2話 師弟の時間
「える~」
「あの、師匠」
結局ユルゲンの了承により、ローズが滞在中は専属の使用人となったエルメス。
さて、何を言いつけられるのかと思いながらローズと共に客室に入り。
案の定ベッドの上に座らされ、そこに後ろから抱きつかれひたすら甘えられている状態である。
「流石にこれは使用人の業務には含まれないと思うのですが」
「『後でいくらでも』ってさっき言ったろ? いいじゃんか甘えさせろよー、一月分のエルメシンを補給させてくれよー」
「謎物質の勝手な生成はやめていただけると……」
「さては照れてるのか? ういやつめー」
からかい気味に、ふにふにと頬を突いてくるローズ。
そりゃ照れもする、とエルメスは心中で呟く。
いくら家族同然に育ったとはいえ血の繋がっていない人間、しかも道ゆく誰もが振り返るほどの美女。
それにここまで密着されれば、15歳思春期の少年としては気恥ずかしさと緊張が全面に来てもおかしくはないだろう。
「別に肩の力抜いていいぞ? あたしはあたしで好きにするからさ」
それができれば苦労しない、と背中を中心に広がる肌の感触に気を取られつつも。
割と言い出したら聞かないタイプであることは長年の付き合いで理解していたので、エルメスは言われた通り自分のことをすると決めた。
「……」
そうして彼が手の上に生み出すは、『原初の碑文』。
彼の魔法。師より賜り、彼自身の手で磨き上げてきた最強の創成魔法。
翡翠の文字盤を踊らせ、いつものように解析を始める。魔法をより深く理解すべく、文字に、陣に、構成に意識を向ける。
すると、次第に周りの情報が気にならなくなっていった。
心地良い没入感、頭脳をフル回転させた魔法との対話に没頭することしばし。
「……へぇ、『魔銘解放』の研究か?」
エルメスの頭を撫でる手を止めたローズが、彼の手元を覗き込んで耳元で告げる。
流石はこの魔法の開発者、何をやっているかくらいはすぐに分かるらしい。
先ほどまでの緩んだ顔とは違う、凛とした魔法使いの表情に変わった師に彼は答える。
「はい、先日他の方の解放を見る機会がありまして。……やっぱり桁外れに複雑ですね。神代の魔法のオリジナル、再現するだけでもまだまだ時間がかかりそうです」
「魔銘解放に関してはあたしもまだ分かっていないことだらけだからな……でも、進めてるってことはとっかかりは掴んだのか?」
「まあ、とっかかりと言えるほどのものではないのですが……人が何を思って魔法を生み出すのか、少し深く実感したので」
彼は思い出す、あの決戦の日を。
今の自分の力ではどうしようもない状況と、それでも叶えたいものに直面し──その果てに、創成魔法を掴んだ時のことを。
「より強く思ったんです、もっと魔法を知りたいと。魔法を創る人の想いを、込められた願いを、もっと」
「……そうか」
彼の表情を見つつ、ローズは静かに呟いて。
「少し変わったな、エル。……王都に来て、良かったか?」
「……そうですね。もちろん嫌なことはありましたけれど──間違いなく、良かったと言い切れますよ」
迷いない宣言。
それを聞いたローズは、優しげな表情で頷くと。
「よし、興が乗った! エル、研究一緒にしようぜ。教えてくれよ、お前がこれまで得てきたものを」
「いいんですか? 光栄です、ぜひ」
打って変わってわくわくした表情で手元を覗き込むローズに、エルメスも心なしか嬉しげに答えつつ。
そこからは時に考え、時に意見を交換し。
体勢は変わらなかったけれど、最初のような気恥ずかしさも、いつの間にか消えていって。
彼が王都に来る前と変わらない、緩やかで心地良い時間が過ぎていくのだった。
──そして、そんな師弟の様子を扉の隙間から覗く少女が一人。
「何よぉ……ッ」
言うまでもなくカティアである。
彼女は先ほどからエルメスに過剰なまでに密着するローズの様子を見て怒りを覚え、少し恥ずかしそうにするエルメスにやきもきし。
そしてたった今、寄り添って魔法に関して意見を交わし、順調に二人の世界を作り上げた様子を見て膝から崩れ落ちたところであった。
「……あの、カティア様。大変お可愛らしいので個人的にはいつまでも見ていたいところではあるのですが……」
そんな彼女の様子に、傍から声をかけるメイドのレイラ。
「良識の観点から申し上げますと──盗み見は、良くありません」
「分かってるわよ、けど……!」
気になってしまうものは仕方がないのである。
だって、予想だにしなかったのだ。
ローズの存在自体は聞いていた。けれど断片的な情報やユルゲンと同い年という情報から推測するに、彼の師で──母親のような人だと思っていたのだ。当然外見もそう言われて思い浮かべる一般的なものを想像していた。
なのに、実際はどうだ。
何をどうすればそうなるのか、ユルゲンではなく自分と同い年と言われた方がまだ信じられるくらいの外見年齢で。しかも同性のカティアでも見惚れるほどに美しい女性で。
加えて、『空の魔女』という彼女の異名と所業からは想像できないほどエルメスに対して甘々で、今も一切の遠慮なくエルメスに対して幸せそうな顔で甘えきっている。これではどちらが保護者かわからないほどだ。
一方のエルメスも、そんな彼女に戸惑いつつも受け入れて、いつも通り──いや、いつもよりも気を許した表情で彼女と言葉を交わしている。
そんな二人の様子を表すとしたら親子や師弟ではなく、姉弟か、或いは──恋人同士のようで。
