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歩み寄り

 二枚分の写真とネガを買い取ると申し出た私たちに、男性は

「いや、それは差し上げます」

 と、代金の受け取りを拒んだ。

「二枚分なんて、僅かなものですから」 

「でも、フイルムを半分、無駄にさせてしまったし……」

 バツが悪そうな絵美莉の言葉に、後ろ半分が暗いコマで占められていたネガシートが脳裏に浮かんだけど。

「元はと言えば、完全に俺のミスですから」   

 と言って彼は、こちらを押しとどめるような仕草をする。

 どうやら、『思わぬ写真が撮れそうだ』と我を忘れた、らしい。

 確かにね。二枚目は特に、動きのある良い写真だったと思う。


「このビルが生きているうちに、その証が残せたら……って思って撮っていたので、人の気配が」

 うん? 

「あの……」

「なんでしょう?」

 話を遮ってしまった私に気を悪くした風でもなく、彼が話を促す。

「ビルが生きているって?」

 なんか最近聞いたぞ? この言葉。

「ああ。ええっと……廃墟マニアって、ご存じですか?」

 差し出された言葉が、記憶の鍵を開いた。


 ああ。

 あの時、だ。


 この前、絵美莉の所に来た時のことを思い出す。

 そういえば、あの時の男性も八重歯が印象的だったっけ。

 記憶の中の人物は、ジャケットこそ脱いではいたもののスーツ姿で。一方、目の前の彼は淡い色味のシャツにハーフパンツ。更には足元もスポーツサンダル履きだったりするけど。

 同一人物、のような気がしてきた。

「違っていたら、ごめんなさい。もしかして、二週間ほど前にも、この話をしました?」

「え?」

「あ、違って……」

「いえ、しました! しました!」

 食いつかれそうな勢いで頷かれて、軽く後ずさってしまった。

 そんな私の腕を、横から絵美莉がつつく。


「香奈ちゃん、知り合い?」

 って、顔を覗き込むように訊ねられて。

「うーん。知り合いって言うのも微妙……?」

 この前の経緯を、おおまかに話す。

「その時にも、この人。『生きてる、生きてる』って言ってて、どういう意味なのか訊ねたんだけど。時間切れでね」

「その節は、失礼しました」

 なんて、真面目に頭を下げてる彼には悪いけど。

「それで結局、どういう意味なんですか?」

 好奇心が、答えを急かす。


「古い建物が、当時のままの姿で現役として使われている……とでも言いますか」

「当時のまま現役で……あ、だから史跡として保存されているのは、違う?」

 楠姫城に行けば? って、この前に私が言った事に対する答えを、示された気がする。

「そうですね。できれば、リノベーションもしていないと嬉しいですね」

 なるほど。リノベーションはさしずめ、アンチエイジング手術か。

「俺、趣味で写真をしていまして。古い建物を撮るのが好きなんですけど、使われなくなってしまう手前で頑張って現役をしているようなものが、特にツボなんです」

 『これは……って思うと、我を忘れてしまって』と、恥ずかしそうに笑った男性は、

「あの、勝手なお願いなんですが。このビルの持ち主の方の連絡先とか、ご存じないでしょうか?」

 なんて頼み込んできた。

 内部の写真も撮りたいから、許可を……ってことらしい。


 この前の幸せそうな顔を思えば、当たり前のことではあるのかもしれないけど。

 さっき、あれだけ自分の店へ入れるのを嫌がってた絵美莉だから……バッサリと断りそう。

 もう少し、相手を選んで頼み事はしようよ。って、呆れ半分の気持ちで男性を眺める。

 半歩ほど、気持ち的にも後退り……したかも?


「……わかりました」

 おや、これは予想外。

「え? いいの? 絵美莉?」

「いいかどうかを決めるのは、オーナーよ」

 男性からのお願いをあっさりと受け入れた絵美莉が、先頭に立って玄関ドアを開く。

 夏の白い日差しと対をなすような、ビル内の薄暗さに迎えられて。

 チラリと目をやった男性は、今日も熱い眼差しで天井なんかを見上げていたりする。

 そんなに、感動するような天井か? って、改めて私も眺めてみる。これは漆喰? なのかな?

 踏み抜きそう……なんて思っていた階段と廊下だけど。天井が木張りではないんだから、踏み抜くはずはないのかな? と考えながら、男性の後ろをついていく。



 一階部分は、玄関ホールから二段分、石造りの段を上がった所から板張りの廊下が始まっている。

 玄関ホールとはいっても、二階へ繋がる階段の登り口とその奥、階段下のスペースを使った集合ポストがある程度のスペースで。

 おそらく、隣接するビルとの兼ね合い、だろう。

 階段横にあたるお手洗いと、さらにその隣の簡単な給湯室のあたりまでは、玄関ホールを含めて、窓がない造りになっているので、昼間でも明るいとは言い難い。

 その薄暗さと上がり框のような段差、そして床材の違いが、外と内を区別する境界として存在している。



 前を行く二人は既に、玄関ホールを抜けて廊下を進んでいる。

 大人が二人、並んで歩けるくらいの幅の廊下は、奥に向かって右側に外へと面した格子窓、左側にいくつかの引き戸が並んでいるのは絵美莉の店がある三階と同じだけど。いくつかの店が入っている三階とは違って、人の気配がなくてひっそりとしている。 

 この廊下の光景だけを見れば、『死んでいるビル』認定、間違いなしじゃない?



