85話 悪党
ラプラスの『悪神の篝幕』、その魔銘解放。
周囲の空間全てを『結界の中』として一時的に書き換えることにより、本来ならば結界で囲む一手間が必要だった『拒絶』の能力をタイムラグなしでいつでもどこでも使えるという、唯一の弱点を完璧に克服した反則の力。
それが既に発動してしまっている以上、大きな魔法は軒並み封じられると言って良い。故に、この場で取れる戦術は必然的に一つに絞られる。
「ふッ」
突撃、その一点だ。
ラプラスに拒絶されない一瞬だけの強化汎用魔法で身体能力を強化、その加速度でもって一挙に距離を詰め、瞬時に懐に潜り込んで鳩尾に向け拳を放つ──が。
「ぐ──!」
硬い感触。
見ると、突き出した拳はラプラスに届く前。
──一瞬で生み出された黒い壁によって、遮られていた。
あり得るかも予想していたが、やはり──
「身の回りだけだがな。本来の結界としての黒壁も、ここじゃ無条件で出し放題だ、よっと!」
つまり、ヨハンやグレゴリオの持っていた結界魔道具と同じく。
今のラプラスは、突如の不意打ちから身を守る術まで完璧に身につけているということ。
それを理解すると同時、反撃のラプラスの上段蹴り。咄嗟に狙われた頭を腕を交差させて防御するが、体格差によって強引にガードの上から弾き飛ばされる。
「ッ──!」
「ほら、今度はこっちからだ」
着地時の体勢の崩れを逃さず、ラプラスの追撃。彼としても『悪神の篝幕』自体に直接的な火力が無い以上、こちらが魔法を使わない限りは格闘で倒すのが常道なのだろう。
つまり、必然近接での戦いになる。そうなれば、徒手空拳を高いレベルで修めているエルメスの方が有利──の、はずだったが。
「っ」
「遅ぇよ」
実際は、真逆。ラプラスの圧倒的優勢、エルメスは防戦一方になっていた。
理由は複数ある。まずはラプラスも格闘能力が極めて高いということ。更には長身かつ鍛えられているラプラスと、未だ十五歳の華奢な少年並みの身体能力しか持たないエルメスとの体格差。
加えてラプラスだけはあの黒壁──極めて強力な魔法による防御手段を持つという圧倒的有利。そして極め付けは……
(体が……重い……っ!)
エルメス自身の、圧倒的な不調。
原因は分かっている、この空間そのものだ。
そも、ここが実質結界の中というのならエルメス自身にも『拒絶』の力は絶えずかかり続けているのだ。流石に彼の魔法抵抗力なら一挙に意識を奪われるとまでは行かないが、それでも相当量の気力体力を持っていかれていることは間違いなく。
有り体に言えば──この空間に居るラプラスの敵は、例外なく甚大な行動阻害をかけられているに等しい。
無制限の拒絶。術者だけに許された結界によるノータイムの防御。敵の行動制限に、術者自身の魔法能力、身体能力。
……先刻抱いた印象は、微塵も間違っていなかった。
この空間に居る限り──この男は、ほとんど無敵に近い。
……それでも、と。
僅かな突破口を探して必死に足掻き続ける。不利状況ながらも隙を見つけようと、ひたすらに捌いて耐え忍ぶ。
そして、そんな彼を見て。未だ余裕のあるラプラスが、攻勢を続けつつも口を開く。
「『……想いは、綺麗で。願いは、美しいものです』」
「!」
かつての彼の言葉を、なぞるような口調で告げ。
「『人にも、魔法にも罪はない。例え善くない想いで生み出された魔法であっても──善い使い方は、できるはずです。魔法は、美しいものであるはずだから』だったな。ボスから聞いたよ。それがあんたの魔法についての考え方だってな。
──じゃあよ」
その上で、この男は。一挙に声のトーンを下げて。
一息。
「──悪い想いの魔法を、悪い想いのままに使っちゃ駄目なのか?」
「────」
確実に。
エルメスの、心の深いところを抉る、質問を。
「その魔法が生み出された理念も、想いも、願いも無視して。
嫉妬を、憎悪を、絶望を、怨恨を。そういう負の想い、恐ろしく悍ましく醜い想いを抱いた魔法を、その一切合切を捻じ伏せ封じ込め誤魔化して。お綺麗にヘラヘラ笑いながら貼り付けた善意で汚泥の上のお花畑を作り上げるのが正しいことか?
