93話 育て方
……ひどいものを、たくさん見た。
『──想像もつかない。途轍もないものを『見てしまう』ことになるかもしれない』
ユルゲンの言った通りの、この国の最底辺を見た。
(──僕の見ている世界に、こんなものは要らない。)
それを目の当たりにして発言した、己の中のどす黒い何か、初めての感情を見た。
そして。
「──悪い想いの魔法を、悪い想いのままに使っちゃ駄目なのか?」
自分の、心を抉る。矛盾を暴き出す、致命の言葉を聞いた。
そこから辛うじて……何故かは分からないが師匠が参戦してくれて、その場は離脱できて、一応は事なきを得たのだけれど。
……一連の出来事がエルメスの心に与えたダメージは、あまりに大きく。
「…………なん、で」
千々に乱れた心境では、本来得意なはずの内心の言語化もできず。
教会本部治療室にて、エルメスは。受けた怪我の痛みと……何より、心に空いた虚無に苛まれて。改めて、ベッドの上で蹲るのだった。
◆
「お前たちも知ってるとは思うが。……エルはさ、まだ情緒が幼いんだ」
「……はい」
未だ、深い傷心の中にあるエルメスの分析。最愛の弟子の心のうちを、ローズはそう語り始める。
「幼少期に一旦心が擦り切れて、魔法に対する執着だけが残った時期。あたしがあいつに出会ったタイミングは、そんな時で。
……あの時のあいつは、自覚こそしていなかったが相当に『危うい』状態だった」
「危うい……?」
ローズがエルメスと出会ったタイミングというと、丁度カティアとも引き離された頃。つまり当時の彼をある程度知っているカティアとしては若干疑問な表現に首を傾げると、ローズは頷いて。
「だってそうだろ? 考えてもみろ。感情が失われてるってことは、悪いことを悪いと感じる想いも、それから生じる真っ当な倫理観もない。どうとでも染まりうる、見た目の印象通りひどく透明な状態だ。そんでいて、魔法を高める目的だけは残っている。
……流石のあたしも緊張したよ。だってそれって、極論育て方を間違えればさ──」
切り込むように、一息。
「──魔法を極めるためなら、人を殺したってなんとも思わない。そういう存在に、魔法以外を投げ捨てた修羅に。育っていた可能性もあるってことだろ」
「──ッ!」
戦慄した。
荒唐無稽な話だ、エルはそんなふうにはならない……と、笑い飛ばしたかったけれど、できなかった。
だって、カティアは彼をよく知るが故に。再会以降、誰よりも彼を見てきたが故に。
彼がふとした時に見せる冷徹さも、敵対してきた人間への容赦のなさも見てきたから、分かる、分かってしまう。
今、ローズが語った彼の姿は……全然あり得る、と。
「だから、魔法の修行と並行してそっち方面の教育も行ったんだ。
とりわけ、人殺しは基本何があろうと駄目、と明確に禁止した。……殺人は、慣れた人間ですら細心の判断や専用のマインドコントロールが必要になる。それを、ただでさえ情緒が育っていない子供が覚えてしまえばどうなるのか、誰が見ても明らかだったからなぁ」
「……そういう、ことだったんですか」
確かに、言われてみれば。エルメスはこれまで多くの戦いを経験してきたが……その苛烈さに反して『殺人』を行ったことはほとんど……というか、見ている限りでは一度もないのではないだろうか。
師に言われていた、ということであればより納得できる話だ。
「その上で、倫理教育的にも。あいつが信じていた『綺麗な魔法』……輝かしい願いで編まれた魔法が正しいということも、否定しなかった。理念だけが拠り所のあいつにその考えまで否定させてしまえば、どうなるかも分からない。
まだ早いと思って、心苦しかったが、不都合なことを隠して育てた。……この国の貴族連中と変わらない方法と、分かっていてもな」
「……」
……それも、確かに。
自身の信じる価値観だけを肯定して、他は全て無かったこととする。あの秘匿聖堂でラプラスが語った通り、それはアスターや貴族たちと変わらないのかもしれない。
でも。
「でも、エルは……エルは違います……!」
「ああ、そうだな。それでもあいつは、貴族たちとは違う。きちんと間違っていることは間違っているって認められるやつだ。
だから、王都でちょっとずつ学んでくれると思ったんだよ。世の中には、あいつの言う『綺麗な魔法』ばかり溢れているわけではなく、綺麗じゃない想いでも進めるような人間だってごまんといるってことを認識して。折り合いをつけて行けると思っていたんだが……」
そう考えて王都に送り出した、ローズの誤算は二つ。
