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夏のチョコレート

 そして、この年もバレンタインがくる。

 菜月ちゃんたちとチョコを買いに行く約束をしたのが、直前の三連休。

 佐和子と麻由はいつも通りの部活で、菜月ちゃんも卒業式の準備に向けての生徒会の用事で午前中は学校へ行っていた。

 と、なると当然、私も制服で出かける。


 現在二年生の私たちが入学する前の年、セーラー服からブレザーに変わった制服は、近隣でも評判の"カワイイ"デザインで。もともと手頃な偏差値で倍率の高い学校ではあったのだけど、女子の志願者が増えたせいで受験倍率はエグいことになっている。

 そこを勝ち抜いたからには、やっぱり、みんなと一緒に制服で行きたいし。



 最寄りの駅で待ち合わせて、あの"特別な"喫茶店へ。

 食事メニューが無いことは知っている私たちだから、お昼ご飯はすませているけど、チョコ売り場で闘うためには作戦会議も……ってことで。


 さすがに真冬の寒さの中で待ち合わせたあと、ジュースを頼む気分にはならなくって、今日はわたしもホットのミルクティーを頼む。

 初めて来た時と同じく、佐和子がコーヒー、麻由が紅茶なのは、いつものことで。菜月ちゃんはコーヒーだったり紅茶だったりと、その日の気分で選んでいるらしい。今日の菜月ちゃんは、私と同じミルクティー。


 注文を終えて私と菜月ちゃんが、カバンから雑誌を取り出す。

 今月のファッション雑誌は、当然バレンタイン特集。オススメのチョコから当日のコーディネートまで、ありとあらゆる情報が載っている。

 二冊をテーブルに広げて、顔を寄せ合う。


 

