37話 遭遇
ニィナは思い返す。
魔法学園での、激動の一ヶ月間。後期から突如学園にやってきた男の子が中心となって、凝り固まった全てを爽快に破壊していった胸の空くような変革劇。
幸運にも──まぁ本当はある程度事前に分かってはいたのだけど、自分もその一部始終を彼のそばで見届けることが出来た。
そんな彼の周りには他にも……とても、とても輝いている人たちがたくさん居て。
そういった人たちと自分が一緒に居られたことは、とても光栄で。事実あの一ヶ月間は、ニィナの人生の中でも最も楽しかった時期の一つには間違いなく数えられるくらいだったのだけれど。
でも……本当は。
そうやって、すごい人たちと。真っ直ぐな人たちと、きらきらした人たちと一緒に居るたびに。
耐え難い瘧のような感覚が、思考が、自らを苛んでいたのだ。
すなわち。
──ボクなんかが、ここにいていいのかなぁ、と。
◆
夕刻、ハーヴィスト領の砦にて。
兵士たちとの和解が完全に済んだ後、改めて北部連合打倒について慌ただしく各々が動き出したしばらくの後。
再度、エルメスとリリアーナの二人が、会議室にて向かい合っていた。
「勝負は今日です」
そう、エルメスは切り出す。
「恐らくこれまで読まれていた傾向的に、大司教の未来予知は夜から朝にかけて行われると予測できる。
すなわち──まだ大司教が『次』の予知を行わず、かつ今日の予知から外れたこのタイミング。今なら僕の行動も……完全に読まれないとは言い切れませんが読みにくくはなるはず」
そう。今日は既に特大のイレギュラーによって完全に外れた未来を歩んでいる。
だが……恐らく大司教が『次』の予知を行えば、そのイレギュラーも修正されてしまうだろう。
故にこそ、今日。この時これからの行動で、大司教の予知能力をもってしても『読めない』未来になっているこのタイミングで──
「──全ての『仕込み』を終わらせます」
エルメスは、そう宣言した。
そして現在ハーヴィスト領で進行している北部連合攻略準備のうち、エルメスが関わらなければならないことは二つ。
「そのうちの一つ、『リリィ様の描く魔法の開発』に関する部分は──既に、貴女様から素案は受け取りました」
告げたのち、彼は手元に文字盤、『原初の碑文』を出現させる。
そこには既にインプットされてある。リリアーナが、彼女の想いによって創った──否、創ろうとしている魔法の全貌が。
当然、いくら『原初の碑文』を所持していても、リリアーナはそれを継承して一月も経っていない。そんな僅かな学習で魔法の開発ができるほどこの創成魔法は甘くない。
想いを持てても、それを形にするための技量が、知識が圧倒的に足りていない。
そして──だからこそ、エルメスが。
魔法を創る上で不可欠な想いは持たずとも、一度魔法を創った経験があり。開発の技術だけなら既に抜きん出たものを持っている彼が、その空隙を埋める。
言うなれば、共同開発だ。
想いを持ち、加えて創成魔法を多少なりとも学んで大まかな知識も持てているリリアーナが『素案』を生み出し。
それを基に、エルメスが実際に使える形まで『実現』する。
『原初の碑文』の使い手が二人いるからこそ──そして、エルメスの桁外れの能力とリリアーナの桁外れの学習速度があったからこそできる離れ業だ。
加えて、エルメスが過度に干渉すると大司教に切り札となるこの魔法を予知される確率が上昇するという問題は──今言った通り、今日このタイミングでエルメスが作業を行うことで解決する。
「必ず」
強い決意を込めて、エルメスは言葉を発する。
「必ず、今日中に技術的な問題は全て解決してみせます。最終調整はまたリリィ様に行ってもらうことにはなりますが──調整しきれるだけのものは今日中に用意してみせますので。だから……」
だから、リリアーナに今から頼みたいことは、エルメスが関わる必要があることの二つ目。
「──ニィナ様に接触してください」
大司教を打ち破る鍵となる少女に関わる、重大なことだ。
そしてこれは、未来予知の件やその他諸々の事情を考えると、現状リリアーナしか適任者がいない。
「それは構いませんが……接触、できるのですか?」
