79話 悪神の篝幕
それは、学園騒動の最後。学園を巨大な結界で覆ったあの男と対峙した時に初めて受け。その後もいくつかの因縁を経て、王都を脱出する時にも戦ったあの男の血統魔法。
初めて受けた時は、魔法の一切が解析できなかった。ローズの三番目の血統魔法とはまた違う、自分の知らない何かしらの要素が介在しているせいで解析が不可能、よって当然再現もできないはずだった。
でも、今は違う。今ならば使える──否、使えてしまう。
その確信のもと、彼は魔法の銘を告げる。
「術式再演──『悪神の篝幕』」
応えて現るは、彼の周りを漂う黒い靄のようなもの。
「! ……まさか、その魔法は」
それを視認した大司教グレゴリオは、心当たりがあるのか目を見開いてエルメスの元を見据えた後──
「……そうか」
──つぅ、と。
涙を、流した。
「君にはもう、何を言っても通じない。どうしようもない存在なんだね」
心の底から、憐れむように。目の前の存在を悲しむように。まさしく、『神に見捨てられたもの』を見る目で、憐憫の涙を流す。
思い返せば、『悪神の篝幕』も教会の言う『邪悪な魔法』のカテゴリに入っていたか。その辺りを加味すれば大司教のこの感想も分からなくはない──
……いや、訂正しよう。
やっぱり分からない。だって眼前の存在の考えなど、分かりたくもないから。
ともあれ、向こうは完全にこちらを排除対象と定めたようだ。
配下の魔法使いに指示を出し、また何人かがこちらに突撃してくる。
あの、人間爆弾の魔法の用意だ。魂の拒絶反応による意図的な魔力暴走を起こして、その爆撃を直接的に浴びせるというさせる側もやる側も正気とは思えない攻撃手段。
事実、配下の魔法使いたちは思考停止と狂気に満ちた瞳でこちらとの距離を詰めてくる。
これまでは、防ぐ手段がなかった。半端な結界は貫通する威力だし、魔力暴走を停止する手などこちらの手持ちの魔法には存在しなかったから。
……でも、もう問題ない。
だって、もう分かっている。今、彼の手の中にある魔法。『悪神の篝幕』の真価が。
彼がこれを扱う上で足りなかったのは、魔法の根源。どういう考えで、どういう理念でこの魔法が作られ、使われたか。
──つまり、魔法の基本の基本。その魔法に込められた想いだ。
襲い掛かる兵士たちの前で、エルメスは手をかざして思考する。
単純な話だった。小難しく考える必要などどこにもなかった。
この魔法を使う上で抱くべき想いは、純粋で、絶対的で、なんの衒いもない──
「──僕の、目の前から、消えろ」
──拒絶だ。
瞬間、黒い靄が即座に凝固し、黒い結界を生成。
そのまま抵抗する間も与えず、兵士たちをすっぽりと飲み込み。まずは物理的、視界的に彼らと外の世界を遮断する。
……そも、『結界』の原義は遮断。『外』と『内』を遮ることでその中で、文字通り世界を結実させること。
加えて、この魔法の根源である拒絶。それを組み合わせた、この魔法の真価は──
(結界魔法の効果に加えて、もう一つ。結界の内側における、何かを拒絶すること)
エルメスは、そう正確に理解した。
……とは言っても。
いきなり、結界に閉じ込めた人間を消し去ることはできない。流石にそこまで万能ではなく、拒絶できる対象にも条件があるようだ。
でも、その辺りも今回は問題ない。
だって今、結界内にいる存在の中には、まさしく言葉通り。
何よりも誰よりも、『拒絶』したがっているものが雄弁に存在するではないか。
後は、この魔法でその背を押すだけだ。
その確信のもと、エルメスは更に手をかざし、告げる。
「──『招かれざる魂』を拒絶しろ」
それで、おしまい。
結界内で異物と判定された、本来の持ち主以外の魂。
