52話 創成
『原初の碑文』の魔銘解放。
魔法の創成。奇跡の御業。それを成すべく、彼は自身の周りを無数に飛び回る、魔法の欠片に手を伸ばし──
「ぐッ」
──世界が、流れ込んできた。
そう錯覚するほどの凄まじい情報量。頭が一瞬でオーバーフローを起こし、意識が飛んで思考が明滅する。
どうにか正気を保って集中しようとするも、次から次へと新しい情報が与えられて休むことも許されない。
これが、『原初の碑文』の本質を通常時封印する理由。
魔法に慣れているエルメスでさえこれだ。もし覚えたての人間がこの解放を用いれば、即座に脳が焼き切れて死ぬ。
いや、エルメスとて次の瞬間にはそうならないとも限らない。それほどに膨大で、暴力的な知識の洪水。
これらの中から適切な要素だけを拾い合わせて組み上げる。砂漠の中から狙った形の砂粒を見つける作業──を、数万回繰り返すような途方もなさだ。到底、できる気がしない──
(……おち、つけ……ッ)
自分が未だこれを使いこなせる域にないことなど理解している。
何もかもをしようと思うな。目的を適切に設定し、今必要な機構だけに意識を集中させろ。
(そうだ……ゼロから創り上げようだなんて思うな)
もちろんそうなるのが理想だが、そればかりを盲信して突っ走るのではアスターと変わらない。
理想と現実の境界線が今、無限に広がる叡智世界の道標。
それに沿って彼は進み、最初に目的を設定。──どんな魔法を創るべきか。
(まず絶対に必要なのは火力だ。今までで最大の、あの守りを貫くほどの純粋な火力)
──なら、『火天審判』。
アスターの使い方があまりにお粗末すぎたが、再現に成功した今なら分かる。この魔法は適切に用いれば、威力だけならば『流星の玉座』と同格か、限定的には上回る。
その要素だけを魔法から抽出し、創る魔法の核に据えよう。それならできる。
(でも、まだ足りない。そもそも今の僕の魔力出力だけじゃどう創っても望む火力は実現できない。どこか別のところから力を引っ張ってこないと──)
──なら、『救世の冥界』。
あの魔法は冥府と繋がって力を借りることで、最小の魔力消費で高い性能を発揮することに成功している魔法だ。一番の激戦に身を投じ続けているカティアが未だ魔力切れを起こしていないことがその証左。
それを上手く応用し、防御力ではなく火力の上乗せに転用──やってやれないことはない。
(けどそうなると、その二つをどう合わせるかだな。全く性質の違う魔法同士を綺麗に融合させるには……)
──なら、『魔弾の射手』。
あの魔法の本質は付与。つまり、魔法に他の魔法を掛け合わせることに特化した魔法だ。
それを所謂『つなぎ』に使えば綺麗にはまりそうな気がする。推進力による物理的な火力の増加も見込めるだろう。
(力の拡散を防ぐために『天魔の四風』の風でコーティングしよう。後は『無貌の御使』で霊魂の力を底上げできるんじゃないか? 『無縫の大鷲』を応用すれば制御の手助けにも──)
組み合わせだ。
ゼロから魔法を創り上げるのが理想。けれど既存の魔法の再現しかできないのが現実。
ならばその境界線。既存の再現可能な魔法から要素を抽出し、組み合わせることで新たな魔法とする。
今まで見てきた、美しい魔法の数々。輝かしい願いの結晶。
王都で出会った全てを今ここに込め、彼だけの魔法を組み上げていく。
(──ッ、く、そ──)
当然、凄まじい困難と苦痛が伴う作業だ。
流れ込んでくる知の洪水は未だ継続、どころかさらにその勢いを増している。
頭がばらばらになるほどの激痛。刹那でも集中を解けば彼の思考は細切れになって消し飛ぶだろう。
そんな中でしかできない、魔法構築。アイデアが全てうまくいく訳ではない。欠陥と再試行を繰り返すたびに手は止まり、構築失敗の不安に苛まれて頭が動かなくなっていく。
この場で、その遅延は致命的になり得る。次ミスをすれば終わる恐怖、永遠とも思われる苦痛が継続の意思を削ぎ落とす──
──だから、想いを抱くのだ。
苦痛に負けないために。ともすれば霞みそうになる目的地を確と見据え、震える手を動かして望むものを創り出すために。
きっと、今まで魔法を創ってきた人たちは皆、これと同じかそれ以上のことを乗り越えてきたのだろう。
だからこそ、あの魔法たちはこんなに素晴らしくて。
だからこそ、あんなに──痛いほどに、伝わってくるのだ。
故に、彼も。
(──欲しいんだ)
想いを、燃やす。
(綺麗なものを、守れるだけの力が。それを奪おうとする全てを、壊せる程の力が)
僕も、そんな彼らのようになれるだろうかと。
その人たちと同じくらい強い願いを、抱けるようになったのだろうかと。
(だから、こんなところで。止まって、いられない──!!)
