91話 底からの、一つ目
「…………」
ぼんやりと。
カティアは、窓の外の光景を見据えていた。
現在彼女たちがいるのは、教会本部。
秘匿聖堂での戦いが終わって、回復と休憩、今後の戦略立てを兼ねて一旦は引き続き教会に身を置く──予定通りの行動では、あるのだが。
──眼下で繰り広げられる光景は、到底予定通りとは言い難いもので。
「教皇猊下が……!? なんということだ、冗談ではないのか!?」
「わ、分からない……しかし、猊下の側近が確かに言っていた……どころか一部の人間は謀反に加担すらしていたとのことだぞ!」
「馬鹿な……我々はこれから誰に従えば……」
「大司教も全員打倒され幽閉されているとのことだろう……? 一体どうすれば……」
この通りである。
今回の戦いは、大司教派対教皇派。当然皆『どちらかが勝つ』と思っており、勝った方によってこの教会も統一されると思い込んでいただろう。
にも拘らず、蓋を開けてみれば大司教派閥は全員打倒、かつ教皇の失踪。しかも教皇が王国に反旗を翻したという荒唐無稽な噂──真実なのだが──が出回り。
有り体に言えば……この上ない混乱状態に教会全体がなっていた。
いや、教会全体ではない。同じくトップが抜けた中立貴族も……そして、第三皇女派の
多くの貴族も。これから何に従い、どうすればいいのか困るもの。惑うもの、どさくさに紛れての己の利を伺うもの。
まとめていた人間がいなくなった結果の、利害の交錯によって。現在この教会本部にいる人間全員が、何をすれば良いか分からない状態になっていたのだ。
今のところは、ルキウスの統率による北部貴族たちの統制で致命的な混乱にまでは陥ってこそいないが、それもいつまで保つか分かったものではない。
……そう、だから。
こういう時にこそ、自分がきちんと立ち向かうべき。そうカティアは自分を鼓舞する。
そのために、自分は人よりも良い暮らしを許されてきた。こういう時に立ち上がって皆を導くための、『公爵』の立ち位置のはずだ。
例え、それが間違いなく未曾有の国の危機であっても。
頼りになる大人が、軒並み消えたというどうしようもない状況であっても。
……唯一の家族である父が、自分達に敵対していたことが発覚しても。
関係ない。
自分は、誇り高い貴族になると決めたのだ。ならばこういう時に、立ち止まってはならない。率先して前に出て、他の貴族を導かなければならない。
今度こそ、こういう時には。真っ先に、自分が、立ち上がらなければ、ならないのだ。
「やる……のよ……私、がっ」
自分の精神状態など関係ない、やるべき時にやらなければ、自分は昔と何も変わっていない。だから、何がなんでもやる。
そう言い聞かせ、何故か重い足を必死に引き摺って。貴族たちの統率に向かうべく歩みを再開しようとした、その時。
「──お、居た居た。久しぶりだなぁ、カティア!」
──場違いなほどに、明るく大きな声。
振り返ると、そこには案の定。
「……ローズ、様……」
様々な出来事が起こった秘匿聖堂の中でも、最大の驚きの一つ。知ってこそいたが、決して表舞台に出ることはないと思っていた存在。
『空の魔女』ローズが、気さくな笑みを浮かべて立っていた。
「二、三ヶ月ぶりか? 前に会った時と比べてちょっと背が伸びた気がするなぁ。魔法の方も見たぞー、あの後もすっごく頑張って修行したっぽいな!」
「え、ちょ、ローズ様、あの──」
ぐいぐいと。
迫ってくるローズに、戸惑いを顕にしながら返答しようとするカティア。
変わらず好意を向けてくれることは嬉しいが、今はそれどころではない──と、言おうとしたところで。
「──!?」
しかしその前に、物理的に遮られる。……近づいてきたローズが、その勢いのままカティアを胸元に抱き入れたからだ。
「うん、やっぱ背ぇ伸びてる。子供の成長は早いなぁ……でも安心した、抱き枕としての性能は変わってなさそうだ、いやーやっぱお前抱き心地良いぞ、エルに匹敵する。まぁあたしが今まで抱き枕にした子供ってエルとお前しかいないんだけどな!」
「その……!」
……流石に、悪ふざけがすぎる。
そう思って強引に振り解こうとするが……しかしローズは一向に手を緩めることなく。むしろより強く、離さないとばかりにカティアの背中に手を回し、頭に手を置いて……柔らかに髪を撫でる。
──まるで、労わるかのように。
「…………ローズ、様?」
「顔」
その辺りで違和感に気付いたカティアが問いかけると、ローズは打って変わって神妙な声色で一言。
「ひどい顔、してたぞ。混乱して、憔悴し切って……それでも、使命感に突き動かされて止まることもできず、死にそうになりながら足を動かしてるような顔だ」
「……」
「そういう奴は、大抵いずれとんでもないことをやらかす。よーく知ってんだよ。
……シータがずっと前、同じ顔してたからなぁ」
「──ッ!!」
その名前を出されると。
カティアも無視するわけにはいかず、抵抗の動きが止まる。
それに合わせて、ローズも更にカティアを抱き寄せ、頭に加えて背中もさする。無意識のうちに強張っていた体の力を、緩やかに解くように。
「なぁ、カティア。当たり前のことを言おうか。……お前は、まだ十五歳だ」
「っ、でも、でも──!」
「ああ、そうだな。お前は公爵家令嬢で、今は国の非常事態。おまけにこの場所はいつ制御不能の混乱に陥っても不思議ではなく、圧倒的に時間がないのも間違いない」
そうして、カティアが急ぐ理由、反論するべき理由を先回りして告げたのち。
