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穏やかな光景

 この日、寛ちゃんは合計で四冊のポケットアルバムを持って来ていた。

 修学旅行の『お土産』に沖縄で撮ってきた一冊半と、雪の舞う楠姫城(くすきのじょう)市の日本庭園が一冊弱。そして残りの一冊は、この前行くと言っていた陶器市の写真だったけど、アルバムの半分もなくて。

「陶器市は、いまいちだった?」  

「いや……フイルムの使い残しが、こう……」

 と言って寛ちゃんは、途中までしか埋まっていないアルバムたちを指差す。

「ずれ込んだ形になってしまってさ」

 ちょっとだけ使った、とか、ちょっとだけ残ったとかが、積み重なったらしい。

「まだカメラの中にも一本残っているけど、整理の都合でアルバムを分けたからさ」 

 今回持ってきたのは、トータルで四本使ったうち、失敗作を弾いた分で。カメラに残っているのは、また今度のお楽しみ、ってことらしい。


「写真だけ見たら、まるっきり夏と冬よねぇ」

 表紙を開いた状態で、楠姫城と沖縄の二冊のアルバムをテーブルに並べる。

 これが一ヶ月ほどの間に撮られた写真だなんて、信じられない。日本は長い、と改めて感じる。

「俺もこんなアルバムになるなんて、思ってなかったよ。年末に日本庭園の特別公開に行ったら、まさかの雪。予報じゃ降らないはずだったのに……」

「でも、これも風情があって良いと思う」

 市の文化財に指定されていて、いつもは垣根の外からしか見られない茶室は、年末恒例の特別公開では庭先まで入らせてもらえるらしい。

 『史跡として保護されているのは何か違う』と言ってたことがあったけど。古い建物に惹かれて、嬉しそうに撮っている姿が目に浮かぶようなアルバムを手にとる。

 そして、やっぱり。

 雪の表情とでもいうしかない、彼独特の一枚に目を奪われた。


 真夏みたいな日差しが映える沖縄の写真もまた、ため息モノの連続で。

「この海、すっごく透明なんだろうなぁ……」

 透明な海面を透かして魚を撮るのって、憧れるよねぇ。

「地理の先生に言わせると、透明度の高い海には生き物が少ないらしいけどね」

「えー? そうかなぁ? 珊瑚礁に熱帯魚、ってイメージない?」

「俺も、よく理解できなかったんだけどさ。水中の栄養価が低いとか……?」

 話しているうちに自信が無くなったらしい寛ちゃんに、

「そういえば寛ちゃんって、教科は何?」

 今まで訊いたことがなかった質問をしてみる。


「何だと思う?」

 うーん。

 体育とか芸術科目では、なさそうだし。

「社会科?」

「なんで?」

「さっき、わざわざ『地理の先生』って言ったから」

 自分が高校生だった頃は、一人の先生が学年によっては世界史を教えていたり、政経・倫理を担当していたりしたようなイメージがあるから、『地理の先生』と専門をはっきりさせるような彼の言い方に違和感を覚えたのが理由だけど。

「残念。英語だよ」

「あー」

 なるほど、と思ったのか。意外、と思ったのが。

 自分でも掴みきれない間抜けな声を立ててしまった。

 

「で、香奈さんは?」

「私?」

「教員免許、持っているんでしょ? 教科は?」

「……化学……」

 渋々の答えに、ちょっとだけ、考えるような間をおいて

「あー、そうか。そういえばそうだ」

 納得、って顔で一人、頷く寛ちゃん。

「そういえば、って。何が?」

 アルバムを捲る手が完全に止まっているけど、気になるじゃない?

「香奈さん、覚えてる? ネコの喫茶店に初めて行った時に、駅でうちの生徒たちに会ったこと」

「ああ、うん」

 ラグビー部らしき集団だったっけ?

