53話 想いの激突
「ウォオオオオオン!!」
ケルベロスが、襲いかかってくる。
その動きは依然脅威だ。先程の一撃でかなりのダメージを与えたはずなのだが、衰える気配は一向に無い。
ケルベロスの精神力が相当に高いのか、或いはこの魔物にとってこの程度は損傷のうちに入らないのか。
……恐らくは、両方だろう。
「──そこ」
だが、今はこちらにも武器がある。今までのかすり傷程度ではない、真の意味で奴に届く刃を持っている。
『灰塵の世界樹』。この魔物を打倒するために、彼が創り上げた魔法。
その性質は極端なまでの火力特化。特殊な効果は一切なく、ただただ純粋な破壊力の塊を振り回すだけだ。しかしだからこそ、この尋常ならざる肉体強度を誇る魔物にとっての脅威たり得る。
だが、当然エルメスはこれを使っている間他の魔法を扱えず、どころか大剣の制御に相当の集中力を割かれている分先ほどよりも動きは落ちているくらいだ。
それでも戦えているのは、これまでの戦闘で培った動きの予測と先読み、そして──
「──させないわよっ」
今も的確に幽霊兵を操り、向こうの出鼻を挫いて動きを制限してくれるカティアのおかげだ。
「……大丈夫ですか、カティア様」
微かにできた余裕を縫って問いかける。
無論、この時間があるくらいなら攻撃を続けた方が良い。だがそれをしなかったのは、気付いていたからだ。
カティアの顔が青ざめ、手足の末端が震える──魔力切れが近い典型的な兆候を見せる彼女の様子に。
「いくら『救世の冥界』は燃費が良いとは言え、こうまで戦い続けていれば──」
「……大丈夫、よッ」
しかし、彼女は気丈に応える。
「あなたが、サラが、守ってくれたおかげで私はまだ戦えてる。──なら、最後まで戦うわ。あなたが言った通り、そんなすごい魔法を用意してくれたんだもの。……私も、これくらいは……っ!」
「──分かりました」
そこまでなら、もう何も言うまい。
実際彼女のサポートがなければ押し切られかねないのも事実、となれば一刻も早くあの魔物を打倒するのが彼女のためだろう。
今度こそ、完全に彼女の状態を意識から外し、ケルベロスのみに目を向けて。
大剣を構え、真正面からエルメスは飛びかかった。
「……すごい……」
戦いの光景を、遠くから見ているサラ。彼女の口から、素直な感想が溢れる。
サラの血統魔法はカティアほど燃費が良くない。既に魔力は尽き、その結果脆くなった光の檻を破られて受けたダメージで体の方も動かせる気がしない。
よって既に彼女にできるのは見ることだけ。歯痒く思いつつも──そんな思考を忘れるほど、目の前の戦いに見惚れている自分がいることも確かだった。
そんな彼女の後ろで、声がする。
「なんだよ……あれは……」
同じように、倒れ伏している兵士たちだ。彼らが一様に目を奪われているのは、当然あの戦いの様子。
「とんでもない魔法だ……あんなの、絶対殿下より」
「でも、邪法という話では──」
「関係ないだろう、どのみちあいつらまでやられたら俺たちはおしまいだぞ!」
「け、けれど……殿下でさえ敵わなかった魔物を欠陥令嬢と出来損ないが倒すなど、そんな──」
自分たちの命運がかかっている以上当然勝利を祈っているのだが、今までの常識にないことなので当惑もしている、と言ったところだろうか。
そんな彼らに向かって、サラは声をかける。
「……もう、本当は皆さんもお分かりでしょう」
彼女も同様に前を向き、戦いをもう一度目に入れる。
気高き意思と、それに相応しい力で以て。誰もが敵わないような凶悪な敵、人々の生活を脅かす存在に対し勇気を持って立ち向かう。
貴族はかくあるべき、と誰もが一度は聞かされた姿。その体現がまさに、今あそこで戦っている二人なのは明らかだ。
その光景は、どんな言葉よりも雄弁で。
「間違っていたのはどちらなのか。紛い物はどちらだったのか。歪んだ価値観を押し付けて、真に大切なものを見落としていたのは誰だったのか」
自分にも言い聞かせるように言ってから、彼女は右後ろにちらりと目を向ける。
