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おって、とって、とらわれる  作者: 園田 樹乃


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20/23

マジックアワー

 密着していた身体を離して、五月の風を感じた途端、猛烈に恥ずかしくなる。繋いでいた手も離す。

 夕陽のせいにはできないほど熱くなった頬を両手で覆って、じりっと後ずさる。

 そして、寛ちゃんは左の親指で顎の下を擦るようにしながら、少し顔を背け気味に俯いていた。

 ちょっと背中を押された……とか言って、何をしたんだ。私は。


 もう一歩下がった足元で、砂利が音を立てる。その音に反応したみたいに、寛ちゃんの眼がこちらを向いて。  

「香奈さん、今夜は何か予定はある?」

「え、あ……特には……」

 深く考えないままに答えると、彼の視線が変わった。ような気がする。

 これは、彼がカメラを構える直前だけに見せる顔。

「じゃあさ。朝まで一緒に過ごさない?」

 シャッターを切る時の熱量で訊かれて、私に否やはなかった。



 すっかり暮れた土手の上を、駅へとゆっくりと歩く。時刻は七時を過ぎていて

「食事、どうする?」

 繋いだ手を握ったり緩めたりしながら、訊いてみる。

「どうしようか? 香奈さんは、何が食べたい?」

「うーん。お昼がちょっと変わってたから……普通の夕食が良いかなぁ」

 科学館の近くでトルコ……だったかのビュッフェを『面白そう』って、理由で選んだのよね。 

 美味しいとは思ったけど、夕食まで変わったものを食べる元気はないかな?

「普通って、何? 普通って」

 と、寛ちゃんがクスクス笑う。

「普通は、普通。食べ慣れていて、こう……身構えない感 じ?」 

「まあ。駅前に出たら、何かあるか」

 大きめのターミナル駅だし、数駅東にはこの春から“学園町”に名称変更された駅もあるくらい、複数の大学が集まっている地域だから、まず『店が無い』なんて事態にはならないはず。


 結局、駅前のファミレスで夕食を済ませて、再び快速電車の乗客となる。

 立っている人同士の肩が触れるくらいの混み具合に、行楽帰りのピークに重なったな……と考えながら、寛ちゃんの隣で吊り革を握る。

「大丈夫? 疲れてない?」

「うん。平気」

 軽く身を屈めて覗き込んできた寛ちゃんに、微笑んで

「私、そんなに不健康でもないよ?」

 胸の前で小さなガッツポーズをして見せる。

 写真を再開してからの一年間で、あっちこっちへと出かけるようにもなったし、それなりに食事も摂っている……と、思っていると、

「いや、不健康だとは思ってないけど」

 苦笑気味の声に、かるく否定された。


「香奈さんって普段、通勤ラッシュとは縁がないんじゃない?」

 なるほど。そっちの心配をしてくれたのか、って少し嬉しくなる。

「まあね。でも、これくらいならラッシュとは言わないでしょ?」

 市境を越えるまでにはもう一つ、大きめのターミナル駅に停まるから、上手くいけばそこで座れるんじゃないかな?



 予想通り、楠姫城市役所前のターミナル駅で目の前の席が三人分ほど空いたので、二人並んで座れたけど。詰め気味に座った私たちの、腕と腕が薄手の上着越しに触れ合って。

 なんとなく、河川敷でのアレコレを思い出して、変な力が篭ってしまう。

 

 勢いって怖い。 

 普段の私は……というよりも、今までのカレシにあんな事、したことなかったのに。

 このあと更にもう一歩進んでいくことに、今更ながら緊張していると

「香奈さんって、朝はパン? ご飯?」

 と、のんびりした声に訊かれた。

「朝? 朝は……日によっていろいろかな? 起きた時の気分で決めることも多いし」

「起きた時の気分って……それから、ご飯を炊くとか大変じゃないの?」

「あ……」

 炊かないからなぁ。朝からなんて。

 いや、炊飯器自体、社会人になってからほとんど使ってないし……。


 『最近は、スミレベーカリーでパンを買うことが増えたかも?』と、お粗末な朝食事情をごまかす。

「じゃあ、明日の朝は……俺のところで食べる?」

 “ごまかした”のを感じとった……わけじゃないと思いたい寛ちゃんからの提案が、頭の中で違う意味に化けた。 

 これは、このあと“一緒に夜を過ごす”のは、彼の部屋でって意味で良いのかな?

