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お盆休み

 今年のお盆休みは、塾の定休日である火曜日からの三日間に、金曜日の指定休を合わせた四日間。

 溜まった洗濯や掃除に、最初の一日を費やして。

 二日目の今日は、絵美莉の店へと向かう。


 『今度はお休みの日に、ゆっくりおいでよ』って、彼女の言葉に甘えて織り機を用意してもらっているので、今日の私は手仕事モード。

 ロングのカーゴスカートにTシャツ姿で、首に張り付いて暑い髪はお団子に結って。常日頃、ストレスに感じている無駄も徹底的に省いた、ノーメイクに眼鏡。

 開店時刻に合わせた九時半に、目的地の駅に到着。



「あら? 早いわね」

 『おはようー』と言いながら、カラフルな暖簾をくぐると、絵美莉の笑顔が迎えてくれる。

「そりゃぁね。命の洗濯よ」

「もみ洗い、叩き洗い、ゴシゴシ洗い……どれ?」

「そうねぇ。押し洗い、くらい?」

「そんな上品に洗って、きれいになるの?」

「ならない、か」

 『ならない、ならない』って、二人で声を揃えて笑う。


 途中のコンビニで買ってきたペットボトルの麦茶を一口、飲んで。

 さ、準備完了!



 絵美莉がいつも座っている織り機とは逆の壁沿い、戸口から見て左斜め前に、私のための織り機が設置してあって。

 経糸は赤紫ベースのグラデーション綿。ところどころに交じる水色やオレンジが、どう化けていくか。

「横糸はリネンもあるからね。好きに使ってね」

 さっさと自分の織り機の前に腰を下ろした絵美莉が、嬉しいことを言ってくれる。

 まずは手始めに。

 絵美莉の座っている織り機近くの横糸棚から、生成りの綿糸を手に取る。細め……いやもう少し太めにして、もう一本足す?

 そう考えて、薄い水色の糸と二つの糸巻きを持って、織り機へと。


 試し織りくらいの気持ちなので、最初に作る横糸は少な目で。

 五センチほど織ったら、横糸がなくなる。

 なるほど。うん。こんな感じか。経糸に交じったオレンジ色と横糸に混ぜた水色が引き合って、思わぬ色目になった。これなら、もう少し……。

 横糸に色を足したり引いたり。太さを変えてみたり。 

 あ、これはちょっと意外。グラデーションが埋没した。

 織ってみるまで横糸の変化が私自身にもわからないのが、即興のいいところ。



 冷やかしのお客が一組に、小物を買うお客が二人。そのうちの一人は、今日私が持って来たティッシュケースをお買い上げ。

 私もスタッフのような顔で、織り機から顔を上げて、『ありがとうございましたー』なんて言ってみたりもしながら、糸と戯れる。

 そして、絵美莉と二人の時間は、黙々と織りつづけて。

 頭上のカラクリ時計から聞こえてきたチャイムの音に、正午を知らされた。


 足元でぬるくなっていたペットボトルのお茶を飲み干して、首に掛けたタオルで額ににじんだ汗を拭く。これも見越した今日のノーメイクだ。

 角部屋で窓が二つある分、他の部屋より風通しはいいはずなのだけど、夏の暑さは最上階の宿命だよね。そもそも、エアコンがないし。このビル。

「絵美莉、お昼はどうする?」

「食べに出ようよ。近くに新しくカレー屋ができたのが、気になっててねー」

 一人で行く勇気が出なくて、私が来る日を待ってたとか言ってるけど。絵美莉、そんなキャラじゃないでしょ?



 一旦、暖簾はしまって、簡単に戸締りをして。

 お隣のパズル屋さんに一声掛けてから、階段へと向かう絵美莉。後ろから見ると、彼女が着ているベストの背中に施された飾り織りが目に入る。

 これは、ちょっと面白い。打ち込みの力加減かな? ガーゼのように緩く織られた縞が涼しそう。

 同系色のスカートとは、目の詰み具合が違うから、共布ではないな。確かにスカートには……使えないね。中が見えちゃう。いや、縫製の時に工夫をしたら? どうだろう?

