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薫染

 寛ちゃんの好きそうな古い建物はないけど、彼は彼なりに水路での撮影を楽しんだらしい。


「ちょっと、新分野に目覚めそう」

 と、照れたように話す口元で、八重歯が嬉しそうに覗く。

「新分野? 何か特別なモノあった?」

「うーん。まあ、出来上がりを見てからだけどさ」

 そう言われると気になるけど、フイルムカメラだからね。現像してみないと……って、ことだろう。

「冬の作品展に向けて、いろいろ撮ってみようかなって」

「そういえば、『建物以外をとるなんて珍しい』って、言われてたね」

「まあ、それも含めて……かな? よかったら、また見に来てよ」

 と言われて、曖昧に頷く。

 彼の作品は見たいんだけど、サークルのメンバーがなぁ。藤島さんとは、会いたくないし。



 午後から出張へと向かう彼は、一度帰宅して着替えるつもりだと言うので、早めに切り上げて北通りにあるパン屋さんの前で別れる。私はこの後、絵美莉の店でお昼ご飯の予定。


 さっき絵美莉にはメールをしておいたので、サンドイッチを二人分トレーに乗せて。ついでに明日の朝食用の食パンも買ってみたりする。トースターは持ってないけど……喫茶店で食べたのが美味しすぎた。

 二つに分けてもらったビニール袋をガサガサ言わせながら、電車に乗る。

 昼前の電車の空き具合に高校時代を思い出す。試験期間って、こんな風に空いている電車で帰ったなぁ。最終日は部活が無ければ遊びに行ったり、一人で写真を撮りに行ったこともあった。

 ああ、そうそう。今日の写真。


 目的の駅に着くまで、デジカメの画面で今日撮ってきた写真を振り返る。

 膝の上に広げた小さめのノートに、思いつくまま気づいたことを書き留める。日付、時刻、撮影場所から始めて、構図や日差しについての感想・反省。

 これは、高校で顧問の先生から言われて始めた習慣で。この前の文化祭で会った後輩たちも、こんな風に記録をつけているのかな……と考えていると、現在、顧問をしている寛ちゃんの顔がデジカメのモニタに現れて、ちょっとびっくりした。いや、自分で撮ったんだけど。

 こちらを見ていない、真剣な眼差し。

 くっきりとした二重の眼は、何を見つけたのだろう?


 『学校にはお盆休みってないんだけどさ。今年はサークルで撮影旅行に行く予定』と別れ際に話していた彼がこの夏に撮った写真。今日の分も含めて、見せてもらうのは少し先になるだろう。

