下賤の子と虐げられている私ですが、皇帝の娘だったらしい。
その昔、カルドシア王国の大公爵の妹が王太后の首飾りを盗んだ事件があった。本人は無実を主張するも、婚約者である王太子や彼女の親友の証言で断罪され、王国を追放された。
そしてその親友が王太子と結婚して王太子妃となった。
しかし、あとでそれが冤罪と分かり、公爵エドウィンは方々手を尽くして妹を探したが、見つかった時には土の下で、残されたのは妹の面影を残す女の子、十二歳のシュリー……私だけだった。
それで、公爵は自責の念から父親が誰ともわからない子をフェルティア家に迎えた。独身だった彼は傍系から迎えた優秀な息子が二人おり、合わせて四人家族になった。天涯孤独の孤児が公爵家に引き取られるなんて夢があるシンデレラストーリーなわけだけど、それで必ずしも幸せなわけじゃあない。
「食べ方が下品ですわね。公爵様もどうしてこのような子を引き取ったのかしら。妹君への贖罪のためとはいえ、偉大なフェルティア家に泥を塗る行為ですわ」
ゴチャゴチャと嫌味を言ってくるのは教育係のラスガー夫人。代々公爵家に仕える家門らしく、二歳上のシリウスと三歳下のエミリオの教育係も務めて公爵夫人のいないこの屋敷で女主人として振る舞っている。
公爵は忙しくて執務室に籠り切り、義兄も次期当主として様々な仕事を担って夜になっても部屋の明かりはついたまま。九歳のエミリオはラスガー夫人の手のひらの中で転がされている状態だ。
公爵家の権威を自由自在に使えてさぞ気分いいことでしょう。
「伯父様の決定に文句をつけるつもり?」
私が睨むとラスガー夫人は大げさに驚いて見せた。
「まあ! 下賤な血が入っている癖にわたくしに意見するなんて身の程知らずだわ!! これはお仕置きが必要ですわねぇ」
夫人はニィっと笑って侍女に合図をして鞭を持ってこさせた。こうやって気に入らないことがあると鞭を振るってきたんだろうな。
義弟の腕には生々しい傷跡があった。私が尋ねてもあの子は首を振ってすぐに逃げていったが、おおよその見当はついていた。何人かの使用人に似たような傷跡があったし、ラスガー夫人の派閥の人間にはなかったからね。
「いいですね。これは躾ですよ」
そういってラスガー夫人は鞭を振り上げた。
しかし、私は持っていたナイフをぶん投げて夫人の手から鞭を叩き落す。
「キャアア!!! お、お前っ!! 何てことをするの!!」
ラスガー夫人は傷ついた手の甲を押さえながら私を睨みつける。
「手が滑っただけよ」
「こ、この下賤な小娘がっ!!」
ラスガー夫人がいきり立って手を振り上げる。こちとら下町の修羅場を潜り抜けているのよ。どんくさい貴族の平手なんぞ怖くもないわ。
私は皿をフリスビーのように投げて夫人の顔面に当てた。
「これは無礼な使用人への躾よ。私はフェルティア家の当主に認められた人間でお前は私に仕える家門なの。いいわね」
私が睨みつけるとラスガー夫人はぶるぶると身体を震わせた。怒りで顔が真っ赤だが、それ以上何もしてこない。
弱いもの虐めしかしない人間って打たれ弱いのよね。反撃しないといつまでも虐げられるだけと私は下町生活で身に染みている。
そして、敵と味方の区別のつけ方も知っているのだ。
教えてくれたのは私の父だ。北の帝国出身の父はあらゆることに精通していた。剣の振り方弓の使い方から様々な分野の勉強を教えてくれた。
素敵な父と優しい母、面倒見のいい兄と四人で幸せに暮らしていた。そのはずだったのに、ある日、家に強盗が入って父と兄が応戦した。母は幼い私を抱いてそこから逃げ、私を守って命を落とした。
「お母さまもお父様も素晴らしい人だったわ。誰にも彼らを侮辱させない!」
■
ラスガー夫人は私のことを伯父様に言いつけたようだった。夜遅く、仕事終わりに伯父様が私の部屋にきた。
