55話 小さな奇跡
最後まで状況を引っ掻き回し続けた、ある意味元凶のアスターがようやく沈黙して。エルメス達も一息つけるようになった。
現場の事後処理は、動ける兵士たちがやってくれるそうだ。ケルベロスの死体を確認し、回収部隊を呼び、王都への報告を走らせ、状況とこれまでの経緯、カティア達の扱いをどうするか等々。
流石に悪いようにはされないだろう。実際エルメス達に報告する兵士の視線にはアスターに向けていたもの以上の敬服が含まれており、むしろ自分たちは休んでても良いと言われ、大人しく言葉に甘えさせてもらった。
尚、サラはとっくにダウンしており兵士たちにこの上なく丁重な扱いを受けている。
アスターは当然の如く放置である。
そして今、それら諸々も終わり。
兵士たちが呼んだ馬車がやって来たそうなので、エルメスとカティアは立ち上がって呼ばれた方へと歩き出す。
「……私、絶対馬車の中で寝るから。エル、肩貸してちょうだい」
「……了解です。ただ僕も意識を保てる自信がないので、それだけはお許しを」
「むしろ寝なさい」
流石に二人とも疲労困憊が過ぎた。
そもそも昨晩急に起こされてから休む間も無く色々あり過ぎたのだ、いくら何でもこれ以上はもう無理である。
けれど、きっとその甲斐はあって。
これから王都に戻った先には──まぁ多分そこでも色々とあるんだろうけど。
意思を貫いた結果の、今までよりも少しだけ綺麗な景色が広がっているはずだと。
その認識だけは共通して、二人は歩調を揃えて歩き出す。
……そこで、ふと。
二人が同時に、背後に何かの気配を感じて、振り向く。
──奇跡が、立っていた。
「…………え」
そこにあったのは、穏やかな雰囲気を纏う半透明の女性の姿。
比較的小柄で、柔らかな微笑を浮かべる──紫紺の髪と紫水晶の瞳を持った、女性。
カティアがこぼす。
「……お、かあ、さま」
信じられない、とエルメスは思った。
いくら彼女の『救世の冥界』が冥府と繋がる魔法とは言え。
最近死んだわけでも、ここで死んだわけでもない。そんな何の繋がりもない場所で、無数の死者の中から特定の魂を呼び寄せ。あまつさえ生前と同じ姿を持つ霊体として実体化させるなど。
再現に成功し、同じ魔法を使えるエルメスだから分かる。到底可能なことではない。
そもそも、カティアは現在『救世の冥界』を起動していない。つまり……霊魂の方から魔法を辿ってやってきたとでも言うのだろうか。余計にあり得ない。
……でも。
魔銘解放を始め、魔法には未だエルメスの手でも再現できない部分が無数に存在している。
ならば、この現象も。その魔法という名の神秘が起こした、奇跡と名付けられし必然の事象であることを、否定はできない。
何より、否定なんてしたくはない。
その霊魂、シータが、ふわりと歩み寄ってきて。
カティアの前で止まり、彼女の頭に手を置く──素振りを見せて。
──ごめんね。本当は、抱きしめてあげたいんだけれど。
不思議と、その声はエルメスにも聞こえてきた。
──朧げだけれど、感じていたわ。とても、とても強い魔物に立ち向かったのね。皆の幸福を守るために。
「……あ」
──そして、倒して生き残った。私には出来なかったこと。……すごいわ、カティア。本当に、触れてあげられなくてごめんね。
「い、え……十分、です……っ」
ついに、嗚咽が溢れる。
「わた、しは……それを、聞けただけで、十分……っ!」
言葉にならず、想いが溢れて。
それこそ子供に戻ったように泣きじゃくるカティア。シータは少し困ったように、けれど愛おしげに見やる。
そこでふと、シータの視線がこちらに向いた。
──従者さん。あなたもカティアを支えてくれて……
そこで言葉を区切り。彼女は少し、何かを不思議に思うような、何かに気付いたような表情を浮かべて。
こんなことを、言ってきた。
──あなた……ひょっとして、ローズの子供?