「そういえば、寛ちゃんって、どこに住んでるの?」

「あれ? 知らなかったっけ?」

 聞いてないなぁ。


 寛ちゃんが住んでいるのは、蔵塚市役所前のターミナル駅を通る南北路線の沿線になるらしい。私の職場から見て、数駅北が最寄駅。

「学校まで、快速電車一本って。近いじゃない」

 『乗る駅も降りる駅も快速が止まるなんて、いいなぁ』って呟くと

「いや、沿線は言い過ぎだから。南北線の最寄り駅からはバスだし」

 市内北部って立地は、鈴ヶ森高へと行くのに便利で選んだ、とか。

「舞郷高に転任してから、引っ越しも考えてはいたんだけどさ。どうもタイミングを逃してしまって、まあいいかって」

 次の更新時期には、引っ越そうかなぁ、とか言っている。


 その流れで、この後の段取りを話し合う。

 泊り支度のために私は一度家に戻ってから、寛ちゃんの家へと向かう。

「駅に着く頃合いを見計らって迎えに来てくれたら……良いかな?」

「乗り換えのタイミングで電話してよ。待っている間に、明日の朝飯でも買っておくから」

「じゃぁ、そこはお任せ、かな?」

「この時間だからなぁ。期待はしないで欲しいけど」

 大丈夫、大丈夫。いつもの私の朝食はコンビニ食だ。


 市役所前のターミナル駅の三つ手前で、彼と別れて各駅停車に乗り換える。

 一人で真っ暗な車窓を眺めながら、頭の中で泊まり支度の算段をする。

 大体のものは、祖母の葬儀で秋に出かけた時に揃えたから、大丈夫かな。あ、コンタクトの保存液を買っておかなきゃ。基礎化粧品をジッパー付きのビニール袋に入れるのは……やっぱり駄目かな?

 コンビニ……でトラベルパックを買うか。



 その夜を過ごした寛ちゃんの部屋は、アルバムが大部分を占めている本棚が目について。その横に立てかけられているのは、額装された数枚の作品たち。一番手前に見えているのは、冬の作品展に出ていた瓢箪池とハチワレネコの写真だった。

 片付けられた小さなデスクの上には、使い込まれた英和辞典とペンケースが並べてあって、問題集らしき英語タイトルや私も仕事で目を通す受験雑誌が本棚の隙間を埋めている。ここで持ち帰りの仕事をしたりするんだろう。

 なんだか、懐かしい……なぁ。

 カメラを手放す前、教師を目指していた頃の自分の部屋と同じ空気を感じる。



 そして、彼の前で初めてコンタクトレンズも眼鏡も外した私に 

「香奈さんの瞳に、俺が写っている」

 と、寛ちゃんが嬉しそうに囁いて。


 重ねた唇が深く交わる。 

 重なった掌の感触に、彼我の手の大きさの違いを実感する。 


 夏のあの日、転がった糸巻を渡してくれた手が今。私の身体を辿っている。



 翌日は、北隣の涼岐(すずき)市へと出かける。南北路線、北端の駅からバスに乗り継いで、さらに終点まで。

 楠姫城(くすきのじょう)市の名前の由来になった稀代の薬師”薬姫(くすひめ)”の時代から伝わると言われている、古い鎮守の森を訪ねる。 


 鎮守のお社にお参りを済ませたあと、本殿裏から森の中へと延びていく素朴な遊歩道へと足を踏み入れた。


 寛ちゃんだけでなく私も、今日はフイルムカメラを持って来ているけど、肌に残る昨夜の名残りがファインダーを覗く邪魔をするから。

 いっそのこと開き直って、鳴き交わす鳥の声やそこはかとなく漂う木々の香りを楽しむ。

 ふと振り返ると、数メートル離れた場所では寛ちゃんが、斜面になった地面にカメラを向けている。


 何があるのかな?


