84話 領域外
魔銘解放。
血統魔法の、血統に埋め込む際に封印した魔法本来の能力を解放し、それが『血統魔法になる前』のオリジナルの魔法の力を十全に振るう秘技。血統魔法使いとしての秘奥の秘奥。
当然、使える人間は極めて限られる。現在の王国で公的に魔銘解放を使用できる人間は存在せず、エルメスでさえも王都に戻ってからは、ちゃんと正しい形で魔銘解放を使用できた人間は観測できていない。
それほどの……魔法使いとしての一つの極致に到達した人間だけが扱える奥義を。
「『悪神の篝幕』──魔銘解放」
この男は、容易く行なってきた。
……正直言うと、予想はしていた。
元々、初対峙の時からラプラスが桁外れの力を持っていることは承知していたのだ。これほど強大な魔法を自在に操る男が、血統魔法の秘奥を習得している可能性については十分に考慮していた。
だからこそ──今考えるべきことは。驚くことではなく、この魔銘解放に対処することだ。
そう思考を定め、まずは効果を見定めるべくラプラスの行動に注目する。
かくして、ラプラスは魔法の発動を完了し、その瞬間。
──世界が、変わった。
そう直感した。
明確にこれとわかる出来事があったわけではない。けれど、どこか。
今までと比べて、遥かに空気が重くなって。空間そのものに鈍い色がついたかのような違和感が身体中に纏わりつく。
……一方で、それ以外には明確な影響があったわけではなく。ラプラス本体も魔法を発動したまま、静かに佇んでいる。
──まるで、『そっちから来な』とでも宣言するように、凪いだ瞳でエルメスを見据えている。
……乗るべきか、と一瞬考えた。
だが、すぐに気付く。そもそも現状の自分達は膠着を望める立場ではない。何せ今もユルゲンの『救世の冥界』がカティアを圧倒的に押している、早急に現状を打破しなければどちらにせよ押し切られてしまうのだ。
故に、こちらから行くしかない。瞬時に判断し、エルメスは対処の暇を与えず突撃するべく、隙をついて保持した『魔弾の射手』を解放、加速度をつけて一気にラプラスに迫ろうとした──瞬間。
「──拒絶しろ」
暴走した。
エルメスの足元に付与されようとしていた魔弾が、突如制御を失ってエルメスに牙を剥いた。
「っ!? これ、は──!」
即座に察知して足への致命的なダメージは免れたものの、体勢が崩れることは避けられない。
どうにかラプラスへの警戒を保ちつつ体勢を立て直し、今の現象について分析する。
……出来事自体は、覚えのあること──というか、つい先ほどエルメスもやったこと。『悪神の篝幕』の基本機能、『拒絶』の能力を応用することによる魔法の暴走だ。
──だが、今の現象には、致命的に違う点が一つ。
その『拒絶』の機能を発揮するには、『悪神の篝幕』の黒い結界で対象を閉じ込めることが必要だったはずで。
なのに。
今──結界で囲まず、ラプラスが命令しただけで魔法が暴走した。
「……まさ、か」
そこから考えられる帰結、それを保証する今しがたの違和感。諸々の情報をつなぎ合わせ、優れた魔法への造詣によってエルメスは瞬時に辿り着く。
──信じたくない、回答へと。
「お、その顔。もう気づいたか? そうだよ」
その絶望を、楽しむようにラプラスがエルメスの顔を見ながら、笑って告げる。
「ここはもう結界の中だ」
「──」
「つっても学園の時みたいに、明確に黒い結界で覆ってるわけじゃないけどな。イメージとしちゃあ『侵食』って言った方がしっくりくるか?