そこに転がっているアスターは意識こそまだあるようだが、呆然と。それこそ魂の抜けた様子で今の戦いを眺めていた。
多分、今の言葉も聞こえていないだろう。彼女は目を背け、また前を向き直す。
「貴方たちの中に、まだ動ける人もいるでしょう……戦ってくださいと、無理には言いません。わたしももう、あそこに割って入れるとは思いませんので」
逆に言えば戦いに行くことを止めもしていないのだが、動ける兵士たちのうち立ち上がった者は誰一人としていなかった。
──きっと、そこが今の彼らにとっての限界なのだろう。
彼女は、最後に告げる。彼らとは違って……微かな悔しさを、声に滲ませて。
「ならせめて、最後まで見守りましょう。迷いながらも、最後には自分の意思を信じた人たちの強さと──その結末を」
エルメスの大剣が、またケルベロスを斬り裂いた。
「ウォオンッ!」
続く後ろ足の反撃をバックステップで素早く回避。体勢を立て直して、集中を切らさずまた慎重に隙を伺う。
既にケルベロスには、大小無数の切り傷が刻まれていた。エルメスの『灰塵の世界樹』は炎も宿すので、傷から漏れ出る煙が尚更消耗を早めているはずだ。
ケルベロスは回復もできるはずだが、そうする素振りはない。恐らくは魔力消費が大きいのと、それ以上に──回復している隙に回復量以上のダメージを叩き込まれることが目に見えているからだろう。
事実、彼もそのつもりだ。回復量以上どころの話ではなく、魔法を見せた瞬間首を斬り落とす気でいる。
それを感じ取っているのか、向こうも迂闊には動かない。
ならば今のように、確実な一撃を入れて削り続ければいずれは倒れるはず──
「……こ、の……っ」
──そしてそれは、エルメスたちも同じだった。
「いつに……なったら、倒れるん、だ……っ!」
ぜぇぜぇと、肩で息をしながらのエルメスが思わず悪態をつく。
ケルベロスがどうかは知らないが、エルメスには明確にリミットがある。──体力の限界という名の。
これまでそれを緩和してくれていたサラはもうおらず、先程の稲妻もあって尚更限界は近付いてきていた。
エルメスだけではない。幽霊兵を展開し続けているカティアの魔力切れだっていつ来てもおかしくはないのだ。
だから早く勝負をつけたいのに、結局ケルベロスは最初以上に深い一撃を入れさせてくれず。
どれほど削っても一向に倒れる様子がなく、不死身と見紛う印象をエルメスたちに与えてくる。
「ォオオ──ンン……」
……まあそれは、向こうとしても同じだろうが。
倒しても倒しても起き上がり、しかも起き上がるたびに強くなって。ついには自分を殺しうる武器を持ってきた人間たちは脅威以外の何者でもないはずだ。
三つの頭が吐く息は確実に辛そうなものになってきており、不死身と見紛うレベルでタフではあるが、決して死なないわけではないことだけは明確である。
詰まるところ、互角。戦闘開始時の互いにダメージを受けない膠着状態ではなく、互いに残り少ない命と体力を削りあう最終盤だ。
──ならば後は、気力の勝負。
「──っ!」
「ウォンッ!!」
鋭い吐息と、咆哮を交換して。何度目か分からない交錯を行なう。
斬る。ぶつかる。振るう。弾く。避ける。掠める。
無数のやりとり。魂のぶつかり合い。願いと殺意、譲れないものを抱えての激突は、ある意味で何よりも濃厚な対話であった。
永遠に続きそうな──或いは、永遠に続けられそうな。
奇跡的な拮抗を見せるインファイトが、誰の予想よりも長く続いて。
確かに生まれた彼の願いと、ケルベロスの抱く殺意。
その意思の強さに、ひょっとすると優劣はなかったのかもしれない。
故に、均衡を崩したのは。
「──ウォンッ!?」
今までより少し深く食い込んだ、炎の刃。
それに違和感を覚えて少し下がるケルベロスだが、違和感はそこで終わらなかった。
徐々に、だが確実に。彼の太刀筋が鋭さを増している。
その疑問の正体は──他ならぬ彼が答えてくれた。
「……ああ」
辛そうな、けれど何かの手応えを掴んだような吐息を吐いて。
「……ようやく、使い方が分かってきた」
ぞっ、と。
ケルベロスの気配が、悪寒を抱くように変化した。