「──だから、三十分だけだ」
「……え?」
「三十分だけ、時間をやる。その間なら、好きに吐き出せば良い。泣いても良いし、嘆いても良い。抑える必要も、我慢する意味もない。
……十五歳の女の子に、立場を理由にしてそれくらいの時間もやれない国なら。あたしは割と真面目に、そんな国さっさと滅べばって思うよ」
最後に、彼女らしい言い回しをしてから。
この強情な少女に、未だ上手な甘え方を知らない少女に。罪悪感を刺激しないように、時間付きの猶予を示したローズは、穏やかな声で。
「だから、ほら」
赦しの言葉を、告げる。
「今だけは。──好きなだけ甘えな?」
「っ、ぅ、あ」
それでも、カティアは抵抗しようとした。
ありがとうございますと、謝辞だけ述べて。緩やかに手を跳ね除け、自分のやるべきことを一刻も早く行うべきだと考え、そうしようとして。
でも。
「……、ぁ」
何故か。
涙が、溢れて。
「あ、あぁ」
それを誤魔化すように彼女の服に顔を押し付けると、柔らかで暖かな、包み込むような体温が冷え切った彼女の体に染み込んで。花の香りが心を溶かし。
そして。
「~~~~~~~~!」
彼女は、泣いた。
だって、ただただ悲しかったから。
「なんで……! なんでですか、お父様……!!」
たった一人の、家族だった。
お互いに忙しくて会話をする時間こそなかったものの、心は繋がっていると思っていた。
自分の極限の理想は、今でも記憶の中にある母親の姿だけれど。
そのために必要な道筋、積み上げるべき姿。
理想のために目標とするべき背中は……ずっとずっと、父ユルゲンの姿だったのだ。
冷徹なようでいてしっかりとより多くの人々のことを常に考えている様子を、尊敬していた。
時には非情な決断を迫られるべき場面でも、家族の情は忘れないところを。静かながらも、確かに自分に愛情を注いでくれているところを、心から敬愛していた。
これまでも、これからも。
理想に向かう自分のことを、見守ってくれていると……思っていたのだ。
なのに。
『気付いたよ。何を繕おうと、仮面を被ろうと、自分を騙そうと。
──私の本質は、どうしようもなく憎悪なんだと』
聞いたことのない冷え切った声で。見たこともない冷徹な眼光で。
自分を見る、ユルゲンを目の当たりにしてしまった。
『……あぁ、何度見ても綺麗な霊魂だ。澄んでいて、眩しくて、温かな想いに満ちていて──』
敬愛していた父が、その裏に隠していた本質を。
『──吐き気がする。そんな君が、私には最後まで理解できなかったよ、カティア』
絶望的な、離別の言葉を。耳にしてしまった。
「っぁああああ……!」
悲しくて、悲しくて、悲しくて。
その一点の感情だけで、僅か十五歳の少女の情緒をぐちゃぐちゃにするには十分だった。到底、自分の中に抑えておけるようなものではなかった。
だから、吐き出した。
猶予を作ってくれた、優しい魔女の好意に甘えて。胸を満たす悲しみを、ただひたすらに吐き出した。彼女にとっては一生分とも思える嘆きを外に出して、奥底から湧き上がる遣る瀬無い全てをこの世界にぶつけた。
何故か? 決まっている。
そうやって、心の中にあるものが無くなるまで全てを吐き出してから──
──新しい、必要な想いを。また心の中に、詰めるためだ。
◆
「落ち着いたか?」
「えっと、その、はい……」
きっかり三十分後。
若干頭が痛くなるほどに泣きつかれたカティアが、ローズから離れる。
美しいドレスが涙でぐしゃぐしゃになっているが、ローズはそんなことには一向に構わず、彼女にしては珍しいほどに心配そうな視線を向けてくれていて。
その気遣いと、甘えてしまったことが今更ながらに恥ずかしく、少しばかり目を逸らしそうになる……けれど、それでも。
「……大丈夫です」
カティアは真っ直ぐにローズを見て、答える。
強がりではない、虚飾ではない。心からの誇りにかけた言葉を、紡ぐために。
「ありがとうございます。──もう、立ち上がれますから」
その瞳には。
弱々しいけれど、憔悴していることは変わらないけれど。
……言葉通りの、確かな光が宿っていて。
「そっか。……すごいな」
ローズも、微笑んでそう返す。彼女も心からの賞賛と敬意を、この小さな少女に払いつつ。
その上で、述べる。
「でも、もうその目が出来るってことは。……ひょっとして、察してるのか?」
「ええ。そういう意味でも、丁度良かったです。真っ先にローズ様に聞くべきことがありますからね」
返すカティアの言葉には、ほとんど確信に近い予感が含まれていた。その聡明さに再度敬意を払った上で。
「んじゃ、ご期待通りもう素直に言おう。幸い、嘘つく必要はないしな」
ローズは、静かに、しっかりと、こう述べた。
「──あたしをあの場に呼んだのはユルゲンだ」
「──」
予想こそしていても、衝撃は避けられなかったのだろう。
身を震わせ、軽く瞠目しながらこちらを見るカティアに向けて。
「言っとくが、あたしも全貌を把握していた訳じゃない。あいつが何を考えているか、目的も内心も全部読めるなんて自惚ちゃいないし、多分本人以外誰も分からん」
「……はい」
「その上で。あたしが知っていて、今話せることは全部話す。
だから──それを聞いてどうするかは、お前が決めろ。カティア」
未来のための話。その一つ目を、始めるのだった。
ここから、第三章後半へのつなぎ。子供たちにスポットを当てたお話となります。
彼らがどんな決断をするのか、見守っていただけますと幸いです。




