80話 核心
同刻、秘匿聖堂の外にて。
ずん、と迷宮が揺れる音が響いた。
迷宮の外にまで届くほどの衝撃。それがよもや、エルメス単独の魔法によるものだと看破できたものはいなかったが……
それでも。その衝撃から、外の人間にも一つだけ確信できることがあった。それは──
「戦っていますね。エルメス殿たちと、大司教たちが」
「……ああ。相当の激戦になっているのだろうな、あの様子からすると」
そう話すのは、ハーヴィスト領の団長トアと、その配下の兵士たち。彼らは現在要請を受けて北部からここに招集、秘匿聖堂を守る教会の兵士たちを『外に留めておく』ための交戦の真っ最中である。
その役割は、今のところ成功していた。外からの圧力によって教会の兵士たちは内部の加勢に行けず、そして内部でもとりあえず大司教と交戦を開始するところまでは漕ぎ着けていると今の衝撃から判断できた。
よって、外の彼らの残る懸念は──この一点に絞られる。
「……勝てる、でしょうか」
「そう信じるしかあるまいよ」
不安そうに絞り出した兵士の一人に、トアはそう答え。
「どの道、現在の国の情勢を考えれば短期決戦以外に我々第三王女派の活路はない。彼らを内部に送り込む作戦を取った時点で、全ての命運は彼らに託されている。
ならば信じるべきだろう。それに──よもや貴殿は、あのエルメス殿たちが負けるとでもお思いか?」
続けて逆に問われたその質問に、兵士は一瞬呆けたのち──苦笑と共に首を横に振った。なるほど、それを言われてはどうしようもないと。
「トア殿の仰る通りです」
そんな彼らに続いて声をかけたのは、北部連合騎士の一人。かつて真正面から戦い合った彼らだが、ヨハンの一件が片付いてからは同じ第三王女陣営。比較的友好的な関係を築いており、今回も休憩中の彼らに親しげに話しかけてきていた。
「一応は北部連合の騎士として付け加えさせていただきますと、内部に突入した人員の中にはルキウス様もいらっしゃる。あの方も、我々にとっては負けるなど考えもつかないお方だ。
まぁ、その幻想を打ち破ったのがそちらのエルメス殿のわけですが……今回はそんなお二人が仲間として協力して攻めてくるのです。あの戦いを見たものとしては──むしろ敵に同情しますよ」
「……まぁ、確かにな」「違いない」
北部反乱最終盤、ルキウスとエルメスの戦い。あのまさしく頂上決戦と呼ぶに相応しい戦いを目撃した人間としては、それを出されれば最早何も反論は浮かばない。
自信を取り戻すハーヴィスト領の面々に気をよくしたか、北部連合の兵士は続けて告げる。
「それに、彼らだけではありません。第三王女派の他の魔法使いの皆さんも素晴らしい実力者揃いですし、後は第二王女殿下──は流石に分かりませんが……加えて、かの中立貴族筆頭、フェイブラッド家のご子息も今回は協力してくださるとのこと。彼も素晴らしい魔法使いと聞きます、必ずや……」
「──待て」
だが、そこで。
待ったをかけたのは、トア。
今の一連の話の中で、決して聞き逃せない言葉が出てきたからだ。それは、
「フェイブラッド家の、ご子息、だと?」
「? ええ、ルキウス様から聞き及んでおります、なんでも非常に優れた魔力をもっておられるとか──」
「──誰だそれは?」
北部連合騎士の言葉を遮って、トアは。
長年貴族社会に関わってきた人間だからこそ分かる一つの真実を、告げる。
「フェイブラッドに息子はいないぞ? ……何者だ、それは」
「「──」」
一瞬、惚ける兵士たち。だがすぐに、
「……か、勘違いでは? フェイブラッド家は謎の多い家です、ご子息が表に出なかっただけの可能性も……」
「いや、その可能性は低い。……私とて血統魔法持ちの貴族の端くれ、加えて北部を預かる身だ。当然、自衛のため他の貴族の動向も表裏関わらず調査はしている。フェイブラッド家など、私とて当主と直接会ったのは二十年近く前に一回だけ。そこまで謎だらけの家なら尚更入念に調査を重ねるとも。
その上での結論だ。……フェイブラッドに、息子はいない。少なくとも表立って『後継者』と明言できる存在をここまで輩出はしていない」
「秘匿していた、ということは」
