43話 魔銘解放
(想像以上の強さね……)
心中で、カティアは呟く。
自分の周りを飛び回る、凄まじい力を持った頼もしい霊魂たち。
彼らの全てと言葉を交わしたカティアには今──彼らの思念が流れ込んできている。
──やったよ。あの王子さま、もう動けないみたい。
──魔法は強かったけど、戦い方は猪とそんなに変わらなかったね。
──ぼくたちに勝てるわけないよね。それに心もなんだか……すっごく嫌だ。
──カティアさまの方が、よっぽど綺麗だよね。
──だよねー。
──ねー。
(……この子達……本当に幽霊……なのよね?)
割と本気の疑問をカティアは抱いた。
幽霊、ということはつまりかつてここで生きた魂、人格があったもののはずなのだが。
にしてはその、なんというか……稚気に溢れすぎてはいないだろうか。
絶対に数十年生きた後の魂もあるはずなのだが、今の会話を聞く限り全員五歳児とかそこらのものだ。幽霊と言うより、妖精とか精霊とかその辺だと言われた方がしっくりくる。
当然この現象もエルメスに説明したが、
「……恐らくですが、厳密に一人の人格としての魂ではないのでしょう。肉体がない分自他の境界が曖昧になったり分離したり。加えてカティア様の魔法でカティア様の心に共感した側面が強く出た結果、邪な意思が薄い、つまり無邪気な魂の面だけが抽出されてそのような形になっている──
──んだと思いますが、正直僕も予想外なのでよく分かりません」
結局彼にもよく分からないらしかった。
まあ、実際四十過ぎの渋いおじ様の人格を持った魂と対話しろとか言われるよりは気楽だし、素直で可愛らしいので特別文句はない。
それに……自分の話を聞き、自分の想いに共感して来てくれた魂がこんなにもたくさんいる。
その事実は、彼女に再びの自信を抱かせるには十分だった。
──さあ、あの王子さまに止めをさしちゃおう!
──のりこめー!
──わー!
ともあれ、頼もしい彼らのおかげでアスターをあそこまで追い詰めることができた。
あとは勝負を決めるだけ。そう考え、彼らの意思に従ってカティアは幽霊兵を差し向けようとしたが──
「ッ、待って!」
その時。アスターからどこか異質な魔力が迸った。
満身創痍の人間から出るとは思えない、底知れぬ圧力を感じさせる魔力。異変を察知したカティアが幽霊兵を下がらせる。
緊張した顔で見据えるカティアの先で、アスターがゆっくりと起き上がる。
彼の表情には──先ほど以上に狂気じみた、自信に溢れる笑みが浮かんでいた。
「褒めてやろう、カティア」
開口一番、彼は称賛した。
だが──それがカティアを認める意味を含んでいないことは、次の言葉でよく分かった。
「紛い物の力でここまで俺を追い詰めるとはな。そして大義であった、貴様は十分に役割を果たしたのだ」
「……どういう、ことでしょう」
アスターは間違いなく満身創痍、今幽霊兵を一斉に差し向ければ勝てる……はずなのに、動けない。
「俺に勝てるつもりだったか? よくもそんな無根拠な自信を得られたものだ。知るが良い、貴様の奮闘は全て──俺が更なる力に覚醒するための布石に過ぎなかったということをな!」
下手に動けばやられる。そんな意味の分からない、けれど確信的な予感に固まるカティアの前で、アスターは宣誓した。
「栄えある最初の犠牲者としてやろう、この俺が新たに得た力、俺の魔法の真価のな!!」
そして、彼から迸る魔力が更にその勢いを増し。
アスターは、告げる。
「──【終焉の刻は来れり 祖は聖霊と善思 創始に叶うは不滅の世】」
「ッ!」
知らない詠唱だ。
故に彼女は分かる。エルメスでもなければ、今まで聞かなかった詠唱をする理由など一つしかない。
それは──
「まさか……魔銘解放──!」
血統魔法は、古代の強力な魔法を血族に組み込み、それを受け継いだものが無条件に使えるようにしたもの。
ならばそれを受け継いだものは、その古代の魔法と全く同じもの──つまり、オリジナルと同等の力を使えるのか?
