8話 不調
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白熊の凶爪が横薙ぎに迫る。
「っ」
間合いは未だ遠い。普通に振るってもあの爪が当たるとは思えない。
……だが、その判断が命取りになると、すでに彼は知っている。
咄嗟の判断で高く跳躍。その一瞬後、白熊の爪の先から何か光るものが放たれて。
──一瞬前まで彼が立っていた地面を、鋭く切り裂いて抉り取った。
「……厄介だな」
恐らく、これが白熊の魔法なのだろう。
ベースは、風の魔法か強化系統か。ただでさえ長いリーチを極端に伸ばす、爪に沿った斬撃を飛ばす魔法。
加えて。
「ゴアァアアアッ!」
丁度跳躍をしたエルメスに合わせるかのように、もう一匹の白熊が太い腕を振るってきた。
「──く」
光の壁で防御。加えて風の強化汎用魔法を応用してクッションを作り衝撃を和らげる──が、それでも尚かなりの衝撃が体に響いてきた。吹き飛ばされ、迷宮の壁に着地するも多少の痺れが体に残る。
「エルっ!」
カティアが叫び、『救世の冥界』による幽霊兵で牽制する。それによって追撃は免れ事なきを得たが、一歩間違えば危うかったかもしれない。
なるほど、と思う。
この白熊の魔物は、一匹でも相当に厄介だ。高い俊敏性と膂力に加えて、あの強力な伸びる斬撃。亀甲龍と同格との見立ては間違っていなかったようだ。
おまけに今回はそれが二匹。更にこの魔物たちは──連携まで用いてくる。
今しがたも、一匹目の斬撃でエルメスの跳躍による回避を誘発し、その隙を突いてきた。相当に高度なコンビネーションを、これほどに強力な魔物が用いるという事実。
──紛れもなく、難敵。
「……けど」
エルメスは呟く。
それでも、現在の自分とカティアならば勝利は可能だろう、と。
いつもの過程だ。向こうの行動を分析して、先読みまで可能にする。情報を積み重ね、精度を高め、反撃ができるタイミングまで守りと見に回る。
その上で、確実に討ち倒す。
カティアの血統魔法によるサポート、防御力があれば十分可能だ。情報が集まったら、ある程度大きな隙を作ってもらう。その間に彼の『灰塵の世界樹』を発動すれば勝利だろう。この魔物は耐久も相当のものだが、あの剣を生成さえしてしまえば火力で押し切れる。
勝ちへの道筋を、的確に組み立てて。カティアとも共有し、あとはそれを実行するだけ。
そう考えて、彼らは観察と共に戦闘を続けていった。
──だが。
「く──ッ」
何故か、予想とは裏腹に。
エルメスたちは、徐々に劣勢に立たされていった。
分析の方は問題ない。実際あの白熊たちの行動パターンはかなり読めて、対応もできてきた。もうすぐカティアの立ち回り次第では魔法を生成する隙ができる、のだが。
……その肝心の、カティアの魔法がひどく不調なのだ。
幽霊兵の数も質も、以前アスターとの戦いで見せたものと比べると数段劣ってしまっている。
そのせいで本来の防御力が発揮できず、一切の反撃を差し挟めず防戦一方になってしまっているのだ。
いくらエルメスとは言え、これほど強力な魔物にハイレベルな連携で挟撃されて。加えて本来得られるはずのサポートが得られないとなると、あまりにも厳しい。
そして遂に、綻びが臨界に到達する時がやってきた。
「はっ!」
掛け声と共に、白熊の鼻っ柱に『魔弾の射手』による加速突貫を叩き込んだ。ダメージ自体はそれほどでもないが、生物の弱点の一つ。白熊がのけぞって悲鳴をあげ、少なくとも片方の攻勢は止められた。
しかし、代償としてエルメスは空中で魔法を出し切った状態。その空隙を逃さずもう一匹が襲いかかる。そこでカティアの出番、エルメスの隙を埋めるべく白熊を止めるための幽霊兵が──
──来ない。
「しま──っ」
「ッ!!」
今度は防御をする間も無く、凶爪がエルメスを切り裂く。
吹き飛ばされ、丁度カティアのいる方に転がる。カティアが涙目で駆け寄ってきた。
「エルッ! ごめんなさい、その、私、なんで──」
「……ご安心を。まずいところへの直撃は避けたので」
とは言っても、彼の左肩から二の腕にかけてざっくりと深い爪痕が刻まれている。強化汎用魔法による応急処置で血は止めたが、どう控えめに見ても軽症ではないだろう。
それより、問題はカティアだ。見たところによると、彼女の不調の原因は彼女自身把握できていない様子。
責めるつもりはない。元々『救世の冥界』は極めて繊細な魔法。彼女の何かしらが魔法に影響を及ぼしているのだと思うが、原因が分からないのであれば即座の修正は厳しいだろう。