「だとすれば王家への叛逆だぞ? ……詳しくは伏せるが今の情報は、王家に関わる筋から得たものだ。王宮に報告しない後継者をここに来て出すのは、それはそれであまりに大きな問題だろう」
「……」
一気に。
不穏な気配が漂い、何も言えなくなる兵士たち。同様に面持ちを固くするトアが、更に問いを重ねる。
「……その、フェイブラッドの息子を名乗る男の容貌は?」
「は、はい。ルキウス様からの伝聞になりますが……二十歳ほどの男性。珍しい黒髪に、赤みがかった瞳。あとは非常に柔和な顔立ちで、何処か底知れない雰囲気を纏っているとか」
「!」
……同じだ。
二十年近く前、面会したフェイブラッドの当主と全く同じ特徴。
一気に信憑性を帯びるその情報に慄きつつも、トアは更に問いかける。
「……その男の、名は?」
「クロノ。クロノ・フォン・フェイブラッドと」
「ッ!」
今度こそ、トアの背筋を電流が貫いた。
いやまさか、ありえない。だって二十年近く前だぞ。ありえるわけが──と疑念と焦燥が一気に脳内を駆け巡る中。
「……それは」
それでも辛うじて……これだけは、言っておくべき情報を告げる。
「──当主本人の、名だ」
「──!」「そ……んな、なにが」
無論。
ただの特殊なしきたりの可能性もある。風貌についてもただの他人の空似ということだってありえなくはない。自分の調査能力にだって、ここまで断言できる自信があるわけではない。
でも……何故か。
得体の知れない、決して放置してはいけない予感が。
その場に居た全員の間を駆け巡る。今までは純粋に順調な様子を信じられていた秘匿聖堂の中が、急にとんでもないことが起きている魔窟のように思えてくる。
……思えば、あの衝撃だって変だった。そもそも迷宮の奥深くでの衝撃が、こんなところにまで届くなど一体何が起こっているのだ?
何か。途轍もない、何かが。
固く閉ざされた改造迷宮の中で──『起こってしまっている』のではないかと。
急激に、疑心暗鬼に陥る一同。されど戦況はそんな彼らを待ってはくれず、すぐに教会兵たちとの戦闘に全員が駆り出され。
その場にいた全員の意識が、不気味な秘匿聖堂の中に向けられつつ……外の戦闘は、続いていくのだった。
◆
……ひどい気分だった。
確かな信念を持って、話が通じそうだと希望を抱いた大司教グレゴリオの本性を目の当たりにして。
今までにない、黒い拒絶の意志を抱いて。その衝動に従うまま、今まではどうしても使えなかった魔法をあっさりを使えるようになって、その魔法を自在に操って全てを圧倒して。
……ひどい、気分だった。
自分の中に、こんな感情が存在していたことが。こんな感情で、魔法を『使えてしまった』という事実が。
何より──この感情で、この想いで。魔法を使うことに……どうしようもなく甘美で、仄暗く芳醇な歓喜と共にあったということ自体が。
どうしようもなく気持ち悪く……けれど、どうしようもなく気持ちが良い。
歓喜と倦厭。相反する二つの感情がぐるぐると体の中を巡って吐きそうだ。自分が何を考えているのか分からず、何を思っていいのかも分からず。
自己矛盾による酩酊感に近い感情の嵐の中にいたエルメスに、届いた声は。
「──ああ、大司教様! なんてことをしてくれたんだ、この悪魔めぇ!!」
……更に、気持ち悪さを加速させるものだった。
そのまま彼の気分など一切考慮することなく、グレゴリオの配下の兵士は喚き立てる。
「せっかく、我々の使命に殉ずることができる最高の機会だったのに!」
「なんで抵抗するんだ、どうして大人しく我々と一緒に死んでくれないんだ!? 心の底から理解ができない!!」
「やっぱり私たちと同じ人間じゃないのよ! 相容れない存在なんだわ、汚らわしい!」
人の、声を。
こんなにも耳障りに感じたのは、初めてだ。
「くそ……みんな、この悪魔は規格外だ。大司教様を退けたこの存在に我々だけでは太刀打ちできないだろう──だが!」
「ああ、そうだな! このまま罪深い我々がのうのうと生き恥を晒すことなど誰一人として望むまい! だから!」
「ええ──みんなであいつに特攻して死にましょう!」
「そうだ! 少しでもあいつが地上に出ることを遅らせるんだ!」
「さぁいくぞ! ……あぁ星神よ、ご照覧あれ! 呪われた我々でも、あなた様の役に立てると証明します! 誉れ高き我らの死に様をあの悪魔に──」