 ついつい目の裏に、さっきまで触れていた糸たちの面影がチラチラして。ご飯の後にはどう進めようかな? なんて考えてしまう。


 カタカタとサンダルを鳴らしながら絵美莉は、軋む階段を気にも掛けずに降りていく。

 ヒラリヒラリと翻るフレアスカートの裾を踏まないように、少しだけ距離をあけて付いていく。

 グッと玄関のドアが押し開けられた瞬間。

「ちょっと。何なんですかっ」

 絵美莉の尖った声が、異常事態を告げる。



「今、撮りましたよね?」

 最大限に開いたドアを片手で押さえて仁王立ちしている彼女の横から、恐る恐る顔を出す。

 玄関の正面にあたる歩道の上には、胸の前にカメラを抱いた男性が一人。その顔には大きく『しくじった』と、書かれていて。

 無許可撮影をやらかしたな、と理解する。


 出来上がりのイメージを客に見てもらうため、仕事中の絵美莉は常に自分の作品を身につけている。魅せる意識で、服を選ぶからだろう。彼女の姿は、いつも目を惹く。

 写真を撮る“目”のある人なら、撮りたくなってしまう気持ちも、わからなくはないけど。

「さっきの写真、消してください」

 って、絵美莉に詰め寄られていても、同情はできない。

 写真を撮るなら、マナーは守らなきゃ。


「ほんとうに、すみません」

 と言って、頭を下げる男性に絵美莉は

「謝るのはいいから、まず消して」

 カメラを奪いかねないような勢いで、データの消去を迫る。

 ん? あれって……もしかして?


 そっと絵美莉の陰から、男性の方へと数歩、近寄る。

 やっぱり。

「デジカメじゃなくて、フイルムカメラですよね? これ」

 右の親指が軽く添えられているのは、巻き上げレバーだ。

「あ、はい」

 弾かれたように顔を上げた男性が、何度も頷く。


「絵美莉。これは消すの無理だよ」

 この場で、今すぐ……となると、フイルムを感光させるしかないから、一枚だけ消すのは無理な話だ。裏カバーを開けた瞬間に、フイルム一本がまるまるダメになってしまう。

「うーん。そっか。でもなぁ」

 と唸りながら絵美莉が天を仰ぐ。眩しそうに、顔を顰める。

「あの……消します」

 小さな声が聞こえて、間に立つ私は慌ててしまう。

「今、そのフイルムって、何枚使ってます?」

「……十二枚です」

「半分? ですか?」

 三十六枚撮りなら、三分の一。なんて、単純な計算ではないよね。

 大切な一瞬、ってあるし。


「でも、これは俺のミスです」

「あ、待って」

 早まらないで。

「今すぐにその写真を現像して、見せてもらえませんか?」

「香奈ちゃん?」

 私が差し出した妥協案に、絵美莉が怪訝な顔をする。

「そんな事を言って、逃げられたら……」

「駅前に、スピードプリントの店があるじゃない? そこで出しちゃえばいいのよ」

 はい、フイルムを巻き戻して、私にくださいね。


 男性は巻き戻しを終えたフイルムをカメラから外すと、操り人形のように従順に差し出してきた。

 両手でそっと受け取ってから、さて、剥き出しでバッグに放り込むのもなぁ……なんて、考えたほんの数瞬の間に、彼はボディバッグからケースを取り出して。指先で摘み上げたフイルムを収めると、改めて私の手の中へと戻した。