……となると。
今まさにこちらに向けて一斉に襲い掛かろうとしている、あの魔物たちに対処する術がない。
打開策は思い浮かばないが、放置するわけにもいかない。そんな考えの元、傷を押さえつつ再度魔物と相対して──
「……流石に、これ以上はまずいか」
二人の間から歩み出てきたローズが、そう告げた。
「……師匠」
エルメスが呟き、カティアが悔しそうに彼女を見やる。
一方の白熊たちは突如として現れたローズを警戒しつつ、されど本能に任せるままに再度飛びかかろうとして。
「──おっと。悪いが少しだけ大人しくしててくれるか、熊公」
ぞっ、と。
彼女が威圧的に発した魔力に、足を止めさせられた。
流石に戦意消失まではいかないようだが、理解したのだろう。あの赤髪の女がこの場で一番やばい、と。
ローズを睨みつけつつ、されど迂闊には動けなさそうに立ち往生する白熊の魔物たち。
そうして強引に膠着状態を作り上げたローズに、エルメスが問いかける。
「……助太刀してくださるので?」
「んー、それでもいいんだがな。……お前たちはどうだ? まだ、自分たちだけで勝ちたいと思ってるか?」
逆に問いを返してくるローズ。エルメスはほんの数瞬だけ考えてから、
「……勿論、僕としては二人で勝ちたいです。師匠ができると言ってくださったのなら、尚更」
素直に、そう答える。
カティアもエルメスの言葉に反応して、悔しさを隠せない表情で俯きつつ。
「……私も、ですよ。でも……!」
「──そっか。それを聞ければ十分だ」
けれど、と自身の原因不明の不調を告げようとしたが、それより早くローズが言葉を遮った。
そして。
「じゃあエル、ちょっとカティアを借りるぞ。その間お前は──あの化け物どもを単騎で足止めしてくれ」
「…………、はい?」
なんだか色々と突っ込みどころのある要請が来た。
色々と突っ込みたいのは山々だが、まず真っ先に確認するべきことが一つ。
「……師匠はひょっとして、カティア様の不調に心当たりがおありで?」
「まぁな。というか、なんとなくこうなるんじゃないかとは思っていた」
エルメス、そしてカティアの表情が驚きに彩られた。
「カティア次第だが、話をすれば多分なんとかなるだろ。それよりお前だよ、エル。──できるのか?」
ローズが挑発的に問いかけてくる。
……あの白熊二体を、不調とはいえカティアとの共同で尚苦戦した魔物を相手取って足止め。
凄まじい難行だ。いくら多少は動きが読めてきたとはいえ、そもそもの身体能力にかなりの差があり、おまけに数的不利。更にはそれを存分に生かす連携力。控えめに言っても、成功確率は低い。
だが。
「──やります」
そこで挑戦を躊躇うようであれば、エルメスは今この場に立っていない。
できる可能性が全くないのではなく、僅かでもチャンスがあるのならば。彼が己を高めるために、挑まない理由はどこにもない。
エルメスの返答に、ローズは満足そうに頷く。
「さっすが我が弟子。惚れ直すねぇ」
「ただ、流石に無傷は無理です。できれば後でちゃんと治療をいただけると」
「お安い御用さ、なんなら膝枕もサービスするよ。……そんじゃ、ご主人様借りるな?」
そう言って、ローズはまだ戸惑い気味のカティアを連れて後ろに下がる。
白熊たちにとっての脅威が下がったからか、あるいは単純に位置関係か。魔物たちは一人残されたエルメスに強烈な殺気を向けてくる。
「……さて」
それを見て、エルメスは密かに反省する。
これまで、カティアに頼りきりだったかもしれない、と。
思えば最初にこの魔物を攻略するために立てた作戦も、カティアの存在を前提としたものだ。
このように、カティアが万全でない状況を想定しなかったのはある意味自分のミスとも言える。
誰かに頼ること自体は悪くない。だが、その人がいることを前提レベルで当たり前に思ってしまえば、今回のような事態を招く。お互いにとっても良い影響は与えないだろう。
……とまぁ、色々と理屈を捏ね回してみたが、詰まるところ。
──一人での戦いは、むしろ望むところだ。
意識を研ぎ澄ませる。思考から余計な情報を排除し、より深く集中の海に沈んでいく。
深く息を吐いて、更に戦いへと没入する。目的は足止めだが、そんな弱気では駄目だ。むしろ倒すくらいの気概で行こう。
エルメスの雰囲気が変わったのを感じ取ったか、白熊たちが慎重に、けれど迷いなく飛びかかってくる。
同時にエルメスも地を蹴り、滑らかに魔法を発動させて。
戦いの第二ラウンドが、始まった。




