表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/23

岩根さんという人

 岩根さんとの約束の日。

 せっかくだから……と絵美莉に背中を押されるように、自分で作ったリネンのスカートを身に着けて、織り機の前で彼を待つ。織りから仕立てまでの全てを自分でした、まさに一点もの。

 とはいえ、昨日の絵美莉が着ていたようなアシンメトリーな裾処理がしてある個性的な物とは違って、オーソドックスなフレアスカート。涼しさをイメージして薄い水色からクリーム色を配しているので、ブラウスも白いノースリーブのコットンを合わせた。


「で、横糸まで、白?」

 最初に糸棚からとってきた糸巻きを見た絵美莉が、突っ込んでくる。

「ちょっと、外が暑かったし。視覚的に涼しさを演出」

「ごめんね。エアコンがなくって」

「それは、言わない約束よ。ね? おっかさん」

「すまないねぇ」

 ゴホゴホと咳き込む真似をする絵美莉と笑いながら、横糸を作る。


 昨日の続きで織り機にかかっている布は、今日の約束がされたあとくらいから、少しずつ白っぽい色になるようにグラデーションをかけている。所々、アクセントに強めの色を挟んだりしつつ。

 写真を撮られる時に、白っぽい服を着たり膝の上に白い紙を広げたりすると、フラッシュがいい感じに反射して、キレイな写真になるって言っていたのは大学時代の先輩。

 『学生証の写真とか免許証の写真とか、写りが良くないことが多いじゃない?』なんてアドバイスに友人たちと、ほほーって感心して。脳内のメモに記録をしたっけ。

 今までの人生で役に立ったのは……履歴書くらいかな。運転免許もパスポートも持っていないし。

 で、まあその。

 せっかく写真を撮られるなら……って、気持ちだけ準備をしてみたわけで。

 髪は首に汗でくっつかないことを考えた低めのシニヨン、メイクも仕事に行く時と同じで、眼鏡もコンタクトレンズにしている。最初に岩根さんと出会った時と違うのは、服装だけ……のはず。



