36話 盤上
引き続き、ニィナは考える。
(……懸念事項もある)
大司教ヨハンの力の源は、埒外の古代魔道具:スカルドロギアによる未来予知能力。
だが──それだけで全て説明できるかと言われると、そうでもないのだ。
特に分からないのは──
(洗脳の血統魔法。……なんで、あんなに強力なの)
思考操作系の魔法に関する特徴、四つ目。
──発動条件の厳しさと効果の強さが比例する。
つまり、魔法が有効になるまでに満たすべき条件が厳しければ厳しいほど決まった時の効果は強力になり、逆に緩ければ発動が容易い代わりに大した効果は期待できない。
ニィナの『妖精の夢宮』は比較的前者であり──
……そして、大司教の魔法は後者であるはずなのだ。
恐らく対象に一定期間触れて魔力を送り込む、等のそこまで難しくない条件、その代わり思考を変更できる範囲は極めて限られたもの。そういう、広く浅い変更を可能にする類の魔法のはず。
にも関わらず、ヨハンの魔法はこの北部連合で猛威を振るっている。
北部連合の中枢に近い人間は軒並み大幅な思考改変の影響を受けている。連合がここまで短期間でまとまったのはその影響が大きく。
そして何より──ルキウスですら、その影響下にあってしまっている。
ルキウスほどの高い魔法能力、加えて確固たる信念も持っている人間を操るのは容易ではない……どころか極めて、最大と言って良いほどに難易度が高いはず。
先ほどニィナを庇ってくれたことからも完全に影響下に落ちたわけではないようだが──逆に言えば、『その程度しか抵抗できない』というのは明らかにおかしい。
どう考えても、異常な威力。この類の血統魔法は本来そこまで便利なものではない……そのはずなのに、二桁に及ぼうかという人数を容易く思い通りに動かしている。これも規格外の性能だ。
恐らく……否、確実に何か秘密がある。
そのからくりが未だ分からないことも含めて、大司教はやはり底が見えない──が。
(それでも……隙がない訳じゃない……!)
ニィナはそう考える、そう信じる。
何故なら──大司教は、ニィナを使っている。未来予知の能力を知り、明らかに大司教に反抗的なニィナを、任務に出している。
(──『そうせざるを得ない』んだ。エル君たちに強いボクを使わないと追い詰めきれないほどに、エル君たちが厄介ってこと)
そうでなければ、例え契約で縛っているとは言えリスクのあるニィナをここまで積極的に動かしたりはしないだろう。極論『黙って引きこもっていろ』と言えば漏洩は絶対にしないのに、だ。
そこが、隙だ。
そして、それを突けるのは自分だけ。
奇しくもあの古代魔道具に触れ、大司教と同じ予知の力を得て。
唯一大司教と同じ局面、盤面が見えている──ニィナ、だけだ。
加えて、思考操作系の魔法の特徴である、『同系統の魔法持ちには通用しない』。これはどうやら、この予知能力にも当てはまるらしい。
つまり──大司教も、ニィナの未来だけは予知できない。
故に、結論は互角。
ここからは『北部反乱』という盤面を挟んでの、ヨハンとニィナの読み合い。
抗う余地は、十分だ。
やってみせるんだ、今は自分が。彼にもらった、流されるだけでない先に進む力を持って。必ず、大司教によって整えられた鳥籠を壊してみせる。自分だけが、壊せるんだ──
◆
──なんて寝惚けた考えは、すぐに粉々に打ち砕かれた。
(……そん、な)
変えられない。
何をやっても、どう抵抗しても。
──エルメスが死ぬ、という未来だけは変えられないのだ。
当然、ニィナは可能な限りの反抗をした。大司教の命令に反しない範囲で、可能な限り未来予知のアドバンテージを活かしてエルメスたちに有利になるように立ち回った。
最初の遭遇戦では、敢えて最初にエルメスたちを追い詰めることによって『大司教の『神罰』による完全な不意打ちで殺される』という僅かだがあり得た可能性を封じた。
ハーヴィスト伯爵を送り込んで兵士たちに不信感を植え付ける任務では、感知能力の強い者ならばぎりぎり気付く範囲での通り道を案内し、致命的な一言を言われる前にリリアーナを呼び寄せることに成功した。それにより、『エルメスが疲労し切ったところでルキウス急襲』の可能性を僅かながら弱めた。