 なんとなく、目を輝かせていた彼に申し訳ないような気持ちになりながら、私も初めて通る一階の廊下を奥へと進む。

 位置的には、絵美莉の店の真下。廊下の突き当たりの部屋の前には、サボテンの絵が描かれたチョークボードが置かれていて、この階では唯一……って感じで、戸口も開け放たれていた。

「オジィちゃん、お客さまよ」

 引き戸に嵌め込まれたすりガラスを軽くノックして、絵美莉が室内に声をかける。



 一歩だけ入らせてもらった室内には、サボテンの鉢が、お行儀よく並んでいて。

 この部屋の主は、どうやらお世話の真っ最中だったらしい。

「おや、エミちゃん。いらっしゃい」

 デニム地のエプロンをつけた男性が奥から出てきて、土で汚れた軍手を外す。

 好々爺って言葉が似合いそうな、穏やかな顔立ちのお爺さんは、絵美莉のお祖父さん……でも、おかしくはないくらいの歳だろうか。

 うーん。高齢の男性って、年齢がよくわからない。自分の祖父は二人とも、社会人になってすぐに亡くなったし。


 さっき絵美莉が呼んだのは、はたして“お爺ちゃん”なのか“お祖父ちゃん”なのか。

 判断すべく二人の顔を見比べたりしていたけど、

「“真町ビル” オーナーの、深町(しんまち)さん」

 ビルの名前、そのまま、だ。


「オーナーというより、大家ですな」

 苦笑を浮かべたオーナーが電話横の小引き出しから、深い青色をベースにした名刺入れを取り出す。『あれは、絵美莉の作品だな……』なんて考えていた私にも、名刺が渡される。

 受け取った名刺には、“深町 (まこと)”と書かれていて。

 前から読んでも後ろから読んでも、“しんまち”だと、少しばかり失礼な文字遊びを脳内が始める。


 このビルそのもの、みたいな名前だなんて。

 ビルとオーナー、どっちが先に生まれたのだろう。

 

 

「はじめまして。岩根 寛太です」

 男性のボディーバッグからも、名刺が出てきて。深町さんだけでなく、私たちにも一枚ずつ渡される。

 ふーん。仕事用の名刺では、なさそう。

 『写真サークル』と小さく書き添えてある団体名と共に、シンプルに名前と携帯番号が書かれていて。

 こういった場面で撮影許可を取るための道具だな、と小さなカードが担わされた役割を思う。



「こちらのビルの内部を撮らせていただきたいのですが」

 話を切り出した岩根さんに、深町さんは

「ここは手狭なので、お話はこちらで承りましょうか」

 と、一度廊下へ出ると、アンティーク味のある鍵束で隣の部屋の戸を開けた。


 ガラリと音を立てて開かれた戸の向こうは事務室兼、応接室? いや会議室というべきなのかな?

 簡易キッチンと書類キャビネットが設置されていて、楕円テーブルには椅子が六脚。あとは事務机が二つ、窓際に向かい合うようにして置かれていた。

 応接室と呼ぶには、すこしばかり殺風景で。無駄のなさは、塾の面談室といい勝負。


「さあ、どうぞ」

 と、室内へと招く深町さんに、私の後ろから絵美莉が

「オジィちゃん。私、店番していようか?」

 と、訊ねる。どうやら深町さんのサボテン部屋も、趣味の部屋ではなくお店らしい。

「いいよ、いいよ。店番なんて。エミちゃんも、こっちへお入り」

「うーん。私は紹介を頼まれただけだし、自分の店に戻るわ」

 『香奈ちゃん、行こう』と促されて、深町さんに会釈。

 乗りかかった船のような雰囲気で、ズルズルと岩根さんの写真活動に引きずられるところだった。

 危ない、危ない。せっかくの休日、無駄遣いなんて、したくない。



 『これは、お裾分け』と、深町さんから冷えた水羊羹を四つも貰って、絵美莉のお店に戻る。

 時刻は、すでに二時近く。お昼休みを取りすぎた感に、時計の針を戻したくなる。

「香奈ちゃん、水羊羹はいつ食べる? 冷やしておくなら、給湯室に持っていくけど?」

「給湯室に冷蔵庫があるの?」

「無くはない、レベルね」

 フロアで共有な上に、ちょっと大きめの一人暮らし用サイズだとか。

 明日まで置いておけるなら……ってことで、オヤツ時に一つずつ。残りは明日と、話がまとまる。

 長すぎる昼休みとイレギュラーな出来事に、糸へと向かう集中力をかなり削がれた。


 昼食に出かける前、試してみようと思ってた織り技がすり抜けていってしまった。

 ええっと……確か、絵美莉のベスト。そうそう、彼女に緩く織るコツを聞こうと考えていたっけ?