 その岩根さんは、私が織り始めて三十分ほど経った頃に、暖簾をくぐってきた。

「今日は、よろしくお願いします」

 『ささやかですが……』と言って、絵美莉へと保冷バッグを差し出す。中身は、どうやらアイスらしい。

「香奈ちゃん、どうする? 今食べる?」

「うーん。後で、かな?」

「じゃあ、冷蔵庫に入れてこようっと」

 プライベートスペースから付箋メモを取ると絵美莉は、『笑織(えみおり)』と屋号を書きつけて、給湯室へ片付けに行く。    


 二人、部屋に残されてしまった。

「ええっと」 

 岩根さんを放っておいて、織っているわけにはいかないし。さて、どうしようか。

 手持ち無沙汰に織り機の横に突っ立って、展示机の上に広げられている布を指先で撫でている岩根さんを眺めていると、視線を感じたのか、顔が上がって目が合う。

「昨日、絵美莉さんが言われてましたけど。その服もご自分で?」

「絵美莉が? 言っていましたっけ?」

「トルソーの服は香奈さんが作ったと」

「ああ。それを織ったのは絵美莉ですよ。私は、仕立てただけで」

 答えた私を、一歩下がるようにして見た岩根さんが

「だったら、今着ているスカートを織られたのは、香奈さん?」

「わかります……か?」

「断言はできませんけど。なんとなく」 

 絵美莉の作品に惚れこんでいるファンなら、わかるだろう。

 色の取り合わせセンスが違うし、技のバリエーションが段違いに多い。絵美莉が何年も、倦まず弛まず積み上げてきた努力の結果たち。

 それを、初見に近い岩根さんが感じ取れるのは、やっぱり写真を撮る人の目は違う、ってことかもしれない。



「おまたせ。始めましょうか」

 戻ってきた絵美莉と私を見比べるようにして、岩根さんが一人で何かに納得したような感じで頷く。

「絵美莉さん自身が写らないようにして、織っている最中の作品だけを撮るのは、構いませんか?」

「ダメ、です」

「あ、やっぱり駄目ですか」

「今、作っているのは、ちょっと憚りがあるので……」

 あ。織り機が試作機だっけ。権利問題とか、事情があるのだろう。

 昨日、絵美莉が言っていた”新しくできるようになったこと”のあれこれを思い出しながら、織り機脇に隠すように置いてあったハンドタオルで額と首筋の汗を軽く押さえる。

 これも少しだけ、写真写りを意識した違い、ってやつ。昨日みたいに首からタオルを掛けてたりしない。


 糸棚で横糸を選んでいるところ、杼に糸を巻き取って横糸を作っているところ。そして、織り機の前に座って、織り進めているところ。

 何枚も岩根さんがシャッターを切っていくのがわかる。

 最初のうちは、ちょっと意識して、肩に力が入っていたりしたけど、いつしか糸と向き合う楽しさに取り込まれる。没頭する。

 ここ、少しだけ。オレンジ色……に薄い青を足してみるか?

 あ、ちょっと、きつすぎた。この横糸をリカバリーをするならクリーム色……より少し黄色が強めの糸に、同じ薄青の糸を合わせて、模様を織り出す。

 うん。この方が、落ち着く。

 あ、そうだ。

「絵美莉、もう一つ、杼を借りるね」

「どうぞー。糸棚の横の引き出しにあるから、勝手に出して」

「OK」

 これは、今までにやったことがない織り技と言っていいのかな? 初チャレンジは、どんな結果を生むだろう。



 今日もまた、からくり時計の時報にお昼を知る。

「岩根さん。だいぶん撮れましたか?」

 ペットボトルの蓋を緩めながら訊ねると、ボディバッグを軽くゆすり上げながら満足そうに頷く。

「おかげさまで。ありがとうございました」

「現像できたら、見せてもらってもいいですか?」

「いいですよ。今回もマズいのがあったら、言ってください」

「あ、そういうつもりでは……」

 純粋に、彼のセンスで撮られたこの店や自分を見てみたい、って欲なんだけど。 


 このあと、岩根さんは深町さんの所に一度寄ってから、他の部屋も撮らせてもらうらしい。

「香奈さんが来られる時に、写真を持ってきますね」

「絵美莉の都合も、聞いてくださいね」

「香奈ちゃんが来るってことは、そもそも店を開けているし。来る前に連絡さえもらえたら、私はいつでも」

 展示机の上から柿色のショップカードを取ってきた絵美莉が、岩根さんに手渡す。電話番号が書かれているだけでなくホームページのURLが載せられているから、教室のお手伝いやイベント参加などによる臨時休業の情報も手に入る。

「香奈さんの連絡先も教えてもらえますか?」

 どうしようかな? 

 絵美莉が呼ぶのに合わせたみたいな感じで、『香奈さん』と呼ばれているけど。私の名前、『香奈子』なんだよね。

 そんな個人情報を渡すことに躊躇ったけど、そもそも今日は名刺なんて持ってきてない。

「メルアドでいい?」

「はい。できれば電話番号も」

 だったら、話は早い。

 携帯の通信機能を使って、互いのプロフィールを交換する。

「“ガンタ”?」

 彼のアドレスの前半分、『ga_N_ta@〜』をローマ字で読んでみる。

「ああ、学生時代のあだ名です」

 なるほど。“岩”からついたあだ名だな。

 どちらかといえば細身で、ゴツゴツした感じのない彼にはそぐわない愛称だ。



 この日も、昼食を挟んで夕方まで織り続けた。合間にお土産のアイスと、昨日もらった水羊羹も食べて。

「二日もあったら、いろいろできるねぇ」

「三日目はどう?」

「いや、さすがに。明日は休養日にするわ」

 一日で仕立てに必要な長さと幅を織るには、それなりのスピードが必要になるから、織り技を減らす妥協も必要になってくるけど。時間の余裕って、素晴らしい! 

