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世の中、無駄なことだらけ

 世の中、無駄なことだらけ。


 映画? 突拍子もない夢物語ばっかり。

 音楽? 耳寂しさなんてニュースでも埋められる。

 旅行? 行って帰るなんて、移動の手間がバカバカしい。


 無駄、無駄、無駄。


 グルメ? 食事なんて栄養が摂れればそれで十分。

 ファッション? 流行に追われて疲れるだけ。

 スポーツ? 同じ事を繰り返して非生産的でくだらない。


 食べて寝て働けば、人生それだけで十分じゃない。余計な物に取り憑かれて、みんな……バカみたい。



*****


「北浦さん。コレ、なんですけど……」

 背後からかけられたオドオドした声に、押し殺したため息を鼻から逃す。

 どうせまた……

「休みなの?」

 振り返る私の動きに合わせて、デスクチェアが軋んだ音を立てる。

 後ろに突っ立ってペラリとした用紙を差し出すのは、大学生バイトの一人。

「あ、ハイ。どうしても授業が……」

 そんなわけ、ないと思うけどねぇ。


 世の中の大学生は夏休みにうかれ、受験生は天王山に汗をかく。

 バイト学生に授業をさせている、家庭教師の真似事のようなこの塾にとっても書き入れ時なのに、肝心の"先生"に休まれたんじゃ話にならない。

 とは言っても、彼らにとっての大義名分は『大学の単位が最優先』で、そこを盾にされるとこちらとしては折れるしかない。

 渋々、欠勤届に上司としての認印を押して、勤怠簿の二週間後の日付に“欠“の文字を書き入れる。


 私は中高生相手のマンツーマン塾で、正社員として働いている。高校生クラスが担当ではあるけど、授業をすることはない。

 授業のマネージメントに加えて、進学情報の収集と分析が私の主な仕事であり、教室ごとの進学実績が評価に直結する。

 学生講師の良し悪しが勤務評価を左右する上に、休講が重なると当然、保護者の心証も悪くなる。クレームを受けるのも仕事の内なのがまた、胃痛・頭痛の種なわけで。



 職員室(スタッフルーム)のドアが閉まりきる前。廊下でガッツポーズをして見せる男子学生と、その背中に飛びつく女子の姿が見えた。

 ああ、もう。なんだかなぁ。

「あれは、絶対にサボりだな」

 欠勤届を手渡した隣のデスクから、面白がるような上司の声がする。

 その言葉に引っかかるモノを感じて、再度開いた勤怠簿。さっきの“欠マーク“からつつっと指で辿る。

 はあ……ビンゴ。


 じゃれあってたあの二人。同じ日に欠勤か。違う大学に通っているのに、夏休み中の同じ日に授業なわけがない。

「教室長。面白がってないで、どうにかしてください」

 上司に面白がられたら、このイライラはどこにぶつけたら良いわけ?

「まあまあ。あの軽さが高校生には人気だよ? 彼」

「人気で受験は勝てませんっ」

 “人気講師”の代講をさせられる他のバイトがかわいそうだし、私は今からその手配をしないといけないんですけど?

 講師の人気度なんて、無駄の極み。



 この日、私のシフトは早番の午後八時半が定時で。

 教室としては九時までの授業と、そのあと一時間ほど自習ルームを解放しているのだけど、午前十一時から出勤のシフトだったから、最後の戸締りは午後一時出勤の遅番だった教室長のお仕事だ。明日は、中学生クラスを担当しているもう一人の社員が早番で、私が遅番。本来なら十二時出勤の教室長は、指定休。

 三人でシフトを回すような不規則で夜遅い仕事も、大学を出てから七年も続ければ、嫌でも慣れる。


 

 駅前徒歩三分の職場から、乗り換え駅までが十五分。さらに二十分ほど電車に揺られ、ベッドタウンの片隅に建つ古びた単身向け住宅の鍵を開ける。

 あ、イヤだな。隣の部屋、男の声がしてる。

 同年代より……少し歳下かな? と思わせる隣人は、時折カレシらしき男性を泊めているようで、夜中、遅くまで薄い壁越しに話し声が聞こえることがある。


 今夜も、きっと喧しいのだろうとため息をついて、パジャマ兼用のルームウェア……といえば聞こえはいいが、早い話がゆったりサイズのTシャツとハーフパンツに着替えて、脱いだスーツをハンガーに掛ける。洗面所でコンタクトを外して、メイクを落とす。

 どれもこれも。毎朝毎晩、付けて外しての繰り返し。

 ああぁ、面倒くさいし、なんて無駄。 


 惰性でつけたテレビニュースの音で隣人の嬌声を遮断しながら、遅い夕食をビールで流し込む。

 


 案の定というべきか、隣室から溢れてくる騒音に辟易しながらの睡眠は、悪夢を呼ぶ。

 ぐったりと掴んだ目覚まし時計は、設定したアラームの三十分前を示していて、なんだか損をした気分。

 寝直すのも癪に触ると、起き上がって冷蔵庫を開ける。ああぁ、牛乳。切らしていたか。

 仕方なく牛乳の代わりに、グラスに汲んだ水道水を一杯飲んでから、コンビニへ朝ごはんの調達に出かける。


 あくびを噛み殺しながら信号を待っていると、隣に小学生くらいの少年が並んだ。夏の恒例行事、ラジオ体操の出席カードを首からぶら下げた姿に、ふと今朝方の悪夢を思い出す。