「~~ッ」
自ら辿り着いてしまった結論、考えてしまった関係に対して拒否感が迸る。
けれど紛れもなく、扉の向こうの二人の様子からは長い年月による確かな信頼が感じられて。
カティアは呟く。
「……私だと……思ってたのに……」
自惚れかもしれないが、エルメスを一番理解していて、かつエルメスに精神的にも年齢的にも近しい人間は間違いなく自分だと思っていたのだ。
なのに、そんな幻想を破壊するあの光景。いや、ローズは見た目はともかく実年齢的にはユルゲンと同じであるはずといえばそうなのだが……その、あれだ、分かるだろう。
「うぅ……っ」
扉の先に打ちのめされ、さりとて目を背けることもできず。
実に複雑な表情で視線を向けるカティアに、再度レイラが困った様子で声をかけた。
「……あの。そんなに気になるのならいっそ見るだけではなくお声をかけてはいかがでしょうか?」
「……そ、それは」
本音を言うならものすごくそうしたい。そして色々と問い詰めたい。が……
「そうだけど、せっかくの師弟の再会なのよ。あの二人の様子を見てれば分かるでしょう、ローゼリア様はもちろん、エルだってこの一月本当は会えなくて寂しかったことが! ……邪魔するわけには、いかないじゃない……っ」
「……そこで自分のことだけでなくそう考えられるのは、とても素敵なことだとは思いますが」
今の状況に限って言うとすごく損をしているなぁと思いつつ、レイラは従者の分を弁えて、
「お気持ちはものすごく良く分かるのでもう止めはしませんけれど……どうか、ほどほどに」
一礼をして引き下がり、本来の業務に戻って行く。
後には扉の前で一喜一憂する、その様子だけで中で何が起きているのか分かるほどに悶えるカティアだけが残されたのだった。
◆
「……このくらいにしとくか」
「ですね」
『原初の碑文』を解除、翡翠の光が消失する。
非常に有意義な時間だったと思う、エルメス以上に魔法への造詣が深いローズの意見は非常に参考になったし、いくつかの手応えを掴むこともできた。
お互い脳の疲労が蓄積してきたので一旦はやめたが、それさえなければもっとしていたかったくらいだ。
「やーすごいな、エル。理解度が一月前より格段に上がってるじゃないか」
「王都で良いお手本を多く見させていただいたので。……理解すると改めて、師匠がどれほどの高みにいるのかも分かってしまいますね」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか、このー」
満面の笑みで頭を撫で回される。
それを当初よりは緊張の解けた様子で受け入れるエルメスだったが──そこで、ローズが手を止めてふと。
「んー……なぁエル、何かあたしにして欲しいことはないか?」
「と、唐突ですね」
割と脈絡のない師の言葉に戸惑いを返すエルメス。
「いやー、ここにきてから一月分エルに甘えきったからなぁ……流石に少しは落ち着いたし、ここいらでお返しにエルのお願いを聞いて師匠の威厳を取り戻しておこうと思ってな?」
「それは多分本人に言うべきことではないですね……」
あと、師匠に対して敬意は常にあるが威厳を感じたことはあまりない。
「なー、何かないか? あたしエルのためだったらなんでもするぞ?」
「では離れていただくのは……」
「すまん、それだけは天地がひっくり返っても無理だ!」
「はい」
なんとなく分かっていたが、予想以上に即決されてしまった。
ゆらゆらと彼の体を揺らす師匠にされるがままになりつつ、エルメスは考えて。
「……では」
先程の会話から生まれた、一つの願いを口にする。
「僕と、手合わせをしていただけませんか?」
「手合わせ?」
「はい。……王都に来てからそれなりに魔法を学んで、戦って。自分で言うのもなんですが、それなりに強くなった手応えがあります」
だから、とエルメスは自らの手を握り。
「改めて、今の僕がどの位置にいるのか。どれだけ、師匠に近づくことができたのか確かめたいんです。だから──僕と、戦っていただけないでしょうか」
言葉を受けたローズは、しばらくぱちくりと目をまたたかせていたが、すぐに。
くすりと緩く、しかし好戦的な笑顔を見せて。
「なるほど、男の子だねぇ。──いいぞ、師匠の胸を貸してあげようじゃないか」
先程離れるのだけは無理と言っていたのはなんだったのか、あっさりエルメスから離れてベッドから降りた後に告げる。
「そうと決まれば早速。──おーい! さっきからそこで覗いてるユルゲンの娘ー!」
「え」
「!?」
彼女の言葉に合わせて、がたがたと扉の向こうで派手な音がする。そのはずみで開いた扉の先には──師匠の言葉通り、尻餅をついた紫髪の少女の姿が。
「え、あ、エル、ちが、これはその」
「はいはい、その件については後で存分に揶揄わせてもらうからさ」
狼狽えるカティアにさらりと割合ひどいことを言うと、ローズは楽しそうに。
「ユルゲンに聞いてくれないか? ──この辺に、あたしとエルが全力で暴れても大丈夫な広い場所はないか、ってな」
結局その後、「君が全力を出して大丈夫な場所はこの国には無い」と渋るユルゲンを「じゃあエル基準でいい、無茶はしないしあたしが結界も張る。それなら無くはないだろ?」とローズが強引に押し切って。
実はエルメス的には駄目で元々気味に告げた願いは、その日のうちに実現する運びとなってしまうのだった。
次回、師弟対決です。お楽しみに!




