腹が減っては戦はできぬ(でも戦った)
今の若い医師たちは「働き方改革」でだいぶ守られるようになったが、私の研修医時代はそんなものはなかった。
勤務時間は「朝6時から終電まで」どころか、「朝6時から翌日深夜2時まで」なんてザラだった。
正確に言えば「終業時間」という概念が存在しなかった。患者の容態は時間を選ばないし、急変は待ってくれない。
そして不思議なことに、それでも何とかやれていた――いや、やらざるを得なかったのだ。
当時は「体力」と「気力」と「妙な使命感」だけで走り続けていた。
疲労の限界はとうに超えていたが、若さというのは恐ろしい。睡眠不足も空腹も、アドレナリンで誤魔化してしまう。
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その日も、朝6時過ぎに病棟に到着した。
まだ夜明けの光が病院の窓ガラスを淡く染める頃だ。
まずは採血の準備をして、ルート確保、検査オーダー……と考えていた矢先、ナースコールがけたたましく鳴った。
「先生!○号室、呼吸止まってます!」
一気に眠気が吹き飛ぶ。
カルテを放り出し、処置室から必要器具を掴み取り、病室に飛び込む。
そこには顔面蒼白の患者と、必死でバッグバルブマスクを握る看護師の姿があった。
私はすぐに胸骨圧迫を指示し、挿管の準備をする。
研修医の時からICLSのインストラクターを務めていたおかげで、こうした状況でも頭は冷静だった。
「心電図モニターはVF。除細動準備!」
数分後、患者の心拍は戻った。安堵と同時に、汗が背中を流れる。時計はすでに7時を回っていた。
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蘇生後の処置を終え、そのまま朝の回診へ突入。
検査説明や点滴の調整、家族への説明などで分刻みの時間が過ぎていく。
「そろそろ昼にしよう」そう思ったのは午前11時50分頃だった。
だが、病棟のスピーカーから再び緊急コールが流れる。
「○○さん、血圧が急に40台です!」
血圧低下の原因は敗血症性ショックだった。
すぐに輸血、昇圧剤、酸素投与。
昼食?もちろんお預けだ。
胃は空っぽだが、そんなことを気にしている暇はない。
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夕方6時。やっと一息つけそうだった。
「今日こそ食堂で夕飯を食べよう」と決意し、エレベーターに向かう。
しかし、その瞬間またもや院内放送が響く。
「○号室、SpO2が60%です!」
私は深くため息をつき、踵を返す。
低酸素の原因は急性心不全による肺水腫。酸素投与、利尿剤、循環管理に追われ、気が付けば夜9時を過ぎていた。
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夜10時過ぎ。患者の対応が終わりナースステーションに戻る途中で、急に足元がふらついた。
視界が暗くなり、耳鳴りがする。
「あ、これ倒れるやつだ」
壁に手をつき、そのまましゃがみ込む。
通りかかった看護師が驚いて声をかける。
「先生、大丈夫ですか!?貧血ですか!?」
「…いや、ただの空腹です」
その瞬間、看護師が吹き出した。
「じゃあ早く食べてください!患者さんより先に倒れたら笑えませんよ!」
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結局、病院を出たのは夜中の1時過ぎだった。
外は真冬の冷気が肌を刺す。
近くのコンビニで買ったカップラーメンにお湯を注ぎ、湯気を浴びながら思う。
「腹が減っては戦はできぬ」――本当だ。
でもあの日の私は、腹が減っていても戦ってしまった。
そして、きっと明日も同じように戦うのだろう。
10年目くらいまでは無茶がきく体だったと思いますが、アラフィフになるともう無理になります。