その他にも、大小様々な。エルメスたちの『詰み』を回避できる、できる限りの抵抗を積み重ねた。
──にも、関わらず。
どう足掻いても、ニィナに変えられる範囲は微々たるもの……否、大司教が大幅な改変を許さない。抵抗できないように命令や任務を組み立てて、ニィナの叛逆を許さずニィナの力だけを有効活用してくる。そうさせてしまっている。
そして、どれほど抵抗しても。最悪の未来だけは依然そこにあってしまう。
一つの要因を潰しても、また別の要因が。
見えている全てを封じても、また新たな詰みの道が出てくる──否、大司教の手によって用意されてくる。
──あの男だけは絶対に殺す。
あの飄々とした大司教の態度からは想像もできないほどの、底知れないその殺意。
今までの敵とは違う、エルメスをこの上ない脅威と認めたが故の一切の妥協がない否定の、滅殺の意思。
それによって……ニィナにはほとんど抵抗を許されず、着実にエルメスが殺される未来、そこに辿り着く確率が上昇していった。
……エルメスが悪いわけではない。
彼は強い。ありとあらゆる意味で強い。それは間違いないのだ。
だが──だからこそ。彼は大司教と……否、この魔法との相性が最悪なのだ。
だって。
古代魔道具:スカルドロギアによる未来予知。
それによる、対象の予知が容易になる傾向の条件は。
──『強い人間ほど読み易くなる』なのだから。
強い人間……言い換えれば、未来に与える影響が大きい人間。
そんな人間ほど、この予知能力は絡め取る。人の進歩を否定する、あらゆる意味でこれまでの常識が通じない、故にこその規格外。
だから、エルメスはここまで苦戦を余儀なくされ。
加えて──だから大司教ヨハンは、『空の魔女』ローズですらある意味で打倒することに成功したのである。
そうして、あの男は。
鳥籠を壊しかねない力を持った人間は、その予知能力で行動を読み切り、洗脳能力で民を操って自らの手だけは汚さずに排除して。
自らの権勢を、自らが語る神の国を、ずっと守ってきたのだ。
そして、今回も。
「…………まだ、なの…………」
彼女は、エルメスが殺される悪夢に魘されて跳ね起きる。
今回見たのは、『疲弊しきったエルメスが急襲してきたルキウスに成す術なく殺される』という現状最も確度が高く──同時に、彼女にとっては兄がエルメスを殺すという最悪極まる展開。
他にも、兵士たちに追い出されたエルメスが孤独のまま次々と襲い来る刺客を退けきれず疲労困憊の果てに殺される、行動を読まれきった結果教会からの援軍に囲まれ孤軍奮闘ののち援軍全てを道連れに力尽きる、等々。
いくつもの可能性を──いくつものエルメスの死に様を、繰り返し繰り返し。
そんなものを見て真っ当に寝られるわけもなく、疲労ばかりが蓄積して。結果昼間でも寝落ちてしまうことが多く、また悪夢を見させられるという悪循環。
もはや未来予知の能力自体が、彼女に牙を剥いていた。
そうして、何度も、何度も、何度も地獄を見て。
「…………それ、でも……っ」
──それでも尚、彼女は起き上がり。
どこかに、きっと突破口はあるはずだと。そう信じて、疲労で鈍った思考を尚動かして、今日も彼女だけの奮闘を続けていたのだ。
◆
そして、遂に。
『その時』はやってきた。
「新しい任務だ、ニィナ・フォン・フロダイト」
平然と、余裕ある様子で──裏を返せば、ニィナのことなどまるで脅威と思っていない態度で。
いつものように大司教ヨハンが告げてきた任務が、発端だった。
「──ハーヴィスト領の騎士団長トアを襲撃して来い」
「!」
「今、ハーヴィストの兵士たちと第三王女派との関係は最悪に近い。そこで兵士たちの心の拠り所の一つであるトアがやられたと知れれば奴らは更に揺らぐ。……到底得体の知れない連中を信用する余裕などなくなるほどにな」
「……だから、ボクに?」
「ああ。最低でも一定以上の手傷は負わせて来い。──できるだろう? 貴様なら」
