42話 領域
その魔法に、詠唱はない。
かつて彼が創った魔法と同じだ、詠唱はその魔法を可能な限り素早く発動することに最適化された力ある文言であり、そこまで落とし込むには時間があまりに足りなかった。
だが──問題ない。
詠唱はなくとも、時間さえあれば魔法の発動は可能。
そして……リリアーナの魔法は、時間をかけても問題ないもので、時間をかけるに値するものだ。
「──」
かつて彼が創った魔法は、剣の形をしていた。
それは彼が魔法を作るときに『力』を求めたためであり、その象徴として炎と大剣が形を得た結果ああなったのである。
──ならば、リリアーナの魔法の形は?
その答えを思い浮かべたのち、極限の集中の果てに。
彼女が願い、師が創った。彼女の魔法を顕現するべく、息を吸い。
魔法の銘を、宣言した。
「術式、再演──『原初特権:遍在領域』!」
かくして告げられた……可憐な少女が口にするにはあまりに重々しい魔法の宣誓。
その不気味な響きに、今まさにハーヴィストの兵士たちに襲い掛かろうとしていた北部連合の騎士たちは思わず足を止めかけるが……当然そんなことできるはずもなく、突撃を再開する。
魔法を用意し、迫り来る騎士たち。しかしリリアーナは焦ることなく、続けて。
「──遍在領域、展開」
文言を告げた瞬間──彼女の持つ『原初の碑文』の上に浮かび上がる複雑な魔法陣が……一挙に広がって。
それはそのまま、大地に定着する。それこそ、ハーヴィスト領の兵士たちがいる場所を丸々覆い尽くせるほどに、広く大きく。
「──継承儀式、起動」
更に続けての少女の宣誓で……周りの人間に変化が起こった。
全てのハーヴィスト領の兵士たちの手元に──翡翠の文字盤が現れたのだ。
いくらか輝きが薄く単純化されているようだがしかし、それは紛れもない『原初の碑文』。
本来ならば、誰もが使えるはずの魔法。されどそれ単体では意味を持たず、使いこなすためには途方もない研鑽が必要になってしまう魔法。
しかしそれを、リリアーナは兵士たちの手元に与え。次の言葉を告げる。
「──下賜術式、選定」
続いて現れたのは、白い光。彼女の持つ『原初の碑文』から浮かび上がるように現れたそれを、彼女は天高く掲げ──
最後の言葉を、高らかに言い放った。
「術式継承──『偽典:魔弾の射手』!」
瞬間、彼女の頭上の光が……弾け。
彼女が展開した魔法陣の中にいる全員に、平等に降り注いだ。
それと同時にいよいよ、突撃してきた北部連合騎士たちが魔法の射程に入り始める。
騎士たちが眼前の奇妙な光景に若干の警戒を抱きつつも、戦力差は自分達が圧倒的に勝っている、何が起きても踏み潰せば良いと増長し、魔法を叩き込もうとして──
その、瞬間。
リリアーナの周りにいた百人余りのハーヴィスト兵たちが、一斉に手を掲げ。
全員が、『魔弾の射手』を撃ち放ってきた。
「──────!?」
あまりにも──荒唐無稽。
魔法を知るものなら誰もが目を疑う、それこそ幻術か何かと言われた方がまだ信じられるようなあり得ない光景が突如、目の前で展開されて。
しかし、迫り来る魔弾は。圧倒的な物量と肌を焦がす熱量は、どう考えても現実に存在しているものでしかあり得ない。
咄嗟に北部連合騎士たちは身を守るための汎用魔法を展開するが……今襲いかかってきているのは血統魔法のそれだ、当然防ぎ切れるはずもなく──
着弾。
同時に、凄まじい轟音が鳴り響き。突撃の先頭にいた騎士たちが、文字通り『吹き飛んだ』。
轟音が鳴り止み、もうもうと砂煙が立ち込める。そしてそれが止むと同時に……凛とした声が戦場に響く。
「──お覚悟を、なさった方がよろしいですわ」
足を止め、呆然と見据える北部連合騎士団の目の前で。鮮やかな赤髪を靡かせた幼い少女が、されどその小さな体には見合わぬ威厳と、数多の配下を伴って戦場を睥睨し。
「この方々は……もう、今まであなた方が蹴散らしてきた兵士たちとは違います。
正しく『魔法使いの軍団』を、相手にする気概は──おありで?」
一転、この場の支配者として君臨した幼い王女は。
あまりにも傲慢に、けれどそうするだけの確かな魔法を見せつけ、問いかけるのだった。
エルメスがかつて創った魔法は、剣の形をしていた。
それは彼が力を……自身の個としての力を、創ったときに求めたから。それが、彼の願いの象だったから。
──ならば、リリアーナの魔法の形は?
