94話 独白
「……外は、大丈夫なのですか? 他の皆さんは?」
「ん? ああ、教会はとりあえずお兄ちゃんがまとめてくれてるからなんとかなってるよ。
他のみんなは……カティア様は今も落ち込んでると思う。サラちゃんとアルバート君もショックは大きかったみたいだ。後……リリィ様は、今はお姉さまにつきっきりだね。特にあの子は今こっちを気にかけてる余裕はないと思うから、そこは勘弁してほしいかな」
「いえ……」
妥当だ、と思う。
リリアーナだけではない。ニィナもサラもアルバートもカティアも、あの場にいた全員が、きっと人生で最大級のショックを受けただろう。
あの秘匿聖堂での一連の出来事は、そう言い切るに相応しいものだった。
……そして。
何より、自分も。
「……」
「……」
ニィナとの間に、沈黙が満ちる。
本来なら、多分もう少し会話があって……ひょっとするともう少し気まずくとかなっていたのかもしれない。
何せその、あれだ。秘匿聖堂で、ラプラスからの勧誘を受けたエルメスを強引に止めるためにニィナがとった行動が……少々、いろんな意味で心穏やかではいられないものだったので。
でも、今は。
端的に言って──それどころではなかった。
「…………、すみません」
そんな自分の心の状態を自虐的に客観視しつつ、エルメスは述べる。
「本来なら、秘匿聖堂のことについて。……色々と、言うべきなのかもしれませんが。今は……」
「うん、分かってる。流石のボクも今のキミに対してそこを掘り下げたりはしないよ。
ここにきたのは……ただ。好きな子の悩みに、寄り添いたいって思ったからさ」
対するニィナはそう告げて、ひょい、とベッドの上に腰掛けてくる。少々はしたない行動だが、その分二人の顔が近づいて。表情まで仔細に読み取れるようになる。
その瞳には、純粋な彼を案じる色があって。
それに導かれるように、エルメスも口を開く。
「……そう、ですね。お願いしても、よろしいでしょうか」
多分、彼女は見抜いているのだろう。
エルメスの抱えるものの正体を、ひょっとすると一部分ではエルメスよりも詳しく。
学園の時から、ずっと──エルメスを見てきた、この少女だから。
だから分かっている。エルメスの今悩んでいること、懊悩の形を。
まずは……しっかりと、言語化するべきだということも。
「……そうだね」
エルメス自身もしばらく考えて、大凡の正体にこそ至っていたが。
改めて、ニィナの言葉で言語化して欲しい。そう静かに要請すると、ニィナは頷いて、しばし考え込んだのち。
「ごめんね。一番的確に言おうとすると、どうしてもちょっとひどい表現になっちゃうかも。それでもいいかな?」
「はい」
「……分かった。じゃあ、端的に──」
そう前置きで確認し、承諾したエルメスに。少しだけ逡巡する様子を見せてから、それでも覚悟を決めた瞳できっぱりと。
こう、告げる。
「キミはさ。──これまで一切、挫折ってものを知らなかったんだね」
「──ッ」
容赦なく、的確に。
けれど最大限の慈愛と尊重をもって、優しく抉り取るような声色だった。
「えっと、言っておくけど『苦労知らず』って思ってるわけじゃないよ。むしろキミは、多分頑張ることなら他の誰よりもしてきたんだと思う。でも、それとは別に……」
「……はい。そこから先は、僕でも分かります」
そこから先まで、この優しい女の子に代理で己の罪科を語らせるほど恥知らずでは在れず。エルメスが言葉の続きを引き継ぐ。
「美しい魔法に憧れて、綺麗な魔法を創りたくて。……あの日、師匠に僕ならばそれができると肯定して貰って」
「……うん」
「そこから、必死に頑張ってきました。勿論苦しいことはたくさんありましたし、壁に突き当たってもがくことだってありました。ニィナ様の言う通り苦労は人並み以上にしてきたとは思いますし、僕の目的はそういうのを全て乗り越えた先にあるとも思っていましたから。でも……」
苦難に突き当たった経験ならある。
ひどい状況に直面した経験もある。
けれど。