「出来ます。大司教にとっても恐らく制約で縛っているニィナ様はかなり使い勝手の良い相手のはず。
そして、大司教が想定していただろう未来なら……間違いなくこのタイミングで、この砦を完全攻略する工作兵を送り込んでくるでしょう」
それに単騎で動きやすいニィナが選ばれる確率は、かなり高いだろう。
故に、そこへ説得要員としてリリアーナを送り込む。
ニィナは恐らく、大司教に近い駒だ。
そして向こうは、対エルメスを徹底的に固めている。そんな中面従腹背が分かっているニィナとエルメスが接触することだけはなんとしても避けようとするだろう。それだけは読まれている可能性もある。
故に、エルメスではなく完全に予知できないリリアーナを派遣する判断だ。が……
「これで、ニィナ様と接触、及び説得してこちらの陣営に引き入れる。……恐らく、危険を伴う任務でしょう。できれば僕が行くのが一番良かったのですが……」
そこで、彼は歯噛みする。
これまでとは違う──『自分が一番動けない』、という不条理に。重大な局面でありながら自分以外の人を頑張らせてしまう不甲斐なさに、ある意味で初めての悔しさを滲ませている。
そして、それを見たリリアーナは。エルメスの身内に対する責任感の強さを頼もしくも思ったけれど、それと同時に。
──わたくしは、そんなに頼りありませんかと。
妥当な判断だと分かっているけれど……それがちょっとだけ彼女も悔しかったから。
「お任せくださいませ、師匠」
そんな抗議の意も込めて──リリアーナは顔を近づけて彼の手を握り。
「そもそも、師匠はこれまで働きすぎだったのです。わたくしの知る『師匠』というものは、もっと後ろでどっしりと構えて、静かに知識をくれて、道を教えてくれて……弟子を見守って、求めればそばにいてくれて」
……少しばかり彼女の願望も含んだ師匠像を語ったのち。
「そして──弟子が頑張ったら、たくさん褒めてあげるのが仕事ですのよ」
「!」
愛らしい上目遣いで、それを期待するように告げる。
そのまま少し呆けるエルメスの手を離すと、リリアーナはもう一度笑いかけて。
「だから、安心して待っていてくださいまし。必ずや、師匠の望むことを成してきますから」
それを聞いたエルメスは感謝と安堵をのせた笑みを見せると、改めてこれから任務に向かうリリアーナに、いくつかの注意事項と共にとあるものを託し。
そうして、大司教を追い詰める最後の一手を放つべく、彼女は砦を飛び出した。
◆
その後、リリアーナは砦外壁付近、加えて『エルメスがどう頑張っても行けないところ』という推測。そして最後は彼女の直感と感知能力を頼りに巡回を行い、小一時間ほどそれを続けて──
「……大当たり、ですわね」
見つけた。
エルメスの推測通り、翌日ハーヴィスト領を崩すための工作を行なっている銀の少女を発見する。
同時に素早く、けれど過度な警戒はさせないように近づいて。
「初めまして……と言うには、少し語弊がありますわね」
彼女に、声をかけるのだった。
「……お話を、させていただけますこと? ニィナ・フォン・フロダイトさん」
「──!」
問われたニィナは、微かな驚きと共にこちらを見てきて。
最初の遭遇戦ぶりだが、ほぼ初対面と言って良い状況で二人の少女は相対する。
「……」
そうして、改めてリリアーナはニィナを見据える。
(……綺麗な、方ですわね)
艶やかな銀髪は動きやすくまとめられていても隠しきれない色香を放っており、整った美貌に珍しい金の瞳も相まって──魔性、とでも言うのだろうか。否応なしに人の目を惹きつける容姿をしている。
加えて……現在その容貌には重い疲労が色濃く滲んでおり、動作も気だるげだ。けれどそれがむしろ普段は目立たない容姿を際立たせ、退廃的な色気と呼べる雰囲気を放っている。
「……やぁ、可愛い王女様」
そんなニィナは、一瞬の驚きからすぐに復帰して。
声を、かけてきた。立場上は敵でありながら、どこか気さくに。
「なるほど、確かにあなたなら来ることが読めなくても仕方ないかな」
「ええ。……あなたのことも聞いていますわ。師匠──エルメス様たちのご学友だと」