「煩い」
左手を、一振り。
喚き立てる兵士たちを一挙に黒い結界で囲むと、内部の精神のようなものをイメージして拒絶。
……それで、予想通り内部全員の意識を刈り取った手応えを確認した。なるほど、抵抗の弱いものはこうして気絶させるのが一番便利のようだ。何よりこんな奴らを望み通り殺すなんて親切なことはできそうにない。
また、この魔法の使い方を一つ深める。気持ち悪い感覚に、溺れていく。
一旦は静かになった資料室、だが。
多分、まだ終わらないとエルメスは眼前──大司教グレゴリオが倒れ伏した場所を見る。……奴が生きていることを、確信する眼差しで。
何故なら見たからだ。あの、黒い結界に閉じ込めて意図的な暴走を行う直前。
辛うじてぎりぎり魔道具の再起動に成功したグレゴリオが、自身を最大出力の結界で覆うのを。完璧に防御不可能なタイミングを狙ったのだが、流石に使いたてではどうしても多少の荒さは出て、間一髪の防御を許してしまったようだ。
よって、エルメスの圧縮暴走させた炎の一撃はその守りを貫通こそしたものの威力は大幅に削られた。
だから、大司教グレゴリオは未だ原型を留めている。どころか、読みが確かなら──
「──は。はは、ははははははは!」
今にも意識を取り戻す、と思ったところで。
予想通り、グレゴリオが瞳を開け──予想外の哄笑を高らかに上げた。
咄嗟に身構えるが……立ち上がってくる気配はない。意識こそ残したものの、戦闘不能な状態には代わりないようだ。
それでも大司教の意地か、はたまた単純な狂気か。大司教は倒れ伏したまま一通り笑ったのち、天に向かって叫ぶ。
「ああ星神よ、申し訳ございません! 大司教という誉れある立場を与えられておきながら、私が非力非才であるばかりにこのような悪魔に後れをとってしまいました! ……ですが、ですがぁ!」
そこで、ぐりんとこちらに限界まで見開いた目を向けて。
「……私を倒した程度で、調子に乗らないでいただこう悪魔たちよ!
私は所詮慈悲深き大司教、他の大司教と比べれば異端狩りの能力においては一歩劣る! むしろそんな私にここまでの戦力を割いてしまったことを後悔するが良い!」
狂気……と呼ぶには理性的な言葉の数々。判断力を失って叫んでいるわけではないと考え、気になる情報もあったのでエルメスは一旦叫ばせるままにする。
「他の大司教はこうはいかないぞ! 特に──」
するとグレゴリオは、今度はぐるりと……静かに状況を見守る、クロノの方に目を向けて。
「クロノ・フォン・フェイブラッド! 貴様の配下を向かわせたところは今頃悲惨な状況だろうなぁ!」
「……」
すっ、と目を細めるクロノに構わず、グレゴリオは続ける。
「知っているぞ、貴様が指揮を取る中立貴族は数こそ多いものの……突出した魔法使いには欠ける、単独戦力が圧倒的に不足しているということをなぁ!」
「……」
「どうせ貴様はその分を数で補う心積もりだったようだが、あまりにも相手が悪すぎたようだね。そいつらの相手をするのは大司教ヴァレン殿──『最も強き大司教』だ!」
「!」
エルメスが軽く目を見開く。
残る大司教のうち一人の、グレゴリオと同じ二つ名が明かされ……それが如何にも不穏な響きを帯びていたから。
「彼の異端狩り、戦闘の能力は我々大司教の中でも随一、加えて貴様のやったような一対多の状況など彼の最も慣れている手合いだ。
数だけが頼みの貴様の配下など一捻りだろう! そうして次は貴様らだ、すぐにこちらに向かってきて君たちも丸ごと叩き潰して──」
ずちゃり。
言葉を遮るように。
資料室の入り口から、水っぽい音が響いた。そう、それこそ──血まみれの人間を投げ捨てたかのような。
「!」
それを聞いて、大司教グレゴリオが歓喜に目を輝かせる。
まさしく噂をすればとばかりに、大司教ヴァレンが駆けつけてくれたのだと確信し、音のした方にぐるりと目を向けて──
──固まった。
「……あーあー、うるさいうるさい。大司教グレゴリオさんよ、あんたそんな叫ぶキャラじゃなかっただろおい。まさかやられるとは思わなくて壊れてハイになっちまったのかぁ?」
その声を聞き。
大司教グレゴリオは限界を超えて瞠目し──
