10話 玉座
かくして、謁見は終了した。
エルメスたちにとってはこれから戦うだろう相手をきちんと把握できたし、何より第一王子の補佐となっている組織の男、ラプラスを認識できた点で収穫は大きかっただろう。
国王、そして第一王子と第二王女を認識できた点も良かった。
彼らにどんな過去や思想があるのか完璧に分かったわけではないが、少なくともあのままにしておくのは絶対に良くないと分かったことだし。
何より、リリアーナが改めて現状を見て、戦う必要性を再確認できた。
総じて、得る情報は得た謁見だったと言えるだろう。
そして、いよいよ。
現時点で二大勢力であるヘルクとライラの陣営に、エルメスたちリリアーナ陣営が参戦して。曲がりなりにも三つ巴の構図となり。
様々な因縁、様々な思惑、様々な想いが絡み合い、多くの激突が予想される。
そんな、激しい戦いとなるだろう王位継承争いが──
──始まる前に、終わった。
三人の候補者が謁見を終えた夜。
王都某所にて、平坦な男の声が響いた。
「……今頃トラーキアの連中は、謁見の場に俺が現れた理由でも語ってんのかね」
王都の暗い場所、光の指さない建物の影を歩きながら、男──ラプラスは続ける。
「向こうの推測としては、そうだな……圧力をかける、あの場で確かめたいことがある、もしくは他の重要なものから囮として目を逸らす……あたりか?」
多分、奴らならそれくらいの推測は立ててくるだろう。なるほど妥当だし、どれもまぁ間違っていない要素を探せばなくはない。
だが。
それ以上に──或いはそんなものとは全く関係なく。
あの場に自分が居合わせた本当の理由を、ラプラスは笑って告げる。
「──ねぇよ。んなもん」
そう、無いのだ。
何故ならあの場にラプラスが現れようが現れまいが、結果は何も変わらない。
それなら一応、他の候補者やそれに付き従うものたちの顔でも拝んでおくか──そう、極めて軽く考えたに過ぎない。
あとはまぁ、例の銀髪の少年を見極めることだったり、例の王女様をきちんと認識しておくことだったり……他にも細かい目的はあるが、別にしなければならなかったわけではない。詰まるところ、どうでも良い。
どうして、そこまで雑に考えられるのか。
その理由を、ラプラスは酷薄な声で。
「だって──もう、とっくに終わってる」
故に、あの場に居たのは何の意味もない。強いて言うなら──ただの『勝利宣言』でしかないと。
彼は語って、そこで路地裏を抜ける。
「『俺が既に第一王子の懐に居る』。その意味をもう少し深刻に捉えるべきだったな、トラーキア家の連中よ。……もっとも、捉えられていたところで結果は変わらんが」
そうだ。繰り返すが……もう全て終わっているのだから。
そうして微かな光源の中。ラプラスは夜の薄灯に照らされた一際大きな建物、王宮の方を見上げて。
彼の思った人物がいるだろう場所に目を向け、最後に告げたのだった。
「──そうだろう? 第一王子サマ」
◆
同刻。
王宮最上階、国王の執務室にて。
夜遅くまで政務に励み、書類を片付けていた国王の正面、執務室の入り口から声が響いた。
「……父上」
声を聞いた国王フリードは顔を上げ、そこにいる人物を驚きと共に見つめる。
「──ヘルク」
声の主、第一王子ヘルクの顔は扉の影に隠れて窺い知れない。
そんな中、国王は心持ち厳しめに声をかける。
「何をしにきた。いくら王族と言えど、王の執務室にノックもなしに入るなど──」
「父上。僕は知っているんですよ」
しかし。
そんな王の言葉を遮って、第一王子ヘルクは続ける。どこかうわ言のように、恨み言のように、伺い知れない感情を宿して言葉をぶつけてくる。
「父上が、本当は自分が国王に相応しくないと思っていることを。父上は未だ、かつての妹──『空の魔女』こそ相応しかったと考えていることを」
「……ヘルク」
「それ故に、次代の王に揺るがぬ英雄性を、何にも囚われない強さを求めたことも。だからこそアスターを好きにさせて……アスターほどの才を持たない僕たちのことは、表面に出さずとも最初から諦めていたことも」
かつかつと、第一王子が歩いてくる。
