1.バーチャルライバー俺
『みんな~、今日もお疲れーい!配信みてくれてありがとぉ!またあしたね~!早くねるんだぞー』
防音設備の施された部屋中に響くなんとも元気な声。部屋よりも明るく光を放つパソコン。そのパソコンの中に映し出された笑顔のイケメンが頭を左右に揺らすのに合わせて部屋の主も頭を左右に振っている。勢いよく流れていく文字列をよそに、部屋主はそっと画面を閉じて大きく咳払いをした。
「あ゛ー!今日はつっかれたマジで…!」
先程この部屋に響いた明るく元気な声とは打って変わって、ドスの効いた野太い声が部屋を揺らしたような気さえする。
そう、これが俺の地声だ。
さっきの明るく元気な声とは、我ながらとても愛嬌のある大幅にトーンを上げることで作り上げられた声である。お察しの人も多いことだろう。俺はバーチャルライバーとして配信をしていたのだ。
…いや、そもそもバーチャルライバーという存在を知っているだろうか。その存在は今やもうテレビなどでも見掛けるものだが、ここまで有名になっても結局はオタクコンテンツの一種。SNSもあまり見ないようなパンピーには通じないこともあるから説明しておこう。
ゲーム配信や雑談配信など色んなことを動画サイトなどでライブ配信する人たちが多くなった世の中で、顔を出す代わりに二次元のイラストや3Dモデルを使って…なんならメタい話がしっかり設定なども作りこんでそのキャラクターとして配信活動をしていく。それがバーチャルライバーだ。…何?簡単すぎる?もっと詳しく知りたい奴はネットで検索でもしてくれ。
そしてなんで俺がこんなことをしているのかと言うと遡ること約5年前、まだまだバーチャルコンテンツが一部に普及し始めたか?という辺りでノリでバーチャルライバー募集とやらに応募したら受かってしまった。当時は小さな事務所で、俺自身も配信活動は趣味程度に続けていくだけのつもりだったというのに次第に事務所は力をつけて大きく大きくなっていったのだ。
今や百を超えるライバーを抱え、副業どころか専業として確定申告を行うまでになり、ライブをしたりイベントをしたり気付けば俺自身…いや、俺の媒体とでも言った方が良いだろうか。先程言ったように俺のバーチャルの分身である彼こと、井川類すらも相当な有名人になってしまったのだ。
「うわ、もう二時かよ…なんか食うか」
5年前のほぼサークル活動のような時代だった頃に比べれば縛りは確かに増えたものの、配信活動自体は基本的には好き勝手させて貰えるし事務所で仕事することがあるとしても大体は朝なり昼なり夕方なり。ここまで来ると一般的な在宅込みの会社員と変わらないくらいの活動頻度なのだろうと思うのだが、不思議なことに生活リズムは狂い続けているのが配信者の性みたいなものなのだろう。
…まぁ、同業者には当たり前のようにまともな人もいるからこれは言い訳でしかないのだが。
不摂生を極めたこの時間に不摂生を極めたカップ麺を詰め込んだ不摂生な袋を確認し、今日の夜食を決めると急いでお湯を沸かし始める。とは言っても直ぐに沸騰するものでも無いので時間潰しにスマホを開くと、珍しい人物からの連絡が入っていた。
「…母さん?」
そう、遠方に住む母からである。
本当に久しぶりだ。メールのやり取りですら数ヶ月ぶりではないだろうか?そのくらい会話をしていない。
とは言っても別に仲が悪いとかそういうわけでもなく、純粋に干渉し合わないだけなのだ。母親も父親も似たようなタイプで趣味の旅行に勤しんでいたりする様子はたまに聞くし、実家に住んでいる妹とも平和に過ごしているようなので何か問題があるわけでもない。
…それでも久しぶりの、しかも相手からの連絡というものは少しそわそわするもんだな。
なんだろうと疑念を持ちつつメールを開くと、そこにはとても簡潔なメッセージが添えられていた。
美亜の卒業お祝いするから一度実家に帰っておいで。
「そうか、もうそんなシーズンか」
美亜とは先ほど言ったように実家で両親と共に暮らしている俺の妹の名前だ。離れていると歳の感覚も無くなるものだが、今年高校卒業だという話は年明けにも家族とやり取りしたところだったからしっかりと覚えている。
もうすぐ春か。年々早くなっていく桜の開花だが、今年はどうも少し遅いらしい。未だ桜特有の桃色の兆候をあまり見ていない気がする。
そもそも卒業式は終わったんだろうか。そこすらも俺は知らないのだが、そういうのを気にするほどの関係でもない。ただ、普通に家族仲はいいのだから妹の卒業というのはめでたいイベントである事に間違いはないのだ。
何日にする?と返事をするとすぐに既読がついて、じゃあ来週で。とのこと。
久しぶりに帰省するのだから、せっかくだし数日は滞在するか。と事務所にいくスケジュールやコラボ予定を確認し、上手く3日空けることに成功したのでお馴染みのSNSに顔を出す。
[来週の平日配信おやすみするかも!]
