ではありませんから」

 そうして部屋まで案内された後に、その案内人は各種説明を軽くしてから、最後まで礼儀を一分も崩さないままに部屋を後にした。


*


 室内も薄汚れた格好で居るには不相応極まりなく、さっさと汚れを落とす事にする。

 6人で泊まろうとも十分に広いこの一室には、きちんと風呂場も仕切りで分けられた上で用意されていた。

 桶に数人で使うには少ない湯を渡されるでもなく。はたまた6人で使おうとするものならば、くじ引きが必須な狭い湯船があるでもなく。

 2人で使うにしては広すぎるタイル張りの浴場が、その部屋に設置されている。

 更には確実に魔術を使ってある事が伺える、既に温められた透明感溢れる湯が張られており、新品の、用途が異なるであろう石鹸が幾つもあれば、どう使えば良いのかすら分からないような身を清める道具が幾つも置かれている。

「うおあ……」

 こういうものを、さも当然のように扱えるようになれだって?

 正直、10日以上の旅路を終えた俺がこの綺麗な湯船に浸かる事すら憚れるんだが。

 そう思っていると、後ろからニンファエアが続いて入ってきた。水神のお守りこそ付けたままだがそれ以外は俺と同じくすっぴんだ。

「凄いね、毛深い種族にも、私達みたいな鱗のある種族にも対応している。これとか、ウェアウルフとかウェアベアー用じゃないかな」

 そう言って手に取ったのは、人が下手に使ったら血だらけになりそうな金属製の見るからに頑丈な櫛だった。

「きちんと肌が繊細な人やらエルフやらホビットやら用のものもあって安心するよ」

 ニンファエアも鱗で覆われているとは言え、それは背面だけだ。前面は人とそう変わらない柔らかな皮膚で覆われている。そして鱗そのものも、泳ぐ時の抵抗を極力減らすような滑らかさを重視していて、そこまで硬くはない。

「まあ、しっかり洗いましょう。もう慣れたけれど、陸の生き物はどれも私達よりかなり臭うから」

「え? 俺臭いのか?」

「腐ったような臭いがするとまではいかないけれど、特徴的な臭いはたっぷりする。ササンクァやリコリスは香水を使っていたりするでしょ? 蒸し暑い時はジョコー達も使った方が良いかもね」

「そうかあ……香水ねぇ……。ま、ひとまず洗いますか」

「背中洗ってあげる」

「俺も後でニンファエアの背中を洗おうか」

「うん、よろしく」


 熱い湯をふんだんに使って、体にへばりついていた汗や皮脂をこそぎ落とすように流していく。柔らかな布を使って背中をニンファエアに擦られるのは、どうにもむず痒いが、勿論、悪い気分じゃ全くない。

「ニンファエア達の水棲のリザードマンって、熱いのは問題ないのか?」

「確かに私達は人とかと違って汗を余り掻かないから、熱いのは得意じゃないけれど。

 でも、全く汗を掻かないって訳じゃないのよね。だから少しは大丈夫よ。

 雄しか居なくて、色んな種族を攫って繁殖していた……その負の時代に、人の要素とかも少しは入ってるのかもしれない。それかもしくは、蒼月の影響を受けて、適応力が増えた結果なのか」

「へえー……。そうなると、もしかすると……いや」

 言いかけた言葉を察したかのように、ニンファエアは続けた。

「あ、別に大丈夫よ。とにかく色んな種と交わったようなリザードマンも居るって、昔話で聞いたことあるから」

「その昔話は、どういう教訓なんだ……?」

「そのおかげで、リザードマンは水辺だけじゃなく、砂漠や密林でも生きるようになりました、っていう話だったりするわ。

 そうね……だからもう、あんまり子供達には伝えないようにしてたりするの」

「まあ、その方が良いだろうな。無かった事にするのが良い事か、と言われたら断言も出来ないが」

「はい、脇上げて」

「ん……んあ゛っ!?」

 それに従うと、脇毛ごと引き千切るような勢いで脇をゴシゴシとされた。

「特にここ、臭い強いからね。我慢してね」

 優しい声してるけど、普通に力も俺より強いんだよなあ!?


 要所要所をヒリヒリするくらいまで擦られた後、今度は俺がニンファエアの背中に回る。

 俺が見上げるくらいの身長を持つニンファエアの背中は、すらりとしながらも大きい。

 鱗はワニとかのようなゴツゴツとしたものではなく、スベスベなもの。しっかりと鍛えられている筋肉に沿って盛り上がっている。

 それから背筋に沿って水を切り裂くヒレが生えていて、また背筋から伸びている尻尾は、ニンファエアの前側にある。尻尾の先は神経が敏感だったりするんだろうか?