彼は。
こんな極限も極限の状況で。意識が真っ白になって染み付いた動きを繰り返すことに全神経を注ぐべき──事実ケルベロスはそうしていた、そうすることしかできなかった場面で。
尚も、思考を止めなかったのか。
試行錯誤を繰り返し、洗練していたのか。使いたての魔法を、より鋭く、より効率的に。
学習と、進化。
彼の本質。彼の強さ。それを戦いの最初から最後まで止めなかったことが──ここまで辿り着けた要因の一つだったのかもしれない。
「……そろそろ、決めようか」
ゆらりと、彼が動いた。
──このままでは負ける。
そう本能的に察知したケルベロスは──跳んだ。
「ッ!?」
唐突な、背後への大ジャンプ。エルメスは驚きつつも疑問に思った。そこまで動ける余力があるなら何故今までで使わなかった──
「──いや、違う」
そんな余力などない。事実ケルベロスは跳んだ先で倒れ伏し、その場から一歩も動けなくなっている。
明らかに今の動きは無理を押したものだったのだ。これなら追撃して追いつけば詰みだ。そうまでしていったい何をしたいのか──
──との問いも、すぐに明らかになった。
「──ァオオオ■■■■■────ン」
右側の頭、黄金の瞳を持つ一頭が、哭いた。
「……なるほど」
即座に理解した。
このまま削り合えば自分が負ける。そう瞬時に判断したケルベロスは強引に距離を取り、最後の力を振り絞って。
自分の最大の一撃、稲妻の魔法で勝負を付けに来たのだ。
「いいよ」
受けて立つ。その判断をすることに迷いは無かった。
実際避けることは不可能だ。あの魔法は広範囲かつ上から来る、今の自分ではまさしく逃げも隠れも出来ない。
ここが本当に、最後の正念場。
残る力を全て注ぎ込み、その場に腰を落として。
稲妻を待ち構え、手に力を込めた──その瞬間だった。
──パキリ。
「……え」
嫌な音が響いた。
咄嗟に音の発生源に目を向ける。右手の剣。不恰好ながらもこれまでケルベロスに有効打を入れ続けられていた最大の功労者。
──その剣身に、罅が入っていた。
(まずい──っ)
確かに、危惧される事態ではあった。
エルメスのこの魔法は今作ったばかりの魔法。アドリブ、ぶっつけ本番──つまりは文字通りの付け焼き刃。
どこかでボロが出る、限界が訪れる危険性は十分にあったが……よりにもよって、このタイミング。
修正している時間はない。強引に魔力を流して崩壊を阻止──逆効果だ。完成された強靭な魔法ならまだしも、この不安定な魔法にそんな真似をしたら綻びは広がり、すぐにでも粉々に砕け散る。
そうこうしているうちに、ケルベロスの頭上に集まる魔力は着々とその密度を増していく。
本当に、まずい。あれ相手には全力で剣を振るっても勝てるかどうか怪しいのに、その全力すら今の状況では振るえない。
どうする。手立てが思いつかない。今までの戦いと違って、今回は本当に余裕がなかった。この魔法に全てを賭けていたのだ。
それに綻びが出てしまった以上、エルメスにどうこうする手段はない。頭上の稲妻は今にも発射される。これは、本当に、詰み──
──その時、いくつかのことが起こった。
まず、右手の先に何か温かいものが流れ込んでくる。
それを見ると、紫色の靄のようなものだ。色合いと、感じる雰囲気からするに、これを送っているのは──カティアだ。
手持ちの幽霊兵を、以前のような魔力の塊にしてエルメスの剣に纏わせている。今の状態の剣にこんなことをすれば崩壊が加速する──ようなことは、ない。
何故なら、エルメスの『灰塵の世界樹』の核を成す要素の一つが、まさしく『救世の冥界』を用いた魔力塊だからだ。ある意味でカティアのこの援護はエルメスの剣と極めて相性が良く、共に居た彼女はそれを見抜いて最後の力を送ってくれた。
遠くで彼女が魔力を使い果たして倒れる気配がするが、代わりにエルメスの剣が輝きを増す。あの稲妻にも、負けないほどに。
続いて、もう一つの変化。──光の檻が、剣身を覆っているのだ。それは剣を『補強』するかのようで。
この魔法を為したのは、間違いなくサラ。
