96話 誰かの理由
続いて病室に入ってきたのは、サラとアルバート。
サラは気遣わしげに、アルバートは寡黙に。二者二様の表情でエルメスの側に腰掛けた二人は、しばしの沈黙の後。
まずはアルバートが、口を開いた。
「……俺は、今のお前に言うべき言葉はない」
少しだけ。
意外な、言葉を。
「……え」
「かけられる言葉も、語るべき信念の持ち合わせも俺にはない。きっとお前の悩んでいることは、俺なぞにはどうすることができるものではないだろうからだ」
ただ、続けて語られたのは確かな考えあってのこと。
薄情ではなく、ここでかける言葉の重みをきちんと理解しているが故の何も言わない、という選択を彼はしたのだ。
「だから、一つだけ」
故に、その上で。
「──例えお前がいなくとも、俺は前に進むぞ」
立ち上がれ、とも言わない。
むしろ立ち上がらなくても構わない、と彼は静かに告げる。
「お前が戦えずとも、俺は戦う。第三王女派の魔法使いとして、相手が誰であろうとも戦い、勝利して、当初の予定通り王都を取り戻す。
やるべきことは……変わらない」
「……」
そんな、簡単なことではないはずだ。
敵の強大さは秘匿聖堂で嫌と言うほど見せられたし、エルメスは自分の戦力的価値も正しく把握している。
自分がいなければ……現実問題、あのクロノと三幹部に対抗することはまず不可能だということも。
いや──アルバート自身、そんなことは百も承知なのだろう。
事実、泰然としているように見える表情には若干の強張りがある。エルメス抜きでこの先を戦い抜く難易度をしっかりと把握し、正しく恐怖を覚えており。
それでも尚……今の言葉を、虚勢ではなく覚悟を持って言い切っている。
「……どうして」
「決まっている」
何故、そうまで言えるのか。
そんな意図を込めてのエルメスの問い、その意味をしっかりと把握した上で、アルバートは。
「自分よりも強い誰かがいるから。周りが勝てそうにない人間ばかりだから。環境が、自分にとって分相応のものでないから」
恐怖に竦む心臓を、力ずくで押さえつけるかの如く。
自らの胸をかきむしるように押さえた上で、こう告げる。
「──そんな理由で目を背け、燻るようなことは。もう二度としたくないというだけだ」
その、表情は。
微かに歪みつつも……それでも、確かな意志を持って前を向く少年の姿があって。
そこに、負の熱量は。鬱屈したエネルギーは。
学園で出会った頃の、卑屈な少年の面影は。何処を探しても、存在していなかった。
「──」
呆けるエルメスの手元に、今度はふわりとした温もりが。
見ると、優しげな美貌に切実な上目遣いを湛えたサラの姿が。
「エルメスさん。……わたしも、アルバートさんと同じ考えです」
その上で、彼女も語る。今のエルメスを見た上での、彼女の言葉を。
「『立ち上がってください』だなんて、わたしたちは言える立場にないです。今立つことが出来ないのであれば、仕方ないと思います。そういうときは、誰にだってあるものだと思いますから……」
そうして、サラは。彼女も、今まで見たことのない深い慈愛でもって。
「わたしたちだけでも、なんとかしてみせます。
そして……全てが終わったら、その時はちゃんと。あなたのことも、助けにきますから。今まで頼り切っていた分を、あなたに救われた分を、ちゃんと返しにきます」
「……」
そう語る、二人の姿はやはり。彼が今まで見たことのない、強さがあって。
……彼自身、今はじめて気づいた。
無意識のうちに、守らなければならないと。道を示さなければならないと。そう思っていた対象だった二人の面影は、やはりどこにもない。
ただの、年相応の。そして年に似合わないほどの『強さ』をいつのまにか持っていた二人が、そこにいた。
そこで、気付く。
多分、この二人も本当に本心を言っているわけではないだろう。いや、紛れもなく本心ではあるのだが、一部でしかないと言うべきか。
きっと、エルメスに復活して欲しい気持ちもあるはずだ。彼らはニィナとは違う、各々に胸に秘めたこの国に対する誇りがあって、自分の中での譲れないそれを守るためにはこの戦いから逃げるわけにはいかず。そのためには、エルメスには何としてもまた戦えるようになってもらう必要があって、それを望む気持ちも、確かにあって。
それなのにそう言わなかったのは、きっと。
もし、『立ち上がってほしい』と告げたのなら。
エルメスは──言うことを聞いてしまう可能性があるから、だろう。
彼は最早孤独ではなく、ただ我が道を行くだけの孤高な人間ではない。
王都での経験を通して、多くの人との交流を通して。ちゃんとした人並みの情と、きっと人並み以上の身内への愛着を持ってしまっている。
だから、その身内に。自分の心と関係なく頼まれてしまったら、懇願されたら。きっとそれは、彼が再び魔法をとる理由たりえてしまって。
そして──そんな理由で立ち上がってしまったエルメスでは、この先の戦いで勝つことはできない、とも。
彼らは分かっているから、こう言っているのだ。
「……」
それ以降は、アルバートもサラも何も言わなかった。
これも、分かっていたのだ。今のエルメスに響くのは、真っ向からの誠実な言葉しかなく。そういう縛りで言葉を選んだ場合……この二人には、これを言うことでしかエルメスのためにはならないと。
二人が、最後に心からの気遣いの言葉を告げてから。静かに病室を去る。
……つまるところ、結局、振り出しに戻るというわけだ。
エルメスが再び立ち上がるには、また戦いの場に赴くためには。
彼自身の、彼の中にある、立ち上がるための理由を。ひどいものをたくさん見て、これまで純粋に信じられていた魔法の真実を突きつけられて。
それでも尚、清も濁も受け入れた上でもう一度向き合えるための『理由』を、見つけるしかない。
……それが、一向に見つからないから。自分はこんなにも苦しいと言うのに。
ああ。本当に──
「──ひどい話よね」
顔を上げた。
静かな瞳で見上げる先。二人と入れ替わるように病室に入ってきた少女は。
「『自分のために、また戦って欲しい』。その一言さえあれば、優しいあなたはとにかく前に進むことはできた。でも、あの二人はそれをしなかった。『誰かのため』の理由を、徹底的にあなたから奪った。かつて自分のためにしか動けなかったあなたに、今度は自分のためだけの理由を強制した。
あなたにとっては、とてもとても残酷で……でも、この上なく正しいことだわ」
先ほどの会話を、恐らく病室の外で聞いていたのだろう。
その内容に関する所感を、彼女らしいまっすぐさ、率直さでもって述べてから。
「──だから、その上で」
静かで、柔らかく、けれど少しだけ寂しげで、でも微かな喜びも湛えた。
ひどく複雑な表情を浮かべた紫髪の少女──カティアが。
「もう一度、私と。久しぶりに……ええ、とてもとても、久しぶりに。
折れそうなあなたとの、お話の続きを。しても良いかしら?」
その最後の言葉の意味は、今ひとつ要領を得なかったけれど。
それでも──これだけは直感した。
思考の迷路。想いの袋小路。願いのどん詰まり。
どんな結論を出すにせよ──
自分の中での、一つの決着をつける時が。
カティアと共に……やってきたのだと。
故に、エルメスは。まだ完全に理解はできないまま、けれど驚くほどすんなりと決まった覚悟と共に。
「……はい」
返事をして。彼自身、不思議とひどく久しぶりに感じる。
幼馴染の、妖精のような少女との会話を、始めるのだった。
次回、カティアとのお話。見守っていただけますと幸いです。