「──裏を、返せば。
そうやって頑張っていれば、いつかは絶対にたどり着ける。その一点だけは、これまで一切疑っていなかったんです。……今思えば、馬鹿みたいに」
単純な話だ。
エルメスにとって、『美しい魔法を創る』ことは。遥か遠く、けれど今歩んでいる一歩一歩を積み重ねた先に確かに存在していると信じ切っていたもので。夜空に輝く願い星のように語りつつも、実際は地の果ての灯台の光としか思っていなかったもので。
──『たどり着けないものかもしれない』ことを、一切考慮していなかった。否……それについて考えることから、これまで目を逸らしていたのだ。
……これまで、彼の目的に向かって努力する姿を誰もが褒めそやした。すごいことだと、誰にでもできることではない、憧れることだと。
でも、考えてみて欲しい。
もし、彼にとってはそれが約束された栄光だったとしたら。根拠がなくても、成功への道を真っ直ぐに歩いているだけであると確信しきってしまっていたとしたら。
誰でも……とまでは言わないが、恐らく相当の人間にとって、『頑張る』ことのハードルは極めて低いものになるのではないだろうか。
何のことはない。
誰よりも頑張ってきた彼の、誰もが羨むほど真っ直ぐに歩みを進めてきた彼の本質は。
ただ──『努力は必ず報われる』なんて絵空事を邪悪なほど無邪気に信じていただけの、世界を知らない幼子に過ぎなかったのだ。
「……でも」
その幻想は、壊れた。あの、秘匿聖堂での出来事によって。
目指していた魔法は、綺麗なものだけではなくて。目指す先にある輝きが、本当に求めていたものなのかも分からなくなって。
求めていた先が、真っ暗闇になる……初めての挫折を、味わってしまった。
たどり着けないだけならば、まだ良い。
けれど……彼は知ってしまった。今まで目を逸らしていた、彼の中にもあった悍ましいもの。それによって使えるようになった魔法を、衝動のままに振るった先の──
『──最高に、気持ちよかったよなぁ?』
「ッ!」
怖くなった。
……たどり着けないだけならば、まだ良い。
けれど……歩みを進めていった結果、たどり着く先がなくなってしまったり、或いは──自分が唾棄するような魔法を嬉々として振るう、自分が心底なりたくないと思っていたモノに成り果て、たどり着きたくなかった場所に到達してしまったり。
そんな未来を想像してしまった途端に……身は竦み、背中に氷柱を差し込まれたかのような感覚が総身を襲うのだ。
「……知りませんでした」
自分の今までやってきたことが、何もかも無価値と消え、無意味と堕す恐怖。
これまでの足跡を否定され、真っ暗闇に突き落とされるような感覚。
「『夢が叶わない可能性を知りながら夢を追いかけること』が、こんなに怖いだなんて」
顔を引き攣らせながら、エルメスは呟く。
……同時に、認識する。
自分以外の、夢持つ人……カティア、サラ、アルバートやリリアーナ。そして彼が出会ってきた、ひょっとすると敵対してきた人間たちも。
ずっとずっと、この恐怖と戦いながら、目標に向かって進んでいたのか。
そんなの──自分なんかより。ずっとずっと、強い存在ではないか。
「…………」
そんな、エルメスの酷く情けない独白を。
ニィナは、静かに聞いていた。否定も肯定もせず、ただその金瞳に穏やかな光だけを湛えてエルメスを見据えていた。
彼女の表情が、雄弁に語る。……まだ、話しきっていないよね、と。
その表情に、促されるように。エルメスも吐き出す、自分の中にあったもの、これまで蓋をしていたものを全て掻き出し、奥底の根本を曝け出す。
「……やるべきことは、分かっているんです」
「……うん」
「『綺麗な想いで生まれた魔法ばかりではない』。この事実を受け入れて、しっかりと認識して。その上で、自分の信じる美しい魔法を創るために、また歩き出せば良い。言葉にすればただそれだけなんです」
「そうだね」
「──でも」
そこで。
ここにきて初めて、ニィナの目が見開かれた。
理由は、エルメスの表情。
