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赤い服の女の子(A大学病院・血液内科 無雑医師の記録)

病院の食堂は、昼のピークを過ぎると急に静けさを取り戻す。


あれだけ混み合っていたテーブルが、嘘のように空席ばかりになり、

ステンレスのトレーがぶつかる音や、スープの温め直しの電子音だけが響く。


その日、俺は遅めの昼食をトレーに載せ、窓際の席に腰を下ろした。

カレーライスと味噌汁、そしてほうれん草のおひたし――特別なものではないが、午後の回診を乗り切る燃料だ。


そこへ、消化器内科のE医師と、脳神経外科のF医師がやって来た。


「お、珍しいですね、先生がこの時間に食堂にいるなんて」


E医師が笑いながら向かいに座る。

「たまにはね」と俺も笑い返した。


---


世間話をしながら箸を動かしていた時、ふと頭に引っかかっていたことを口にした。

「……最近、うちの病棟の患者さんが“赤い服の女の子”をよく見るって言うんですよ」


E医師が手を止め、俺をまじまじと見た。

「赤い服の女の子?」


「ええ。急性骨髄性白血病の再発で、もう余命が長くない方なんですけど……。

夜中、部屋の隅に小さな女の子が立っていると。

赤い服を着て、じっとこちらを見ているそうです。

笑っている日もあれば、泣いている日もあると。

ここ数日はそれが気になって眠れない、と言っていて」


俺は冗談混じりに話すつもりだったが、自分の声が思ったより低く、重く響いていた。


---


E医師はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。


「……うちにもいました。膵臓癌の末期で亡くなる数日前の患者さん。

同じように“赤い服の女の子”を見たと言っていた」


俺とF医師は同時に顔を上げた。


「どんな子だったんです?」と俺が聞く。


「髪は肩くらいまでで、前髪は真っ直ぐぱっつん。真っ赤なワンピースを着ていて……

足元は白い靴。何も話さず、ただベッドの横に立っていたそうです。

患者さんは最初、『孫かと思った』と言っていましたが……孫はその日来ていなかった」


E医師は箸を置き、水を一口飲んだ。


その手がかすかに震えているのが見えた。


---


F医師が、低い声で言った。


「……俺も、似た話を聞いたことがある」


「脳腫瘍の患者さんで、亡くなる数日前。

“赤い服の子が来ると、もう長くない”って本人が口にしていた。

俺の患者の場合は髪が長めで、顔はやけに色白だったそうだ。

笑っていたらしいが……患者さんは“あれは人間の笑顔じゃない”と表現していた」


F医師は言葉を選びながら、しかし確かな実感を伴って話していた。


俺は背筋が冷たくなるのを感じた。


---


三人はしばらく無言になった。

食堂の時計の針がやけに大きく時を刻む。

窓の外では初夏の陽光が差し込んでいるのに、テーブルの上の空気だけが冷たく、重い。


「……亡くなる前の患者さんって、もしかして同じ女の子を見ているのかもしれませんね」


E医師の言葉に、F医師がゆっくりとうなずく。


「髪型は……肩までか、長めか。年齢は……小学校低学年くらい?」


「服は、必ず赤いワンピース」


「靴は白。顔は……妙に色白で、笑っていることが多い」


三人の証言が少しずつ重なり、一人の女の子の輪郭が浮かび上がる。


それは、誰もが会ったことがないはずの、しかし奇妙に馴染みのある存在だった。


---


「……もしかしたら、その子は“連れていく”何か、なのかもしれませんね」

F医師が静かに言った。


その言葉に、心臓の奥が小さく跳ねた。


昼間の食堂で交わされるには不釣り合いな会話。


それでも、三人とも否定の言葉を口にしなかった。


外から聞こえる談笑や食器の音は遠く、別世界のもののように思えた。

ここだけが、静かに、別の時間を流れている。


---


昼食を終え、俺たちはそれぞれの病棟に戻った。

仕事に追われ、患者対応に没頭し、あの会話は意識の奥に沈んでいった。


だが夜、病棟を回っている時――ふと、ある病室の患者が視線を部屋の隅に向けているのに気づいた。

そこには、俺には何も見えない。


しかし、その瞳の奥に映っているのは……あの赤い服の女の子なのではないかと、


妙な確信が胸をよぎった。


実際にそういう話があったのですが、本当のところは誰にもわかりません

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