「…………え!?」
色んな意味で驚いた。
師匠の関係者であると見抜かれたことも。
シータが師匠のことを知っていたことも──そう言えば、ユルゲンがそんなことを言っていた気もする。
そして、師匠の外見年齢を知っているエルメスからすると、子供と間違われたことにも驚きであった。
──見た目は全然似てないわね……でも何かしら、雰囲気がものすごくあの子っぽいというか……そもそもあなた確か、ローズの魔法を……
「え、ええと、シータ様」
色々と推測を巡らせるシータに対し、エルメスは気を取り直して説明する。
「まず、僕はししょ……ローズ様の関係者ではありますが、子供ではありません。弟子です」
──……でし?
「はい。僕自身の名はエルメス。一応貴女には、エルメス・フォン・フレンブリードだった頃に何度かお会いしているのですが……」
──フレンブリード……ああ! あの、カティアと仲の良かった男の子!
シータは納得が行ったようにぽん、と手を打つが、すぐにまた小首を傾げて。
──え、でも、じゃあなんでカティアの従者に? いやそもそも、あの子の弟子……? あの子が人の師匠になんてなれるの……? え? ええ……?
ある意味で可愛らしく狼狽えながら、ついでに師匠に対してもかなり失礼な言動をするシータ。
けれど、ローズの私生活を知っている身としては疑問も尤もだと思う。それが分かるということは、本当にシータはローズと親しかったのだろう。
「まぁ、紆余曲折ありまして。……でも」
流石にあったこと全てを説明するのは時間がかかりすぎるので、エルメスは一言だけを告げることにした。
「僕は、あの方のことを魔法使いとして尊敬しています。今ここにいることも、後悔はしていません」
──……そう、ね。
シータの方も、それを聞けば十分だと言いたげに頷き。
──あの子を魔法使いとして受け入れてくれる子がいたのならば、とても嬉しいわ。……一つだけ、いいかしら?
「何でしょう?」
エルメスの疑問に、シータは茶目っ気のある微笑みを見せて。
──あの子に会ったら伝えて頂戴。『一回くらいはお墓参りに来てよ』って。
「……必ずや」
エルメスも、少しばかり喜ばしく思った。
あれほど王都のことを嫌っていたローズだったけれど……こんなやりとりをできる人間がいたのならば、ひどいことばかりではなかったのかな、と思うことができたから。
──エルメス君。カティアのこと、よろしくね。あ、あと……
ようやく落ち着き始めたカティアに気付いてシータが目配せする。
「ええ、分かりました。離れていましょう」
家族だけでしたい話も、たくさんあるだろうから。
エルメスは後ろに下がって、姿だけを見守ることにしたのだ。
……きっと、多くのことを話したのだろう。
唐突な別れで、言えなかったことも。
焼き付いてしまった憧れの話も。
それに押しつぶされそうになって、でも進むと決めたことも。
伝えたかったことも。
贈りたかった言葉も。
大切な想いも。
それは彼女だけに聞く権利があるもので、エルメスが内容を窺い知るべきではない。
けれど、一つだけ分かった。
全ての話を終えて、シータの姿が溶けるように消えてから。
涙を拭って、こちらに歩いてきたカティアの姿を見て。
──ああ、この人はもう、大丈夫だと。
「戻りましょう」
「ええ」
昔と変わらず、凛としたその姿に敬意を持って、後ろを歩き。
多くの兵士が見守るなか、彼らは凱旋の一歩を踏み出した。
──帰りの馬車で、御者は見る。
車の中、並んで眠る三人の少年少女。
中央で膝を揃え、静かで端正な寝顔を見せる銀髪の少年。
そんな少年に右側から肩を寄せ、全幅の信頼を寄せているのが分かる可憐な寝顔を見せる紫髪の少女。
そして左側から控えめに、何やら少し気恥ずかしそうな寝顔でちょこんと頭だけを寄せる金髪の少女。
この苛烈な戦いで最も活躍した三人とは思えないほどの、年相応のあまりに微笑ましい光景。
御者も思わず顔を緩め、振動を抑えるべく少しだけ馬の速度を落として。
エルメスが王都にやってきた瞬間から始まった、一連の騒動。
翡翠の魔法が紡ぐ伝説の一つ目が、一先ずは幕を下ろしたのだった。