至近から見た彼の容貌は、今まで見たこともないほどに歪んでいて。恐怖と、悔恨と、自己嫌悪と……たくさんの負の想いが浮かび上がった。
きっと。これまでの彼の中でも、最大と言って良いほどに……感情に満ち満ちた表情を、していた。
「こんなものを抱えた上で。叶わないかもしれないと、たどり着けないかもしれないと、ひどいものに成り下がってしまうかもしれないという恐怖を、抱いた上で。
それでも、歩みを続けられるような……そんな『理由』が、僕には、無いんだ」
……最低なことを、言っているだろう。
だって、どれほど言葉を繕っても。究極的に要約するならば彼は、『こわくて動けない』と言っているだけなのだから。
そんな自分が心底嫌で、けれど巣食う恐怖はどうしようもなくて。
酷い自傷感情に苛まれながらの、揺れる瞳を見て──
(……ああ、そっか)
ニィナは、悟る。
(エル君は。この男の子は……幼いんだ。良くも悪くも)
彼の過去は、ニィナも既に大まかには把握している。
過去の経験から、情緒の発達が一度リセットされて。そこから全力で年齢に追いつくだけの所作や振る舞い、メンタルを必死に発達させた結果──一見完璧に思えるような大人びた透明感を持つ少年が出来上がった。
でも、そんな成長の仕方をして、無理が出ないわけがない。
淡々と歩みを進める、完璧な少年の内側を少し覗けば。きっとそこには、発達の過程で拾い忘れた……もしくは捨てざるを得なかった当たり前の感情の空白がたくさんあって。
それを、彼は王都で必死に拾い集めようと頑張った。結果多くのことを学んで、彼の中の空白は徐々に埋まっていった。
その上で。
彼がこれまで拾わなかった……意図的に無視してきた『負の感情』を突きつけられ。その結果、当たり前の悪意と、恐怖と、弱気を思い出し。
今、彼はようやく──
──『普通の男の子』に、なろうとしているのだ。
そして、皮肉なことに。
──そんな普通の男の子になった少年に今、一つの国の命運がのしかかっている。
「…………」
改めて整理すると、あんまりにあんまりなこの状況。
そんな中、自分には何ができるだろうかと、ニィナはしばし考えて。
「……そうだね。こわいよねぇ」
まずは、素直に語る。
「キミが考えてること、全然おかしくないよ。まずさ、この世全ての人間が『やるべきこと』をしっかり全うできるなら……そもそもこの国はこんな風になってないと思うなぁ」
「……それは、まぁ」
あんまりな物言いに、若干呆れを滲ませるエルメス。不思議なところでも表情豊かになっている彼にくすりと微笑みを返しつつ、ニィナは続ける。
「それで……多分、キミの言う立ち上がってまた歩き出せる『理由』ってのも……うん、ボクにはどうしようもできないかな。はっきりとは分からないけど……それはきっと、最後にはキミがキミ自身で納得して見つけなきゃいけないものだから」
言いにくいことも、しっかりと語る。
だってこんな状況でも、彼は非常に聡明だ。それは自分の弱さをしっかりと認識できていることからも明らかで。
そんな彼に、上っ面の言葉は絶対に響かないどころか見透かされてもおかしくはない。だから、結局のところ自分の中のものを素直にぶつけるしかないのだ。
「……はい」
「その上で」
そう、その上で。
自分は、自分にできることを。この、強くて優しくて、弱くて歪で愛おしい男の子に。
ニィナ・フォン・フロダイトとして、彼女だからこそ言える一言を。
「きっと、ボクじゃないと言えないことを、今はキミに伝えるよ」
前置きの後。
ニィナはベッドの上に身を乗り出して……思わず固まるエルメスに構わず、ふわりと彼に抱きついて。
固まった体をほぐすように緩やかに体温を伝えたのち、紅潮する彼の様子を少しばかり横目で楽しんだのち、耳元で囁くように。
優しい一言を、こう、告げるのだった。
「べつにさ。……逃げても、いいんだよ?」
エルとニィナのお話、長くなりそうなので二つに分割します。次回もお楽しみに!