「あの中にの一人が、香奈さんに塾で化学を教えてもらった事があるって」

 ああ、うちの塾生がいたな。そういえば。

 でも。

「私は授業を持ってないよ?」

「自習中の質問に、答えてくれたってさ」

「そんな……教えたなんて大袈裟な……」

 学生バイトに任せる時もあるけど、講義中の時間帯は自習室の監督業務をしていることが多い。今、まさにこのフリースペースの受付に座っている初老の女性のように、私語の大きすぎる子に注意をしたり、居眠りしている子を起こしたり。

 その一環で、質問をされることも……なくはないけど。

「担当の先生よりも解りやすかった、とか言ってたよ」

「……誰だ? 担当……」

 アルバイトとはいえ講師なんだから。給料分は働きなさい!

 

  

 食べ物の持ち込みが禁止されている昼時のフリースペースは、席を立つグループと新しく訪れたグループが、うまい具合に入れ替わっているらしい。

 受付スタッフから席を譲るように促されることもなく、小一時間ほど過ごして。私が持って来ていたアルバムを前に、ここから数駅北にある鈴森川の河川敷の話なんかをしていたら、

「岩ちゃん、ありがとー」

 と、女子高生たちが帰ってきた。

 テーブルを無事に明け渡し、私たちも昼食へと向かう。



 駅へと通じる渡り廊下の向こうで見つけたパスタ屋で、パスタとピザをシェアするような食事を済ませて。

 昼からは、さっき話していた鈴森川の河川敷へと行くことになった。


 寛ちゃんは、この半年くらい、水のある風景を意識的に撮っているらしい。

「香奈さんと夏に“ふれあい水路”に行ったのが、きっかけなんだけどさ」

「ああ、『違うモノを撮りたくなった』みたいなことを言ってた、あれ?」 

 さっき見せてもらった、沖縄の海も良かったよねぇ。

「水辺は寒いのがちょっと……なんだけどね。寛ちゃん、寒いのは平気?」

「俺は、けっこう平気な方だと思うよ」

 二人ともダウンコートを着ているから、大丈夫かな?

「それよりも、さっき香奈さんにアルバムを見せてもらうまで、冬の河原って何も無いと思い込んでたのが悔しくてさ」

「鳥が渡ってくる季節だからねー、意外といろんな物が見つかるんだよ」

 そうか、母が正月に言ってたのは、これか。

「香奈さんが見つけたモノ、一緒に見たいな」

「で、撮りたいんだ?」

「当然」

 ほら、やっぱり。写真のことになると、夢中になるんだから。

 今日は撮るつもりじゃなかったので、二人ともカメラは持ってきてないけど。撮りたくなればスマホだってあるしね。



 こんな初デートで始まった彼との新しい関係は、互いの都合をやりくりしながら、今までと同じように写真を撮りに行ったり、見せ合ったり。

 それでも今年は、一緒に夜桜を見に行くことができたし、それをきっかけにして、夕食やお酒を共にすることも増えてきた。


 市内の水族館へと出かけた、ゴールデンウィーク初日の夕食は、市役所裏の炭火焼きの店。

 互いのビールジョッキを軽く当てるように乾杯して

「今日は暑いくらいだったから、ビールが沁みる」

 ジョッキの半分程を一息に空けた寛ちゃんの、満足そうな顔を眺めながら私も一口。

 若い頃は、ビールの苦みなんて無駄だと思っていたけど、美味しいと感じるようになったのは、いつのことだったか。

「来週も、良い天気になりそうだしね」

「じゃあ、また美味しくビールが飲めるかな?」

 日本酒よりビールの方が好きな寛ちゃんに、この店を教えてくれたのはネコの喫茶店のマスターで、魚の干物がとりわけ美味しいらしい。

 メニューに並ぶ焼き鳥の各種が気になるし、野菜も食べたい。

 寛ちゃんから聞いた時には正直に言って、飲食店同士で客を紹介しあうシステムみたいなものかな? って、思ってしまったので、内心でマスターに手を合わせておく。

 こんな店なら、いくらでも紹介してください!