ここら一帯の空間が、『悪神の篝幕』の結界の中と同じになるように。限定的に、世界の方に『悪神の篝幕』のルールを捻じ込んで適応させたんだよ」
……理解、できてしまった。
そも、結界の原義は読んで字の如く世界を結実させること。
ならば、結界系の魔法を作った人間は、例外なくその魔法に『何かの世界を創りたい』とのニュアンスを含んだ願いを大なり小なり込めているわけで。
ならば、その願いの極致。本来の魔法の効果が。
『現実世界の捻じ曲げ』であることは、むしろ当然の帰結と言える。
そして、つまり。
この場が、『悪神の篝幕』の結界の中と同等になったということは、つまり。
今、ラプラスは──この場のいつでもどこでも、ノータイムノーモーションで。望むままにあの『拒絶』の力を好き放題振るえるということ。
これが、『悪神の篝幕』の魔銘解放。
『結界の生成』という一手間、最大の弱点を克服し。手の届く範囲全てを自在に拒絶する、まさしく悪魔のような能力。
確信する。この解放──『血統魔法』という枠の外、領域外に半歩踏み込んでいる。
「……そん、なの」
実質、無敵ではないか。
勝ち筋が見当たらない。現状の最有効手段は、その『捻じ曲げ』が届かない範囲まで逃げることだが──この秘匿聖堂の中ではまず不可能。となれば、どうやって対抗すればいいのか、皆目見当も──
(──いや)
しかし。
それでも、ここまでの知識と経験が、安易な結論を跳ね除ける。
「どうした、来れないのか? そんじゃあトラーキアの娘を──っと!」
ラプラスがカティアの方に手を伸ばす……その直前に、エルメスが地面を蹴る。拒絶されないよう、認識すらできないほどの一瞬だけ強化汎用魔法を発動。それで急加速を行なって再度ラプラスに突進。
「──正解」
ラプラスが、突撃を容易く受け止めつつ告げる。
「好き放題拒絶できると言っても、流石に規模には限度がある。具体的にはお前の相手をしている間はトラーキアの娘に手を回す余裕はない。他の連中もトラーキアの対処に手一杯。……だからほら、ご主人様に手ぇ出されたくなかったらお前が頑張らないとな?」
「……? ……随分と、親切ですね」
流石に、そこでエルメスも違和感を覚える。
まさしく、随分と親切だ。自分の魔銘解放の効果から弱点まで、懇切丁寧に説明してくれる。それでエルメスに、自分と一対一を行うのが最善であると教え込んで──
「そりゃあ、一対一が目的だからなぁ」
それが狙いだと、ラプラスは端的に語った。
「……ボスから、ちょいちょい聞いた。お前が何を考えてこの国の改革に力を貸してるのかも、何を目的としてるのかも、ボスに語ったことを介して色々とな。
随分と遠大で素晴らしいもんを掲げてたなぁ。いやぁ、ほんっと──」
そこで、言葉を区切り。
「──心底、ムカついたわ」
ラプラスは、この場で……更に言うなら、出会ってから初めて。
一切の表情を消した表情で、エルメスを見据え。
「なーるほどなぁ、と思ったよ。そんな考えを抱いてるんなら、あの時勧誘に頷かなかったのも理解できるしその後の行動にも辻褄が合う。
……んでな、そういう考えのやつ、俺的にはちょっと生理的に受け付けないんだわ。おまけに無自覚だってんだからタチ悪い。流石に温厚なラプラスさんでもブチ切れ一歩手前ですよっと。……ま、つーわけで」
知性を宿した獣の如き眼光で、静かに射抜いて告げる。
「説教タイムだ。
テメェがどんだけくだらねぇ欺瞞と勘違いの上に立ってるか、教えてやる」
「ッ!」
ラプラスから感じる魔力と、加えて殺気とも呼べるような圧力が、エルメスの総身を襲う。
それで察する。今、この眼前の男は……言葉通り、怒っているのだと。
「まずは心、折ってやるよ。──かかってこい、クソガキ」
逃げられない、と悟った。
今この瞬間、自分に向けられた全てからは。どれほど逃げたくても、この場においては不可避なのだと。訳もなく、直感してしまった。
故に、エルメスはその場に腰を落とし。戦闘態勢で、ラプラスだけに意識を集中して地面を蹴って。
因縁の男との、三回目の激突が──始まったのだった。
次回、エルメス対ラプラス、三度目。
どのような結末になるのか、見守って頂けると嬉しいです。




