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 澄子と鶏


 時計の針は午後3時に差し掛かる。思わず目を細めるような日差しだが、澄子は教室の窓の外を眺めていた。教室にいるのは日に数える程しかない電車の時間まで、暇を潰す人ばかりだ。月曜日に運良く窓際の席になった澄子も、いつものようにふわりと温かい風に包まれてまどろんでいる。

 いや、まどろんでいた。校庭を1匹の鶏が駆けていく。たち、たち、と細い足で、からだを上下に細かく揺らしながら駆けていく。すっかり目の覚めた澄子は、可笑しい気持ちになっていた。この高校の近くの住宅街から来たのだろうか、などと考えていると、この愛らしい鶏の行方を追いたくなった。

 昇降口を出ると、校庭に鶏は見当たらない。気のせいだったのだろうか。校庭部活している人たちがいるのに、鶏がいるわけがなかった、いつもの勘違いかなと澄子は考えた。


 ぶわりと砂埃が舞う。思ったより風が強いようだ。ながい黒髪が頬にまとわりつくのを少し鬱陶しく感じながら、駅に向かった。高校の近くは澄子の住む町よりも活気があって、商店街も充実している。今日のような日は歩いているだけで楽しかった。少し探検してみるのもありかもしれない、そう考えてスマホで電車の時刻表を確認し、振り返るとそこにはあの鶏がいた。目が合うと首を少し傾げ、鶏はまた駆け出した。澄子は思わず追っていた。商店街をそれて、緑の多い川沿いを走る。我にかえり、人間に追いかけられたら怖いかもしれないと気がついて、速度を落とした。鶏はたちたちとそのまま数歩駆け続け、こちらを素早く確認し、ひょこひょこと速度を落として向こうへ歩き始める。

 着いて行っていいってことかな、と澄子はまた少し可笑しい気持ちになって、奇妙な鶏の艶のいい白い羽を見つめた。コンクリートの坂道を登り、蔦の茂った石垣を曲がると感じのいい喫茶店へ着いた。鶏は中へ入っていく。澄子もおしゃれなタイルや、ステンドグラスのついた扉に惹かれて薄暗い店内にそっと足を踏み入れた。




 澄子と雨月


 中は少しひんやりとしていて、気持ちがいい。入口すぐにカウンターがあり、入り口から向かって左に大きなガラス窓がはめられている。ざらざらとしていそうで、所々薄い水色や紫色になっており、柔らかい光が注ぐ。ガラス窓のまえにはソファとよく磨かれた木のテーブルに、木の椅子が3セットならぶ。ガラス窓のある壁に沿ったソファは薄い水色のベルベット製で、それぞれのテーブルの上にはランプが吊るされている。心地よい暗がりは、秘密基地といった感じだ。

 澄子は誰もいない空間にしばらく佇んでいた。時間の枠から外れたような、しっとりとした空気感に魅入られていた。一方で、脳が覚醒するような、集中力が高まるような感じもしていた。

 「いらっしゃい」

澄子ははっとした。引っ張られるように声の方へ顔を向ける。鶏を抱いてカウンター脇、店の奥から現れたのは、すらりとした背の高い男性だった。

 「素敵なお店ですね」

軽く笑みを浮かべつつ、無意識にペースを奪わせまいとしていた。リラックスしているような態度は、澄子の得意技だ。澄子はいきなり人が現れたことに、内心かなり驚いていたが、感情が面に出づらいことが幸いし、動揺はした様子は見せなかった。実際、このクセのせいで友達にマイペースだと言われてしまうと澄子は考えていたが、キャラクターを確立してしまった方が何かと都合がいいと、呑気に捉えていた。

 「嬉しいね。商店街から離れているから、あまりお客さんはこないのだけど。」

25歳くらいに見える彼は、そう言って伏し目がちに少し笑った。えくぼのある笑顔で、ふんわりした黒髪がマッチしている。柔和そうな店員に少し油断させられそうになった。

 「学生さんは本当に珍しいよ。良ければ休んでいってね」

決して押し付けがましくなく、目の奥にいやらしさのない、爽やかな口調で言った。うちは良心価格も売りだから、と付け足して、店の奥へと戻っていく。爽やかなのに、不敵さも感じるような、不思議な雰囲気を纏っていた。

 気がつくと店内のランプが光っている。先程とはまた変わった雰囲気となって、和むような、あったかみが足されていた。澄子は席について、メニューを開いた。おすすめと書いてある、和風パフェと、和紅茶を頼むことに決めて、銀の呼び鈴を鳴らす。ちょっと待ってね、と言いながら、ちょうどエプロンに着替え終えた彼が注文を取ってくれる。

 少ししてパフェと紅茶がテーブルに並べられた。水色と紫色の寒天できらきらしたパフェは、ほうじ茶味のアイスとクッキー、生クリームが上品な甘さで飽きがこない。クッキーは鶏の形をしているから、おそらく手作りだろう。愛らしくて、なんとも和むパフェだ。趣味のいいカップに注がれている和紅茶も、すっきりとしてすごく飲みやすい。ひとしきり午後のティータイムを楽しんだ後、澄子は言った。

 「鶏さんに着いてきて良かったです。」

カウンターにいた男性は目をぱちくりさせて、合点がいったように笑い始めた。

 「ああ、たまに脱走すると思ったらそういうことだったのか!本当に自慢の看板鶏だよ」

カンバンドリ、聞き慣れない言葉の響きに澄子も思わず口元が緩む。

 「着いてきてくれたのは君が初めてだけどね」

男性にそう言われ、澄子も思わずふふふ、と笑ってしまった。男性と話す中で、男性の名前は雨月だということが分かった。そして、店員ではなく店長らしい。お母様の趣味で始めた喫茶店だそうで、今は任されているのだそうだ。澄子が会計を済ませると、また来てね、と店の外まで送ってくれた。雨月店長はどこまでも爽やかだ。軽く手を振って見送ってくれた。


 「ラセ、ゾン、デプリュイ...」

帰り道、澄子はもらったレシートで知った店名を口に出してみた。澄子はこの喫茶店を心底気にいった。次来た時は、看板鶏のハイドレンジアと仲良くなりたいとも考えていた。すっかり藍色に染まった空の下、うきうきした気持ちを持ち帰るように、駅へと向かった。




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