78話 王国の底
何が、起こっているのか。
まるで、理解が出来なかった。
「…………」
呆然と、たった今眼前で繰り広げられた光景を見て、エルメスは過去に無いほどに放心する。
……エルメスという少年は。
これまで、人の死というものをそこまで身近に感じたことが無かった。自分が死にかけたことは幾度かあったが、自分以外の人間が死ぬことには──とりわけ、自ら『人間』の命を奪うことには抵抗があった。
感情が欠落していた彼だったが……それでも。生来の善良さとローズの教育によって、その程度の倫理観は人並みに持ち合わせていたのだ。
だから、こそ。
『目の前で人がいきなり死ぬ』という光景は、彼にとっては到底受け入れ難いもので。
加えて、何より──
「……ふむ? 何をそこまで放心しているのかね? 君は魔法の美しさをとりわけ大事にしていると聞いた、ならば感動こそすれそこまで絶望的な顔はしなくてもいいじゃないか」
それを、躊躇いなく実行しておきながら。
平然と、それこそ不思議なものを見る目で問いかけるこの大司教のことが、何より理解できなかった。
「……あな、たは」
それでも、散り散りになりそうな思考を懸命にかき集めて、エルメスは問いを発する。この男に聞くべきこと、聞かなければならないこと、問い詰めなければならないことがあまりにも多すぎるから。
「貴方は、命を大事にする、主義を持っているのではなかったのですか」
「ああ」
「『最も慈悲深い大司教』の名に相応しく、命を大切にしているのではなかったのですか」
「その通りだとも、話のきちんと通じる子で嬉しいよ」
「ッ、ならばこれは何だ! こんな、人を使い捨ての爆弾にするような真似が! とても意義あるものとは──!」
「? 何をそこまで激昂しているのかは分からないが……」
さしもの彼も混乱しているのか若干言葉がまとまらない、けれど問うべきことをぶつけた詰問に対して……大司教は、答える。
「意義は、あるだろう? ──今の彼、マルクはちゃんと。君のような神の敵を倒す一助となったのだから」
「──」
あまりにも、かけ離れた言葉に。薄々勘づいてしまったことをそれでも認めたくなくて、エルメスは続けて言葉を発する。
「っ、百歩譲って、それが貴方たちにとっての意義だとしても! こんなものが貴方の言う『大事にしている』とは、とても思えない!」
「ふむ、何故そう思うんだね?」
「だって、彼の命は今潰えたではないですか……! 本来あったはずの可能性が、僕たちと、貴方たちと同じように、平等に与えられていたはずの未来が、彼だけ一方的に、一方の都合で潰されるなど……」
「──ああ、そういうことか」
大司教グレゴリオは。
正しく大司教らしく、誰かの告解を聞くように。教えを説くものの威厳を持って、エルメスの疑問を受け止める。
「話を聞くに、君は。彼にはこんな爆弾の役割を与えるのではなく……もっと、それこそ我々と同じようにもっと長く自由に生を与えられるべきだと言いたいのかな?」
「そう、です。それが理解できているならなんで──」
「あはは、面白いことを言うね。そんなこと許されるわけないじゃないか」
それを、正確に言語化して──グレゴリオは、笑う。
その笑みは、変わらず朗らかで。出会った時から変わらない、慈悲と威厳に満ち溢れていた。
そうだ。
グレゴリオには、それほどの能力がある。明晰な頭脳があって、ちゃんと話を聞く理解力もあって、こちらの感情を言語化する意思疎通の手段を持っていて、話を説く度量と技術があって。
正しく、聖職者の最高位に相応しいだけの、尊敬に値する能力と人格を、全くの不足なく持ち合わせているのに。
「──だって」
なのに。
「邪悪な魔法を持った彼らは、生まれた時点で我々よりはるかに罪深いだろう?」
その、一点だけが。
どうしようもないくらいに、噛み合わない。
「そんな存在に、我々と同じ権利を与えるなんて──ああ、考えるまでもなくあり得ないことだと分かる。それは慈悲ではなく堕落の誘いだよ」
「ただ違う魔法を持って生まれたことだけで罪深いと、何故分かるのですか」
「? 星神がそうお定めになったし、御使もそう仰ったと確かな文献に記されている。それ以外に何の根拠が要ると言うのかね? 私にはまるで理解できないのだが……」
ちゃんと、思慮深いのに。柔軟な思考を持っているのに。
そこだけは、疑わない──疑うという発想がそもそもない、そういう環境で育ってきたのだ。
「むぅ、これは君たちの間違った思い込みの根が思ったよりも深そうだ。仕方ないが……より深く、思い知ってもらうしかなさそうだね」
最早、今説くことは不可能と判断したか。
グレゴリオは対話を切り上げ、手をかざして魔法を起動する。
──それが意味するところは、つまり。
「ッ、待っ──」
エルメスが静止する間も無く。
また、新たな兵士たちがエルメスに突撃してきて。
そして、また。あっけなくエルメスの眼前で爆発した。
「──!!」
また、咄嗟に結界の魔法で防ぐ──否、それしかできない。
相手の自爆を止める、なんて魔法はいくらエルメスでも今は持ち合わせていないのだ。
それはエルメス以外も同じで。ちらりと向こうを向くが、サラもニィナもリリアーナも。眼前の光景にショックを受けつつ、対処するのが精一杯で。
この暴虐を、誰一人として止められない。
(そう、そうだ──!)