「シュリー。ラスガー夫人の言っていることは本当か? 夫人にナイフを突きつけ、食器を投げつけたそうだが……」
そう尋ねる伯父に私は言った。
「ねえ、伯父様。私の母が無実の罪で追放されたとき、もっと話を聞けばよかったとおっしゃっていたわよね。でも伯父様。話はいくらでも自分のいいように作れるわ。大事なのは事実の調査よ」
私が言うと伯父ははっとした顔になった。
「……ああ、そうだ。そうだったな」
伯父の顔が悔恨にゆがむ。そして私の頭を撫で、小さく謝った。それは私というよりも母に向けて言っているようだった。
伯父様の行動は早く、次の日にはラスガー夫人はもとより、彼女の配下は一掃されていた。
「シュリー。ラスガー夫人はとんでもない人間だった。公爵家の財産を横領し、代々伝わる貴金属まで手を付けていた。それだけでなく、幼いエミリオに鞭を打っていたんだ」
「母からラスガー夫人のことは聞いていましたから、辛く当たられてもなんの驚きもありませんでした。厳重に処罰してくださいね」
私が言うと伯父は深く頷いた。
悪い人間ではないことは承知だけど、母の味方をしなかったことは未だに許せていないのよね。母はとっくの昔に許して「お兄様は……仕事人間で俗世に疎い方なのよね」と笑うだけだったけど。
ちょっとばかりの復讐を終えた私の腹はまだおさまりが悪かったが、他の人は違ったらしい。
「お嬢様。ラスガー夫人から守れず申し訳ありませんでした」
「お嬢様のおかげでムチを打たれず、生活ができます。本当にありがとうございます!!」
たくさんの使用人が私を見かけるとお礼を言いに来る。
そして、エミリオが初めて私に声をかけてきたのだ。
「……ありがとうございました。僕、あなたのことを誤解していました。本当にごめんなさい」
真ん丸おめめに涙を浮かべながらエミリオは謝った。話を聞くと、私の悪評をエミリオに吹き込んでいたらしい。
私はエミリオを慰め、
「怒っていないから大丈夫よ。ちゃんと謝れて偉いわね」
とサラサラの頭を撫でた。可愛い。
エミリオと打ち解けた私は一緒に遊ぶことが多くなり、そうすると自然とシリウスと話すことも増えた。いきなり現れた私をどう扱っていいかわからなかったそうだ。
そこまではいいのだが、会うたびに豪華な宝石をプレゼントしだすのは参った。
「シリウスさま。こんな高価なもの頂けませんよ」
「エミリオからは受け取っているだろう?」
「エミリオがくれるのは花冠ですよ。宝石じゃありません」
「それなら花束ならいいか?」
こうして私は社交界きっての人気者、フェルティア公爵家の嫡男から毎日花束を贈られるようになった。
■
時は巡って私は十六歳になり、社交界デビューを果たした。デビュタントはシリウスにパートナーになってもらい、伯父様の肝入りで盛大なパーティになったが、彼らの目の届かないところでは風当たりは強い。
「シリウス様にパートナーになってもらうなんて面の皮が厚いこと!」
「本当に、いくら片方だけフェルティア家の血を引いているからと言ってもねえ……」
「エスメラダさまの事件が冤罪といっても、本当のところどうだかわかりませんわよ」
嫌なささやきが会場のあちこちで聞こえる。シリウスが私の分の飲み物を取るために傍を離れるとすぐこれだ。
イライラしてきたところで、金髪の令嬢が私に声をかけてきた。
「ねえ、お前がフェルティアに引き取られた女?」
美しい容姿だが、態度はとても悪かった。そしてそれが誰だか私はすぐに分かった。
「王女ディアナ様ですね。お初にお目にかかります。シュリー・バードナ・フェルティアと申します」
「ふん。母上が言った通り、貴族の令嬢らしくなくて下品ね」
私のこめかみがピクっとひきつった。何とか言い返してやろうと思った矢先、シリウスがさっと割り込んでくる。
「ほう。王妃様がそのようなことをおっしゃったのですか?それは厳重に抗議をしなければなりませんね」
