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旋風のプリマヴェーラ  作者: 紺野久
第二章  プリマヴェーラ
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プリマヴェーラという馬②




 事の発端は、プリマヴェーラのデビュー戦。ウィナーズサークルでの出来事だった。

 ここで美琴は愛馬と初めて対面したわけだが、無視を決め込まれてしまったのだった。


 ――何か失礼なことをしたのかしら?


 美琴も立つ瀬がない。デビュー戦の記念撮影で彼女の顔が強張っていたのは、これが原因だった。


 ともかく彼女には覚えがない。狭山に尋ねても、首をかしげるだけだった。


「放っておけばいいんです。こだわりの強い奴ですから、どうせくだらない理由でしょう」

「そういうわけにはいきませんわ」



 美琴がプリマヴェーラのことを調べていたのは、彼女に好かれるためである。美琴は馬のことを何も知らなかった。それで知らず知らずのうちに、嫌われるようなことをしたのかもしれないと美琴は考えた。


「ちょうど夏休みですから、私も北海道へ向かいます」

「……」


 と、狭山は黙ったが、来てほしくないというのを無言で語っていた。とはいえ、馬主が馬に会いに行くというのを止める道理はない。


「プリマヴェーラとは、一度、話をしないといけませんわ。嫌われている理由は、もしかしたらお父様との約束の件もあるかもしれませんし」


 プリマヴェーラと竹三が交わした約束。これが事態をややこしいことにしていた。





 本来、プリマヴェーラのデビュー戦は一月を予定していた。

 だが、レース一週間前に、彼女は馬房に閉じこもってボイコットをした。「ここから一歩も出る気はねえ!」と宣言したのである。


 馬が走らないと、どうしようもないのが競馬だ。

 狭山をはじめとして、厩務員もあの手この手でその気にさせようと試みたが、駄目だった。これまでトレーニングに関しては素直だったはずなのに、一向にいうことを聞かない。


「タケゾーを連れてこい! 」


 こうなったらもはや、競走馬登録を抹消するしかない。そこでようやく、プリマヴェーラは要望を出したのだった。


 彼女はそこで、自身が十億を稼いだなら、自由にさせろと言ってきたのだ。

 狭山はこの話を聞いたとき、心底呆れた。


 --まったく。馬鹿げた話だ!

 

 競走馬は確かに自由ではない。

 動物に愛着のある人なら、彼らを奴隷に例えることもある。

 しかし、一頭の競走馬が自由を得たところで、現代社会で一体どうやって生きようというのか。


 どんな競走馬とて、人間が保護しなければ路頭に迷うことになる。

 狭山はその自由が、果てしなく困難な道であることを彼女に説いた。


「十億を稼いだんなら、一流の競走馬だ。はっきり言って、かなり我儘を言える存在なんだ。好きなものを好きなだけ食べれるし、なんならどこへでも行こうと思えば行ける。繫殖に上がりたくないならそもそも断ればいい」


 大昔ならばいざ知らず、現代においてはそこまで不満のない生活が送れるはずだ。いざとなったらホースパークがあり、ここでは働けなくなった馬や競走馬失格の馬が暮らしている。実際のところ、人間の方がよっぽど不自由だった。



 しかし、どうやってもプリマヴェーラは首を振った。

 彼女の希望はあまりにもナンセンスで、現実味がなかった。狭山信彦はとうとう匙を投げた。


「旦那、かまうこたぁねえ」


 狭山は竹三に競走馬登録の抹消を促した。


 しかし、西園竹三は困った性分で、強い馬よりも面白い馬を好む人だった。


「面白いじゃないか――ただ、なぜ自由になりたいのかを教えなさい。くだらない理由なら、その話は聞かなかったことにする」


 プリマヴェーラがなぜ自由になりたかったのか。

 それは、竹三のみにしか彼女は教えなかった。


『プリマヴェーラは西園さんのみにそれを話した――後で聞いても、プリマヴェーラは睨んだだけで教えてくれなかった』


 と厩務員、三浦の日記にはある。

 狭山も竹三に聞いたが、笑って答えてはくれなかった。


「何、大した理由ではないよ――」


 かくして十億の契約はここに成された。


 しかしこれは竹三とのものであり、美琴とのものではない。

 美琴はこの契約を守る必要はなかった。そもそも契約書すら交わしていない、口約束である。

 裁判になったとて、プリマヴェーラは訴えることもできない。彼女は馬だからだ。


 六月、狭山が美琴に話があるといったのは、これのことだった。

 狭山からしてみればこの話はどうでもいいことではあった。彼に取ってやるべきことは馬主に良い馬を見せることで、プリマヴェーラの場合走らせて見せるのが一番だった。だから後回しにしたのだ。


 この十億円を稼いだら自由にさせるという約束も、その後のことは美琴自身の問題だと思っていた。


 ところが西園美琴という人は、これを深刻に考えていた。馬だからないがしろにされるというのは、彼女の矜持が許さなかった。


 ――もしかしたら彼女は、走るのが嫌だったのかもしれないわ。


 自由になりたいというのは、やはり人に従わされるのが嫌だからそんなことを言ったはずだ。

 嫌々走らされているというのであれば、確かに美琴を嫌っても仕方ない。美琴が馬主に名乗り出なければ、彼女は競走馬になることはなかったのだ。

 

 ――プリマヴェーラと話をするべきだわ。


 もし自分の想像通りならば……

 彼女は覚悟を決めて、七月末、北海道へと向かったのだった。

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