彼女は戦線を離脱してからも、この戦いを見守っていた。
そしてずっと考え続けていたのだ。自分はもう戦線復帰ができない。それでも──どうにかして、まだ自分が役に立てることはないかと、必死に。
その結果が、今の現象。本来防御にしか使っていなかった『精霊の帳』を補強に用いるという初めての応用。エルメスの在り方に憧れを抱いた彼女が思考の果てに成した、彼と同じ進化の兆し。
僅かだけれど、今は何よりも大きな一欠片。これで、後一回は全力で振るえる。
最後は、頭上の稲妻だ。
エルメスの見間違いでなければ……ほんの一瞬だが、発射が遅れたように思えたのだ。
自分たちの意思ではない。となれば──ケルベロスの意思以外あり得ない。
馬鹿馬鹿しい、勘違いかもしれない。単純に向こうの調子が悪かったのかもしれない。
けれど、エルメスは思った。無数に刃と牙を交わし続けた結果生まれた微かな理解で、感じた。
──待ってくれたのだと。一方的な決着は許さない、お前も全力で撃って来い。そう言われた気がしたのだ。
カティアの理解、サラの進化、そしてケルベロスの意思。
全てに少しずつ背中を押され──真っ向勝負の舞台は整った。
「──」
エルメスは、剣を掲げる。両手で目の前に、垂直に捧げる。騎士の儀礼の如く、何かに敬意を払うかのように。
そして、大きく後ろに振りかぶり。応えるように頭上の魔力が一際大きく輝いて。
「──ウォオオオオオオオオオンッ!!」
「──はぁああああああああああっ!!」
一際甲高い咆哮と、彼が初めて見せた裂帛の気合。
稲妻が轟き、炎獄が解き放たれた。両者が中間で激突し、荒れ狂い、拮抗する。
互いの意思。背負ってきたもの。培ってきた力。
その全てが弾け、呑み込み、喰らい合って、そして。
「……ああ」
炎は、稲妻さえも焼き尽くし。
そのままの勢いで天まで昇り、消えた先には鮮やかな蒼穹が。
「きれいな、魔法だ」
ぶつかり合った魔法に、彼にとっては最上級の賞賛を送り。
そのまま、前方に駆け出す。今にも壊れそうな剣を握りしめ、最後の仕事が残っていると叱咤して。
魔物の元へと、決着に向かう。
疑問に思っていたことがあった。
ケルベロスは──何故、逃げようとしなかったのだろうかと。
向こうだって最後は自分の命が危機に瀕し、自分を絶命しうる手段を持った者がいる事は理解していたはずだ。
そして、身体能力だけならば向こうは自分たちを遥かに上回っている。こっちだって満身創痍の中、逃げに徹されれば追いかける手段も気力もない。そうすれば生き延びる事が出来たはずだし、野生動物ならば確実にその方針を取るだろう。
ならば何故、そうしなかったのか。
──その答えは、あの戦いを通して。そして最後の撃ち合いでの一瞬の躊躇から、よく分かった。
ケルベロスは、その場から一歩も動けず。けれど未だ三つの首は力強く持ち上げられ、向かってくるエルメスに視線を向けている。
その三対の瞳に映るのは、最初と同じ。
冷徹で、残酷で──けれど、純粋な殺意という名の想い。
お前たちの全てを奪う。お前たちが持ちうる力、取りうる手段の全てを超越し、余す所なく喰らい尽くす。
そんな凄惨で、恐ろしく、けれど決して悍ましいとは思わなかった、強烈な意思。
当然、受け入れることはできない。
けれど……想いの力を知る者として、認めることはするべきだと考えたし、認めたいと思った。
ついに、ケルベロスの元へと辿り着き。反撃を警戒しつつ剣を振りかぶり。
向こうは殺されかけているのに、一切の抵抗を見せず。
その瞳には、最後まで尽きることのない殺意と──それ以外の何か清廉な意思が、宿っているように見えた。
「……『獄界の獣遣』」
彼が初めて、敵手の名を呼び。
心臓部に、剣が突き刺さる。
「恐ろしく、美しい殺意の徒よ。──貴方に心からの、感謝と尊敬を」
エルメスの偽りない言葉を聞き届け、ようやくその三対の瞳が閉じて。
戦いの、幕が降りた。
決着。次話は戦いの後のお話、ざまぁもあります。
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