88話 朔天
来るはずがないと思っていた。
薄情とかそういうことではなく……単純に、彼女の進む道にもう王都は関係ないものだと、思い込んでいたから。
「…………師匠……?」
故に、驚きの表情で久々の再会となるローズを呼ぶエルメス。ローズはその声を向け、エルメスの方へと振り向く。
常ならば、ここで全力の愛情表現と共に飛びついてきてもおかしくはなかったが……
「……」
意外にも、ローズはエルメスに対する愛情はありつつも……どこか神妙な、案じるような瞳でエルメスを見据えるだけ。
単純にそういう状況ではないということに加えて……ローズは分かっていたからだ。経緯は知らずとも、何年も見てきた愛弟子の変化、そしてたった今吹き飛ばした男の魔法とその性質から──
──エルメスの心に、何があったかを。
「……エル、先に言っておく」
よって、ローズは呟く。弟子に向かって、師として真っ先に言うべきことを。
「お前は悪くないよ」
「!」
「正直言うと、お前の『それ』に関してはあたしも気付いてはいた。その上で、今のお前には早すぎると思って話さないでいたんだ。
……悪いのはちゃんと教えきれなかったあたしだ、お前は間違ってない」
「え……」
「多分今、お前は色々と考えがこんがらがって何が何だか分かんなくなってると思う。それに関しては、後でしっかりと考えて自分の答えを出すべきものだ。だから、今はゆっくり休め」
それを語ると、ローズは体を前方に向け。
「──あとは、あたしが何とかするから」
この上なく、頼もしい言葉を告げ。
続けて、前を向いたままエルメスの隣で彼を支える少女に声をかける。
「なぁ、そこの銀髪の可愛い子」
「うぇ!? は、はい!?」
「エルの味方だよな? 悪い、そのままエルを守っておいてくれ。流石に……今のあたしは、周りに気ぃ使ってる余裕はない」
その言葉が。
実力不足ではなく、精神的なもの──彼女の、この状況を引き起こした存在に対する激甚な怒りによるものだということは。
その場にいる誰もが分かった。言葉と同時に放出された、彼女の桁外れの魔力によって。
「──さて」
その魔力と、凄まじい威圧感と共に。ローズはいよいよ前方に意識を向け。
「まず……何やってんだ? ユルゲン」
真っ先に、彼女が言及すべき相手に。どう考えても穏当とは言えない視線を放つ。
「……」
「どういう状況だ、これは。……お前の血統魔法は、もう絶対に人前では出さないって決めたんじゃなかったのか」
「…………」
「それを、よりにもよって子供たちの前で使って。お前が『そっち側』に立って。しかも魔力の残滓からするに、お前まさか、カティアに手ぇ出したのか。
──なぁ、ユルゲン。あたしは何も聞いていないぞ」
ユルゲンは無言で、ローズは淡々と。
静かでありながら、苛烈な魔力が。両者の間で立ち上る。
「あたしが、こういう時に気が長くないのはよく知ってんだろ?
