本当に呼ぶべき時(A大学病院・血液内科 無雑医師の記録)
Qさん――50代の女性患者。
腹部の手術歴があり、ここ1〜2ヶ月だけで3〜4回、腹痛で救急搬送されてきていた。
救急要請の理由は、ほとんどが便秘。
腹部膨満と軽度の痛みで来院し、浣腸や点滴で落ち着いて帰宅するのが常だった。
救急外来のスタッフはもちろん、俺も「またか」と思わずにはいられなかった。
だがQさんは、どんなときも「無雑先生に診てもらいたい」と言う。
担当科は内科や消化器科であっても関係ない。
教授の外来患者でもないのに、なぜか指名されるのだ。
患者から信頼を得るのは医者として嬉しい反面、理由もなく頻繁に呼ばれるのは困る。
心の中で苦笑いしながらも、これまでは何とか付き合ってきた。
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その日、病棟は比較的落ち着いていた。
時計の針は深夜1時を少し回ったところ。
ナースステーションでカルテの整理をしていると、内線が鳴った。
「救急外来です。Qさんが腹痛で救急搬送されました。本人が無雑先生を希望しています」
一瞬、沈黙が落ちる。
また便秘か……と心の中で呟く。
眠気と疲労が押し寄せ、ため息が出そうになる。
しかし、名前を出された以上、無視はできない。
椅子から立ち上がり、白衣のポケットに聴診器を入れて救急外来へ向かった。
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自動ドアを抜けると、Qさんがストレッチャーに横たわっていた。
顔は青白く、冷や汗をかき、呼吸も浅い。
普段の「便秘のQさん」とは明らかに違う。
「……歩けません……お腹が……」
弱々しい声に、俺の中の警戒スイッチが入った。
触診をすると、腹部は板のように硬直している。
軽く押すだけで苦痛に顔を歪め、反跳痛がはっきり出ていた。
さらに、軽く叩いただけでも強い痛みを訴える――tapping pain陽性だ。
これはただ事ではない。
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「CT、すぐお願いします」
指示を出し、救急外来のスタッフが素早く動く。
CT室に入ると、検査技師も事情を察して準備を整えていた。
撮影後、モニターに映し出された画像を見て、確信に変わる。
腹腔内に空気――free airが明らかに存在していた。
(消化管穿孔……)
迷う余地はなかった。
即座に消化器外科へコールする。
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「無雑先生、どうでした?」
救急外来の看護師が不安そうに尋ねる。
「大腸穿孔。緊急手術です」
短く告げ、Qさんの手を取った。
「Qさん、すぐ手術になります。時間との勝負です」
「……お願いします」
声は震えていたが、その瞳には信頼が宿っていた。
外科医たちが到着し、手術室への搬送が始まる。
普段は冗談を飛ばす彼らも、この時ばかりは無言で迅速に動いた。
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手術室の前で、Qさんは小さく息をつきながら言った。
「先生……やっぱり、無雑先生に診てもらって良かった」
その言葉に、夜中の眠気も疲労も少しだけ和らいだ気がした。
だが同時に、これまで「また便秘だろう」と軽く考えていた自分を省みる。
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手術は無事成功し、穿孔部位は切除・縫合された。
術後は集中治療室で管理され、数日後には一般病棟へ戻った。
Qさんは徐々に回復し、退院の時には以前の明るさを取り戻していた。
「もう、軽い腹痛で救急車は呼びませんよ」
そう笑ったが、その言葉の重みを俺は知っている。
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救急要請は、いつも本当に必要な時のために残しておくべきだ。
それが今回、身をもってわかった。
頻繁に呼ばれれば、周囲は“またか”と思ってしまう。
だが、その“また”の中に、本当に命を左右する一回が紛れ込むこともある。
医者としての責務は、その一回を見逃さないことだ。
そして患者としては、その一回のために、呼ぶ価値を守ることだ。
夜中の静けさの中で、俺は深く心に刻んだ。
本当にオオカミ少年のような感じの患者さんが、まれに本当の急変ということがあります。救急要請の頻度から考えると少ないかもしれませんが、「またか・・・」と思われないように、思わないようにするのは大事だろうと思います。