──それで本当に、『想いを肯定してる』ことになんのかよ、おい。それこそテメェが大嫌いな、想いの捻じ曲げそのものなんじゃねぇのか?」
「…………ぁ」
エルメスが、これまで目を逸らしてきたもの。
意図的に言及を避けて、向き合ってこなかった矛盾を。ラプラスは克明に暴き出す。
「あるんだよ。この世には、どうしようもない悪意から生まれて、どうしようもない悪意のままに使うしかない魔法ってやつがなぁ。そういう想いでも魔法になる、そういう想いでも魔法は創れちまうんだ。
……その辺りをさっきまで分かってなかったからこそ、『悪神の篝幕』をお前はこれまで使えなかったんだろ?」
誇示するように、ラプラスは己の魔法を開帳する。
……それが間違っていないことは、エルメス自身の先ほどの行動が証明してしまっていて。
「そう思う根拠も、過去の経験から推測はつく」
「っ──」
「その上で言ってやるよ。……お前は、本質的には大司教ヨハンと同じだ」
続けて。
衝撃的な情報と共に、ラプラスが一気呵成に攻め立て、更に。
「大司教ヨハンは、『悪意にしか共感できない』っつー致命的な欠陥を抱えてた。先天か後天かは知らんがな。だからああまで歪んだ国を、世界を作ろうと目論んだ。
……対してお前は。そんな歪んだ大司教と、真逆でありおんなじなんだ。つまり」
エルメスの、ここまで醸成されてきた、彼の心に巣食っていた歪みを突きつける。
「──お前は、善意にしか共感できないんだろ?」
「っ、ぁ」
「何があったかまでは知らねぇ。だが推測するに、一回心が壊れてまっさらになって──そこからよっぽど『善い人』ばかりに育てられてきたんだなぁ。悪人にも会ったことはあったが、どいつもこいつも取るに足りねぇ人間か容易く踏みつけられる存在でしかなかった」
暴いていく。
ラプラスが、桁外れの頭脳でもって。知らないはずのエルメスの境遇すら、凄まじい精度で言い当てていく。
「結果、お前はこう思ったわけだ。善い思いが『正しく』て、悪い想いが『間違ってる』ってな。いやぁ素晴らしい、道徳教育のお手本にしたいような聖人君子の極みだ。だから魔法は綺麗なものだと思いこんだ。そりゃそうだろ、『綺麗な魔法』しか見てないしお前は認めないんだから。
善意によって生まれた魔法だけを称賛し、悪意によって生まれた魔法はそのあり方を歪めて善意によって使用することだけを強制する」
「……」
「──なぁ、それ。お前がこれまで倒してきた王子様や貴族どもと、何が違うよ?」
周りの人間の思いを、自分の都合の良いように捻じ曲げてきた。
そういう、彼がこれまで否定してきた連中とお前は同じだと、ラプラスは語る。
「善意は素晴らしくて美しくて正しくて、悪意は劣って醜くて間違ってる。
だから最後は善い想いが勝つし、悪い想いは淘汰されるのが当たり前。
行き着く先は、『みんなえがおでへいわなせかい』。綺麗で綺麗で、綺麗なだけの綺麗事。それがお前の本質で、全てがそうだと信じ込んでいたものだ。いやぁ──」
そして。
「──ふざけんなよ?」
ラプラスは、再度一息に距離を詰め。
反応を許さず、エルメスの懐に潜り込んだ上で──胸ぐらをつかみ上げ。
「俺を見ろよ、エルメス」
至近距離で、昏い眼光を叩きつける。
「汚濁から目ェ逸らすな、心を騙すな綺麗事で誤魔化すな。
俺は、お前の言うところの淘汰されるべき存在。『本当は~』だなんて特別な目的も持たない、ただただ破滅を願う存在、正真正銘の悪党だ。
──でもなぁ!」
エルメスがそれを振り払うと同時、ラプラスも勢いよく殴りつけ。
そのまま、攻勢を再開しつつ言葉でも打ち据えるように。
「俺は、俺の意志が、願望が、理想が! 『間違ってる』だなんて思ったことは一度もねぇ! 恥じるところも隠すべきものもねぇ、なんなら誇りすら抱いて叫んでやるよ──」
その上で、大きく両手を広げ。
誇示するように、世界に示すように。大声で言い放つ。
「──俺は! この国の全てが! 大ッ嫌いだッ!!」
「──」
「気持ち悪い。腹立たしい。あり得ない。くだらない。吐き気がする。
──だから滅ぼす。その想いには、一片の曇りも翳りもねぇ」
最早。
ここまで攻撃を受け続けたエルメスは、既に身を守ることすらおぼつかず。