 代わりに絵美莉から提示された材料費がすごいけど、いずれ服や小物に仕立てて使うのだから、これは生活費。無駄遣いなんかじゃない。 



 それから、一週間が過ぎて。夏の模試結果を基にした進路分析が、そろそろ終わりかけてきたころ。

 岩根さんから、メールが届いた。

【今週か来週で、絵美莉さんのお店に行ける日はありますか?】

【今週は木曜日の午前中なら。あと、毎週火曜が定休なので、いつでも大丈夫です】

 返信してから、頭の中に絵美莉の『土曜日なのにねぇ?』って、だいぶん前に言われた言葉が蘇る。

 あれ? 岩根さんって、仕事は何をしているんだろう?

 私が指定した日って、平日だけど、大丈夫かな?

【木曜日は、朝から出張なので】

 ほら、やっぱり

【火曜日のお昼前は、どうですか?】

【わかりました。じゃあ、絵美莉にも伝えておきますね】

【では、よろしくお願いします】

 さて、何を着ていこう。次も、自分で作った服の方がいいかなぁ? 手仕事モードの日じゃないし。

 あ、それまでに端切れの小物を、いくつか作っておきたい。



 翌週の休日まで、せっせと仕事に励む。

 成績分析の結果と今後の対策を検討して、教室長の裁可を受ける。それから、生徒と保護者にフィードバックするため、個別の懇談までに資料も作り上げる。

 この子、ちょっと背伸びしすぎ……かも? このギャップを埋めるために、授業のコマを増やす提案をするとして。学生バイトの手は、空いてるかな? 