「恨んではいませんよ。父上の見立ては正しい。リリアーナは勿論、ライラも……そして、僕でさえも。父上の言う器ではない、優れたものにはなり得ない、枠にはまったものしか持っていない。……アスターがいなくなった以上、父上の求める王の器はもう、いないんですよ」
そうして、月光に照らされたヘルクの顔が顕になる。
「でも。それでも。僕は第一王子だ。この国の上に立つことを義務付けられた存在だ。この既にどうしようもない国を……どうにかしないといけない義務があるんだ」
彼は、ひどく形容し難い表情をしていた。
泣いているような、怒っているような。嘆くような、棄てるような。
そうして、今のこの国で最優先の継承権を持っている王子は、告げる。
「──じゃあ、なってあげますよ」
同時に、がしゃがしゃと。
複数の足音が、玉座に向かって近づいてくる。
「父上の望む英雄に、なってあげます。何を使っても、何を犠牲にしてでも。──例え、悪魔に魂を売ってでも!」
そして、執務室に複数の騎士たちが入り込んで。
──一斉に、国王に向かって剣を突きつけた。
「──」
「こういうのが、お望みなんでしょう。父上は」
震える声で、けれど確たる意志を持って、第一王子ヘルクは。
「あなたでは無理だ。あなたはもう諦めている。変えることを諦めて、現状維持を行うことしか考えられなくなったあなたには無理なんだ。真っ当に戦っている暇はない、一刻も早く何とかしなければならないんだ。だから──」
変革の言葉を、叩きつけたのだった。
「王位簒奪の、始まりです。──お覚悟を、元国王」
その日。
どこからともなく現れた謎の私兵が、王宮の全域に加えて主要政治施設の全てを武力によって掌握。
速やかに政治機能を略奪した一連の事件は、正当に王位につける可能性のある第一王子が起こしたという点で厳密には違うかもしれないが──
武力によって、政権を略奪する。紛れもない、クーデターであった。
◆
「……わざわざ真面目に継承争いをする必要なんてない」
そうして、全ての掌握が完了した後、かつこつと。
王宮を闊歩し、語りながら、謁見の間を目指す男が一人。
「兄弟姉妹で争うなんて馬鹿馬鹿しい。争い競い合うことで王の器を成長させる意味などありはしない」
そのまま謁見の間に辿り着き、扉を開けて。
「真に国を想い、本当に余計な争いを無くそうとするならば──玉座の方を最初から奪ってしまえば良い」
部屋の中央。至尊の座に座る元第一王子に向けて、男──ラプラスは告げる。
「そうですよね、殿下。……いや、もう陛下とお呼びした方がよろしいか?」
「流石にそれは性急だ、ラプラス卿」
問いかけられたヘルクは、少しばかり上擦った声ながらも否定の言葉を発する。
「元国王は何処へ?」
「生かして幽閉させている。情ではない、まだ聞き出さねばならないことがあるからだ。……だろう?」
「仰る通りで」
慇懃に一礼をした後、されど油断なく顔を引き締めてラプラスは続ける。
「既に主要施設の掌握は完了しております。明日から、殿下が国王として活動できる準備はもう整っている。一先ず第一段階は無事完了しました」
「ああ、ご苦労。だが──」
「ええ。まだ、やるべきことは残っている」
そこからは、第一王子が引き継いだ。
「そうだね。これを知られればまず黙っていない人たちがいる。余計な争いを避けるためにこうしたのに、そこの詰めを誤ってはいけないだろう」
「では」
「ああ。だから謁見があった今日、『二人とも確実に王都にいる』この日を決行日に定めたのだから」
重々しく頷くと、第一王子ヘルクはふと一瞬だけ思いを馳せる。
──信じていますわ。お兄様、お姉様。
(…………今更信じられたところで、何をしろと言うんだ)
言葉を思い返し、苦々しい表情を微かな間浮かべてから。
けれどそれを飲み込んで、ヘルクは告げる。
「……ライラのところには、既に私兵を向かわせてある。だからラプラス卿」
底知れない笑みを浮かべるラプラスに向けて、簒奪者の王子は。
決定的な一言を、発したのだった。
「貴殿の兵は、もう一つの方に向かわせろ。
トラーキアと──リリアーナを、潰せ」
第三章、始まります。