彼女は人の上に立ち、人を導くもの。民が暮らし、臣下が心を預ける場所を護る王族として在るもの。
則ち。
魔法の形は、彼女が護るべきもの──『領土』以外に有り得ない。
かくして生まれた、彼女の魔法。『原初特権:遍在領域』。
その効果は──一定範囲内の『原初の碑文』を持った人間全員に、特定の魔法を授けること。そういう領域を、作る魔法だ。
基になった発想は二つ。
まずは、『原初の碑文』に元から備わっている『継承』の能力。『誰でも使える魔法』を体現するべく、この魔法には元々術者が他の誰かに一時的に使えるようにする機能が備わっていた。
ならば、とリリアーナから魔法の構想を聞いたエルメスはこう思ったのだ。
──他の魔法でも同じことができないか? と。
則ち、『原初の碑文』以外の魔法の『継承』だ。
二つ目は、かつての学園騒動でサラが見せた『星の花冠』の魔銘解放。
あれは彼女がかつて通常能力で治癒を施した人間に『種』を与え。それを媒介に他人が、他人の意思によって捧げた魔力を回収するものだった。
ならば、逆に。何かを貰うのではなく何かを『与える』ことはできないかと。
『種』の機能を持つものは『原初の碑文』で補って。そうやってできた繋がりを以て魔法を継承することはできないかと。
その、二つの発想を基軸に。リリアーナの想いを汲み取り、エルメスが開発を行い、この魔法は完成した。
領域を作り、その中で『原初の碑文』を媒介にした魔法的な接続を行い。接続を辿って魔法を継承させる魔法。
その効果は絶大だ。
まず何より、領域内の継承対象に選ばれた味方が、全員残らず。
今まさに行った通り──血統魔法を扱えるようになる。
加えて、その血統魔法を扱う際の消費魔力は継承した当人が負担する。
つまり一人の魔法使い、一人の魔力では到底不可能な夢物語──『血統魔法の大量発射による押し潰し』すらも可能になるということ。これも、今見せた通り。
結論、この魔法は。『選ばれしものによる魔法』を過去のものにする、掟破りの存在なのだ──
──と、大言壮語で締め括ってはみたものの。
実のところ、額面通りそこまでとんでもないものではない。当然ながら、いくつか相当に重い制約が存在する。
まず一つ目は……『継承』できる魔法について。
今しがたリリアーナが、『偽典:魔弾の射手』と言っていたことから推測はつくと思うが──扱える魔法は、厳密には血統魔法そのものではない。
どころか、実はほとんど別物と言って良いレベルにまで改造……否、性能だけに絞って言うならば改悪されてすらいるのだ。
そうした──そうせざるを得なかった理由は、やはり血統魔法の特異性。本来血脈にのみ受け継がれる魔法を無条件に継承できるものにするという荒業。それを敢行する代償として、かなり簡略な汎用化をせざるを得なかった。
恐らく本来の──エルメスが扱う『魔弾の射手』と比べると、威力だけでも発揮できるのは一割とかその辺りだ。
更に言うなら、その汎用化も簡単なことではない。エルメスですら、
『『魔弾の射手』一種類が限界です。一番よく知っている魔法でこれなので、多分他の魔法を使えるようにするには相当の時間が……と言うより現状できるビジョンが浮かびません』
と言うほどの難易度を誇る。むしろこれに関しては一種類だけでもリリアーナのぶっちゃけ無理難題に近い要望を達成出来たエルメスがおかしいとしか言えない。
そして、もう一つ。更に致命的な欠陥があり……それは現在、北部連合を睨みつけるリリアーナの──必死に耐えている冷や汗に現れていた。
(…………きっっっついですわね……!!)
表向きは、威厳たっぷりに連合騎士たちを見据えつつ。内心では脂汗すら流しながら崩れ落ちそうになるのを必死に彼女は耐えていた。
……そう。単純でそれ故に致命的な、この魔法の欠陥。
──魔力消費があり得ないレベルで高い。
(どんだけ持ってくんですのこの魔法! まるで血を直接抜かれるみたいな……いえ抜かれたことありませんけど、多分絶対こんな感じですわ!)