シリウスがディアナを睨むとディアナは怯んだ。
「……え。それは」
焦り出すディアナだが、シリウスは手を緩める気はないらしい。
「王妃と国王がフェルティア家のエスメラダを陥れたことを我々は忘れておりませんよ。あなたを身ごもっていたからという理由で廃妃になりませんでしたが、そのあなたがフェルティア家に仇為すなら温情をかける理由はありませんからね」
冤罪が発覚したときは既に王と王妃の座に就いていた彼らは、フェルティア家に巨額の賠償金と王家と同格の権利を与えるという条件で和解した。しかし、これは悪手だったと伯父様は嘆いていた。
「シ、シリウス様。た、単なる冗談ですわ。本気にしないで下さいませ。社交界に慣れていない彼女をユーモアで慰めようと思っただけですもの」
「笑えないユーモアですね。ですが、フェルティア家を愚弄し、シュリーを貶めたことに違いありません。謝罪して下さい」
シリウスの言葉にディアナは悔しそうに歯ぎしりをしたが、震えながら声を絞り出した。
「悪かったわ……。フェルティア家とシュリー嬢に対する無礼を取り下げますわ」
ディアナはそれだけ言うとすぐにこの場から逃げ去った。
「すぐに守れず、すまない」
シリウスは眉を下げていった。
「言い返してくれてすっきりしたわ。ありがとう」
私は答えた。彼がきて自分の緊張が解れるのが分かった。一緒にいると安心するのだ。
それに、シリウスの行動で周囲の目線は変わった。私に何かするとフェルティア家が黙っていないことを知らしめたのだ。
■
「あなた!! ディアナがパーティで恥をかかされましたわ!! あの下賤な娘のせいで一国の王女が謝罪しなければならないなんてどうかしています!」
娘のディアナから話を聞いた王妃ドロテアが王の執務室に怒鳴り込んだ。
「……しかし、首飾りの事件のせいでフェルティア家には手が出せない。お前があんなことをしたせいで私はいまだにフェルティア家の機嫌を取らなければならないんだぞ!」
国王アダムスは言い返した。
彼にとって王妃ドロテアはただの愛人のつもりでしかなかった。美しくて聡明なエスメラダは身持ちが堅く、遊びに誘っても公務を優先する。そんな時の遊び相手として子爵家のドロテアに手を出したのだが、まさか首飾りの盗難事件をでっちあげるとは思わなかった。
アダムスがドロテアの肩を持ってエスメラダを糾弾したのは、いつも澄ました彼女が自分に縋って助けを乞うだろうと思ったからだ。しかし、彼女は毅然と立ち向かい、最後まで罪を認めなかった。
追放されると決まっても泣き言を言わず、いつまでも美しい姿のままだった。
悔しさにアダムスはぎゅっと拳を握る。
だが、ドロテアにとってそんなことは知ったことではない。
「フェルティア家との約束がなんです。その約束は前国王が締結したものでしょう!? あなたは王です。そして私は王妃、フェルティア家の横暴を許してはいけませんわ!!」
「ならどうするというんだ!! フェルティア家に何かしてみろ。他の貴族からの不信感を買う」
「……縁談を用意すればいいんですわ。北の帝国ダルネルトの皇子との縁談を進めましょう」
「ダルネルト…だと」
アダムスの顔が驚きに満ちる。
ダルネルトは北に位置する大帝国だ。しかし、一昔前に血なまぐさい王位継承権争いがあり、その激しさゆえに現皇帝の綽名が『氷の帝王』だ。誰しもがその名前を聞くだけで震え上がる。
しかし、広い国土からは貴重な鉱石や薬草が採れ、ダルネルトとの交易なしではどこも立ち行かない。
「フェルティア家の娘なら格としても十分でしょう? 厄介払いができてダルネルトとの縁もできますわ。それに下賤な娘は残酷な皇太子の玩具が相応しいですわ」
王妃はにやりと笑う。
「ふむ……たしかに。いくらフェルティア家といえど、ダルネルトとの縁談を蹴ることはできないだろうからな」