 そっと近づくと、紫色の小さな花が三輪。

 少し離れた場所には、胞子体をもたげた苔が絨毯のようになっている。

 あ、これは。撮りたい。



 小声で喋りながらそぞろ歩き、立ち止まって写真を撮り。こぢんまりとしたお社を抱え込むような鎮守の森の、遊歩道を一周りするのに、二時間近くをかけて。

 駅に戻った頃には、遅い昼食時になっていた。


 駅前のコーヒーショップで食べた昼食のサンドイッチは、空腹のせいか、とてもおいしかったし。

 一度帰宅してから、ターミナル駅で再度、待ち合わせての夕食では、中ジョッキを一息で空けた寛ちゃんが

「やっぱり、汗をかいた日のビールは、最高」

 と、ニコニコしていて。

 社会人になって以来、最も活動的だった連休を締めくくる。


 

 恋人らしい二日間を過ごした後は再び、休みの合わない五月が待っている。

 連休の密度が濃かっただけに、寂しさが募るように感じてしまうから。

 鎮守の森や楠姫川で撮った写真たちを纏めたアルバムを繰り返し眺めては、際限がなくなりそうな電話やメールを我慢する。


 そんな中、彼は今年も文化祭のチケットを用意してくれていた。


「今年も行って良いの?」

 六月最初の土曜日。待ち合わせの駅で顔を合わせるなり渡された文化祭のチケットは、予想外で。封筒の中身を見ると同時に、確認してしまう。

「今年から少しだけ招待条件が緩くなったから、ダメってことはないんじゃない?」

 去年までは親族か卒業生に限られていたのが、在校生の友人も許可されることになったらしい。ただし、事前に申告は必要なので、当日フラッとは認めないとか。

 とは、いっても。

「公私混同とか……言われない? 寛ちゃんが」

「うーん。とりあえず、上の先生からはOKをもらってる」

 と言って、寛ちゃんは顔の前で上を指差して見せた。

 それなら、良いのかな? 


「ただまあ。去年みたいに一緒に模擬店に並んだりはできないだろうから、写真部の卒業生として後輩たちの作品だけでも見に来てやって」

「ああ、あの子たちもこれで引退だよね」

 先月の連休。後藤くんの作品展ですれ違った、彼の二人の教え子くんたち。

 何か影響を受けた作品が生まれたり……は、無理か。時間が足りないな。



 今年は例年よりも梅雨入りが早かったらしく、あいにくの空模様の下で母校の文化祭が行われる。

 なんとか終了時刻まで天気が保ちますように……と、曇天に祈りながら歩く通学路では、ツバメが低いところを飛んでいて。

 うーん。これはやっぱり、降るよねぇ。


 無理かな? と思いつつ、ツバメの姿をスマホで追う。シャッターを切る。

 ああ、やっぱり駄目か。手振れがひどすぎて、なんだかよくわからないモノが撮れてしまった。

 これは、見なかったことにして……削除。



 去年と同じような流れで、写真部の展示教室へと向かって。受付当番をしている女子に声をかけてから、作品を見せてもらう。

 教え子のような親近感を勝手に抱いている白井くんは、今年も星空の作品だけど……これは、修学旅行先の沖縄の夜空だろうか。空気感の違いが肌に伝わるような写真に、しばらく目が離せなくなる。

 三脚を立てて露光時間も長めにとって。

 シャッターを切れば出来上がりなんて、インスタントな出来上がりじゃないはず。


 何枚、撮ったうちの、一枚だろうか。

 そしておそらく、顧問として側で監督していただろう寛ちゃんの苦労が偲ばれる。

 私が見せてもらったアルバムには、夜の写真は無かったから、きっと彼自身は撮ることなく、部員を見守っていたんだろう。 

 


 模擬店に向かおうと中庭に出て、保健室前の廊下の窓越しに寛ちゃんの姿を見つけた。

 同僚の先生らしき男性と何やら書面を見ながら話している彼は、私にとっては珍しいカッターシャツ姿で。通りがかった女子生徒に呼ばれたらしく、顔を上げた。

 生徒と話している途中で、彼の左手の親指が顎の下を擦る。

 何か相談でも、受けたのかな?