答えは、当然否だ。
『血脈に魔法を組み込む』という荒技を敢行した以上、そこにはどうしても組み込みきれない要素が存在した。受け継いだ人間が耐えきれないと判断し、普段は発揮できないよう封印し、切り捨てざるを得ない魔法の機能があったのだ。
よって、普段血統魔法を用いるものは須くその機能の一部しか使っていない。オリジナルと比べて、限定的な力しか使えていない。これはカティアのように『実際は使えるが気付いていなかった』ものではなく、血統魔法のシステムそのものによって封じられた機能だ。
だが。
数世代に一人、魔法を受け継いだ者の中でも更に魔法への適性が高く、加えて高い魔法を扱う能力を持った者だけは。
血統魔法に施された封印を解除し、肉体と魂への負荷に耐え切り、本物の神代の魔法を十全に扱うことが叶う。
それこそが、魔銘解放。黙示録の名を冠す魔法の秘奥。
魔法、才覚、肉体。全てに恵まれたものだけが叶う、血統魔法使いにとっての奥義であり極致だ。
「【我は天空の光 創造するもの 随心を抱き 天則を布くもの】」
「嘘……でしょ」
魔銘解放の、存在自体は知っていた。
でもそれは通常、長年血統魔法を用いて戦いに身を投じてきた人間が、一つの魔法を極めた果てに手にする神域の証明だったはずだ。
それを身につければ王国史に燦然とその名を刻まれ、たった一人で王国の剣となり盾となれる領域。現時点の王国に、その域に至っている人間はカティアの知る限りでは存在しない。
何より──エルメスですら、血統魔法の魔銘解放までは未だ再現できないと言っていた。
「【王国の法を識れ 完璧の理を拝せ 不死の頂を崇めよ】」
それほどの領域に、今、このタイミングで。
負けそうだからという理由だけで、覚醒する。
……馬鹿げているとしか、思えない。
「【悪辣なるものは総べらかく滅す 天上は我が火の統制の下に】」
詠唱を阻むべく、幽霊兵を差し向けるもその迸る魔力の奔流だけで弾かれる。
悠然と、傲岸に。誰にも邪魔されること無く彼は唄う。
そして、血統魔法の魔銘解放は数階の詠唱によって行われる。
通常は三位階。優秀なものは四位階で、伝説級に強力なものは五位階だ。
アスターの魔法は──
「【光輝裁天 終星審判 我が炎輪は正邪の彊 七つの光で天圏を徴せ】!
『火天審判』──魔銘解放!」
当然のように、五位階。
詠唱を終えたアスターの体から、先程の莫大な魔力が一気に溢れ出す。
それだけで吹き飛ばされかねないほどの奔流。身を屈めて耐え、数秒ほどの後にそれが収まった、彼女の視線の先には。
「──見るが良い」
炎の化身がいた。
全身を複雑な紋様のように這い回る神の炎。背後からは一対、真紅の翼が顕現し、頭の上には同じく真っ赤な光を放つ光輪が。
そして右手には、太陽そのものであるかのような灼熱の白光を放つ大剣が握られていた。
アフラ・マズダ。
それはあらゆる悪を滅する裁きの神の名。有翼光輪の姿をした、炎を司る最高神。
今のアスターは、自分こそがそのものであると言わんばかりの威圧を放っていた。
そして彼が、構えるカティアに向かって無造作に足を踏み出し。
──次の瞬間には、目の前にいた。
「──ッ!?」
反射的に飛び退くカティア。そんな彼女にアスターはひどく軽い調子で右手の大剣を逆袈裟に振る。
消し飛んだ。
カティアの周囲を守っていた霊魂。アスターの全力でようやく焼き払えるほど耐久力の高い幽霊兵が、無造作な一振りで全て消滅した。
「そん、な──ッ!!」
狼狽えつつも、彼女の判断は早い。
即座に幽霊兵を復活させると、後ろに引きながらアスターに突撃させてどうにか再度距離を取ろうとする。
だが、無理だ。
先ほどまでできていたはずの足止めが全く出来ない。理由は単純、アスターの火力が桁違いに上昇している。特に右手の大剣、あれに触れるだけで幽霊兵が全て一瞬で焼き尽くされてしまうのだ。
おまけに、あの姿になったことでアスターの身体能力自体も凄まじく上昇している。単純、故に強力極まりない火力と膂力の上昇。それこそがあの形態、『火天審判』の魔銘解放による効果なのだろう。
「ふ……ふは、ふははははははは!!」
そして、初めて使った魔銘解放の力をようやく実感してか。
アスターが、自らの右手にある大剣を見つめて力に酔った哄笑を上げる。
「見たか、見たかカティア!! これが俺の本当の力、神に選ばれし英雄たる人間に相応しい力だ! そうだ、俺が負けるはずなどないだろう! 俺は誰よりも強く、正しく、この国を導くに相応しい人間ッ! お前ごときが楯突こうなど烏滸がましい! どんな気分だ、悪辣な手法に手を染めてまで手に入れた力が、圧倒的な正しい力に蹂躙される気分はァ!!」
(……最悪に、決まってるじゃない)
必死に悩んで苦しんで、踠いて手に入れた力が。
ちょっと追い詰められたからと都合よく覚醒した力に蹂躙される気分など、その二文字以外の何者でもない。
追い込まれてからの、新たな力の入手。安っぽい芝居の主役によくある展開だが──やられる側からすればたまったものではない。
最早カティアにできるのは、ただひたすら逃げ回ることだけ。
先ほどまでのように距離を取りつつ攻撃を加えるのとは全く違う。こちらの攻撃は一切を歯牙にかけず焼き払われ、向こうの攻撃はかするだけで尋常ではないダメージが入る。
アスターの戦法は、これまでと一切変わらない力押し。なのに、爆発的に上昇した魔法の性能だけで押し切られてしまうのだ。
(こん、なの……)
無理だろう。
必死になって手に入れたものは何の意味も成さず。生まれ持ったもの、都合よく授かったものだけで全てを上回られる。
……なら、自分たちは、何のためにこの国で生きているのか。
この国の矛盾が、また体現されている。他でもない自分が、体現してしまっている。
そんなやるせなさと絶望に囚われてしまい。思わずカティアが、眼前の光景から目を逸らすように横を見て──
彼と、目が合った。