すなわち大司教の魔法によって憑依させられた魂が、その時点で魔法に拒絶され跡形もなく消滅。
……当然、魂同士の反発もなくなり。中の人間はこの時点で、なんの脅威も無くなった。
結界を解除する。
途端、中にいる人間が崩れ落ちた。唐突な強化の消失で体が追いつかなかったのだろう。
当たり前のように、人間爆弾も不発に終わる。あまりにもあっさりと、大司教の切り札の一つを封じ切った。
「な──なんて罪深いことをしてくれるんだ! せっかく、救われたがっている魂の最後の輝きを──!」
グレゴリオが何事かを喚いているが、どうでも良い。
次なる脅威は、周囲で構える兵士たちにより放たれる血統魔法。これまでの彼らを防戦一方にさせていたそれだが……
……最早それも、一片の脅威を感じない。どころかそれを見て、エルメスが考えたのは。
(……丁度良いな)
この魔法の基本的な使い方は、今の一連で理解した。
ならば、次は応用。エルメスが一回目の対峙でやられ、二回目の対峙で看破した事項。
──『カウンタータイプの魔法』と評したこの魔法の使い方を、次は試してみよう。
まずは、放たれる手頃な血統魔法に狙いを定めてこちらの魔法を放つ。
黒い結界が、魔法を封じ込め。次は選択の時間だ。
すなわち、何を拒絶するか。これも魔法そのものを消し去ることは……多分相当頑張らないと厳しいし、何より非効率。
故に。魔法の、威力や性質と言った部分はそのままに。イメージとしては魔法の『外側』、制御や推進を司っている部分だけを拒絶し、破壊する。
そして、結界を解除。
結果、何が起こるかは言うまでもなく分かるだろう。
威力はそのままに、制御部分だけ破壊されたその魔法は、当然の帰結として──
──暴発する。
「が──ッ!?」「何をやっている!?」「ッ、何が、起こっ」
魔法が、放たれた手元でいきなり暴走。加えて制御を失っている分無差別かつ威力は元の魔法より遥かに強力だ。その被害は計り知れない。
混乱する敵陣営を尻目に、エルメスはまた別の魔法に狙いを定めて結界を起動。より効率的に、より効果的に。最大効率でダメージを与えられる魔法を、ポイントを狙い打って、次々と魔法を暴走させていった結果。
「ばか……な……!」
──一発たりとも。
放たれたはずの無数の血統魔法は、あるものは暴走させられ、あるものはその暴走の余波に巻き込まれ。
結局、一つもエルメスのもとに届くことなく……向こうの陣営にだけ、壊滅的な被害を与える結果となったのだった。
誰もが、呆然とする中。
「っ、まだだ、このような邪悪な存在に──!」
流石と言うべきか。真っ先に動いたのは大司教グレゴリオ。
阻まれたのならば更に強化を与えるだけと言わんばかりに、魔法を起動。天井に網のようなものが張り巡らされ、そこから光の球体が落ちてくるが。
「させるわけ、ないよ」
エルメスのその言葉が全てだった。
黒い結界を、今度は天井一面に張る。
……それだけ。
ただのそれだけで、グレゴリオの魔法は封じられる。光の球……憑依させるべき魂が、黒い結界を微塵も突破できず立ち往生する。
この魔法の本質は拒絶、すなわち『通さない』ということに関しては血統魔法でもトップクラス。
──そう、シンプルに本来の結界としての機能もこの魔法は桁違い、間違いなく頂点を誇る存在なのだ。
「……」
無言で。
完璧に、打つ手を封じられた大司教グレゴリオに向かって。ゆらりとエルメスが駆ける。
「くっ、この──!」
けれど、相手も大司教。血統魔法を封じた程度では終わらない。
それを証明するかのように、懐から取り出したのは魔道具。大司教ヨハンも持っていた結界を瞬時に起動する古代魔道具だ。それを用いれば、どんな魔法が来ようととりあえずは防げるとの魂胆だろう。