──それ以上に、エルメスの方が驚いた。
だって。
その声は、あまりにも聞き覚えがありすぎて。
そして……この場にいることは、絶対にあり得ない男の声だったから。
「ちょっと前から見てた。ご高説拝聴したぜグレゴリオさん。随分と他の大司教を信頼しているようだなぁ。組織の絆、いやはや大変美しい」
そんな一同の驚愕に構わず、その男はにやにやと皮肉げに笑って。
「んで、そんなお仲間大好きなお前さんに聞きたいんだがよ。あんたが今声高に叫んでた、『最も強き大司教』ヴァレン様ってのは──」
足元を指差し、告げる。
「──そこに転がってる肉塊のことか?」
「………………ばか、な」
その男がつい先ほど足元に投げ捨てた、法衣を纏った男を見ての。
大司教グレゴリオの反応が、何よりも雄弁な肯定だった。
「まぁうん、大司教にしちゃあ確かに強かったよ。血統魔法もなかなかのもんだ。……でも戦い方がてんでダメ、ありゃ自分より弱い奴をいたぶるしかしてこなかった類だな。言動からもそーゆー気配が滲み出まくってた。
……ていうかさぁ、テンション上がんねぇよこんなやつぶっ壊したところで。だってそうだろ? どうせ壊すなら、綺麗なものを壊したい。例えば……」
そして、その男は。ようやく、こちらに目を向けて。
邂逅の数こそ少なかったが、それでもひどく印象に残る容貌を。野生的な、不敵な笑みに歪めて。
どこか親しげに、再会の挨拶を告げてきた。
「あんたみたいな奴とかな。よう、久しぶりだなぁ、エルメス」
「……ラプラス、卿」
学園騒動の最後から因縁が始まった、未だ謎に包まれた王国に敵対する『組織』の幹部にして──たった今、エルメスが使った血統魔法の本来の持ち主。
ラプラスが、彼の桁外れの実力をもって叩き潰した『最も強い大司教』を手土産に。三度、エルメスたちの前に現れたのだった。
「さっきも言ったが、ちょっと前から見てた」
そのままラプラスが、警戒するエルメスに対してある種無造作とも言える振る舞いで話しかける。
「俺の魔法、うまく使ってたなぁエルメス。
……ていうか、マジで助かったぜ。俺たちにとっちゃ大司教共が最大の障害、いっちばん邪魔になる存在だったからな。単体は大したことないが、『大司教派』っつー組織単位で見たら舐めてもいられねぇ相手だったしよ。そいつはヨハンと相対したお前が一番よく分かってんだろ?」
「何を……」
「そんな厄介な大司教を、お前は二人も倒してくれた。んで、俺がボコったこいつで三人目。残りは一人だが……まぁ面子的、っていうか奴がいる限り負けはないだろ」
「何を、言って……いえ、そもそも貴方が何故ここに──」
「で、だ。そんなお前さんにも聞きたいんだがよ」
エルメスの疑問を、一旦は遮って。
ラプラスは──ここまでで初めて見る。毒のない、どこか透明な印象を与える薄笑みを浮かべて。
「この国をさぁ……滅ぼさない理由って、何だ?」
今のエルメスにとっては、あまりにも。
刺さりすぎる疑問を、述べてきた。
「ッ、それは……」
「ま、流石に今のお前にすぐ答えろってのは酷かね。んじゃあ代わりに、俺がお前に言われた疑問に答えよう。
つっても──何でここにいるのか、だっけ? そりゃもう、頭良いお前さんならもう薄々察しはついてんだろ?」
「!」
またも、図星を突かれ息を呑むエルメス。
そうだ。ラプラスは大司教ヴァレンの相手……『中立貴族の先兵』が担当するはずのところから現れた。
加えて、『彼』の得体の知れなさ。ユルゲンに忠告されたこと。
それらを組み合わせれば、自ずと答えは一つに絞られる。
「……大司教派は半壊した。目的のブツはすぐ目の前。俺がいない王都も今頃は大混乱。
そして都合の良いことに……丁度幹部も、全員ここに揃ってる」
呆然と、見守るしかできないエルメスとその他第三王女派閥の前で。
ラプラスは、この場に残る最後の一人──クロノ・フォン・フェイブラッドに向かって。
ひどく親しげに、芝居がかった口調で。開幕の一言を、放つのだった。
「──頃合いだ。
あんたの望んだ愉快な破滅、ここから始めよう。なぁ、ボス?」
第三章、ここから核心に入っていきます。
次回、第二王女ライラ視点を挟む予定。話も動きます。お楽しみに!