だから、昔のよしみだ。一度だけ言い訳の機会をやる。絶対に裏切ってはいけないものを裏切り、あたしの逆鱗を全力で殴り抜いたことを──あたしが許せる言い訳を、今すぐ言え」
この二人の間に、昔何があったのかは誰も知らない。
だが──今の状況が、言葉通りローズの逆鱗に容赦なく触れているということは、あらゆるものが臨界に達しつつあるローズの様相からも明らかで。
それを十全に理解した上で──ユルゲンは。
静かに、微かに笑って、口を開く。
「……君の見たものが、全てだよ」
それ以上は。
最早、何も要らなかった。
「分かった。──殺す」
振り切った様子で、魔力を解放するローズ。
「っ、おい、トラーキア!」
「ラプラス。言いたいことは分かるが……これは私としても予想外だ。
そもそも、彼女の行動を縛れる人間なんて誰もいない。──今は、この状況を乗り切ることが先決だ。協力してくれ」
ラプラスとしても、色々言いたいことはあっただろうが。ユルゲンの言う通りこの非常事態に対処することが最優先だと理解したのだろう。構えを取る。
それを確認すると、ユルゲンは続けて。
「大丈夫だ、ローズは間違いなく王国最強だが無敵ではない。特に、彼女の血統魔法は迷宮内では本領を──」
「──発揮できないって? おいユルゲン、そいつは……」
しかし、それを遮るようにローズが、温度のしない声色で告げる。
「……いつのあたしの話をしてんだ?」
同時に。ユルゲンの『救世の冥界』による猛攻と、ラプラスの『悪神の篝幕』による──魔銘解放は先程の攻防で解けてしまっているが、それでも強力かつ厄介極まりない妨害が迫る。
単独でもエルメスたちを余裕で追い詰めた魔法使い二人がかりの連携攻撃。しかしローズは、静かに冷え切った表情を崩すことなく。
もう一度、その銘を宣言する。
「『流星の玉座』──【朔天】」
ローズの弱点、血統魔法が全て迷宮──より具体的に言うなら密閉所での戦闘に向かないこと。
その原因は彼女の魔法によって様々だが……ここでは『流星の玉座』にのみ焦点を絞って考える。
この魔法が迷宮での戦闘に向かない理由は単純明快、『天空からしか発射できない』という点。強力無比であるが故の制約によって、その魔法が本領を発揮できる場所は極端に限られることとなっている。
──だが。
『だから仕方ない』で終わらせないのが、空の魔女である。
『天空からしか発射できない』という制約は理解した。それは『流星の玉座』を強力たらしめている最大の理由であるため、その部分をいじるのは魔法のコンセプトに反する以上難しいだろう。
ならば、逆転の発想。
そもそも──何を以てこの魔法は『天空』を認識しているのか?
単純な高度か? だとしたらどういう方法で、どうやってその高度を認識している? 高度の基準は何だ? 何を測定し、どこに認識を委ねている? 魔法基準か術者基準か?
それらの疑問を、魔法が叡智の賜物であることを理解するローズならではの視点で、理論的に徹底的に分析し、実験し、この上なく厳密に突き詰めた。
ロジックが分かれば、あとは単純。
魔法が天空と判断する『条件』を満たすような──そういう領域魔法を創ってしまえば良い。
幸い、それは血統魔法に縛られているローズでも可能なことだった。
何故なら……彼女のもう一つの血統魔法、『無縫の大鷲』。
『空を飛ぶ』という効果の魔法──同じ『空』に関連する魔法を持っていたが故に、その魔法の要素を抽出し、応用することで対処が可能だったのだ。
その上で『原初の碑文』を用いて創成し、彼女の魔法を補助する魔法は完成した。
銘を──天空誤認術式:『朔天』。
魔法が認識する『天空』の定義を、実際の空以外の場所にも広げる魔法。
その魔法と、『流星の玉座』を組み合わせることによって生まれる効果は──
「──くたばれ」
任意の場所から、光の雨を降らせられる。
それを体現するかのように、ローズが手を翳した前方の空間から……一挙に、無数の光線が発射される。
それはユルゲンの放った怨霊の群れ、尋常ではない攻撃力を誇るそれらと真っ向からぶつかるが……
「ぐ──!!」
ローズの方が、強い。
魔法の攻撃性能においてもそうだし……基礎的な魔法能力においても天地ほどの開きがある。
あっという間に怨霊の群れが押し返される、それを見てラプラスが黒い結界を展開、一時的に光の雨を防いだ上で『拒絶』を発動、暴走させて制御を乱そうとするが──
「おっと」
それは観察か直感か。
『拒絶』の気配を感じ取ったローズが素早く攻撃を解除、逆に魔法の発動で隙が出たラプラスの方に次なる光線を撃ち放つ。
「ざっ、けんな──!?」
『拒絶』が追いつかないほどの波状攻撃。駆け引きも何もない、ただの物量で全てが押し返される。
それも当然だ、『朔天』を習得したローズは、端的に言えば──強力無比な一撃をどこからでも自在に放てる。
それは、ラプラスの『悪神の篝幕』の魔銘解放と酷似しているが……それとも違う、絶対的に違う点は。
ローズは魔銘解放を使うまでもなく──魔法の通常効果のみで、ここまで辿り着いたということ。
研究者ではない、魔法使いとしての彼女のスタンスはそういうものだ。
小細工など要らず、工夫など必要とせず。
誰が相手でも、何を前にしようとも関係ない。鍛え上げた研鑽の全てをシンプルで絶対の一につぎ込んで、全てに対して圧倒的な『己』を叩きつけて叩き潰す。
絶対的な、個。
それこそが、『空の魔女』の在り方だ。
そういうものだと、聞いていた──しかし。
(だとしても、これは桁が違いすぎんだろ──!)