アダムスは笑った。今まで煮え湯を飲まされていた分、胸がすくようだった。
■
王室の知らせが届いた後、フェルティア家は大騒動だった。
「ダルネルトとの縁談だと!! うちをなんだと思っている!!」
怒り狂う伯父様に怖い顔のシリウス、ちなみにエミリオは不安そうな顔で私のドレスを掴んだ。
「シュリー。大丈夫。僕が守るから……」
エミリオの震える手を私はそっと握った。
「ありがとう。エミリオ」
「父上、断固として拒否しましょう」
「もちろんだ。シュリーを守るためなら王家との戦も辞さん!!」
伯父様はそう怒鳴った。私を思ってくれる伯父様、シリウス、エミリオの気持ちは嬉しかったが、私一人のためにそこまでする必要はない。
家族を失いたくない。
以前はただ守られるだけだったが、今は自分の意思で選ぶことができる。
「伯父様。だめよ。そんなことしたらダルネルトとの交易に亀裂が入るわ。長い目で見れば私が嫁ぐ方が得策よ」
「だめだシュリー!! 君を北になんかにやれない。皇帝は数々の血を流してその座に就いた男だぞ。その皇子も冷血漢と聞く……。行かないでくれ」
シリウスが私を抱きしめながら言う。
「シリウス……」
「好きだ。シュリー。好きだ。君のことが本当に……」
シリウスはそう言って私を抱きしめる腕に力を込めた。
彼の言葉が心に染み渡り、腕の温かさで怖さが薄らいでいく。
「シリウス、ありがとう。あなたの気持ちは嬉しいわ。あなたがいれば安心するし、心がとても落ち着くわ。でも、それはあなたと同じ気持ちなのかわからないの。だけど守りたいのは本当。お願い。もう私に失わせないで」
私の言葉にシリウスは辛そうな顔をした。
伯父様は悲しそうに目頭を押さえ、エミリオは泣くまいと我慢していた。
そんな中、執事が招かざる客の来訪を告げた。
「北の帝国、皇太子イザーク様がいらっしゃいました……」
「な、なんだと!?先触れもなく無礼だろう!! 追い返せ!!」
「で、ですが……」
執事は複雑な顔をした。
そしてその執事の後ろからすらりとした美形の青年がこちらを見ていた。
「……お、お兄様!!!!?」
私は思わず叫んだ。
遠い昔の面影が目の前の青年にあった。頭の中で幼いころの思い出があふれ出す。
「シュリー……!! 無事でよかった!!!」
彼は私を力強く抱きしめた。
「お兄様なのね。お兄様!!あ、それじゃあお父様は?お父様はお元気?!」
「ああ、元気さ。今日も本当は一緒に来るつもりだったけど、忙しすぎて無理だったんだ」
「良かった……お父様は無事なのね……」
私はほっとした。
思わぬ再会に喜んでいた私は周囲を置いてけぼりだったことに後から気付き、咳払いした後で兄を紹介した。強盗に遭って家族が離れ離れになったこともあわせて。
「はじめまして。父オズワルトと母エスメラダの息子、イザークと申します。フェルティア家には必ず行きたいと思っていました」
エスメラダの面影を少し残すイザークに伯父様は涙をこらえきれないようで泣き出した。
シリウスは始終驚きっぱなしだった。
エミリオは不思議そうな顔で私のドレスを引っ張った。
「えっと、イザークさんはシュリーのお兄さんなんだよね?それだと、お兄さんとシュリーは結婚できないんじゃない? この場合、どうすればいいの?」
エミリオの純粋な質問に思わず笑い声が響いた。
立ち話もなんだからということで場所を食堂に移し、夕食を食べながら話すことになった。
話を統合すると、父は北の帝国の第一皇子だったそうだ。しかし、皇位を狙う第二、第三皇子の策略で命を狙われ、辺境の地まで逃げたらしい。そこで母と出会い、私たちが生まれたそうだ。
私が強盗だと思った相手は第二皇子の刺客だったらしい。このまま家に帰ると私たちまで危険にさらすと判断した父は味方を集め、帝都を占領して皇位を奪還したそうだ。
