42話 救世の冥界
サラの戦意がなくなったことを確認し、エルメスは魔法を解く。
……正直なところ、想像以上だった。
彼女の血統魔法が戦いにおいても強力であることは理解していたつもりだったが──何より驚いたのは、エルメスのとった戦術を的確に見抜き、即座に対策を打ち出してくるその卓越した洞察眼と対応力だ。
彼女に戦闘の経験があるとは思えないので、恐らくは天性のものだろう。思わぬところで思わぬ才能を見つけた感覚だ。
けれど、エルメスは上回った。制御が甘く動きが単調という欠点を、この戦いの中で克服して。
試行錯誤を繰り返し、僅かな進歩を積み重ねる。少しずつだが──確実、かつ無限に強くなる。
そんな彼だけの魔法の在り方を、見せることもできたのだろう。
正面に見る彼女も、どこか納得した表情を浮かべていた。
よってエルメスは、肩の力を抜いて。
「……やーらーれーたー」
恐ろしいほどの棒読みで、ぽてっと地面に倒れ込んだ。
「え……えっ?」
あまりに唐突かつわざとらしい演技にサラが目をまんまるにしつつ、こちらに駆け寄ってかがみ込んでくる。
「その、エルメスさん、一体……」
「やられました。貴女と兵士たちの奮闘で、僕と相打ちになった。そういうことにしておいて下さい」
勿論、多少は削られたもののエルメスはまだまだ余力を残している。
けれど、少なくとも今は動けないということにしておきたかった。何故なら──
「この状況を殿下が目にすれば、僕もまとめて倒しにかかってくるに違いありませんから」
今はカティアの挑発に従って一騎討ちに乗っているが、流石に兵士たちがやられてエルメスがフリーになったと分かればエルメス諸共相手にしようとするだろう。
それを避けるための、所謂やられたフリだ。
でも、それは。
「つ、つまり……アスター殿下はカティア様にお任せする……ということですか?」
「ええ」
あっけらかんとした回答にサラが驚く。
確かにカティアが強くなったとは聞いていた。かつて『欠陥令嬢』と呼ばれていた頃の面影はどこにもないと。
でも、サラはアスターの強さもよく知っている。あれに単騎で勝てる人間がいるとは、とても思えない程に。
「大丈夫ですよ、あの方は強い。疑う気持ちも分かりますが……それならば、見ていてください」
そんな彼女に向かってエルメスは、カティアが戦っている方向を指し示し。
「僕も見させていただきます、あの方が進もうとした道の先。そして──魔法を」
そう告げつつ彼は、今朝のことを思い返すのだった。
◆
「……私の魔法の、真価?」
「はい。その魔法は死霊を召喚し、それを変換して強力な魔力の砲撃とする──ことではありません」
カティアが目を見開く。
何せ幼き日彼女がそれを授かった時真っ先に教えられたことを、彼はたった今否定したのだから。
「ち、違うの?」
「正確には、『使い方の最も基本的な部分でしかない』ですね。そうだな──まずは効果の前に、この魔法の理念から説明します」
全ての魔法には、それを創るにあたって込められた願いがある。
彼の魔法観における根幹の一つ。それに従って、エルメスは解説を始めた。
「その魔法の理念であり、込められた願い。それは──『死者との対話』です」
「死者との、対話……?」
「ええ。かつてこの世に生きた者、過去の時間に在った者──けれど今、霊魂としてそこに未だ存在している者。そんな現世と冥府の境界、見えざる者たちを喚び出して話をする。それがこの魔法の根幹で……故に、『召喚』はその前提に過ぎないのです」
ある意味、今までの使い方であった『召喚した後、それを魔力の塊に変換する』ことは理念と真逆のことを行なっていたのだ。
だが、裏を返せば。
その理念と真逆の効果しか発揮していなかったのにこれほどまで強かった、ということは。
もし真価を発揮すれば、魔法の威力は桁違いになる。公爵家相伝の中で最強の名に恥じない──否、それすらも超えるかもしれない魔法へと化ける可能性を秘めているのだ。
その事実を理解して、カティアが驚愕と、微かな高揚を帯びた表情で問いかける。
「なら……私は、どうすればいいの?」
「今言った通りです。召喚した霊魂と対話してください。自分の力で押さえつける使役の対象としてではなく、よく話して、お互いの想いを理解して手を取り合う、対等な関係として」
勿論、そう扱う以上時に分かり合えない魂もあるだろう。その上で力を貸してくれる存在となると、更に少ないかもしれない。