「ラグビー部は、やっぱりマネージャーに負けないようにしなきゃ」

 私の向かいに座った菜月ちゃんのアドバイスに、その隣で佐和子が頷いて

「そうよね? だったら……浜田君には、これ? それともこっちがいいと思う?」

 真剣な顔で品定めをしている。

 そんな佐和子に心の中で『ファイト!』って、エールを送っておいて、こっちはこっちで麻由と二人で、もう一冊の雑誌を眺める。


「香奈ちゃんは、どんなのをあげるつもり?」

「うーん。まだ決められてない」

 恋、と呼ぶには淡い自分の憧れを、そっと胸の内で撫でてみる。

「オトナ、だもんね。おにーさん」

 先週、話の流れで言わされてしまったんだよね。チョコをお兄さんにあげたいって。逆に私の方も、みんなが誰にあげるのか教えてもらったわけだけど。

 佐和子はラグビー部の浜田君、菜月ちゃんは塾の先生、麻由は……じつは同じクラスの坂下君と付き合っているらしい。

 坂下君はミルクチョコが好きなんだとかで、おおよその目星をつけている麻由は、自分のことよりみんなへのアドバイスに力を入れるつもりっぽい。


 ああだこうだと言い合っているうちに飲み物が運ばれてきて、まずは壁側の席に座る佐和子と麻由の前に湯呑が置かれた。

 作務衣の袖から覗く彼の腕に目が引き寄せられるのもいつものことで。顔の前を横切っていくのを楽しみに、いつも私は通路側に座っていたりする。



 一口、二口とお茶を飲みながら、雑誌のページをめくる。記事を読んでいるうちに、自分が食べたくなったりして、なかなか決められない。

 そもそも、私にとっては初めて買う本命チョコだから、『子供っぽいな』とか思われたら嫌だし。

 自分が食べてみたいチョコとは違うだろうなぁ、って考えてしまうと、どうすればいいのか分からなくなってしまう。


「オトナって、何がいいのかなぁ?」

 呟いた私の言葉に、栞代わりのプチ付箋を貼りつけていた佐和子が

「訊いちゃえば?」

 って、軽く言ってくれる。

「そういうわけには、いかないじゃない?」

「それくらい、大丈夫だって」

 『代わりに訊いてあげようか?』なんて言っている横を、お盆を手にしたお兄さんが通りすぎる。



 四つ並んだテーブルの、奥から二番目。

 スプーン入れらしい籠の向こうに黒っぽい湯飲みを置いたお兄さんが、OLさん風の女の人と言葉を交わすのが、一つテーブルを間に挟んだ私のところからも見えた。

 世間話、っていうのかな? 友達でもない人とあんな風に会話をしてる大人って、不思議だなぁって、時々思う。


 そんな事を考えていると、こちらへと戻ってきたお兄さんを呼び止めた佐和子が、

「このページの中だったら、どれがいいと思う?」

 思いっきりストレートに訊ねて。

「どれと言われましても……」

 困った顔のお兄さんも、なんだかステキ。

 なんて思いながら、彼の顔を見上げる。この背の高さも、大人よね?


「参考、参考。深く考えない」

 って麻由からの助け船に

「男子学生の好みとは、恐らく離れますよ?」

 お兄さんは、ちょっと予防線っぽい言葉をはさんで。

「貰うとしたら……ウイスキーボンボンですかね」

 出てきた答えに、思わず叫んでしまった。

「ずっるー。そんなの、未成年には無理!」

 困ったような顔で

「ですから、男子学生の好みではありません、と」

 お兄さんが付け加える。

 言われたけどさぁ。確かに。


 小さく唇を尖らせていると、奥のテーブルにいた女性が小さく吹き出したように見えた。

 高校入学を機に使い始めたコンタクトレンズは、メガネよりも良く見えるんだから。間にテーブルを一つ挟んでいても、絶対に笑ってたって分かる。

 ムカついて、ぎゅーっと握り拳を作っていると

「貰えるだけで、男子はうれしいものですよ」

 って、お兄さんからのフォローがやってきた。

 へへへ。嬉しいんだ、お兄さんも。貰えたら。

 握り拳はテーブルの下に隠してから、ゆっくりとほどく。両手を擦り合わせて、握った感触を床へと落としておく。ムカつきは、無かったことに。



 その後、ウイスキーボンボンの情報をメインに雑誌をチェックしていると、

「ちょっと、見て。お兄さんが……」

 麻由が興奮したような声を上げた。

 何事? って、カウンターの方を見ると、縫い物をしているっぽい仕草のお兄さん。

 えー? 裁縫? って、男の人が?

 二年生になって家庭科の授業は無くなったけど、一年生の時は男子も家庭科の授業を受けてた。とはいえ、実技は調理実習がメインだったし。

 つまり、裁縫をしている男性を見るのは、中学校の授業以来。しかも大人なんだから、授業で嫌々……なんかじゃないわけで。

 これは、初めて見る光景、かもしれない。

 物珍しさに引かれるように、菜月ちゃんがそっと立ち上がる。足音を忍ばせるように、カウンターへと近づいて……顔を上げたお兄さんに、気づかれた。

 

 トイレの場所を訊くことで誤魔化した菜月ちゃんのやりとりに、テーブルに残った三人で顔を見合わせて。誰からともなく、笑いが漏れる。止まらなくなる。


 戻ってきた菜月ちゃんの報告によると、お兄さんはどうやら刺繍をしていたらしい。

 テーブルの上に置かれたコースターを鼻の高さまで持ち上げた菜月ちゃんが

「トイレのペーパーホルダー? のカバーが、こんな刺繍だった」

 って言うから、みんなで今度は頭を寄せ合うようにして、コースターを眺める。

 これ……手作りなんだ。


 『こんなの作れない』『ママでも無理』って、騒ぐ友人たちの声を聞きながら、私は一人、違うことを考えてた。

 これ、欲しい。撮りたい。

 あ、湯飲みの下とお冷のグラスの下の二枚、模様が違うじゃない。

 えー、じゃあ、トイレのホルダーカバーって?

 今、お兄さんが作っているのはどんな模様?