「……で、鱗とかヒレとかってどうやって洗うんだ? それとも磨くんだ?」

「うん、特に私は族長の肩書も一応ある身なのもあって清潔に保ってるはずだから、そもそもそんな汚れていないはず。帰る途中に思う存分水浴びも出来たし。

 湿気てカビたりはしていないと思うから、隙間とかを見て、もし汚れがあったらこそいでくれたらそれで十分」

「分かった……って言っても、うん、綺麗だよなあ」

 ニンファエアの鱗に指を滑らせてみれば、この磨かれたタイルと同じように滑らかな感触がした。

 水の中においては無双の狩人となれるに違いないと思ってると。

「くすぐったいよ」

「あ、悪い。まあ、俺が見る限りじゃ本当に洗うところ無さそうだが……人間用の柔らかい布で磨いておいてみるか」

「よろしく。後、ヒレは下手に触ったら指が切れるかもだから気を付けて」

「分かった」

 ぎこちなくながらも、肩から丁寧に磨くように布で擦りつけていると、ニンファエアが聞いてきた。

「その、ジョコーの死に対する感覚って、何か思い当たる事でもあったりするの?」

「ん? 一応はある」

「喋りたくなかったら良いのだけれど」

 肩甲骨の膨らみに沿って磨くように布を添わせる。

「いや、別に。

 俺は、小さい頃に病気に罹ったんだよ。罹ったらまず治らずに死ぬようなやつ。

 だったら、一回殺した上で蘇生された方がまだ生きられる見込みあるって状態で、けれど俺の両親は遠くからやってきた……今も西の区域で住んでいる、要するに元々持っていた宗教やらのせいでギルドの方針に従えない人達で。