……だが残念、それは大悪手。何故なら。
よりにもよって、今のエルメスが操る魔法に──結界で立ち向かおうとしたのだから。
エルメスも、魔法を起動。大司教が纏った結界ごと、更に大きな黒い結界で覆い。
「『己以外の世界』を拒絶しろ」
これも、それでおしまい。
黒い結界で内に入れた魔法そのものを消し去ることは、相当頑張らないと厳しい。──つまり、頑張ればできないことはない。
加えて、この魔法は結界系魔法の頂点。
……同じ結界に、負ける道理は無いのだ。
結界を解除。
見えるのは自身の結界も消え、全ての手札を剥がされ間抜け面を晒した大司教一人。
……さて。ここまでは、あの男も使えるだろう魔法の使い方で攻略してきた。
ならば止めは──エルメスにしかできない魔法の使い方で締めようか。
そう考え、まずは結界を構築。再度大司教を黒い結界が覆い……覆い切る直前。
「──【灼け】」
グレゴリオが動く前に詠唱、保持しておいた最大火力の魔法を発動。その更に最大出力で一つの大きな炎を生み出し。
──黒い結界の中に、放り込んだ。
この魔法の主要な攻撃手段はカウンター。唯一の弱点として直接的な攻撃性能を持たない分、相手の魔法を利用し、威力を倍加させた上で暴走させることを主な攻撃として行う。
……でも、エルメスなら。複数の血統魔法を持ち、間接的にだが複数の血統魔法を同時に扱えるエルメスであれば。更に有効な使い方ができるではないか。
そう──自分の魔法を暴走させてしまえば良い。
かくして。
エルメスが、己の単独最大火力の魔法を最大威力で、しかも結界の中という一切爆風の逃げ場がない場所で意図的に暴走させた結果。
──秘匿聖堂が、揺れた。
轟音と衝撃と、黒い結界から一部赤い光が漏れるほどの熱量。
あの結界の内側に太陽が入っていたと言われても信じられるほどの凄まじいエネルギーの奔流が収まり、結界が解かれたその後には。
「……」
どさりと。
真っ黒になった──むしろ原型を留めているのがおかしいと思える大司教グレゴリオが、倒れ伏す音が響いたのだった。
……誰も、声を上げられなかった。
誰もが呆然と、ことの推移を見守っていた。
だって、誰が想像できる。
あの一人の、とても強そうに見えない少年が。
あたかも指揮棒を振るうように指を動かすと、彼に向かっていた兵士たちは訳も分からず崩れ落ち。その指先を向けた先では何故か魔法が暴発し。
最後には、それこそ神の力としか思えないような魔法を発動し、大司教グレゴリオを一撃のもとに沈めてみせた。
そんな。
人知を超えた、不条理で不可解で理不尽な魔法を振るったその少年は、そんな視線には目もくれず。
「…………、ああ。すごいなぁ」
様々な感情を含んだ……けれどそのどれも一切読み取れない、透明で冷徹な声で。
こう、呟いた。
「──この魔法、こんなに便利なんだ」
……今したことへの認識でも、感情の発露でもなく。
真っ先に出てきたのは──ただの、魔法の感想。
それを聞いた瞬間、兵士たちは確信した。
あれは、違う。自分たちとは相容れない何か。絶対的な力を振るう、決して認めるわけにはいかない敵対者。
それを、なんと呼ぶのか。呼ぶべきなのか。
彼らの所属する教会という組織は、この上なく相応しい名称を用意していた。
「……悪魔、め……」
絶望と、畏怖をもって呟かれたその呼び名を。
誰も……エルメスの味方ですら、否定することはできなかったのだった。
師匠を除けば、エルメスが唯一魔法戦で負けた化け物血統魔法。その化け物度合いを感じて頂けたら嬉しいです。
次回、更にお話が動きます。よろしければまたお付き合いいただけると!