 もっといろいろ見たいなぁ。



 その後、騒ぎすぎだと注意されたり……と、小さな反省の残る日ではあったのだけど。

 この日をきっかけにして、私が抱いていた淡い憧れは作品に対する興味と混じり合って、恋へと育ち始めた。


 

「だからさ、香奈ちゃん。持っていたって仕方ないんだから、行っちゃいなってば」

 菜月ちゃんは、そう言って応援してくれるけど、育ち始めの初恋にとって、数日後に迫っていたバレンタインはハードルが高すぎて。

 せっかく買ったチョコレートを渡すこともできないままで、年度が変わっていた。


 三年生でも菜月ちゃんとは同じクラスになれたけど、佐和子や麻由は隣のクラス。

 そのうえ、部活動や生徒会活動の引退へのカウントダウンがそれぞれに始まって、休日に遊ぶなんてことはすっかりなくなってしまった。

 だから当然、あの喫茶店にも行かなくなっていて、自分自身でも『このまま、自然消滅するんだろうな』と、初恋が枯れていくのを見守る覚悟はしていたんだけど。



「香奈ちゃんさ、それで本当に受験に集中できるわけ?」

 学校の夏季補習の休み時間、前の席から振り返るようにしてしゃべってた菜月ちゃんに言われると、枯れる寸前だった恋心が聞き耳を立てたような気がするけど。

「うーん。できる……はず」

 そんなに盲目的には、なってなかったはず。

「いや、無理でしょ? まだ、チョコレート食べてないくせに」

「あー……」 

 渡す勇気もないのに、まだ冷蔵庫にはバレンタインで渡すために買ったチョコレートが入れてある。

「いい加減にしないと、賞味期限、きれるよ?」

 うわ。それは考えてなかった。え、いつまでだろう?


 その日、帰ってから冷蔵庫のチョコレートを取り出す。包装紙をそっと開けて、賞味期限を確認。

 あー、先月までか。これは、渡せないなぁ。

 がっかりしながら、一つ口へと入れる。苦味のあるお酒が、口に広がる。苦っ。そして辛っ。

 失恋以下の味を五つ、口の中で溶かして。

 飲み込んだ大人の味に、勇気を固める。


 新しく、チョコレート買う!

 そして、夏休み中に渡しに行く!