 きれいに切りそろえられた爪と、静かな指の動きが目に焼き付く。



 駅前のプリントショップまで同行して、引換証は私が預かる。

 これでもしも、男性が逃げたとしても、私たちにとっては痛くない。残された写真を煮るなり焼くなり、絵美莉の気が済むようにすればいいわけで。

 出来上がり時刻に店の前で待ち合わせることにして、一旦、男性とは別れる。



「絵美莉って、写真嫌いだったっけ?」

 ナンをちぎりながら、訊ねてみると、

「だって……魂が減りそうじゃない?」

 どこまでが冗談かわからないような答えが返ってきた。

「ええぇー。実は明治生まれじゃないの?」

「えへへ。若い頃は、製糸工場の女工さんをしててさ」

 悪ノリしたツッコミが、さらに倍返し。さすがに、それ以上は積み上げられなくなって、無言でナンをカレーに浸す。垂れないように気をつけて、口へと運ぶ。


 今日のオススメはチキンのスープカレーとほうれん草のカレーの二種類。どちらも楽しめるランチセットを頼んだ。

 両手で包めるほどの小ぶりな器に注がれたカレーが二つと、それに比べて大きなナンに、配分を心配したけど。意外なほど、ナンを食べ進んでしまった。

 ナンのおかわりが自由なのは、ありがたい。


 注文したナンのお代わりを待つ間、揚げ餃子みたいな付け合わせを齧っていると、

「香奈ちゃんの夏休みって、いつまで?」

 絵美莉が、ラッシーのグラスをストローでかき混ぜながら訊ねてくる。

「明後日まで」

「明日も来る?」

「うーん。どうしよっかなぁ」

 親の所へ帰るつもりはないし。もう一日くらい、糸と遊びたい気分はあるけど、今日で織り上げてしまって、明日は仕立てに使いたい……と、考えていたのよね。計画では。


「明日も来るなら、経糸を切らずに、そのまま置いておきなよ」

 店員さんがカタコトの日本語と共に運んできたナンを、お皿に受け取りながら絵美莉の提案を聞く。

「良いの?」

 借りている織り機なのに、返却予定日は?

「香奈ちゃんが使っている方は、私のだから」

「はい?」

「新バージョンの織り機が開発されたらしくってね。一か月ほどの予定で、お試しで使っているのよ」

 今日、絵美莉が使っていたのは、試作機みたいなものらしい。

 実際に使ってみたレポートを作成する仕事を、体験教室の講師として請け負ったとか。



 新しい織り機でできるようになったことを、熱く語る絵美莉の話を聞きながら、デザートまで楽しんでいるうちに、写真の出来上がる時刻が近づいてきた。

 『じゃあ、そろそろ……』って促した私に、重いため息を漏らした絵美莉が、心底嫌そうに立ち上がる。

「本当に、写真が嫌いなんだねぇ」

「あー、私の魂。何割もっていかれているんだろう」

「何割って……たかが写真一枚にもっていかれてたら、卒アルだけで即死よ」

 同級生全員に焼き増ししているわけだし? “(10%)”なんてレベルで魂が抜けたら、あっという間に魂の在庫が底をつく。



 待ち合わせ場所のフォトショップ前には、すでに男性が待っていた。

 互いに軽く会釈をして、狭い店内へ。

 私が差し出した引換券に、年配の店員さんはチラリと腕時計に目を落とすと、プリントの収められたラックへと向き直る。

 上から三段目の棚から写真の入った紙袋を取り出すと、カウンターの上で大まかに中身を広げた。


「こちらで、お間違いないですか?」

 店員さんは当然のように、引換券を持っていた私に確認してくるけど。

 分からないし……と、隣の彼に目で訊ねる。

「あ、はい。大丈夫です」

 答えた男性の存在に、少しだけ怪訝な顔をした店員さんだったけど、そのまま受け流すことにしたらしい。

 とくに突っ込まれることもなく、代金の請求がされる。


「支払いは、俺がしますので……」

 強引に現像させた負い目のようなものを感じたけど。どちらが払うかで揉めるなんて、飲食店のレジ前で押し問答をしているオバサンみたいでカッコ悪いし、時間の無駄……と、カウンター前を彼に譲って。

