30話 不信の伝染
かくして、辛うじてカティアの手によって。
エルメスが潰され、全ての勝ち筋に繋がる唯一の人間を失うことだけは阻止した第三王女陣営──
──だったが。
それすらも、許さないと言うように。そうなることすら読んでいたとでも言わんばかりに。
あまりにも、完璧なタイミングで。カティアがエルメスを探しに行ったときと丁度時間を同じくして。
もう一つの致命的な事件が、砦の中を襲っていた。
「──!」
その気配に、北部ハーヴィスト領所属、騎士団長のトアは気付く。
微かな空気の違い。長年ここで過ごしてきたが故に悟れる違和感。
すなわち……侵入者の、気配に。
即座に意識を戦闘時のものに切り替える。近くにいる気配を察知、目の前に現れた瞬間に打倒すべく準備を完璧に整え──だが。
「……皮肉だよね」
動けなかった。
全ての行動が、侵入者が目の前に現れた瞬間に封じられた。
「騎士団長トア。長年に渡って魔物の脅威から土地を守り続けた、この地に住む誰もが敬意を払うべき誇り高き北部の守護者」
何故なら、そういう魔法だから。
ひどく厄介な条件の代わりに、大きな効果を発揮する魔法だったから。
「連合の兵士たちには効かない。お兄ちゃんにも今は効かない。あの大司教はどうあがいても無理。今のボクの『敵』にはことごとく通用しないのに──」
トアは。誰もが尊敬する人間であるが故に、その条件を満たしてしまう。
「──あなたには、効いちゃうんだから。トアさん」
そうして姿を表す、銀の髪を靡かせたあまりにも可憐な侵入者は。
「……ごめんね。こうするしか、ないんだ」
「貴様、フロダイトの──!」
動けない相手に向かって、容赦なく。その手に握った剣を振り下ろしたのだった。
◆
数十分の仮眠を経て、エルメスは覚醒する。
未だ疲労は色濃く残っているが、辛うじて今日動ける程度には回復した。
割とあっさり眠ってしまったことを恥じつつも感謝を述べ、カティアと共に砦の中に戻った──その瞬間に、異変を察知した。
何故なら、砦の大広間。
エルメスとカティアが入っていった中央部分を挟んで、右側にはハーヴィスト領の兵士たち。そして左側には……サラ、ユルゲン、アルバートの三人。少し離れたところに、騎士団長トア。
中央にぽっかりと空いた空間は、そのまま両者の心理的な隔絶を表しているかのようで。
「……どういう、こと」
明らかな異常事態に、エルメスに寄り添っていたカティアが呆然と告げる。
同時に、その呟きを察知して──兵士たちの視線が、一斉にこちらを向いた。
「っ」
そこに込められているのは……昨日までを遥かに超える、不穏と、不満と、不信の気配。
訳がわからず視線の圧に固まるカティア、それに合わせて。
「ふざけんなよ」
サラたちと、エルメスたちを同時に視界に収め。
兵士たちの隊長の一人。初日にも反論していた隊長が、こう声を張り上げたのだった。
「お前たちの怠慢で! こっちの兵士たちと隊長が三人、半殺しにされたんだよ! あの──フロダイトの妹の手でなぁ!」
改めて、エルメスとカティアが事情を聞く。
すると……どうやら現在砦を警戒していたアルバートが担当する区域から──ニィナが侵入し、言う通り兵士たちを襲撃したらしい。
その後彼女は騎士団長トアとも交戦、どうやら彼女の魔法の掛かりが弱かったらしくどうにか反撃して撤退させたそうだが、それでもトア自身も少なくない手傷を負い。何より……十数人の兵士たちと隊長が三人、重傷を負わされたらしい。
「……すまない」
沈んだ表情でアルバートが謝罪するが──正直これは仕方がないことだと考える。
この砦の作りは複雑だ、この人数で完璧に侵入を警戒しようとするとどうしても手が足りず、警戒が疎かな場所が生まれる。アルバート単独の責とは言えないだろう。
だからこそ、考えるべきは──何故か完璧に侵入できた相手の方だ。
作りが複雑ということは、その分侵入する側にとっても厄介なはずなのだ。あの元伯爵なら砦の構造を理解していてもおかしくはないが……それでも。警戒の穴をことごとく完璧に見つけてすり抜けている説明にはならない。
そんな真似はそれこそ、こちらの警戒網を完全に把握していないと不可能なはずだ。にも関わらずやってみせたことに、やはり向こうの正体不明の手札を感じずにはいられない。
……だが。それについて思索するのは後回しだ。何故なら──
「なぁ、何とか言ったらどうなんだよ!」
仲間を一方的に痛めつけられ。怒りと不信感の極まった顔でこちらを糾弾する、兵士たちへの対処が最優先だからだ。
カティアの肩を離し、エルメスが前に出る。
彼の静かな圧に気圧されつつも──当の隊長は怒りを込めた口調で話し始める。
「なぁあんた、言ったよな。ちゃんと証明するって、この地を守れるって」
「……はい」
「守り切れてねぇじゃねぇかよ」
それは、至極当然の弾劾。
その件に関しては、こちらも遺憾だ。だが──それを口に出したところで更に拗れると分かっているから今は何も言えない。
「伯爵の侵入を許した。襲いくる北部連合を捌けてはいるものの有効な反撃はできていない。そして今度は、フロダイトの妹に侵入だけでなく襲撃すら許し、俺たちの仲間を痛めつけられた! ──しかもだ!」