……騎士団長トアは強敵だ。
だが、彼は北部全ての人間が尊敬する偉大な守護者。故に、ニィナの魔法が通ってしまう。それを見越して彼女に任せるのだろう。
相変わらず、この男の適材適所と底意地の悪さには舌を巻く──が。
「……了解」
端的に、ニィナはそう答える。
「おや、いつものように憎まれ口の一つでも叩かないのかね?」
「それを言ってもあなたが喜ぶだけでしょ。……やりたくもないことだ、さっさと終わらせてくるよ」
続く皮肉も軽く受け流し、ニィナは即座に大司教の執務室を後にして。
扉を閉めて……手応えに、拳を握る。
──ようやく隙を見せたな、と。
ニィナが受理した任務は、騎士団長トアの襲撃のみ。無論それは遂行する。しなければならない。
だが──それ以外を襲撃するなとは言われなかった。
彼女は知っている。ヨハンがハーヴィスト領の兵士の中に洗脳済みのスパイを潜り込ませていると。それが、万が一の和解の可能性も閉ざしてしまっていると。
加えて、彼女は北部連合の兵士たちを傷つけるなとは言われているが……ハーヴィスト領のスパイまで傷つけるなとは言われていない。
ならば、ここが好機。
そのスパイたちを人知れず……元は味方なのだから、申し訳ないが再起不能ではない程度に傷付けさせてもらう。
そうして、和解のための不安要素を無くす。
当然大司教にはすぐにバレるだろう、だが知ったことか。
仮にそれで罰を受けることになろうとも──エルメスたちの助けになれるのならば構わない。
そんな覚悟と、唯一の好機に縋るように。彼女は任務どおり騎士団長トアの襲撃と、スパイたちの排除を完了し。
そして。
「──ご苦労、ニィナ・フォン・フロダイト」
帰ってきたニィナは。
「これで──私が昨日流させた噂の通り、ハーヴィスト領の兵士たちは、エルメスたちが貴様を使って強引に邪魔者を排除した、と思い込んでくれるだろう」
してやられたことを、悟った。
「これで兵士たちの心は、完全に奴らから離れるだろう。『反対意見を言っていただけ』の人間を力づくで排除するような連中にどうして従えると言うのかね」
「ッ、でも! あの人たちはあなたが用意したスパイで──」
「だから何だ? ……よもや貴様、今のエルメスたちがそんなことを言って信用してもらえるとでも?」
「!」
「元々、スパイの存在は近日中にエルメスにバレる未来だった。ならば最後に特大の、貴様を使った不信の爆弾を仕込むのも良いかと考えたまでだ。理解できたか?」
……誘導されていたのだ。
大司教は、これまで自分に一切の未来に関する抵抗を許さなかった。
そうして悪夢を見せ続け、余裕と思考力の無くなった自分にわざと隙を見せて。判断力の鈍ったニィナがそれに飛びついて、スパイたちの排除に向かうことまで全て計算ずくで。
「仮にあの場を乗り切ったとしても、最早関係修復は不可能だろう。あの愚かしく、力なく、易きに流れることしか知らない兵士どもがこんな目に遭ってまで信用できるなどあるはずがないし、実際にそういう未来も見た」
「──」
「唯一の不確定要素はあの王女だが……まぁ問題あるまい。私が読めないほど弱っちい王女様に、何ができるものか。かの『空の魔女』に似ているのは見た目だけというわけだな」
大司教は、そんな未来を。昨日時点で予知し、そこから想定した事象を疑っていないようだった。
……でも、もうそんなことはどうでも良く。
「ああ、今はもう下がって良いぞ。……それとも、諦めて神の配下になるかね?」
告げられたヨハンの言葉にも一切反応できず、ニィナはその場を後にしたのだった。
……ヨハンの想定する未来が、実現するかどうかはまだ分からない。
──だが、彼女を打ちのめしたのはそこではなかった。
(……最初っから、思い通りに。動かされて、いたんだ)
自分だけが、なんとかできると思っていた。
同じ力を持った自分が、彼らを助ける。助けられるんだと、思っていたのだ。
でも、実際はこのざまだ。