 要するに、そこからの抵抗感でウンウン無意味な事ばかりに時間を費やしている内に俺の様態はどんどん悪くなってな。

 もうそれ以外に助かる方法がないって明らかに見て分かる状態になってから、ギルドに駆け込んだ訳だ」

「……」

「ニンファエアも知っていると思うが、蘇生出来る可能性に関連する要因は未だ謎な部分が多いが、それでも断定して良い事も幾つか見つかっている。

 死ぬ直前の状態はその一つだな。

 首狩りウサギに、死んだと気付く間もなく殺されたのと、悪党達に嬲られて殺されたのでは、前者の方が確実に生き返る可能性が高い。

 元気溌剌な若者が事故死したのと、老人が老衰で死んだのでは、言わずもがな。

 その時蘇生を試みた神官の体感だと……病気で元々死にかけていた俺が蘇生出来る可能性は、ほぼほぼ無かったと言って良いらしい。

 それで死を理解した、だとかそんな大層な事を言うつもりもないんだが、思い当たる事と言ったらそれしかないんだよな」

「……聞いて良いのかな? その、両親との関係性は」

「結局、俺が助かっても両親は西に留まり続けたし、俺はそれが嫌で協定者になった訳で。

 そこからは会ってもいないけれど、死んだら悲しむ位には思われてる、とは思ってる」

 背筋に沿ってヒレの根本を拭う。汚れが溜まりやすいような印象があるが、洗う前でも微塵も汚れは見えない。

「ニンファエアは? 両親とも、その、あんまり関係は良くないのか?」

「まあ……そうね。私がジョコーとこんな事をしてたら刺しに来る筆頭。私がジョコーに負けた時も結構詰められたわ。

 それと私がもし一度でも死んだと分かったら、その後蘇生されて全く変わらない姿を見せても、もう協定者なんてするなって泣いて懇願してくると思う」

「……でも、そうなったとしても辞める気はないんだろ?」

「死んだ事がないから正直分からないけどね」

 腰のくびれ。けれどそこには一瞬で槍の連撃を繰り出す驚異的なバネがある。

「っ」

 そこから尻尾の付け根に布を滑らせると、ニンファエアの体が僅かに震えた。

「……」

 ……それ以上何も言わなかったので、丹念に拭う事にする。

「っ……んンっ……」

 第三の足としても使う事のある、強靭な尻尾。

 ニンファエアの太腿以上の太さがあって、鞭のようにシンプルに引っ叩く事もあれば、器用でもあって俺と戦った時にはこっそり石を掴んで投げつけてきたりもした。

 ヒレの根本に沿って布を滑らせて、少し力を入れる。

「うん……」

 そんな尻尾が全身と共にぶるぶると震えている。

 ぎっちりと筋肉が詰まっているその尻尾を揉み解すように、力を入れる。多分、一番筋力がある場所であって、反発するように押し返されて。

「んあっ」

「ん?」

 我慢出来なくなったような声が出たと思った時には、尻尾全体が弾かれるように猛スピードで動いていて。

 俺の脇腹から、とても綺麗な音が響いた。


*


 ニンファエアと俺が入ってもまだまだ余裕があるにも程がある湯船。背中を洗っている内に若干温くなったのもあって、ニンファエアも入れる温度になっていた。

「少し染みるな」

 脇腹には綺麗な青痣が出来ていた。

「ごめんね、本当に」

「いや、調子に乗った俺も悪いから」

 ニンファエアも隣に浸かる。

 ……首狩りウサギの討伐の時も、一緒に帰る時もだったけれど、隣に座られると身長差がすっごく目立つんだよな。

 俺も別にチビではないんだが、ヤローと並んだ時なんて、もう大人と子供なんだよな。

 そんなニンファエアが俺に凭れてきて、俺ごと倒れそうになった。

「ジョコーが凭れる方が良いか」

「それはそれで……。まあ、でもそれでいいか」

 滑らかな鱗で覆われた腕の感覚。手を合わせてみると、やはり手の平の大きさもニンファエアが勝る。少しだけ水掻きがあって、肉を引き裂ける爪が生え揃っている。

 どこまで行っても、人間が肉体的に勝てる要素が見当たらないようにも見えたりするが。

 俺が気にしている事を察したかのようにニンファエアが口を開いた。

「色んなところに行ってみたいけれど……砂漠とか雪国とかは流石に無理かなあ」

 リザードマンは人より優れた点が多そうでも、見逃せない弱点もある。その最たるものが、極端な環境には弱いというところだ。

 そんな場所に適応したリザードマンも居たりするのだが、それはそれで逆に普通の環境では暮らせなくなっていたりもする。

「それ以外でも、行ける場所は一生じゃ全く足りないくらいにあるさ。

 ……最終的に、ニンファエアは何か目指すところがあるのか?」

「え? うーん……。ひとまず、今の私が行けるところまで行ってみたいって気持ちだけ。そこから先は、その時考えるつもり」

 『私達』ではなくて、『私』か。

「俺が言えたアドバイスではないが……。何でも出来るからと言って何でもやっていると、すぐに考える時は来そうだな」

「パーティとして戦えていないって事でしょ? 分かってるけど、そういうのってどうしたら……いや、ジョコー達はどうやって身についていったの?」

「普通は、協定者として座学を色々積んだ上で、優しい依頼をこなしていれば自然と協調ってものは生まれてくるんだよな。

 駆除の依頼だとか、強盗退治とか。はたまた狩猟だったり、治安維持だったり色々任されるもんだからさ。

 ニンファエア達はそこをすっ飛ばしてしまったから、正直なところ、俺にはあんまり言える事が無い」

「荒療治とかはないの?」

「あると言えばあるが……死ぬ可能性があるものばかりだな」

「そして、その荒療治を受けなかったら、きっとその内盛大に転んで、そのまま全滅する可能性もある?」

「まあ……否定出来ない」

「そう、ね……。荒療治の方向性で考えないといけないね。

 何か紹介出来る?」

「ひとまず、幾つか伝手はあるから、ニンファエアが集落からまた街に戻ってきたら用意する」

「ありがと」


 湯船に浸かっていると、隠れていた疲れも浮かび上がってくるようで、少しずつ眠くなってくる……訳もなく。

 心拍が少しずつ高鳴っているのを感じていると、ニンファエアが唐突に口を開いた。

「これも、リザードマンが雄しか居なかった時代の話になるんだけど。

 他の種族の女性と繁殖するしかなかったリザードマンは、当然ながら円満に番う事なんて殆ど有り得なくて、それ故に独占欲も強かったらしいの。

 その中でも中々激しいものの一つがね、陸上の種族と水中で交わる事だったんだって」

「……それって、どういう?」

「上の口と下の口を水すら入らないように密着させた上で、身動きも許さずに、呼吸も共有させるんだって。

 そうすると、女性の方は本当に身を委ねるしか出来なくなるんだって」

 それは秘密にしたままにしておいた方が良いな、と返そうとニンファエアと顔を合わせたら。

 もう既にニンファエアは、肉食獣さながらの目線を俺に向けていた。

 細くなった目。少し開いた口から覗く、肉を食い千切る事も容易い牙と、剥き出しの咬筋。先端が二股に分かれた舌が外に出ていた。

「なあ……一応聞いておきたいんだが」

「何?」

 もどかしさのある声。

「俺ってまだ魅力的か?」

「今はまだ、ね。ずっと、私の敵わないジョコーで居てくれれば」

 ……随分と難度の高い依頼だこと。

 ニンファエアが襲い掛かってきた。

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