続けて、隊長は……更なる不信の理由を述べる。
「──何故、お前たちに被害がないんだ?」
「……え」
「聞いてるぞ、フロダイトの妹はお前たちにとっても天敵なんだろう。なら何でお前たちは狙われなかった、戦力の大きいそっちじゃなくてこっちだけが被害を受けた理由はなんだ!」
「それは……」
「しかもなぁ! やられた隊長三人は──『お前たちの味方につくことを最後まで反対していた』奴らなんだよ!」
「!」
告げられた、その真実。
加えて彼らも知っている、ニィナとエルメスたちが既知であるという情報。
それらを組み合わせた結果……最悪の想像が、今の向こうには浮かんでいる。
「なぁ。伯爵が前言っていた、お前たちが教会を裏切ってここに居るって話……本当なんじゃねぇのか?」
「──どうして、そう思うのですか」
「それなら全部理屈が通るからだよ! それで、フロダイトの妹はお前たちのスパイなんだろ! だから今回、見かけ上は俺たちの敵であるあいつを使って──『自分たちに反対する人間を始末した』ってことじゃねぇのか! お前たちの手で始末したら俺たちに信用してもらえないからなぁ!」
……あまりにも強引な。
けれど何故か一本通ってしまっている理屈を使って、兵士たちはこちらを疑ってかかる。
ニィナがどうしてそのような行動をしたのか。その理由については──すぐに大凡の見当はつけられたが、今言うわけにはいかない。言えば更なる不信を招くことは明確だからだ。
故に、このまま……何も言えないまま。
あまりにも出来すぎた──まるで最初から仕組まれていたかのような都合の良すぎる理屈が、こちらの信用を削っていく。
自分たちが教会と相容れないのは事実で、ニィナの心情がこちら寄りであるだろうことも事実。だからこそ、彼らはその嘘を信じ込む。向こうが用意した不信の種に、絡め取られていってしまう。
「そうやって自分たちに都合の悪いやつは何も考えず排除して、思い通りに物事を運ぶのがお前たちのやり方か! そんなんじゃお前たちはあの伯爵と何も変わらねぇよ!」
「おい、それは言い過ぎ──」
「団長、あんたは黙っててくれ」
彼らを諌めるトアの言葉も、今の彼らには通じない。
「あんたにゃ分かんねぇよ──そいつらと同じ、血統魔法持ちのあんたには! 持たねぇ奴らの気持ちは……持ってる奴らに同じ人間でないかのように虐げられて、使い捨てられ潰された仲間を何人も見てきた奴らの気持ちはッ!!」
「──」
……彼らの、不信の種。
それはきっと、今始まったものではないのかもしれない。
魔法で全てが決まる国。血統魔法を持つ人間が完璧な特権階級として扱われ、生まれ持った魔法を理由に全てが肯定され──だからこそ、そうでないものを人間として扱わない、そうあることを自分も周りも否定しない。
そんな歪みが生んだ、『虐げられる側』だった人間の心からの叫び。今エルメスたちの前に横たわっている隔絶は、何百年もかけてこの国が積み重ねてきた負の遺産だ。
「お前たちも──今までの貴族連中と同じだ! 俺たちを人として扱わない、どうでも良い何かとしか思わない! 俺たちも、この土地の民たちも何もかも!」
「そうだ、信用できるか!」
「むしろ、あいつらよりとんでもない力を持っている分尚更タチが悪いんだよ!」
きっと、ニィナの件が無くともいずれ噴出していただろう不満。それが全て容赦無く、彼らに向かって襲いかかる。
兵士たちの全てが恨みがましい目を向けていた。最初にエルメスに救われた──一番好意的だった隊長すらも、その瞳に不信を宿していた。
「……なぁ、頼むよ」
想像以上の重みに、言葉を失うエルメスたち。そんな彼らに向かって、当の隊長が告げる。吐き捨てるように……けれどどこか、懇願するように。
「そんなすごい力を、とんでもない魔法を持ってるんだろあんたは。
なら、その責務を果たしてくれよ。ちゃんと全部、きちんと守り切ってくれよ! そうじゃないと信用できない、誰も安心できないんだ!」
「……」
「そうでない限り俺たちは──お前たちが教会よりもマシだとはとても思えない! だからちゃんと証明してくれ、それができないなら、いっそ──!」
そして。
隊長から、亀裂を決定的にする言葉が放たれようとする、その瞬間だった。
「──やめてくださいッ!!」
美しく、されど悲痛な声が響いた。
今いる人間の全てより更に幼い、小さな子供特有の甲高い叫び声。よく響くそれに全ての人間が一瞬言葉を止め、広間の一点に目を向ける。
すると、そこから走り寄ってくるのは、鮮やかな赤髪を靡かせた小さな少女。
可憐な容貌を悲しみに歪め、手足を懸命に動かして。エルメスたちと兵士たちとの間に立つと、細い両腕を精一杯横に広げて。
「……やめて、ください。──お話なら、わたくしが聞きますから」
それは、王都脱出の時。
大勢の組織の兵士たちに囲まれた彼女をエルメスが助けた時と、あたかも対を成すように。
今、その時助けられた彼女が今度は、彼を助けるために手を伸ばす。
その碧眼には恐怖と……けれど確かな覚悟の光を宿し。
リリアーナ・ヨーゼフ・フォン・ユースティアが、エルメスの前に立っていた。
次話、すぐに投稿します!