 それから、新しい織り機のこと!

 食事をしながら絵美莉が話してた、新しくできるようになったことを、見せてもらわなきゃ。


 『絵美莉先生ぇ、質問でぇす』と、塾にくる高校生のマネをして。改めて訊くことに対する照れを誤魔化しつつ、気になることを教えてもらう。織りかけの布を広げて見せてもらう。

「へぇ。こんなことも、できるんだ」

「マニュアルにはない、使い方だけどね」

「壊したら、自己責任……」

「壊れないわよ、そのくらいで。基本操作からは、逸脱してないし」

「さすが、プロ!」

 すごーい、って、拍手で“先生”を持ち上げる。自分のやる気も、引っ張り上げる。


 そんな時間も挟みつつ、午後の部を再開して。

 三十センチほど、織り進んだころ。

 次の横糸の選択に悩んで、糸棚の前をウロウロしていると

「お邪魔します」

 戸口の暖簾が、遠慮がちな声を上げた。


 入ってきたのは、さっきの岩根さん。

 目を丸くして、室内を見渡す。視線が絵美莉を捉えたあたりで、ハッと息を吐いて。

「深町さんへのご紹介、ありがとうございました」

 直角近くまで、頭を下げた。

 このビルの最奥。ともいえる、この部屋までやってきたってことは、

「お陰で、深町さんから許可を頂けました」

 やっぱり。そうなんだ。


 良かった、と思ったのは、彼のビルに対する熱に当てられたせいだろうか。

 それとも、絵美莉の写真で目の当たりにした彼のセンスに対する敬意?

 どちらにしても、喜び勇んでさっそくビル内を撮っているのかと、思ったけど。

「まずは、テナントの方にご挨拶と室内を撮らせていただく許可を、と思いまして」

 おや、学習したんだ。無許可撮影は、ダメだと。

 まあ、フイルムを半分無駄にするって授業料を払ったわけだし。


 『どうぞ、中へ』と招き入れた絵美莉に改めて頭を下げて、岩根さんが入ってきた。

「機織り、ですか?」

 興味津々だねぇ。まあ、珍しいもんね。手織り機は。

「俺、初めて見ました」

「このビルにふさわしい、歴史遺産でしょ?」

 絵美莉が満更でもない感じで、応対する。


「凄いですね。これ全部、お二人で織られたんですか?」

「あ、いえいえ。私は遊びに来ただけで。全部、絵美莉の作品です」

 岩根さんの誤解に慌てる。右手の糸巻きが手から逃げて、彼の足元近くへと転がっていく。

 拾おうとしたら、歩み寄る間に拾われてしまって。差し出された糸巻きの両端を掴んだ、彼我の手の大きさの違いに鼓動がコトリと跳ねた。

 跳ねた鼓動は胸の内に、飲み込んで。簡潔にお礼を伝える。


 そんな、ささやかなやりとりを見ていた絵美莉は、何を思ったのか

「トルソーのは、香奈ちゃんも一緒に作ったじゃない」

 私を引っ張り出すようなことを言い出して、ワンピースを着ているトルソーを指差す。

 この前、届けた“一点もの”なんだから、間違いようがない。確かに、仕立てたのは私だけど。

 それでも、なんとなく。

 絵美莉のスカートの陰に隠れていたい気分。



「それで、こちらのお部屋の中も撮らせていただきたいのですが」

 少しだけ機織りの話をしたあと、岩根さんが本題に入る。

「できれば……織っているところも」

 躊躇いを含んだお願いまで、乗ってくる。

「香奈ちゃん?」

「え? 私?」

「ほら、私、写真嫌いだし」

 ええぇー。『ほら、私』じゃないってば。


「ダメ、でしょうか?」

 顎の辺りで小さく手を合わせて、岩根さんまで私の顔を伺う。

「うーん」

 絵美莉ほど写真嫌いなわけではない。高校生の頃は写真部だったから、撮る方が好きだけど。

 そして、その経験から言えば、岩根さんが撮るこの部屋や織り機の写真を見てみたいって欲もあって。

 ちょっとした賭けをしてみる。


「撮っても良いですけど……今日は、止めてくださいね」

 絵美莉から借りている織り機のリミットは、明日まで。私のお盆休みは明後日まで。

 岩尾さんの休みがそこに合わせられるなら、ご縁があったということで。

 さらに言えば

「写真を撮られるとか、全く想定していない格好ですし」

 無駄を省いた休日スタイルを、写真に残すほどの思い切りは流石に持ち合わせていない。色恋なんて無駄、社会人になってからはご無沙汰しているほど枯れてはいても、まだ二十代、だ。


「わかりました。では、いつにしましょう?」

「明日、が無理ならこのお話はなかったことで」

 最短の期日を告げると、彼は悩みもせずに

「OKです。では、明日。よろしくお願いします」

 と、ニコニコと笑って、頭を下げた。


 即決。

 どうやら、ご縁があったらしい。

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