そう信じて、そう願って。
苦痛を踏み越え、思考を回し。
その先に見えた、光り輝く何かに手を伸ばし──そして。
「──できた」
確かな手応えと共に呟いたその瞬間、意識が叡智の世界から現実に戻ってきた。
「……」
咄嗟に、辺りを見回す。
すぐに見つかった、カティアとサラ。宣言通りの時間、ケルベロスの猛攻に耐え続けてくれたようだ。
そして、彼の正面には──剣が、あった。
鮮やかな赤紫色をした、シンプルな大剣。
イメージしたのは神話の剣。巨人の王が配下の魂を力に変えて振るう、世界を九回灼いたとも謳われる終末戦争における決戦兵器の一つ。
「術式創成──『灰塵の世界樹』」
彼が創った、彼の魔法。
その剣の名を魔法の銘に。名付けに反応してか、大剣が緩やかに落ちてきて彼の手に収まる。
「────はは」
思わず、笑ってしまった。
「……なんて、不恰好な魔法だ」
巨大な力を抑えるため外側からごてごてと、魔法の要素を手当たり次第に貼り付けただけの代物だ。欠片も洗練されていない、術式構成も魔力の回路もぐちゃぐちゃでこの上なく非効率。
耐久力も安定性も無く、魔力消費はあまりにも膨大。継ぎ接ぎだらけの不良品だ、あの美しい魔法の数々とは比べるのも失礼なほど。
「──でも、これでいい」
不恰好でも、非効率でも、これが彼の魔法。今は創れたことそれ自体を喜ぼう。
それに。
一番最初の願い。溢れんばかりの力だけは、確かな手応えとして手の内にある。
ならば、問題ない。後はそれを振るうだけ。
その意思と共に、彼は駆け出した。
……流石に、もう限界だったのだろう。
むしろケルベロスの猛攻を二人でここまで防ぎ続けられたことが奇跡だ。特に、回復手段がある分厄介と判断され狙われ続けたサラの負担が酷く──遂に。
「あ、っ──!」
突進を防ぎきれず、『精霊の帳』が割れる。勢いのまま突っ込んできたケルベロスとサラが接触した。
幾分か減衰されたとは言え、あの大質量だ。衝撃に残る力を全て奪われ、成すすべなく吹き飛ばされて。
丁度、駆けつけてきたエルメスの腕の中に収まった。
「!? ……あ」
「……本当に、お待たせして申し訳ございません。よく耐えてくれました」
サラが驚きに目を見開き、続いて安堵とこれまでの恐怖が溢れたか目を潤ませる。
しかし、直後彼の右手に握られているものを見てまた驚愕の表情を浮かべた。分かったのだろう、そこに宿された途方もない力の塊が。
「後は、お任せを」
それだけを告げて、エルメスは駆け出す。
後はカティアだけ。そう判断し勝ち誇っているケルベロスに向かって全力疾走、大剣を振り上げる。
「ッ!? ──ゥオオ◇◇◇◇◇ンン────」
流石にケルベロスも気付き、同様にエルメスの武器に宿る危険を察知した。
本能的に毛を逆立たせ、右側の頭が特殊な声を発する。
恐らく奴なりの詠唱だろうその行動の後、現れるのは赤い半透明の壁。エルメス全力の『流星の玉座』すら完璧に防いだ凄まじい結界魔法──だが。
「……壊れろ」
関係ない。
この魔法は、それごと叩き斬ることを想定して創っている。威力だけなら、今までの魔法とは次元が違う。
そして、彼の宣言通り。
振るわれた大剣は結界魔法を易々と斬り裂き、そのままあれほど硬かったケルベロスの肉体に深々と食い込んで。
おまけに斬った場所がその場で燃え上がり、この戦い始まって初の甚大なダメージを与えたのだった。
「!!? ──ゥオオオオオオ──ン!!」
初めて聞くケルベロスの本気の悲鳴、そして絶叫。
それが収まると──三対の瞳を余すところなくエルメスに向けてきた。
宿るは今までの冷徹な殺意とは一線を画す、怒りを含んだ滅殺の意思。
「……どうやら」
その意味を正確に把握し、エルメスは呟いた。
「ようやく、『敵』として認めてくれたみたいで。光栄だよ。許し難い──でも、美しい殺戮者さん」
三対の視線に、同量の意思を含んだ翡翠の瞳で返し。
最後の戦いが、始まった。