あくまでカティアの魔法で一時的な霊体を得ているだけで、魔力にされようと殺されようと霊魂そのものまで消えて無くなることはないとは言え。自分の意識がある存在を好きに扱われるのは、嫌なこともあるだろうから。
でも。
「それでも尚、貴女に従ってくれる者がいたなら。貴女の想いを、人となりを知って、貴女を好きになってくれる魂がいたのならば。きっとその方は──今までとは、比べものにならない程の力を貴女に与えてくれる筈です」
そしてそれこそが、この魔法の正しい使い方。
死者と言葉を交わし、死者の想いを理解し。代わりに力を貸してもらう、冥府と現世を繋ぐ魔法。
「……きっとこの魔法を創った人は、とても優しい方だったんでしょうね」
穏やかに、彼は語る。
「そもそも『救世』とは、ある遠い国の言葉だそうです。曰く、すべての生きとし生けるものが救われる場所だとか」
魔法を通して触れた想い。その美しさを称賛し、噛み締めるように。
「でも……きっとこの人はそれを聞いて思ったんでしょう。『じゃあ、すべての死せるものが救われる場所はないんだろうか?』とね」
「!」
「だから、この魔法を創ったんだと思います。遍く死者と言葉を交わし、安寧を与え、冥府の住人にとっての救世主になりたいと願いながら名を刻んだ。美しい想いを、まず言葉の形にして」
翡翠の文字盤に刻まれた魔法の術式に、純粋な敬意を向けながらこう締めくくったのだ。
「故に名付けられたんです、この魔法の銘は──」
◆
「──『救世の冥界』!」
そして、現在。
カティアの放った霊塊が……いや、これは適当ではない。
カティアが召喚した霊体の放った霊塊が、次々とアスターに襲いかかっていた。
「猪口才な!」
それらは一つ一つが、クリスの扱う『魔弾の射手』と同等の威力を誇っていた。
だがアスターもさる者、腕の一振りで炎を解放し、その圧倒的な火力で歯牙にもかけず焼き払う。
尚も攻勢は終わらない。その攻撃を目眩しにするかの如く、今度は霊体達が先ほど弾として放ったエネルギーを身の回りに纏って殺到してきた。
全方位からの突撃。逃げ場など一切ない、数による押し潰しの体現。
だが、それでも、アスターは。
「あまり──俺を舐めるなぁ!!」
鎧袖一触。
その言葉を体現するかの如く、身の回りに全力で展開した炎の渦。
一挙に灼熱地獄と化した彼の周囲にいた霊体は、ひとたまりもなく焼き尽くされて一瞬で消滅。
微かな間の静寂が、彼の近くに広がる。
アスターの扱う血統魔法、『火天審判』。
やはり、何度見ても圧倒的な火力である。
それを余すところなく見せつけたアスターは……微かに荒い息を吐きながら、前を見て。
「……なん……なのだ、こいつらはぁッ!!」
──未だカティアの周囲に数十と展開し、更に今尚増え続ける霊体の群れを見て。
あとどれだけ倒せばいいのか、と微かな怯懦を宿して顔を引き攣らせたのだった。
『救世の冥界』の真価。霊魂を魔力にただ変換するのではなく、霊体を一つの意思あるものとみなし自らの協力を対話で要請すること。
つまり、霊たちを道具ではなく兵士として扱うことだ。
その結果生まれたのが、彼女の周囲に漂う紫の光を宿した半透明の人型のようなもの。見た目は比較的単純だが、その性能は──アスターの、そしてカティアの予想すら軽々と超えていた。
まず、これまでカティアが扱ってきたような霊塊での遠距離攻撃。それを全員が扱うことができ、加えて先ほどのような近接攻撃への応用もしてみせる。むしろカティアよりも余程上手く扱うくらいだ。
そして何より、耐久力が異常に高い。
物理的な攻撃が一切通じないのは当然のこと、加えてそもそも霊体という存在自体が魔法に対する抵抗力が高いのだろう。
アスターは全力の炎で焼き払ったが──逆に言えば、アスタークラスの火力でさえ全力を出さなければ倒せないのだ。
半端な血統魔法では一体倒すのさえ苦労するほど頑丈な幽霊兵、しかもそれをカティアは、実質無尽蔵に生み出せる。
先程エルメスが言ったように向こうの承認が必要という欠点はある。だが一度協力を貰えたのならば、仮に先程のようにやられたとしてもまた魔力のある限り復活させられるのだ。焼き払われた幽霊兵も全員、今しがた復活が完了した。
下手な魔物ならば軽々と凌駕する死者の軍勢、それを従える冥府の女王。
──この姿こそが、『救世の冥界』の真の使い手だ。
「うぉおおおおおッ!!」
雄叫びとともに、アスターがカティアに向けて突撃する。