 私の知らない土地で何を写しとってくるのか、楽しみである反面、あの藤島さんも一緒に旅行か……と、面白くない気持ちもある。

 持て余し気味の自分の心に蓋をしたところで、下車駅が近づいたとアナウンスが流れた。



「あら、今日はどうしたの?」

 私の顔を見るなり、絵美莉が首を傾げる。

「どうしたの? って……さっきも『これから行く』って、メールしたじゃない」

「来るのはわかってたわよ。私が言ってるのは、服装。珍しいじゃない?」

「麻のベストって、着る機会がなかなか無かっただけだから……」

 鴇色の麻糸をベースにした生地に一目惚れして、買い取ったは良いものの……って、作品を今日は白いロングTシャツの上に羽織ってみた。

「香奈ちゃんがジーンズ履いているところが、珍しいんだけど?」

「あー、そっち? 朝から撮りに行ってたから」

「……岩根さん?」

 図星を刺されて狼狽えた私に、クスクス笑って絵美莉がマグカップを差し出す。いつも通りのぬるめのほうじ茶で、喉を潤す。


「それで、これがそのパン屋さん?」

 テーブルに置いた昼ご飯のビニール袋を指先で開けて、絵美莉が覗き込む。

「そう。喫茶店で出たモーニングのトーストが美味しくってね」

「へぇ。香奈ちゃんが、喫茶店でモーニング……」

「あ、食パンもシェアする?」

 お裾分け、お裾分け。と、朝ご飯用のパンもテーブルに乗せる。

「お皿か、袋はある?」

「じゃあ、一枚だけ貰おうかな」

「半分こにしない?」

 六枚切りだから、ちょっと持て余しそうな気もしている。

「ラップして冷凍すれば、日持ちするから。香奈ちゃんが食べちゃいなよ」

「解凍……レンジ?」

「トースターでそのまま焼けばいいから」

 やっぱりトースター、買うか。



「香奈ちゃんが朝ご飯を食べるために電車に乗るなんて。岩根さんの影響力ってすごいわねぇ」 

 『これ、確かに美味しい』と、言いながら絵美莉が食べかけのサンドイッチを左手に持ち替えて、カップスープを啜る。アチチチ……と、慌てて息を吹きかける。

「別に、ご飯のために出かけた訳じゃ……」

「だから、岩根さんに会うためじゃないの?」

「え……?」

 休日に早起きして、電車に乗ってから朝食。言われてみれば、私としては珍しいことをしている。

 でも

「寛ちゃんに会うためっていうのも……」

「違わないんじゃない? 『寛ちゃん』とか呼ぶくらいだし」

「あー」

 『いつの間にか、仲良しだね』って、笑った絵美莉がまた、カップスープの熱さに悲鳴を上げる。



 食事を終えて手を洗ってから、持ってきた作品を展示テーブルに広げる。

「あ、これ。袖を付けたんだ」

 細めの糸で透けるほど薄く織られた黒を基調にしたリネンの生地は、モモンガコートに近い感じで袖付きのストールにした。

「冷房対策を意識してみたんだけど」

「ああ、なるほど」

 数年前、ニュースが盛んに取り上げていたクールビズの効果が実感できるほど、冷房が控えられたかといえば……私の周りでは、首を傾げる程度。


「この店では、要らないけどね。冷房対策」

 今年も自然の風に任せている絵美莉は、そう言いながらも羽織ってみている。

「このくらいの軽さで、肌触りが……うん」

「どう?」

「糸の太さを少し……変えてみるのも、あり……かも?」

 と呟いて、糸棚を眺めている。そういえば、以前に絵美莉の着ていた上着が、ガーゼみたいな透け感だったっけ。この作品とは、質感が違っていたような気がする。



 次の作品用に生地を選んで、そろそろ帰ろうとしたところで、

「今年のお盆休みは……岩根さんと?」

 妙な事を訊かれた。

「は? 寛ちゃん?」 

「その“寛ちゃん”と、またうちの店に来たりする?」

 ああ、そうか。

「去年みたいに?」

「うん。また、撮影会をするなら、展示する作品にちょっと手を入れようかな? とか」

 ホームページの写真が変わってないことを、気にしているらしい。


「寛ちゃんは、サークルの撮影旅行に行くって言ってたから……。私で良かったら、撮ろうか?」

 去年より少しでも上手くなったか、比べてみたいし。

「私の方は急がないから。香奈ちゃんもサークルの旅行に行けば?」

「えー、行かないってば。寛ちゃんにも、『サークルには入らない』って言ってあるし」

「入れば良いじゃない?」

「……なんで、そこまで推すの?」

「だって。最近の香奈ちゃん、元気だもん」 

 え? 元気? そうかな?

 確かに、病気でもないけどね。


「顔色がいいし、活動的になっているし」

 展示机に広げていた生地を軽く畳んで片手に抱えた絵美莉が、空いている方の手で一つずつ指を立てて数え上げる。

「活動的? 服装なら写真を撮るのに気を遣わない格好をしているだけなんだけど……」

 ジーンズが珍しいって言われたこととか、午前中に自分でもリュックが良かったって考えたこととかを思い出して言ってみると

「服装なんて、ちっちゃな話じゃなくって。こうやって、休みの日に出てくるのが珍しいってこと」

「そうかな?」

「そうだよ」

 言われてみれば、そうかもしれない。仕上がった作品を届けるのは、仕事前に立ち寄ることが多いような気がしてきた。


「自分からご飯を買ってくるのも、珍しいでしょ?」

「……なんか……ゴメン」

 仕立ての報酬みたいに思っていたのは、私だけで。絵美莉に無駄な出費をさせていたのかもしれない。

「香奈ちゃんって、人目がないと霞を食べてるんじゃないかって、時々不安になるのよね。だから、『一緒にご飯食べよう』っていうのは、私が安心したいだけのことなんだけど」

「食べてるよ。人並みには」 

「それでも、存在が薄いんだもの」

 あー、なんかそんな事を、前にも絵美莉に言われたことがあるような……。

「でも今日は、ちゃんと実体化しているな……って思ったら、岩根さんと朝ご飯を食べに“わざわざ”電車に乗って出かけたって言うから……」

「実体化って……私は、幽霊じゃなーい」

 両手に拳を握って反論してみたけど。

「何はともあれ、岩根さんからの影響って、香奈ちゃんには良い方向なんじゃない?」

 『大事にしなさいよ』とまで、言われてしまった。



 金曜日の指定休をくっつけた四日間のお盆休みは、初日は部屋の掃除や洗濯に費やして、出かけるのは絵美莉の店の写真を撮りに行く二日目だけにするつもりだった。その日は半日ほど、機織りもしたし。