 あ、あのサボりバイトの受け持ち、成績上がってきているじゃない。うーん。これを維持するために、授業を休講にはしないように頑張ってほしいところね。

 資料を基に、それぞれの生徒を担任しているバイトたちともミーティングを重ねる。

 小物とはいえ作品を仕上げる時間を確保するために、残業なんかしている余裕はないから、勤務時間は一秒だって無駄にできない。


 そうして迎えた休日は、台風が近づいているのが嘘のような晴天で。

 嵐の前の静けさかな? なんて考えながら、それでも雨対策としてジーンズにTシャツで駅へと向かう。さすがに今日はノーメイクではない。

 少しだけ悩んで、バッグはあずま袋っぽいショルダーを選ぶ。

 これは、お盆に来ていったスカートの端切れで作った試作品。せっかく行くのだから、絵美莉に見せてみようかな? って。



 待ち合わせたつもりはなかったのだけど、改札を出たところで後ろから声をかけられた。

「香奈さん」

「岩根さん、早いですね」

「早すぎましたか?」

 並んで歩いている状態から半歩、足を止めるようにして退がる岩根さん。

「いえ、大丈夫だと思いますよ」

 私自身が、予定していたよりも早くに支度ができてしまって、早めに出てきたただけのことです。

「お二人に早く見てもらいたくて、気持ちが焦ってしいました」

 あ、岩根さんも……なんだ。


「遠足の朝みたいですね」

「それとも、入試の朝ですかね」

「岩根さんて、試験の朝にぱっちり目が覚めるタイプですか?」

「俺は、一週間ほど前から眠れなくなって」

「あ、ダメなパターンじゃ……?」

「で、前日か前々日あたりに電池切れして爆睡」

 そのまま、当日はいい感じに起きるとか。

「それって、最強じゃないですか」

 うちの生徒たちにも、お裾分けをあやかりたい。と、内心で拝んでおく。


 『まずは深町さんにも挨拶を』と、一階の廊下を奥へと歩いていく岩根さんと分かれて、軋む階段を登っていく。

 この手すりの艶感とか、岩根さんが好きそう。

 時をかけて多くの人の手に磨き込まれた飴色の手すりを、自分でも撫でてみる。

 写真を撮るなら……人の手が添えられている方が、画になりそう。

 そう、例えばこんな風に。



 絵美莉の店の暖簾をいつものように潜ると、中から聞こえていたミシンの音が止まった。

 本日、絵美莉の仕事は仕立てがメインらしい。


「先週のイベントで在庫がだいぶん減ったからね。そろそろ、秋物の準備をしようかと思って」

 レポートを書き終えて、借りていた織り機も返したらしい。今日は戸口左手の定位置に一台の織り機があるだけで、前回、私が織っていた壁沿いには小さめの長机とミシンが置かれている。


「それはそうとして。今日は、着てこなかったの?」

 机の向こうで立ち上がった絵美莉が、自分の着ているカシュクールブラウスの襟元を指で摘んでみせる。

 天気なんかに振り回されず、彼女はいつものスタイルを貫いている。

「着てこなかった。代わりに、これなんだけどね」

「あ、この前の?」

「そう、ショルダーが出来たから見せようと思って」

「やったあ! 見せて、見せて!」

 カワイイ歓声をあげて机を回り込んできた絵美莉の、小走りの足元からサンダルが逃げる。

 つんのめるように立ち止まった絵美莉を制して、転がったサンダルを拾う。


 長机に手をついて片足立ちをしている足元へとサンダルを置いた時、

「お邪魔します」

 岩根さんが入ってくる声がした。



「まず、これがお土産で」

 肩から掛けるようにしていた帆布バッグから、紙袋が出てきた。

「あら、ありがとうございます」

 と絵美莉が受け取った袋には、大手ケーキ屋のロゴが見えた。確かこの近所でなら、私の勤め先近くの駅ビルにショップが入っていたかな?

「冷蔵庫が共有のような話だったので、部屋に置いておける物を……と」

「せっかくですし、頂きましょうか。ね? 香奈ちゃん」

 手招きに呼ばれて私も、中身を覗き込む。おお、フィナンシェやマドレーヌが数個ずつ入っている。

 詰め合わせと呼ぶには無造作な包装だけど、無駄に仰々しいのもこの場には相応しくない。

 そう考えると、ベストチョイスだね。


 給湯室で紅茶を絵美莉が準備してくれるあいだ。

「今日って平日ですけど、岩根さんはお休みなんですか?」

 気になっていたことを訊いてみる。

「午後から出勤なんで、このまま仕事へ行きます」

「今日は、スーツじゃないんですね」

「香奈さんもでしょ?」

 たしかに、スーツを着ていたのは初対面のあの日だけだ。

「私は、休みなんです」

「ああ、そうか」

 岩根さんは納得のいったような顔で、ポンとひとつ手を打った。


「あの日は研修でしたから、仕方なしのスーツだったんですよ」

「そういえば、ジャケットは着てませんでしたね」

 ごく薄い水色のカッターシャツのイメージが、記憶の底から顔を出す。

「暑いし動きにくいので。普段は俺、スーツ着ないんですよ」

 ボタンダウンシャツにチノパンの組み合わせは、写真を撮りに来ていたお盆休みの二日間に比べたら、仕事をしていても差し支えない格好と言えなくもない。足元は黒いスニーカーだけど、台風を考慮した雨支度かもしれないし。それに、さっきの簡単に畳まれた帆布バッグが仕舞い込まれたのは、ビジネスリュックだった。


「お仕事、何をされているのかお訊きしても?」

 ちょっと踏み込みすぎじゃない? と、心の声がストップをかけた時には、すでに質問が口から出てしまっていた。

「……教員、です」

 返ってきた答えに、『訊くんじゃなかった』と、頭の芯が落ち込む感触。


 よりによって、先生か。


 それは、学生時代の私が自分の適性に不安を抱えて、諦めてしまった“未来”。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