前提の確認に、ニィナは再度目を見開くと。
「師匠…………うん、ボクもあなたのことは『知ってる』よ。エル君の、弟子なんだってね」
そこで。
「……羨ましい、なぁ」
「ッ!」
雰囲気を、変えてきた。友好的な雰囲気は変わらないまま……けれど、どこか不穏さも感じるものに。
そのまま、言葉を続けてくる。
「……お話、したいんだよね。いいよ、それは歓迎。
──でも、ごめんね。ボクとしても、あなたに会っちゃったらやらなきゃいけないことがあるんだ」
同時に、構えを取る。腰を下げて、懐から道具を取り出す。
「大司教は馬鹿じゃない──どころかすごく頭が回る。当然、読めないあなたのイレギュラーは相応に想定してた。だからさ、予め命令してたんだ」
それを、汎用魔法で慣れ親しんだ剣の形に変えて。
「万が一、ボクがあなたと遭遇したら。
何を置いても──『絶対に捕まえろ』、ってね」
「!」
「いいよ、お話しよっか。……鬼ごっこでも、やりながらさ」
彼女の態度に、手心は無い。
……否、手心を加えないようにされている。一つ一つの行動単位で制約はないようだが、全体的な方針は否応なしにリリアーナを捕らえるように強制されている……そんな雰囲気だ。
そして。
(……予想通り、ですわね)
当然、リリアーナ──エルメスはそこも読んでいた。
だからこそ、託したのだ。リリアーナに『これ』を。
リリアーナもニィナ同様、懐から取り出す──黒い、水晶の形をした魔道具を。
「! ……なるほど。まぁ、流石に大人しくは行かないよね」
ニィナはその魔道具に見覚えがあるらしく、納得した顔を見せる。
そう、ニィナと接触する際に──逆にニィナがこちらを捕らえにかかってくることは十分予想できたことだ。聞く感じだとリリアーナは特別だったようだが……恐らく他の人間が向かっても激突は避けられなかっただろう。
そしてそれこそが、リリアーナを派遣した最大の理由。
彼女と接触できる人間の中で──彼女が唯一、ニィナの魔法が効かない。
ニィナが知らない、ニィナと親しくない故に。唯一ニィナとまともに渡り合える、勝負の土俵に立てるのが彼女なのだ。
だが、リリアーナとニィナでは当然実力に決定的な開きがある。
その差を埋めるために渡されたのが、この魔道具。エルメスより託された、最後の一手に必要なニィナ対策だ。
故に、それを持ってリリアーナも構える。ニィナの襲撃を躱しつつ──同時に彼女の、エルメスの目的を達成するために。
「……ごめんね」
激突の気配を察してか、ニィナが改めて告げてきた。
「きてくれたことはさ、すっごく嬉しい。でも……ボクにはどうしようもないんだ」
ひどく追い詰められた、どこか余裕のない表情で。
「それに……今のボクは、ちょっとあなたに嫉妬しちゃうかも」
「別に構いませんわ」
その、ニィナの境遇と状況を察して上で。
揺るがずに、リリアーナは返す。
「理解していますもの。わたくしが、今すごく恵まれていることも──そしてあなたが、きっとこれまでとてもひどい境遇にいたことも」
「!」
「だから、遠慮せずかかってきてくださいまし。これでも鬼ごっこには自信がありますし……将来の臣下に、器を見せるのもわたくしの務めですわ」
そう、以前も見せた紛れもない将来の王としての言葉を見せる彼女に、ニィナは。
「……ボク今結構理不尽なこと言ったと思うんだけど……許されちゃうんだ。参ったなぁ王女様、これ以上そんな格好良いこと言わないでよ。だって──」
奇しくも、かつて学園でエルメスと対峙した時と同じ言葉。
けれど……彼女を理解すると、戦う際にはこの上なく恐ろしいと分かる開戦の言葉を、呟いた。
「──好きになっちゃうよ?」
そうして。
ニィナは、大司教に強制された命令を果たすため。リリアーナは、それを躱して情報を集め、ニィナを自分たちの側に引き入れるため。
少女二人の人知れない激突が、始まったのだった。
次回、ニィナ対リリィ様。
色々と思惑が絡んでいますが、決戦前に必要な激突となります。
一応過去本編で登場しているリリィ様の魔道具も含めて、楽しんで頂けると嬉しいです!