「父は母の生家、フェルティア家となんとか連絡を取りたいと思っていましたが、母を見つけてからと思っていたそうです。まさか命を落としていたとは知りませんでした」
お兄様は悲しそうな顔で言った。
「すまない。私がエスメラダを追い込んだせいだ。皇帝も私たちを恨みに思っているだろう」
「いえ、当主殿が手放して下さったおかげで母に会えたということでさほど怒ってはいないんですよ。もともと母自体が許していましたしね」
お兄様の言葉に伯父様はポロポロと涙を流した。
「ですが、カルドシアの王家は別です。よくもまあぬけぬけと玉座に座り続けられているものだと、父は憤慨していますよ。もちろん私もです」
お兄様は怖い顔で笑った。
「……気が合いますね。私もです」
シリウスが言うとお兄様は嬉しそうに笑う。
「それなら少し協力してもらえませんかね?」
■
カルドシア王国に北の帝国、あのおぞましい皇帝が来訪するというニュースは国中を震撼させた。王アダムスと王妃ドロテアは震えながらも、フェルティア家に打撃を与えられると喜んだ。
「これでフェルティア家の泣きっ面が見られますわね。せっかくなら皇帝に反抗して処罰されてしまえばいいのよ」
「それにしてもわざわざここまで来なくてもいいのにな。歓待するのも楽じゃない」
王家が主催するパーティは有力貴族がすべて参加した。フェルティア家は王族と隣同士の席を用意された。善意ではなく、シュリーたちの絶望を間近で鑑賞したいという悪意からだ。
入場ラッパとともに帝国の一団がホールに入って来る。そして皆が皇帝と皇太子の麗しさに驚愕の声を上げる。国王と同じくらいの年齢だが、鍛え上げた体は衰えることはなく、精悍な顔つきは夫人たちの心を掴んだ。
そして騎士のようにすらりとした長身の皇太子に令嬢たちは沸き立った。
「ま、まあ。なんて素敵な殿方かしら……」
「噂とは大違いですわよね」
「こんなことなら私が皇太子の妃に立候補すればよかったわ」
身の程知らずな令嬢が好き勝手に囁く。
一番驚いたのは王家だ。
ディアナが悔しそうに顔を顰める。
「お母さま、あんな素敵な人だなんて聞いていませんわ!! それに北の帝国はお金持ちなんでしょう?! あの女には勿体ないわ!!」
「ええそうね。あの下賤な娘が皇太子と結ばれればフェルティア家はさらに強い立場になってしまいますわ……」
「それは絶対にまずい。シュリーのあの美貌だ。皇太子がほだされて我が国に刃を向けるかもしれん」
「絶対にさせませんわ!!」
王妃ドロテアはそう決意する。
彼女は席を立って歩みを進める皇帝オズワルトと皇太子イザークを出迎えた。
「ようこそカルドシア王国にいらっしゃいました。お会いできてうれしいですわ」
「突然の来訪にも関わらず、迎えて下さってありがたい。カルドシア王国の王妃よ」
オズワルトはドロテアを見つめる。
(この女がエスメラダを陥れた犯人か……)
ドロテアはオズワルトの敵意に気付かず、表面上の柔和な態度に気を良くした。
「この国を気に入って下されば幸いですわ。私共にも娘がおります。皇太子殿下と結ばれれば両国が発展すると思いませんか?」
「ほう。話ではフェルティア家との縁組と聞いているが」
オズワルトは低い声を出した。
「ええ、それなのですが、フェルティア家のシュリーは貴族の血が半分しか繋がっていないのです。下賤な身分のシュリーよりも、高貴な血筋を引くディアナ王女との結婚がよいですわ」
「王妃の言う通りだ。皇帝よ。下賤な娘よりディアナの方が皇太子の妃に相応しい」
王妃はにこやかに言った。王の顔も明るく、ディアナは呼ばれていないのにしゃしゃり出てイザークの腕を抱きしめた。
しかし、イザークはそれを振り払う。
「な、どうしてですの!? 私はカルドシア王国の王女、最も高貴な存在ですわ!!」