まずは、エルメスにこれまで敵対した人間が、軒並み力だけ膨れ上がった程度の低い連中ばかりだったこと。エルメスの思想や思考になんら影響を及ぼせない人間しかいなかったということ。誤解を恐れず言えば……王都のレベルの低さを甘く見ていたのだ。
そして、もう一つが……
「あのラプラスって奴……やってくれたよなぁ。
あいつは多分、エルとは真逆の思想を持つ人間、正真正銘の悪党だ。だからこそエルの矛盾にもいち早く気づいたし、本来なら徐々に理解していくべきそのデリケートな問題に、直接手ぇ突っ込んでぐっちゃぐちゃにしていきやがったんだ。ああなるのも、仕方がない」
「……なる、ほど」
カティアにもあった。
彼女にとっては幼い日、エルメスに出会うまで。正義とか真実とか、きらきらしていたものばかりを純粋に信じていられた頃が。
程度こそ違うが……エルメスは、心の一部分では未だその状態なのだろう。
多分、エルメスにも答え自体は分かっている。
ただ……あまりに、急激に自分の中の常識がひっくり返って。その答えに、自分が納得できるだけの心の落とし所を見つけられていないのだろう。
……難しい問題だ。
それこそ、問題の答えが『正しい』ことには意味がない。要は、彼がそれを受け入れられるかどうかなのだから。
そして何より……彼の魔法が心を大事にしている以上、それは彼の戦力に直結する。現状第三王女派閥最高戦力の彼がこの状態であることは、自動的に自分達の敗北だ。
故に。
「だから、頼む」
改めて、ローズは告げる。
「間違った教育方法を押し付けたあたしにはその資格がない。本来なら頼めた義理にはないのかもしれんが……エルが、立ち直れるだけのものを。与えてほしい」
「──はい」
今度は、迷うことなく答えを告げられた。
その上で、まずは言うべきことを言うべくカティアはローズを真正面から見て。
「それと……間違っている、というのは言い過ぎだと思います。今の話を聞いて確信しましたけれど……エルが、今の優しいエルになったのは、ローズ様がそう判断して、ちゃんと優しい子に育ててくれたからです。そこに、間違いはないです」
「!」
「私はそのエルに、たくさんのものを貰いました。それを、返せると言うのなら。今度は……いいえ、今度こそ。私がエルを助ける番で、だから、その」
そう告げてから、最後に。
「ローズ様は、それで戻ってきたエルを。いつものように抱きしめる準備を、しておいてください」
「…………、ん」
言い切ったカティアに、ローズはもう一度軽く微笑んで。ぽん、とカティアの頭に手を置いてから背中を押す。
それ以降は言葉もなく、カティアは迷わずエルメスのいる建物の方角に歩き出すのだった。
「…………ほんと、成長したな」
カティアを見送った後、ローズは。カティアの背中を眩しそうに見つめ……同時に痛感する。
「いやしかし……子育てってのは、難しいなぁ」
ぶっちゃけ割と甘く見ていたところがあった。
子供たちを、正しく導くというのは。ただ正しいことだけを言えば良いというわけではなく、真っ直ぐなものばかりを示せば良いというわけでもない。
その辺りを加味すると、カティアのような。あんなにも真っ直ぐな良い子をしっかりと育て上げたという点で……
「ユルゲンは、すごかったんだなおい」
知っていたことだが、改めて旧友の偉大さを思い知る。
……まぁ、それはそれとして。奴の裏切りについては絶対に許すつもりもないのだが。
ともあれ。自分のなすべきことは一つ。
カティアに言われた通り……エルが戻ってきた『後』の準備を、可能な限り進めておくことだ。
カティアを信頼し、そして彼女の言葉を思い返し要約する。
「『エルに、たくさんのものを貰った。だから返したい』ね」
自分の弟子が、そう思われていると考えると……掛け値なしに、とても嬉しい。そういう人がいるのならば、大丈夫だとは思える。
ただ。問題は。
「──多分、そう思ってるのは一人だけじゃないんだよなぁ」
魅力的すぎるのも考えものだな、と。
呆れと弟子自慢の入り混じった苦笑をしつつ、ローズは逆方向に歩き出す。
◆
そして、同刻。
エルメスの居る病室の扉が開き、彼が振り向いた先で。
「──や」
いつかの、北部反乱の後と同じような既視感のある構図で。
ニィナ・フォン・フロダイトが。気さくな笑みに少しだけの恥じらいと気遣いを浮かべて、治療時を除けば最初に彼の元に訪れているのだった。
次回、エルとニィナのお話。他の子どもたちも入るかも? お楽しみに!