「で、寛ちゃん。来週はどうする?」

 今年の大型連休は、二回も火曜日が祝日のベストパターンで、来週は月曜日の指定休と合わせて寛ちゃんとも休みが重なる奇跡の二連休。

 どうせなら、少し遠出をするのもいいかな? なんて思っていると

鵜宮うのみや市まで、行かない?」

 程よい遠出の提案がやってきた。

 母の住んでいる鵜宮市へ出かけるのは、正月以来。

 法事でもなければ行くことのなかった街に、今年は二回も行くなんて不思議な感じ。


「鵜宮に、なにかあるの?」

 焼き鳥の盛り合わせを二人で分けながら聞いたことによると、鵜宮をメインに活動している写真サークルの作品展が開かれるらしい。

「ミノルさんと向こうの代表が知り合いで、交流もあるからさ。知り合いにも宣伝してって、言われているんだけど。どう? 行ってみない?」

「去年、寛ちゃんたちがしていた作品展みたいなの?」

「そう。あんな感じで鵜宮市内のギャラリーを借りるんだって」

 私にとっては高校の後輩にあたる後藤くんも所属しているサークルらしい。

「このタイミングだったら、あの写真部の白井くん? も、見に行けるね」

 『前回は模試に当たってしまった』と嘆いていた後輩も、さぞかし楽しみにしているだろう。

「うん。最後の文化祭に向けて、刺激材料になると良いんだけどね。そろそろ、引退だし」

「あ、そうか。寛ちゃんの学年だよね? あの子たち」

 文化祭が終われば、いよいよ受験生か。

 今回も、受験のモチベーションを上げるような作品と出会えたら良いね。



 寛ちゃんと付き合い始めたからと言って、互いの休みが合うようになるはずもなく。 

 アルバイト学生の休暇申請に、苦い顔をしながら承認印を押す日々は続いている。

 有給がないわけじゃないけど、シフトの調整を考えると中番に取るのがベストなので、五月(こんげつ)は月曜日か金曜日。つまり、休みが合うのはこの連休のみ。

 作品展を見に行くのに、移動も含めて……半日。あとの残りは、どうする? って考えていると、

「で、さ。香奈さん」

 さっき注文した『焼きじゃがいもの塩辛添え』の皿を二人の間に置いた寛ちゃんが

「ものは相談なんだけど」

 声を潜めるから、彼の方へと身体を寄せる。


「この日、一泊したり……しない?」

「は?」

 思わぬ相談内容に、大きな声を出してしまって、慌てて口を押さえる。

「ちょっ……何を……」

「えーっと。何って言われるとあれなんだけど」

 言葉を探すように首を傾げた彼が、左の親指で顎の下を掻く。 

「去年の夏……だったかな? 香奈さん、星空が撮りたいって言ってたから。鵜宮から県境を越えた西隣の県内に、ペンションがあるらしいからどうかな? って」

「ペンション?」

「ネコの喫茶店のマスターが、良い所だって話してたことがあって」

 ペンションに泊まって星空の撮影、なんて憧れるけど。

「それ、今からでも予約取れる? 無理じゃない?」

「うーん。やっぱり無理かな?」 

 連休の最終日とはいえ、宿泊施設は繁忙期な気がする。

「じゃあ、夏休みなら? どう? 行かない?」

「……推してくるねぇ」

「そりゃぁ、ね?」

 と言って、笑った彼の口元に覗く八重歯が、『行こうよ』と誘ってくる。



 結局、翌週の連休は月曜日に作品展へ行ったあと、沿線の科学館でプラネタリウムを観て。

「うわ、これは……凄いかも?」

 大きめの川を渡る帰りの電車で、窓から見えた夕陽に心が躍る。これはきっと、いい夕焼けになりそうな予感がする。

「香奈さん、この次の駅で降りよう」

「この次って……」

 楠姫城市には入ったはずだから……市内の西寄りに位置する大きめの駅かな?

