表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/35

本当に呼ぶべき時(A大学病院・血液内科 無雑医師の記録)

Qさん――50代の女性患者。


腹部の手術歴があり、ここ1〜2ヶ月だけで3〜4回、腹痛で救急搬送されてきていた。

救急要請の理由は、ほとんどが便秘。


腹部膨満と軽度の痛みで来院し、浣腸や点滴で落ち着いて帰宅するのが常だった。


救急外来のスタッフはもちろん、俺も「またか」と思わずにはいられなかった。


だがQさんは、どんなときも「無雑先生に診てもらいたい」と言う。


担当科は内科や消化器科であっても関係ない。

教授の外来患者でもないのに、なぜか指名されるのだ。


患者から信頼を得るのは医者として嬉しい反面、理由もなく頻繁に呼ばれるのは困る。


心の中で苦笑いしながらも、これまでは何とか付き合ってきた。


---


その日、病棟は比較的落ち着いていた。


時計の針は深夜1時を少し回ったところ。

ナースステーションでカルテの整理をしていると、内線が鳴った。


「救急外来です。Qさんが腹痛で救急搬送されました。本人が無雑先生を希望しています」


一瞬、沈黙が落ちる。


また便秘か……と心の中で呟く。


眠気と疲労が押し寄せ、ため息が出そうになる。


しかし、名前を出された以上、無視はできない。

椅子から立ち上がり、白衣のポケットに聴診器を入れて救急外来へ向かった。


---


自動ドアを抜けると、Qさんがストレッチャーに横たわっていた。


顔は青白く、冷や汗をかき、呼吸も浅い。

普段の「便秘のQさん」とは明らかに違う。


「……歩けません……お腹が……」

弱々しい声に、俺の中の警戒スイッチが入った。


触診をすると、腹部は板のように硬直している。


軽く押すだけで苦痛に顔を歪め、反跳痛がはっきり出ていた。


さらに、軽く叩いただけでも強い痛みを訴える――tapping pain陽性だ。


これはただ事ではない。


---


「CT、すぐお願いします」

指示を出し、救急外来のスタッフが素早く動く。


CT室に入ると、検査技師も事情を察して準備を整えていた。


撮影後、モニターに映し出された画像を見て、確信に変わる。

腹腔内に空気――free airが明らかに存在していた。


(消化管穿孔……)


迷う余地はなかった。

即座に消化器外科へコールする。


---


「無雑先生、どうでした?」

救急外来の看護師が不安そうに尋ねる。


「大腸穿孔。緊急手術です」

短く告げ、Qさんの手を取った。


「Qさん、すぐ手術になります。時間との勝負です」

「……お願いします」


声は震えていたが、その瞳には信頼が宿っていた。


外科医たちが到着し、手術室への搬送が始まる。

普段は冗談を飛ばす彼らも、この時ばかりは無言で迅速に動いた。


---


手術室の前で、Qさんは小さく息をつきながら言った。

「先生……やっぱり、無雑先生に診てもらって良かった」


その言葉に、夜中の眠気も疲労も少しだけ和らいだ気がした。


だが同時に、これまで「また便秘だろう」と軽く考えていた自分を省みる。


---


手術は無事成功し、穿孔部位は切除・縫合された。

術後は集中治療室で管理され、数日後には一般病棟へ戻った。


Qさんは徐々に回復し、退院の時には以前の明るさを取り戻していた。


「もう、軽い腹痛で救急車は呼びませんよ」

そう笑ったが、その言葉の重みを俺は知っている。


---


救急要請は、いつも本当に必要な時のために残しておくべきだ。


それが今回、身をもってわかった。


頻繁に呼ばれれば、周囲は“またか”と思ってしまう。

だが、その“また”の中に、本当に命を左右する一回が紛れ込むこともある。


医者としての責務は、その一回を見逃さないことだ。


そして患者としては、その一回のために、呼ぶ価値を守ることだ。


夜中の静けさの中で、俺は深く心に刻んだ。


本当にオオカミ少年のような感じの患者さんが、まれに本当の急変ということがあります。救急要請の頻度から考えると少ないかもしれませんが、「またか・・・」と思われないように、思わないようにするのは大事だろうと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