井川類、と書かれた名前の横に丸く表示されるアイコンは我ながらいいビジュアルのイラストだと思う。このビジュアルが井川類であり、俺なのだ。もうこの顔が自分だと思い込んでいる時間の方が多いまであるのだから。
その告知をするとすぐ、了解というコメントや俺が居ないことを嘆くコメントが30ほど付き始めた。配信直後だからリスナーたちもまだ元気に起きているらしい。
続けて寝るわー、と投稿すればおやすみとコメントがつく。俺はリスナーとのこういったやり取りも結構嫌いじゃないのだ。天職なんだろうなぁ、ライバーは。
「…さすがにそろそろ言わないとな」
そう、おそらく天職なのだ、これは。
そんな天職な仕事なのだが、俺は家族にライバーをしてることを一切話していないのだった。
家族が自ら干渉してこないことをいいことに…しかもこの仕事は完全に自由とまではいかないが、しっかり連絡も取れるし先に予定を立てて置けば意外と融通は聞く。仕送りもしているし、連絡もしっかり取れるし、生活に困ったことが無いのだからまぁ息子の職業なんぞそこまで気になるものでもないのだろう。そもそもライバー業だけで食べていこうと決断したときも、別に元々就職していた通信業界の仕事を辞めるという報告すらしてないのだ。そのままずっとそこで仕事してると思われてるのもあるんだろうな…。
「…報告してみるか」
確かにライバーは不安定な職だとは思う。が、別にそんなことを気にするような親でもない。まぁデビューしたての頃は少し不安もあって隠していたし、何より類になりきって明るく元気な青年を演じている姿を知られるのは恥ずかしいことこの上なかった。元々俺は物静かであまり話さないタイプの黒髪眼鏡…いかにも陰キャと呼ばれそうな部類だったのだから。
だが今はもう違う。飼い主とペットは似ると言うように、ライバーと中身も似てくる。大きな違いはあれど類の姿でやり取りすることが増えれば類のように振る舞うことにも慣れてきた。今の俺なら…そして今の事務所の状態や収入なら、胸を張ってこの仕事をしていると報告できるのだ。
決断したはいいものの少し緊張するな、母さんも父さんもどんな反応をするんだろうか。そもそもバーチャルライバーの説明からしないといけない可能性もあるが…まぁ美亜なら今どきのことは分かるだろうからその時は説明を手伝って貰おう。
まだ少し先の来週のこととはいえ、少しの緊張を抱えたまま俺はパソコンを閉じた。まぁ明日の予定を確認してその関係でマネージャーに連絡したころにはもうその緊張もすっかり減っていて、考え事をしながら無意識に注いだせいで伸びきったカップ麺をすすってその日はよく寝たのだった。
…まさか、想定外の方向からあんな事件が起こるとも知らずに。