 考え事をしている時の彼が見せる癖に、想像を巡らせる。



 仕事中に相応しい、先生の顔を保つ彼をもう少し見ていたい気持ちはあるけど。中庭の入り口に近いこんな場所で立ち止まっていたら邪魔にもなるし、廊下の窓を凝視している変な人になりそうだし。

 受付でもらった校内地図を参考に、まずは手近なタコ焼き屋に並ぶ。

 あとは……中庭の対角にあるクレープか……四階の喫茶店?

 金券が残りそうなら、二階のゲームコーナーにも立ち寄ってみるかな。



 いい感じに昼食を終えて、ゲームコーナーで駄菓子を手に入れて。 

 今年も締めには写真部の展示をもう一度見てから帰ろうかと、四階から西側の階段を降りる。

 二階の廊下から、ふと外を見て。雨が降り始めたことに気づいた。

 中庭の模擬店は、大丈夫かな?  

 そう考えると気になってしまうのは、大人としての“親心”みたいなものだろうか。


 中庭を見下ろす窓へと近づこうとして、廊下の奥の方から来た女性とぶつかりそうになる。  

「あ、ごめんなさい」

 咄嗟に身を引く。のと、同時に

「気をつけなさいよ」

 と、強い口調で咎められて、カチンときてしまった。

 それでも普段の私なら、波風を立てるような無駄なことはせず、そのまま流すはずなのに。

 この時ばかりは、何かに呼ばれたかのように、相手の顔を見返してしまった。



「藤島、さん?」

 思わず声をかけてから、なんでここに居るのよ……と、顔を顰めてしまった。 

 廊下の真ん中で偉そうに立っているのは、かつての同級生。

「あなたまた、無断で入り込んだの?」

 去年の寛ちゃんの苦労も知らないで。私の寂しさも知らないで。

 未だに彼の近くをウロウロして、あわよくば絡もうとでもしているの?

「は? 何よ。いきなり」

 小柄な彼女は顎をあげるようにして、私との身長差を跳ね返す。昔と変わらぬ勝ち気な目に、睨みつけられる。

 でも、負けるもんか。寛ちゃんに迷惑はかけさせない。


 しばらくの睨み合いののち、視線を外したのは彼女の方だぅた。

「私、藤島じゃないし」

 と言って、踵を返す。そろりと、歩きだす。

 その瞬間にチラッと見えた横顔は、かつてトラブルを起こす度に彼女がしていた、不服そうな顔つきで。

 絶対に、違わない。あなたは、藤島さんだ。

 このまま逃してはいけないと、腕を掴む。


「ちょっともう。なんなのよ」

 足止めされて振り向いた顔に、確信する。そう、この表情だ。写真に撮って見せてやりたいほど、昔と変わらない。

「藤島ホタルさん、でしょ? 違うとは言わせない」

「だーかーらー」

 『離してよ』と、悲鳴混じりに叫んだ彼女の声に、周りの視線が集まるのを感じた。


 足を止めて遠巻きに取り囲んだり、チラチラ振り返ったりしている人々のなかに、数名の生徒が混じっているのが目の隅でわかる。

 誰か、誰か。学年主任とか、生徒指導とか。先生を呼んできてくれる子は居ないかしら。スマホをいじっていないで、早く!

 このまま逃げられたらまた……。



 人知れず焦っている私に対して、隙でも作ろうとしたのか。

「あなた、誰?」

 抵抗をやめた藤島さんに、訊かれる。

 本人が言うように赤の他人なら、名乗るのも変な話ではあるけれど。

「大学で一緒だった……北浦」

 『カレシを盗られた』って過去までつけてみましょうか?

 いや、それでも彼女にとっては、日常茶飯事。記憶の手がかりにもならないか。

 所詮、私は数多いる邪魔者の一人でしかなかっただろうし。


 自虐的な考えが、胃の底を押し上げる。

 ああ、ムカムカする。イライラする。

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