だがそこで、エルメスは思い至る。
……こんな所業、配下の兵士たちが納得しているわけがないではないか。
使い捨ての爆弾にされるような真似、到底受け入れられるわけがない。そうだ、そうであればあのグレゴリオの戯言を一蹴できる、そう思って前を向いた──
──のに。
「グレゴリオ様、万歳──!」
「教会と星神様に栄光あれ!!」
「──」
笑っていた。
何の屈託もなく、何の悲哀もなく。
ただただ、喜ばしげに。彼らは笑っていた。
洗脳されているわけではない。思考を誘導されているわけでもない。
疑いを持ちながら従っているわけでもない、ただただ、全面的な無垢の信頼がそこにあって。
──だからこそ、訳が分からない。
「何で。何で貴方たちも、そんな」
「うるさい、神に逆らう不届きものめが!」
「お前のような存在を倒すために、今日今まで私たちは生きてきたんだ!」
疑問を口にしようとしたエルメスの声は、今まさに爆発しようとしている兵士たちの声で遮られ。
「お前は、グレゴリオ様の慈悲深さが分からないからそんなことが言えるんだ!」
「そうよ、私たちはグレゴリオ様に救われたの!」
「それだけじゃない、こんな我々もきちんと扱ってくださった!」
「だってグレゴリオ様は──」
そして。
彼らは、告げる。
「──ちゃんと一日二時間も寝かせて下さるんだ!」
「──一日に、パンを二個も支給してくれるんだよ!!」
「──きちんとした牢屋で生活させて頂けるのだぞ!?」
………………。
……理解、した。
──自分たちの方が、異端なのだ。
この場所では……いや、ひょっとするとこの国では。
自分たちが思っているよりも徹底的に、自分たちが排除されるべき存在で。
『邪悪な血統魔法』を持った人間の扱いは、本当に、そういうものなのだ。
カティアが陰口を叩かれた──陰口で済んでいたのは、彼女が名門公爵家の人間であるからで。
自分たちが変えられたと思っていた範囲は、本当にこの国の上澄みも上澄み、表面的な部分だけだった。
「そう、その通りだ! 素晴らしく誇らしい私の配下たちよ!」
グレゴリオの、珍しく興奮した声が響く。
「私は常々心を痛めていた。あまりにも、悪の血統魔法を持った人間の扱いが悪すぎる。彼らだって命を持った存在だ、そんな粗雑に扱われて良いわけがない。
もっと優しく、慈悲深く。もっとまともな生活と、素晴らしい命の使い方を与えても良いのではないかと!」
それに合わせて、配下たちが。
「仰る通りですわ、グレゴリオ様!」
「僕たちは、今とても幸せです! こんな我々でも、星神様のお役に立てるのですから」
「ええ、ええ! これこそ僕らの天命! 果たすべき責務です!」
「それを理解せず、『もっと良い暮らしをしたい』などとぼやく愚かしく恥知らずな連中は、ちゃんと──」
屈託なく笑って、声を揃えて、告げる。
「「「──皆殺しにしておきましたので!」」」
……これが。
王国の汚濁。
血統魔法が生んだ、歪みの極致。
この国の、底の底の底だ。
『──想像もつかない。途轍もないものを『見てしまう』ことになるかもしれない』
……ユルゲンの、言う通りだった。
それを思い返しつつ、エルメスは次々と襲い来る人間爆弾に対処する。対処することしかできず、眼前で命と血飛沫が飛び散るのを見続ける。
それを見る、大司教グレゴリオは。
「……素晴らしい」
泣いていた。
歓喜に極まった、感涙の表情を浮かべていた。
「そうだよ、これこそが私の夢見ていた景色だ。
たとえ、邪悪な魔法を持って生まれた人間でも。慈悲をもって接すれば分かってくれる、素晴らしい存在になってくれる、素晴らしい目的のために生きることができる! 神敵を討ち滅ぼす尖兵として、その命を使えるんだ! ああ──」
そして、最も慈悲深き大司教は。
幾人もの兵士を爆弾にし、配下の人間の血肉が飛び散る光景を見て。
涙を流し、告げる。
「──なんて、美しい、世界だぁ!!」
…………ああ。
見たくない。
もう一秒だって、眼前に存在して欲しくない。
改心も懺悔も必要ない。ただただ、すぐに目の前から消えて欲しい。
──要らない。
僕の見ている世界に、こんなものは要らない。
そう、思った瞬間。
かちり、と頭の中で何かが嵌まる感覚がして。同時に、脳内に今まで分からなかった魔法の領域、莫大な言葉の羅列が流れ込んできた。
その知識の奔流に導かれるように。
脳裏に最も強く浮かんだ、生起の語句を思い浮かべて。
息を吸い、唄う。
「──【天の光は彼方に堕ち 大地の花は藻屑に潰ゆ
慈愛は非ず 冠は絶える 築き壊れる無灯の世界】」
エルメスは知る。
今まで、抱いたことのなかった想いを。知らずにいられた想いを。
そして──そう在ることでしか使えない魔法を。
「術式再演──」
その、代表格である魔法。今まで幾度か目の当たりにし、それでも使えなかった──けれどたった今、全て理解してしまった魔法を。
満を持して、静かに澱んだ瞳で。
銘を、告げた。
「──『悪神の篝幕』」
次回、主人公覚醒回。お付き合いいただけると嬉しいです。