勝ち筋自体は存在する、術者本体を叩けば良いのだ。実際アスターはそれを狙って、カティアとの距離を詰めるべく今の行動をとった。
だが。
「させない」
落ち着いた彼女の指揮に従って、幽霊兵たちがアスターの進路を塞ぎ妨害する。
その塞ぎ方も実に巧みだ。一挙に焼き払われない間隔を保ちながらも、意識に休みを与えないような絶え間ない攻撃。それらに対処しているといつの間にかまたアスターの足は止まり、そうこうしているうちにまた距離を取られる始末。
カティアの指示が上手いのもあるが、何より彼女の意思を汲み取って完璧に遂行してくれる幽霊兵の存在も大きいだろう。これも霊魂たちと想いを交わしたからこそだ。
また当初の状況に戻ってしまった。消耗は明らかにアスターの方が大きく、不利は加速する。
怒りのままに、アスターは叫んだ。
「この……ッ、卑怯者が! 俺との一対一を所望しておきながら逃げるばかりか! 真っ向から立ち向かう気概のない臆病者め!」
「……有利な間合いを取ることは、逃げることではないでしょう。『この距離じゃ勝てないから俺に有利になる近接戦に付き合え』と、自らの不利を開示しているようにしか思えませんわ」
「ッき──さまぁああああああ!!」
彼女にしては珍しい──ひょっとすると、誰かの影響を受けたのかもしれない皮肉での返し。
その気配を感じ取って、加えて返す言葉が思いつかなかった激昂から、アスターはまた突撃を繰り返す。
だが、行われるのは先ほどの再演だ。カティアはアスターを一切近づけさせず、幽霊兵たちを巧みに動かして攻撃を加えていく。足が止まったところを包囲、攻撃。焼き払われてもまた再生。
体力、魔力ともに一方的にアスターが消耗していく。カティアは未だ一度も攻撃を受けておらず、一方のアスターは幽霊兵たちの射撃がところどころを掠めて動きまで悪くなっていく。
「あ、悪夢でも見ているのか……アスター殿下があんな一方的に……」
「い、いや! あれはあくまで外法の賜物だ! きっと何か、一時の力と引き換えに恐ろしい代償が……!」
「……だ、だが……そうであってもこれほどの力……何より殿下が及ばないとは……」
あまりのワンサイドゲームに、エルメスにやられて動けないものの意識はある兵士たちが絶望の呻き声を漏らす。
……実の所、周りから見るほど二人の実力が離れているわけではない。
むしろ純粋な魔法の性能であれば、まだアスターの方に軍配が上がるほどだ。実際もしアスターがカティアの懐に潜り込んでしまえば、恐らく数秒も保たずにカティアは敗北する。
その状況を一方的たらしめているのはカティアの位置取りの巧みさ、全力でアスターを近づけさせない攻撃の仕方、兵の配置。詰まるところ──魔法の使い方だ。
彼女は見てきたのだ。魔法を生まれ持たなくても諦めず、最強の魔法を身につけて帰ってきた少年を。彼の真価である無限の研鑽、試行錯誤を重ねることの強さを。それを今、この戦いで存分に生かしている。
一方のアスターは恵まれた才能と、授かった最強の血統魔法による力押しでこれまで全てを解決してきた人間だ。つまり魔法の実力が近い存在と戦った経験が、一切ない。
だから工夫を知らない。研鑽を知らない。
今回も真っ向からの突撃、カティアにすれば簡単にいなせる攻撃手段しか使わない。使えない、それしか知らないのだ。
生まれてから勝ち続けてしまった人間は──一度不利に立たされると、ここまで脆い。
(負ける……のか……!?)
ついにアスターの脳裏に、敗北の二文字がちらつき始めた。
一向に近付ける気がせず、近付く手段も思いつかない。膨大にあった魔力も戦いの中で大半が削られ、体も徐々に重くなってきた。
このままでは遠からず、自分は敗北する。
無様に地を這いつくばり、動かない体で、自分を見下す目線を甘受する羽目になる──
(ふざ……けるなッ!)
それを認識した瞬間、アスターの中で激甚な拒否感が迸った。
生まれて以降、勝者であり続けた傲慢。自分より優れたものは存在しないという、不都合な真実全てを捻じ曲げてでも得た思い込み。
(そうだ。これはきっと──試練だ。俺ならばきっと乗り越えられる、神が与えた試練に違いない。つまり俺は今ここで更なる力に覚醒する。そうだ、そうなるに決まっている──ッ!!)
──アスターにとって、幸運だったことは。
彼の授かった魔法が、彼のそんな精神性と、極めて相性が良かったことだろう。
どくん、と。
彼の中にある魔法が、一つ大きな鼓動を奏で。
その魔法から、新しい何かが流れ込んできたのだった。