王族かつ類まれなる才能を持って生まれ、常人を遥かに超える魔力容量を持つ彼女ですら心中で弱音を吐くほどの消費。しかも領域を張っている間常時このペースで持っていかれるのだ。恐らくだが……保って数分だろう。
そして、魔力消費の問題はリリアーナだけに留まらない。
……そう、彼女の背後に控える兵士たちもなのだ。今放った『偽典:魔弾の射手』は曲がりなりにも血統魔法。加えて威力が大元の一割にも関わらず魔力消費自体は大元と然程変わらないというぼったくり具合だ。ただでさえ血統魔法使いと比べて大きく劣る兵士たちの容量では……あと十発も保たずに大半が魔力切れになる。
そういうわけで、実のところこうやって悠然と佇んでいるほどの余裕もこちらにはなく。ぶっちゃけて言うとはったりもかなり効かせている。だが……
(──それでも! これが、わたくしの進む道ですわ……!)
それだけは、揺らぐことなく。リリアーナは宣言する。
そうだ。今言った通り欠陥はあまりにも多い。加えて自分がやったことと言えば大元の発想を提供して後の難しいところは全て師匠に任せっぱなし、今も師匠に言われた通りに魔法を使っているだけで、師匠のように理解しているとは口が裂けても言えない。
当たり前だ、リリアーナは魔法に足を踏み入れて僅か一月足らず。そんな短期間で都合良くとんでもない魔法を使えるほどこの道は甘くない。
でも──それでも。
消費が大きくても、曲がりなりでも──誰もが血統魔法を使えるようにする。今確かに実現したこの光景が、彼女の夢に向かう第一歩だ。
消費だって、これからもっと減らせるように頑張る。師匠に任せっぱなしのところも自分でどうにかできるよう研鑽を続ける。この魔法の肝である汎用化だって、いつかは自分ができるようになってみせる。
そして──と、更に彼女は想いを燃やす。
……以前彼女は、エルメスのことを『開拓者』と定義した。
彼は道なき道を切り開き、誰も見なかったような魔法の真奥へと足を進めていける存在だと。それこそが、彼の在り方だからと。
……なら、自分は。
その、切り開いた道を整備しよう。彼だけでない、みんなが通れる道にしよう。彼が切り開いて、見つけてくれたものを多くの人に分け与えられる形にしよう。この魔法は、血統魔法の汎用化は、その最たるものだ。
そうして、いつか。
今は領域を張って与える形でしかできないけれど、いつかは誰もが自分の足で、魔法の研鑽の道を進めるようになって。誰もが彼を追いかけられるようになって。
それが、豊かな国を作って。みんなが彼の足跡の恩恵を、十全に受けられるようにした上で……その先頭で、叫びたい。
──わたくしの師匠は、すごいでしょう! と。
(その、第一歩で! 躓いてなんて、いられませんわ──!)
もう一度力強く、心中で宣言を行って。
彼女は顔を上げる。削られる魔力を、吸われる力をものともせず。味方を鼓舞する背中として、敵に畏怖を与える美麗な姿として。
「さぁ、目に焼き付けるが良いですわ! リリアーナ・ヨーゼフ・フォン・ユースティアが示す……この国の、未来の魔法使いの姿を!」
齢十一の少女とは思えないほどの力強い言葉に、ハーヴィスト領の兵士たちは活気付き、北部連合の騎士たちは既に大半が引け腰となっている。
その状況を油断なく見据えつつ……リリアーナは思う。
(──予定通り。わたくしの仕事は果たしましたわ)
これで、少なくとも北部連合の一般の兵士たちはここに釘付けにできる。数にして数倍に及ばんとする数の暴力を、僅かな手勢で抑え込むことに成功した。
……だから、後は。自分がこの数分、足止めをしている間に。きっとそれだけでは抑えられない規格外、一騎当千の力を持ち、未だ追いつけない血統魔法使いたちは。
(任せましたわよ。師匠たち──!)
同じ血統魔法使いに、素晴らしい自分の臣下たちを信じて任せよう。
向こうも一筋縄ではいかぬ相手。エルメスたちの天敵に、今までに見たことのない常識外れの大剣使い、そして同じく常識外の力を持ち、未だ底が知れぬ大司教。
……それでも、師匠たちなら、と。
ここまでの旅路で、確かに育んだ信頼の目で。彼女は飛び出していくエルメスたちの背中を、静かに見据えるのだった。
次回、エルメスサイド。血統魔法使い同士の戦いのお話です。
リリィ様の魔法、結構説明がかさみましたがどうだったでしょうか……?
すごいと思って下さったら嬉しいです!
これからの決戦、そしてその先も含めてどんどん盛り上げて行きますので、
今年も『創成魔法の再現者』をよろしくお願いします!