 決意のまま、その日の塾帰りにチョコレートを買い直す。

 明後日の土曜日。お昼から喫茶店へ行って、お兄さんに渡すんだ。

 五粒の大人チョコは、きっと私の味方になってくれるはず。


 新たな決意を翌日、菜月ちゃんに宣言すると、ついてきてくれるって。よし、味方もゲット。私はやれる。

「香奈ちゃん、酔ってない?」

「一晩寝たし、チョコレートだよ? お酒が入っているっていっても」

 来月には、十八歳の誕生日も迎えるし。四捨五入したら、大人だもん。チョコレートのお酒くらい、たいしたことないはず。



 そして迎えた翌日の午後。塾のカバンは駅のロッカーに預けて、いざ……となったら、緊張して怖くなってきた。

「もう、ここまで来たなら、行くしかないでしょ?」

 ついてきてくれている菜月ちゃんの容赦ない言葉に押されながら、喫茶店までの道を辿る。

「やっぱり、昨日の私。酔ってたのかなぁ?」

「ここで、回れ右したら、また自分で食べて酔う羽目になるからね」

「うん。頑張る」

 とは、言ったものの。店内でアイスティを頼んで……ってしているうちに、一人、めちゃくちゃ背の高い怖そうな男の人が入ってきて、威圧感に立てなくなりそうで。

 それでも、なんとか……と、思いながら頼んだアイスティを一口。よし、行こう。


「いらっしゃい」

 背後の引き戸が開いた音に重なるお兄さんの声に、新しいお客が来たことを知って、また立ち上がるきっかけを失う。

「だから、勇気だして、行っちゃいなって。好きなんでしょ?」

 見かねたらしい菜月ちゃんが、身体の陰でこっそりカウンターを指す。

 息を大きく吸い込んで、立ち上がる。カウンターへと向かう私の後ろから、菜月ちゃんがついてきてくれる気配。

 大丈夫、がんばれ私。



 勇気を振り絞った告白は

「子どもと恋愛をする趣味は、ありませんので」

 なんて、酷い言葉で断られた。それでもなんとか

「“子ども”に、ウイスキーボンボンを食べさせる気、ですか?」

 って食い下がって、チョコレートは受け取ってもらえた……と思ったのに。

 『これは無かったことに』と、私たちを含めた店内のお客へと振る舞われてしまった。

 サービスだと入れ直してくれたアイスティと一緒に、またもや自分で買ったチョコレートを食べる羽目になる。

 泣きそうになりながら、カウンターから目を逸らすように見たテーブルの上。

 メニューと一緒に

「当店の、お約束です」

 と言って、渡されていたクリアケースが、こっちを見ている。


 ・約束 その三

 『写真撮影は、ご遠慮下さい』


 そっか。お兄さん、写真嫌いな人なんだ。

 気づかないような“子供”は、振られてもしかたよね。


 大人、にならなきゃ。

 早く、大人に。



 すっかり枯れた初恋を埋葬した後は、受験に集中することで笠嶺(かさみね)市にある教育大学へ進学した私は、同好会に入って写真は続けていた。

 変わり種の吹き溜まりのように言われていた写真同好会のメンバーは、良くも悪くも個性的な人たちで、その周りの友人・知人も類は友を呼んでいた。

 私なんかよりもメイクに詳しい男子とか、いつも絵の具まみれの白衣を着ている先輩とか、写真を撮りに行くたびにに何らかのトラブルに巻き込まれる女子とか。

 そんな仲間だから恋人として付き合う相手も、暇さえあれば刺繍をしている人だったり、休日にはスパイスからカレーを作る人だったり。

 筋肉自慢でやたらと撮られたがる人もいたっけ。


 後から考えれば、初恋のお兄さんに通じる“自分の世界”を持っている人に惹かれたって、ことだろうけど。

 付き合っている当時は、理解のできない彼らのこだわりに振り回されて。でも、それを受け入れる“大人の器量”がない自分に落ち込んで。

 大人にならなきゃ……って、ひたすら自分を追い込んでいた。



 頑張ろうとし続ける動力が途絶えてしまったのは、三年生の初夏のこと。

 出身高校での教育実習のために蔵塚市内の実家へと戻っていて、両親から離婚の話を聞かされた。

 どちらかに落ち度があったとかじゃなく、それぞれが自分のやりたいことを大切にしたいって。私があと一年で社会人になるから、それを機会に別れるって。

 家庭を捨てなきゃ楽しめない人生って何? って思うけど。

 もう別居の算段もついてる……とまで言われたら、抵抗はするだけ無駄だと分かってしまった。


 子は(かすがい)とかいうけれど、結婚して二十数年も経てば、愛情なんて釘も刺さらないほどスカスカじゃない。



 そして、そこへ実習が追い討ちをかけてきた。

 高校生よりも歳上なはずなのに、彼らに勝てるのは受験期に磨いた受験テクニックだけで。

 大学で受けてきた講義や試験は、卒業に必要な単位を得るためのゲームクリアを積み重ねただけの空虚なものだった。

 顧問だった先生に誘われるようにして部活動にも顔を出したけど、後輩たちから溢れる若さに押し潰される。

 特に抜群のセンスを持っている子が一人いて、彼の作品と比べたら、私の撮ってきた物はフイルムの無駄遣いとしか言いようがなかった。


 成人したといっても、大人なわけじゃない。こんな私に、他人を教え育てる(教育する)なんて無理すぎる。

 私に、教職は向いてない。



 教師になる夢も、写真にかける時間も、そして恋する情熱も。

 全てが無駄だと悟ってしまった。

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