びっくりしたディアナはイザークを睨む。
「はあ、父上。この茶番には付き合い切れません」
イザークは疲れたようにため息を吐く。
「そうだなイザーク。私もこれ以上は我慢が出来なさそうだ」
オズワルトはそう言って剣を抜いた。
「カルドシア王国の国王アダムスよ。妻のエスメラダの名誉のために貴様に決闘を申し込む。我が妻を無実の罪に問い、咎人を王妃にした愚かな王よ。我が娘を下賤と罵るその口、二度と利けないようにしてやる!!」
オズワルドの怒号がホールに響き渡った。
まるで雷が落ちたような衝撃に人々は度肝を抜かれた。皆がそこでシュリーの父親が誰であるかを知った。下賎な娘とシュリーを罵った人々は己の罪深さに失神した。
そしてその敵意を真正面から受けた王アダムスと王妃ドロテアは恐ろしさのあまり、その場にへたり込み、二人は命乞いを始めた。
人々が恐れおののく中、この場で全く動じなかった一団がいる。シュリーたち、フェルティア家だ。
「お父様、すっごい迫力だわ……」
シュリーが驚いていると、隣のシリウスがおかしそうに笑った。
「君によく似ている。君は僕が知る限り一番気高くて強い人だったんだけど、あの覇気はお父上譲りだったんだね」
「あ、あんなに怖くないと思うわ……」
シュリーは少し照れながら言った。
■
カルドシア王国は消滅した。大帝国の皇帝の目の前でその娘を罵倒するという失態を犯した王家に他の貴族が見切りをつけ、こぞってフェルティア家の家門に入りたいと願い出たのだ。
フェルティア家当主は、自分の妹にしたことが許せないとそのすべてを皇帝に献上した。皇帝はそれを受け、フェルティア家をフェルティア公国として自治権を認めた。
しかし、ここで問題が生じた。
「シリウス。後継者を辞退するってどうして?! 皆があなたを認めているでしょう!!?」
「私はフェルティア家の傍系出身だ。直系の君がいるのに私が継ぐわけにはいかない」
「そんなこと言ったって、騎士団も領地の皆もあなたを慕っているわ。あなた以外の当主はあり得ないわよ」
「君のカリスマ性も相当なものだ。君ならフェルティア家をさらに発展させられるだろう」
一歩も引かないシリウスにシュリーはにっちもさっちもいかなくなった。
困った彼女は父親に相談することになった。昔からの癖だ。
「なるほどね。シリウスのことは私も調べさせたが、人となりも実力も申し分ない男だ。しかし、シュリーがフェルティア家を継ぐのも悪くないと思っている」
「お父様。私、フェルティア家は好きだけど当主として切り盛りするのは向いてないわよ。それにシリウスはフェルティア家を本当に愛しているの。なんとかして継がせることはできないかしら?」
シュリーの必死さにオズワルトはふむと考えた。そして楽しそうに言う。
「一つだけ方法があるが……。そうだな、私がシリウスに話そう」
■
ある日の夕暮れ、シュリーはシリウスから散歩に誘われた。お互い黙ったまましばらく歩いた後、シリウスはシュリーに向き合う。
「シュリー。私と結婚してフェルティア家を継ぐのはどうだろうか」
その言葉にシュリーは目を見開く。
「え、それは……」
「皇帝から、『フェルティア大公なら皇女の伴侶に相応しい』と言われた。君が皇女と知って手が届かない人だと一度諦めかけたが、私が君を幸せにする資格があるのなら、このチャンスを離したくない」
シリウスのまっすぐな目が私を見据える。
真面目で優しいシリウス。
いつも私を守ってくれたシリウス。
この感情はずっと家族愛だと思っていた。でも、実の兄と再会してこの感情の正体が分かった。私もこの人に恋している。
「シリウス。あなたと共に生きたいわ。一緒にフェルティアを発展させましょう」
その告白の後、シリウスは嬉しそうに顔をほころばせてシュリーを抱き上げる。
二人が見つめ合い、唇が重なるのにそう時間はかからなかった。