草刈りアナフィラキシー
秋になると救急外来には特徴的な患者が増える。熱中症は減るが、喘息やアレルギーが目立つ季節だ。
その日も夕方の外来は静かだった。カルテ整理をしていたとき、救急隊からの無線が響いた。
「アナフィラキシーの患者さん搬送中!到着まで3分!」
一気に緊張が走る。酸素、アドレナリン、点滴の準備――頭の中で手順を反芻する。
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救急車のドアが開き、ストレッチャーで運ばれてきたのは、どこかで見た顔だった。
「え……〇〇さん!?」
去年の秋にも搬送された“草刈りアナフィラキシー”の常連さんだった。
去年の診療記録を思い出す。秋特有の草に強いアレルギー反応を示し、草刈り中に倒れた人だ。
「まさか、また草刈りしてたんですか?」と聞くと、息を切らしながら、
「だって、放っておくと荒れるでしょ……」と答える。
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去年の退院時にも念を押したはずだ。
「秋の草刈りは絶対にやめてください」
患者さんもうなずき、理解してくれたと思っていた。
しかし、今年も同じ時期、同じ原因で搬送されてくるあたり、理解と実行は別問題らしい。
アレルギー検査でもバッチリ陽性が出ている草なのに、なぜわざわざ刈りに行くのか……。
それはもはや使命感か、草への敵意か。
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症状は去年と同じく重度だ。
顔面紅潮、呼吸困難、全身に蕁麻疹。
血圧は80台に低下しており、早急な対応が必要だった。
「アドレナリン0.3mg筋注、酸素マスク、点滴開始!」
スタッフがテキパキと動く中、私は次の一手を考える。
改善しなければ挿管、場合によっては気管切開も……。
しかし、血液内科医である私は、気管切開の経験はほぼない。
心の中で「頼む、アドレナリン効いてくれ」と祈る。
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数分後、呼吸音が少しずつ楽になっていくのがわかった。
SpO₂も上昇し、血圧も安定してきた。
患者さんは酸素マスク越しに「ふぅ……助かった」と微笑む。
助かったのはこちらの方だ。
気管切開の悪夢が頭をよぎっていたのだから。
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治療を終えて入院、2日間ほど経過観察も問題なし。帰宅準備をしている患者さんに、私は真剣な顔で言った。
「〇〇さん、来年こそは絶対に草刈りしないでください」
「はいはい、わかってますよ」
その返事に、私は去年と同じ“わかってない”響きを感じた。
医者の勘というのはこういうとき当たる。
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予感は的中する。
翌年の秋、またもや救急無線が鳴った。
「アナフィラキシーの患者さん搬送中!去年も搬送されています!」
ストレッチャーで入ってきたのは……やはりあの人。
「だから言ったじゃないですか!」と声を荒げる私に、患者さんは平然とこう言った。
「今年はマスクしてたんですよ」
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私は深くため息をつきながら心の中でつぶやいた。
――そういう問題じゃない。
結局、この患者さんには秋の草刈りを完全に諦めさせることはできなかった。
今でも秋になると、あの救急コールが鳴るたびに、私は少しだけ身構えてしまう。