「でも。きっとそうやって滅ぼしたとしても、この国の連中は反省すらしねぇんだろう。今までと同じように、自分以外の全てに責任を転嫁して。滅び行く自分達を悲劇の主人公に仕立て上げて自己陶酔しながら、『俺たちが滅ぼした』ことすら認めずにくたばるんだろう」
「っ──」
「そいつは、少しやりきれねぇ。あいつらに何の爪痕も残せねぇってのは堪える。
……でも、あんたなら。ここまでしっかり魔法を鍛え上げ、この国を見てきたあんたなら、ちゃんと真正面から、俺たちの悪意にきちんとぶつかってくれる。きちんと『敵』になってくれるもんだと思ったが」
そして、遂に。
「期待外れだったみたいだな。今のお前も同じ、見たくないものから目を逸らすことしか知らん生き物だ。
……悪意を理解しない人間が、どうして俺に勝てるってんだ」
ラプラスの拳の一撃が、エルメスを撃ち抜いて。
「一応謝っとく。……悪ぃな、勝手な期待、押し付けちまってたみたいだ」
酷薄な、言葉と共に。力の抜けたエルメスが、その場に倒れるのだった。
◆
「エルメスさんっ!」
「今行く──!」
そこで、ようやくユルゲンの怨霊の攻勢を抜けてきたのか。サラとルキウスが、魔法を構えてラプラスの元に向かってくる。
半端な物量ではなかったはずだが、突破できたこと自体は称賛に値するだろう。
……だが。
もう遅い。エルメスは既に沈んだ後だし、そもそもまだ戦闘中だったとしても意味は無い。何故なら──
「──もう一人いること、忘れてねぇか?」
薄笑みと共に、ラプラスが呟き。サラとルキウスが瞠目したその瞬間。
「血統魔法──『白夜の天命』」
これまで黙っていた、組織のトップ。クロノ・フォン・フェイブラッドが、詠唱を終えてその血統魔法を初めて開帳し──
その、数秒後。
「……っ、ぅ」「が──」
サラとルキウスが、床に倒れ伏していた。
……もう一度言う。
あの、サラとルキウスが。僅か数秒で、一方的にやられて倒れた。
恐らく、一番訳が分からなかったのは当人たちだっただろう。
けれど、それでも諦めるわけにはいかず。もう一度、今度はせめて見切るくらいはするべく二人とも力を込め。
「……あぁ、せっかくだし言っておくか」
それを、嘲笑うかのように。ラプラスは実際に笑いながら口を開いて。
「ボスは二重適性だぞ」
掛け値なしの、絶望の上塗りを、告げた。
「──」「そん、な」
二重適性。
つまり、今受けた魔法の他にもう一つ。
何故か確信できる──まず間違いなく、今受けた魔法よりも弱いことは絶対にありえないと分かってしまう魔法が、もう一つ。
その事実は、衝撃は。さしもの二人であっても、かろうじて保っていた膝の力を再び崩れさせるには十分だった。
カティアを封じ込めかつ余力を大幅に残した、ユルゲン。
魔銘解放を扱ってエルメスを単独で打倒した、ラプラス。
サラとルキウス二人に圧勝し尚底が知れない、クロノ。
──勝ち目が、無い。
その感想を、この場の全員が抱かないには。あまりにも、力の差が雄弁すぎた。
「……さて」
第三王女派閥が事実を確認したことを待っていたかのように、ラプラスが歩み出る。──やりたいことは、ここからだと。
そう。ただ倒すだけならどうとでもできた、それくらいには現状の戦力差は圧倒的だった。
それなのに、わざわざ面倒な構図を作ってまで……特に一人に対して力の差を知らしめたのには当然理由がある。『彼』に初めて会った時から想定していて、『彼』の本質を理解した瞬間にそうすると決めた、エスティアマグナ確保に次いで重要と位置付けた第二目的。
それは。
「……よぉ。どうせ寝ちゃいねぇしもう起き上がれんだろ? ちょいと話があるからよ、まぁ頑張って起きてくれや」
そう言ってラプラスは、たった今打倒した少年の元に屈みこみ。
予想通り、立ち上がれはしないまでも起き上がった彼に目線を合わせ、優しげでありながら獰猛な笑みを向けると。
「期待は外れたが、あんたが強いのは間違いないし、それならそれでやりようはある。
……そんじゃ改めて。初めて会った時に聞いたアレの、答えを聞かせてもらおうか」
第三王女派閥を完璧に瓦解させる止めの一言を、告げるのだった。
「──勧誘だ。俺たちのとこに来い、エルメス」
次回、色々動くかも。お楽しみに!