 その代わり、荷物持ち担当のような顔でレジ袋に入れられた写真を受け取って、支払いを待つ。



 さて、どこで写真を確認するか、って話になって、軽く揉める。

 手頃なのは、絵美莉の店なんだけど……『絶対に嫌。入らせたくない』って言うし。

「そこのコーヒーショップでいいじゃない?」

 簡単なこと、って絵美莉がプリントショップのむかいを指さす。

「さっき、ご飯を食べたところなのに?」

 ナンのお代わりが結構お腹に居座っている感じで、さらに飲み物とか……ハッキリ言って、それこそ『入れたくない』

「じゃあ、駅ビルの二階だっけ? 学生向けのフリースペースがあったはず」

 さすがは地元民、って提案が絵美莉から出てきたけど。

「この時期、満席だと思うよ? 夏休みの宿題とか受験勉強とかで」

「そうなの?」

「塾の自習室も席が奪い合いだからねぇ。無料(ただ)で使えるフリースペースは貴重じゃないかな?」

「そっか。香奈ちゃんがお盆休みなら、自習室が使えないんだ……」

「フリースペースなら友達と教え合いができるから、私語厳禁の図書館より人気があるんだって」

 って、あたりはバイト学生からの受け売りだけどね。

 他にないかなあ、って、あたりを見渡していると、

「お二人で確認してください。ネガも預けるんで」

 妥協案が、男性から出された。


 たしかに、彼が居なければ絵美莉の店で問題はないのだけど。

「本当に、それでいいんですか?」」

 訊ねた私に、

「今日はとことん、あのビルを撮るつもりだったので……」

 と、笑う彼の口元で、八重歯が顔を覗かせる。

「さほど枚数もないですし、時間もかからないでしょうから、俺は新しいフイルムで撮りながら待ちます」

 その提案に、やっと絵美莉も頷いて。


 三人で連れ立って、もと来た道を戻る。

 ビルの前で男性とは一旦、別れて。

 絵美莉の店へと、戻る。



「さて」

 と、気合を入れた絵美莉の前、テーブルの上でプリント袋からそっと写真を取り出す。

「最後の数枚だけ見ればいいと思うのよね」

 あのタイミングで絵美莉に詰め寄られたのだから、彼女を撮ったのは最後の一、二枚だろう。

 巻き上げレバーがついているから、連写はできない……はず。

「最後っていっても、ちゃんと撮った順番に並んでる保証はないじゃない?」

「でも、あまり関係のないところまで見るのは、ちょっと……」

 気が引ける。例えば、恋人とのツーショットがあったりするかもしれないじゃない?


「あのね。写真って、こうやって……」

 指紋をつけないように、注意して裏返す。裏面に薄く印字されている番号を

「十二、十一、十……」

 と、確認しながら選び出した、後ろからの五枚をテーブルの上で表に返す。

 残りは裏返しのまま、ネガの入ったプリント袋に戻してテーブルの端へ。


「え? それでいいの? なんで?」

 手品でも見たような顔で、絵美莉が首を傾げる。

「裏面に、コマ番号が打たれているのよ。後々、焼き増しをする時のためにね」

 昔とった杵柄、と豆知識を披露して。テーブルに軽く身を乗り出すようにして、写真をチェックする。

 うーん。私の感覚だと、セーフなんだけどなぁ。


 絵美莉が写っていたのは、二枚。

 スカートの裾とつま先だけがドアの隙間から覗いている物と、俯き加減の前髪あたりまでが見えているのと。

 玄関から一歩を踏み出す絵美莉の、“一瞬”を切り取った二枚目の写真も、被写体個人の特定はできないだろう。

 ドアの陰からふわりと翻ったフレアスカートが印象的で、尚且つ、顔が写らないギリギリのタイミングで切られたシャッターに、彼のセンスを感じる。


 これは、ちょっと……妬ける。

 って、思わぬ競争心が無意識に湧いてきて。

 何をいってるんだか、と胸のうちで苦笑い。


 カメラなんて、もう手元に無いじゃない。

 写真なんて、無駄なこと。辞めてから、何年経つと思っているのよ。

 


「あとは、当たり障りのない建物ばかりね」

 私が抜き出した他の写真を、プリント袋に戻した絵美莉がほっとした声で言う。

「この二枚は、やっぱり許せない?」

「うーん」

 腕組みをして考えこんでいる絵美莉の眼差しが、二枚を見比べるように行ったり来たりを繰り返す。

「こっちは、まあいいか。な?」

 と、足先だけが写った一枚も袋の中へ。

「で、これなのよね……」

「写ってるのは、ほとんどスカートだけじゃない?」

「そうなんだけど……」

 昼食を挟んで、少しは絵美莉も落ち着いたらしいけど。魂を抜かれそう、なんて言っちゃう彼女にとっては、やっぱり抵抗があるらしい。

 それなら……

「あの人の考え方しだいだけど、買い取ったら? ネガも一緒に」

「うーん」

 まだ悩んでいる絵美莉を横目に、プリント袋からネガの収められたシートを取り出して。

 窓に向かって軽く透かしてみる。


「いい具合に絵美莉の写っている二つのコマは、独立しているからさ。この列を貰えば、それで解決するし」

 プリント代と現像代くらいを払えば、譲ってもらえないかな?

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