「次の駅は、この楠姫川が近くに流れているから……」

「カメラ、持ってきて良かった!」 

「俺も」

 さすがにフイルムカメラでは、ないけれど。もしかしたら撮りたくなるかも……って思っていた。

 寛ちゃんと居ると時々、“撮りたい気分”が揺り起こされる。そして、そんな場面で撮った写真は、自分でも好きな仕上がりになることが続いていて。

 そろそろ、お気に入り写真だけを集めたアルバムを作りたいと考えている。


 去年……だったかな? 

 絵美莉が、次のハンドクラフト即売会で展示するために準備したアルバムを、見せてくれたことがある。

 私と寛ちゃんで撮った絵美莉の作品たちが、スクラップブッキングの手法できれいに纏められていたっけ。


 その時に絵美莉がざっくりとした説明をしてくれたけど、自分でも本を買って勉強してみるのも良いかもしれない。



 半ば衝動的に電車を降りて向かった河川敷は、良い感じに西側が開けていて、夕焼け空を満喫する。

 川面に映る夕映え。空を飾る茜雲。夕陽を横切る鳥の隊列。土手に生えている木々の葉が生み出す陰影も、愛おしいほど。

 夢中で撮っているうちに、夕陽の頭がすっかり隠れる。

 日が完全に暮れてしまわないうちに、土手に上がった方が良いのだろうけど、寛ちゃんはまだ撮り足りないみたいだし。彼を待つ間、仄かに明るさの残る河川敷で、撮った写真をチェックする。

 ピントがずれたな……とか、思った以上に良い感じじゃない? とか。

 頭の中で、自分なりの評価をつける。


 この中の何枚が、『お気に入りのアルバム』に納まることになるかな? なんて考えていると、背後に人の気配。

 誰? これ。

 もしかして……カメラの液晶画面、覗き込んでいる……?



「さすが、良い所を押さえるなぁ」

 聞き覚えのある声の、のんびりした言葉に、強ばった肩の力を抜く。

「びっくりしたぁ……」

「あ、ごめん。驚かすつもりは、なかったんだけど……」

 私の肩越しにカメラの液晶画面を覗き込んでいたのは、寛ちゃんで。

 安心するのと同時に、さらに近づいてきた体温に違った意味でドキドキする。


 付き合っているんだし。

 付き合っているんだから。

 付き合っているからこそ。


 進むかもしれない“次の一歩”を想像してしまう。


 だから

「日が落ちたら、冷えてくるかもしれないし。そろそろ駅に戻ろうか」

 寛ちゃんからの提案に、少しだけ残念な気分になるのは……仕方ない、よね? 


 残念な気分が、背中をそっと押す。

 土手へと登る石段へと向かう寛ちゃんの、右側に並んで歩きながら、横目でチラッと目標を確認。

 さりげなく、彼の手をキャッチ。


 スッと息を飲んだ気配を、隣から感じた。 

「香奈さん」

 と呼ばれて

「うん?」

 なんでもないような声で応えて、顔を上げる。

 赤くなっているだろう頬は、夕焼けのせいにしよう。


 と、思っている間に、口角に触れた彼の体温。

 八重歯の感触を覚えたのは……錯覚だろうか。



 石段の登り口、繋いだ手に促されるようにして、彼の前を上がる。土手に上がりきったところで振り向くと、一段下に足を掛けた寛ちゃんとほぼ同じ高さで目が合って。

「寛ちゃん」

「うん?」

 夕焼けのせいかもしれない赤み乗せた彼の頬に、唇をよせる。

 触れるかどうか……のところで、繋いでない方の手が右耳の後ろに添えられて、微妙に進路を変えられた。


 重なりあった唇から、伝わらないだろうか。

 明日は、私にとって珍しい連休。

 今夜、時間があるんだよ? って。

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