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当直室前に座る霊(A大学病院・血液内科 無雑医師の記録)

病院の夜は、昼間の延長ではない。


むしろ昼間とはまったく別の世界に変わる。


廊下は人の気配を失い、機械の電子音だけが等間隔に響く。

その音は昼間には気にも留めないほど小さいのに、夜になるとやけに大きく耳に残る。

消毒液の匂いと、静寂が混じると、何とも言えない息苦しさが胸にまとわりつく。


その夜、俺は血液内科病棟の当直室で横になっていた。


当直室といっても、六畳ほどのスペースにベッドと机、古びたロッカーが置かれているだけの簡素な部屋だ。


蛍光灯は消し、壁際の時計が静かに秒針を刻んでいる。

掛け布団は薄く、冬場は心許ないが、この夜は少し肌寒い程度だった。


午前二時を少し過ぎた頃、何の前触れもなく目が覚めた。


身体はだるく、脳は半分眠っているような状態だったが、妙な違和感があった。


---


視線を上げると、薄暗い天井近くに“それ”はあった。


白い天井の中に、ぼんやりと浮かび上がる輪郭。


そして――それは確かに「顔」だった。

輪郭ははっきりしないのに、目と鼻と口の位置だけは認識できてしまう。


その顔は、まるで俺を覗き込むようにこちらを向いていた。


心臓が一瞬で早鐘を打ち、冷たい汗が首筋を伝う。

息を呑む音すら、相手に届いてしまう気がした。


反射的に目をぎゅっと閉じる。


――次に目を開けて、それが目の前にいたら叫ぼう。

叫んで、すぐに逃げよう。


しばらくの沈黙の後、恐る恐るまぶたを開けた。


天井にはもう何もなかった。


ただの白い壁と、そこに映る薄い影だけ。


---


だが、眠気は完全に吹き飛んでいた。


まぶたを閉じれば、あの顔が瞼の裏に浮かぶ。


あれは光と影の錯覚だったのか。

それとも、本当に何かが覗き込んでいたのか。


結局、布団から出てデスクに向かった。


パソコンを立ち上げ、患者のカルテを開く。


未記入のサマリーをいくつか書き上げ、検査データの整理を始めた。


手を動かしている間は少し落ち着くが、ふとした瞬間に背後が気になって仕方がない。

振り返っても、そこには何もいない。


しかし「何かがいた」感覚だけは、皮膚の裏に張り付いたままだった。


時計を見るたび、時間の進みが遅いことに苛立つ。


夜はまだ長く、外は真っ暗だ。

窓に映る自分の顔を見て、その背後に何も映っていないかを確認してしまう。


---


気づけば夜明けが近づいていた。

薄く青みを帯びた光が窓の外に滲み始める。

結局、一睡もできなかった。


「まあ、こういう夜もあるさ」


そう自分に言い聞かせながら、ナースステーションに向かう。


夜勤明けの看護師たちが引き継ぎの準備をしている。

その中に、病棟で「霊感が強い」と有名なD看護師の姿があった。


---


引き継ぎが一段落したとき、D看護師がふとこちらを見て言った。

「先生、昨日の夜……当直室に何かいました?」


不意を突かれ、思わず声が裏返る。

「え?……なんで?」


D看護師は肩をすくめ、淡々と話す。


「夜中の二時くらい、当直室の前に人が座ってたんですよ。

顔ははっきり見えなかったけど、じっとこっちを見てて。

悪さはしなさそうだったから、そのままにしておいたんですけど……何かあったかなと思って」


俺は苦笑いしながらも、心の中ではあの天井の顔を思い出していた。


二時――まさに俺が目を覚ました時間だ。


---


「……そういうこと言われたら、当直室で眠れなくなるからやめてくれ!」


そう言うと、A看護師が吹き出し、D看護師も笑った。


だが、笑っているのは口元だけだった。


頭の片隅では、あの顔とD看護師の証言がぴたりと重なっていた。

以来、当直室のドアを開ける前には必ず一度中を覗く習慣がついてしまった。


病院は、生と死が日常的に交差する場所だ。


時には、その境界を越えてくる者がいるのかもしれない。


俺はただ、静かにしていてくれることを祈るばかりだ。


本当に1回だけ・・・。よくわからないものが見えましたが、なんだったのか。

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