 夢の中で小学生だった私は、ラジオ体操の帰り道で三毛ネコにであった。

 ネコは嫌いじゃないし、家では飼えなかったし……で、夢中になって撫でたり舐められたりしているうちに、いつのまにか道の上は足の踏み場もないほどのネコたちに埋め尽くされていて。

 びっくりして立ち上がった拍子に、足元にいた子のどこかを踏んでしまったらしい。

 ニャゴニャゴ、ウニャウニャと鳴きながら大移動を始めたネコたちに足元を掬われるようにして、体がどんどんと運ばれていく。

 幸い、住んでいたマンションを目指して坂道を下っているし……なんて、呑気に考えていたのも束の間。最後の角を曲がった途端にネコたちは、爆走し始めて。当然のごとく私も全力疾走の勢いでマンションの玄関を通り過ぎて行く。

 『待って、私の家は、ここなの!』と、叫ぶも虚しく。ネコたちは国道を突っ切って、隣町へと流れ込む。


 流れ込んだ先にあるはずの中学校は、なぜか広い広い海になっていた。

 この海は自然学校で来たところかな? なんて思っているうちに、いつのまにか私を取り囲んでいたネコたちがサルの群れに変わっていた。

 サルたちは私を、昔話のお地蔵さんのように担ぎ上げると、ボスを先頭に波打ち際を駆け抜けて。互いに叫び交わしながら干してある網の下をくぐり抜けた……と思ったら、紅葉に彩られた山々が姿をあらわした。


 夢だと自分でも分かっている脈絡のなさで、紅葉のトンネルを抜けた先。白銀のスキー場で放り出されたところで、目が覚めたのよね。


 思い出しただけで疲れる夢を反芻してしまったせいで、首の後ろが重くなる。

 はぁ、疲れた。

 空腹の上に、なんて追い討ちかしら。


 なんとか腕を伸ばして、自動ドアのセンサーにタッチする。コンビニの店内から流れてきた冷気に少しだけ生き返った気分。



 買うつもりのない雑誌売り場から、お酒類の棚まで、涼みがてら店内を隈なく辿る。合間に売れ残りっぽい焼きそばパンと野菜ジュース、卵サンドをカゴに放り込んでいく。

 炭水化物OK、野菜あり、タンパク質も。

 これで三色が揃った。


 昔、家庭科の授業で習った『黄色の栄養、緑の栄養、赤の栄養』と口の中でつぶやいて、冷蔵の棚から牛乳も一本。

 品出しを待つ棚はかなり空いているけど、コンビニって便利だよねぇ。冷蔵庫代わりに各家庭に一軒、必要だわ。いや、いっそのこと住みたいくらい。



 今日のシフトは遅出の遅帰り……と、出かける支度を始めたのは、午前九時を少し過ぎたころ。

 コンタクトを入れて、メイクをして、スーツに着替える。

 ああぁ、やっぱり。どう考えても、無駄よねぇ。

 夜に外したものを全て、翌朝にまた身につけるなんて。

 それでも、これは社会人として仕方のないこと……と、自分の心を諦めさせる。



 世間一般の出勤時刻をかなり過ぎた電車に乗って、ターミナル駅で勤め先とは逆の南行きの電車へと乗り換える。三つ目の駅で降りる。

 西へと向かって延びる駅前商店街は、快速電車の通過駅にふさわしい寂れ具合で。所々にシャッターの降りた通りを辿って、真ん中を少し過ぎた辺りで北に曲がると、年季の入った三階建ての雑居ビルが見えてくる。


 すりガラスの嵌った重い木製のドアを引き開けて左側、上へと繋がる階段を登る。ドア横に設けられた四つの嵌め殺し窓には歴史を感じさせる面格子が取り付けられていて、曇りガラスで和らいだ夏の日差しが階段を照らしている。

 そして、階段を上がった先、木張りの廊下が足の下で鳴くのを聞くたび、いつかこの床を踏み抜く羽目に陥いる気がする。

 そもそも、『真町ビルヂング』って名前からして、古そうなのよね。絶対に戦前から建っていたに違いない。

 そんなビルの三階には、占い師とか得体の知れないオブジェ屋とか……ちょっとアンダーグラウンド感の漂う店と空き部屋が混じっていて。来るものを選びまくっている。


 “選ばれし来客”を迎え入れた廊下の突き当たり。

 虹のような縞々の暖簾を下げた部屋が、私の目的地。



「絵美莉、おはよー」

 軽く声をかけて暖簾をくぐると、部屋の中は色の洪水で。

「香奈ちゃん?」

 部屋と同化しているような住人に、名前を呼ばれる。


 その声に返事をすると、入って左側の壁沿いで、機織り機から立ち上がった友人が、くぅーっと伸びをした。

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