 三日目は、これまでに撮った写真を記録ノートを振り返りつつ整理したり、絵美莉から預かっている生地を広げて次の作品をどうしようか悩んだり。

 去年の紅葉みたいな生地も、一年寝かしてしまった。そろそろアレもどうするか、決めないと……。見切りをつけて絵美莉へと返すことも視野にいれて。


 考え事をしつつ作業をしていると、いつしか思考が妙な方向へと流れてしまう時がある。

 今頃、寛ちゃんはサークルの撮影旅行。どんな写真を撮っているのかなぁ、とか。

 文化祭でも好き勝手していた藤島さんに、振り回されているんじゃないだろうか、とか。

 寛ちゃんの事を考えては、胸を焼く。


 丸一日も妄想に近いような物思いに振り回されていると、作業は捗らないし、気持ちばかりが疲れていく。

 気分転換を兼ねた夕涼みの散歩……と、コンビニへと夕食を買いに出かける。

 今夜は何を食べようか。


 いつものコンビニで、いつものようにぐるっと店内を巡る。唐揚げ弁当か……ハンバーグ弁当か。

 たしかインスタントの赤だしが残ってた気がするし、見切り品のほうれん草の胡麻和えを足す事を考えて……唐揚げにしよう。



 帰り道、信号待ちで見上げた夕焼け空を、鳴き交わすカラスたちが寝ぐらへと帰っていく。

 カメラを持たずに出てきたことを少しだけ後悔しながら、携帯電話でカラスの群れを撮る。ついでに夕陽に焼かれた出来損ないっぽい入道雲も。

 あら、意外。ちょっと雲の端っこが、良い感じに写った。

 

 ちょうど保存をしたタイミングで、信号が変わる。

 この写真、寛ちゃんにメールで送ろうかな? と考えて。周りの人に『誰から?』って訊かれたら、寛ちゃんに迷惑がかかりそうだと、自分にストップをかける。

 作品展で会った“ミノルさん”とか、藤島さんとか。絡まれたら面倒な気がする。



 レンジで温めたお弁当を食べていて、『寛ちゃんも今頃、食事かな?』と考える。

 仲間たちとバーベキューしたりするのかな? それとも、旅館で山海の珍味に舌鼓を打っているかも。

 どっちも写真として、映えるよなぁ。

 それに引き換え、私の夕食って……。 

 

 日頃、気にした事もない自分の食事の味気なさが、急に居た堪れなくなってくる。

 この……プラスチック容器がまた、なんとも言えない侘しさを醸し出すのよね。ほうれん草の胡麻和えなんて、『三十円 引き』のシールが貼ってあるし。

 二年前に割ってから、買い直していない小鉢を、そろそろ買うかな? 

 化粧水も無くなりかけているから、明日は職場近くの商店街まで買い物に出かけることにしよう。


 買い物のついでに、ネコの喫茶店まで足を伸ばそうか……って考えながら、最後の一口を飲み込んだ所で、携帯がメールの着信を告げる。 

 ペットボトルのお茶で流し込んでから携帯を見てみると、寛ちゃんからで、少しだけ焦る。

 まさか、旅行先からメールが来るなんて……思ってもみなかったし。

  

 【香奈さんの好きそうな場所だよ】って文面と共に添付されていたのは、山奥に掛かる吊り橋で。影と光のコントラストの濃さが、いかにも夏! 深山!

 滴るような緑……って、こういう色なんだろうか?

 良いなぁ。ここ。

 私も行きたい。撮りたい。



 翌日、ドラッグストアから瀬戸物屋へと商店街の中をハシゴするつもりが、ついつい途中のカメラ屋で足を止める。

 デジタルフォトフレームがショーケースに飾られていて、しばらく眺める。

 スライドショーで写真を見るって、日常生活では縁がないなぁ。去年……いや、一昨年か。ゼミ仲間の結婚式で、二人の生い立ちをスライドショーにしていたのを観たくらい。

 自分の部屋に置くとしたら……って、考えて。出てきたのは既に写真立てを置いている棚の上。

 うーん。これは、却下。寛ちゃんの写真を追い出してまで、自分の写真を飾ることはない。

 無駄遣いは、止めておこう。


 記憶にあった瀬戸物屋は、知らないうちに“売り店舗”の紙が貼られていて。ここ数年の不景気を思う。 

 存在しない店で買い物はできないし。ネコの喫茶店の並びに荒物屋さんがあったはずだから、そっちへ行こう。喫茶店へ行くついでに。


 と、思ったのに。喫茶店も荒物屋もお盆休みだなんて……無駄足の極地。

 嫌な予感はしてたのよね。遠目に、暖簾が出てないのを見た時点で。

 そうか。私の休みと完全に被った三連休か。

 ここまで来たなら、ダメで元々。スミレベーカリーまで行ってしまおう! トースターも買ったことだし、明日の朝ご飯くらい調達して帰らなきゃ、悲しすぎる。

 喫茶店のお隣さんに、道端に並べてあるホオズキの写真を一枚だけ撮らせてもらってから、パン屋を目指す。『綺麗に撮れてたら、ちょうだい』って、ホオズキの家の人に言われたから、帰りにはデジタルプリントにも寄らなきゃ。

 そんな事を考えながら、真夏の裏通りをズンズン歩いたと言うのに。

 スミレベーカリーは、定休日だった。 


 今日は、無駄だらけの一日だったけど。

 あまりにも重なりすぎた無駄の数々に、変な笑いが込み上げてくる。


 笑い出しそうな自分を必死で抑えながら、駅まで戻る。

 駅前の大通りまで出るころに、ちょっと笑いの衝動が収まる。

 絵美莉が『最近、活動的だし』って私のことを言っていたのは、こんな部分のことかもしれない。

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