必死に攻撃を防ぎながら、ラプラスが心中で毒づく。
当然、ローズのことは最警戒対象としていた以上その情報も過去の文献に加えてユルゲンからも聞いていた。
だが……それでも。
『迷宮内』は間違いなく、ローズの弱点の一つだったはずなのだ。
ユルゲンから聞いた情報──つまり数ヶ月前まではそうだったはずの弱点が改善されている。つまり……あの『朔天』の術式はそれ以降に開発されたものである可能性が高い。
それが、意味するところは。
「言ったろ。いつのあたしの話をしてんだ、って」
この化け物は──今なお進化の最中である、ということ。
……されど。だからと言って退くわけにもいかない。
このまま撃ち合っていては埒が開かない。そう判断したラプラスは、ユルゲンと共に距離を詰めて近接を挑もうと前に踏み出すが──
「──な」
それすらも、魔女の掌の上だった。
飛び込もうとした二人の足が、強制的に止めさせられる。
何故なら。
……圧倒されるあまり、彼らは失念していたのだ。
『どこからでも光の雨を放てる』。それが意味するところの、真の意味を。
上下左右、全方位。
一片の逃げ場もないように──二人を、光が取り囲んでいた。
「あたしはなぁ、師匠なんだよ。いずれこの国を、世界を変える最高の魔法使いの師匠なんだ」
詰み。
どう足掻いてもそうでしかない状況に容易く二人を追い込んだのち、ローズは静かに語る。
「そんな最高の弟子が、尊敬してくれてんだ。あたしの魔法を、魔法使いとしてのあたしを、目指す目標として見てくれてるんだ。
だったら、そう簡単に追いつかれてやるわけにはいかないだろ」
それこそが、ここまで進化した理由だと。
強さの根源を語ってから──容赦なく、内側の二人に向かって光線での圧殺を行った。
──が。
「……ちっ」
ローズが舌打ちする。……行った攻撃の、あまりの手応えの軽さに。
原因は分かっていた。ユルゲンとラプラスの、更に奥。これまで静観及び、立ち上がってきたルキウスやアルバートの相手をしていた。
「知らん顔だな。お前がこいつらのトップか?」
更に相手をする片手間で、別の魔法を放ち。ローズの魔法を相殺したクロノ・フォン・フェイブラッドにも剣呑な視線を向ける。
次の相手はこいつか──と意識を切り替えようとしたその瞬間だった。
「──ローゼリア!」
彼女が、ここに来た大きな理由の一つが。
息を切らせて、姿を現す。
「…………よぉ」
ローズを見て……どこか狂的な表情で喜びを含んだ声を上げる、その女性に向けて。ローズは、対照的に冷たい瞳で。
「久しぶりだなぁ。──クソ義姉貴」
教皇オルテシアに、そう告げ。
……どうやらまだ、彼女の力をもってしても一筋縄ではいかなさそうな状況を。されど叩き潰すのみだとの意思を込めて。
過去の因縁と、現在の脅威。その全てに、ローズは改めて対面するのだった。
次回、先代組やボスの謎の一部が明かされるかも。お楽しみに!