何もできないどころか、同じ力を持っていることすら利用されて自分の動きを誘導させられた。向こうの掌の上で、踊っていた。
──同じ盤面を見ているから、なんだ。そんなもの、所詮『それだけ』だ。
仮に運よく盤を挟めても……最初から。自分とヨハンでは、指し手としての力量に天と地ほどの差があった。
自分如きでは、ヨハンにはどう足掻いても勝てない。
あの態度の通り……大司教は最初から、自分のことなど全く脅威には思っていなかったのだ。
「…………」
未来の光景よりも、何よりも、その事実が。
彼らの、エルメスたちの役に立てなかったという事実が、彼女の心を苛む。
(……やっぱり。ボクじゃ、ダメなのかなぁ……)
大した信念も力も持たない、流されるがままに生きてきた自分では。
こんな未来を賭けた戦いの場においては、都合よく使われる駒にしかなれないのだろうか。
疲労と悪夢で、擦り切れ切った心に。
どうしようもない諦念が、忍び寄ってきた頃に。
「──さて。連続で済まないが、次の任務だ」
また、大司教ヨハンに呼び出され。言葉とは裏腹に全く申し訳なくなど思っていない口調で。
ハーヴィスト領にとどめを刺すべき命令が、与えられるのだった。
◆
「……」
その日の夜。
ニィナは──今日の昼頃にも騎士団長襲撃の為に訪れていたハーヴィスト領に、再びの侵入を果たしていた。
侵入は容易だった。
向こうの防衛体制が悪いわけではない。まずこの広大な砦を防衛するには絶対的な人数があまりにも足りないことに加えて──
──何より。未来予知能力が、反則すぎるだけである。
今回彼女に与えられた任務は、破壊工作。
ヨハンの確信に近い予想では、エルメスたちと決裂したハーヴィスト領防衛組は既に崩壊の一歩手前にある。
だからこそ、そろそろ頃合いとばかりに。ハーヴィスト領を一挙に攻め滅ぼし──同時に切り札ルキウスを送り込んで疲れ切ったエルメスを殺すべく。その時に攻めやすいよう、予め砦に物理的な綻びを作っておく工作である。
これが成功すれば、明日には北部連合が一斉にこの砦に押しかけ──エルメスが死ぬ、最悪の未来が現実のものとなる。
それを理解していても……契約に縛られた彼女には、回避する手段が思い浮かばず。
何より……自分なんかに何ができるのだろうかと。
打ちのめされていた心では反骨心を持つこともできず、淡々と指令に従って作業を続けることしかできない。
……誰かが嗅ぎつけてくることもない。
どれほど彼女がそれを望んでも、わかってしまっているのだ。ヨハンの、そして彼女が持つ未来予知能力によって、ここがこの時間、防衛戦の完全な死角になっていることを。
だから、どれほど願っても。
彼女の任務を、破滅をもたらす作業を止める人間も。
近くにいるはずの、彼女が心から会いたい人にも、誰にも会うことはできない──
──と、思っていたのに。
「…………え」
気配がした。
同時に、ひどく軽い足音がした。
反射的に振り向く。すると、誰も訪れる未来がなかったはずのその場所には。
「初めまして……と言うには、少し語弊がありますわね」
彼女が、一番会いたい人ではなかったけれど。
確かに、唯一。大司教の魔の手から完全に逃れうる人間が。
「……お話を、させていただけますこと? ニィナ・フォン・フロダイトさん」
リリアーナ・ヨーゼフ・フォン・ユースティアが。
初めて会った時以上に、確かな決意と意思を宿して。こちらを見据えていたのだった。
未来予知は、予知夢という形で与えられます。
裏を返せば、昨日の夢で予知した事象がどこまで実現したか、どう変わったかはその日寝るまで分からないということでして。
だからヨハンはまだハーヴィスト領関連の未来が大幅に変わったことを知らないため、本話のやり取りが発生しています。
この辺り時系列の関係もあってちょっとややこしかったかもしれません。分かりにくかったら申し訳ないです……!
次回、リリィ様とニィナのお話。ある意味初対面の彼女たちが何を話してどうするのか、エルメスの思惑も込みで語っていく予定です。楽しみにしていただけると嬉しいです!




