6話 継承争い
「……よろしいのでしょうか」
第三王女リリアーナ陣営の初期メンバーが揃う数日前。
公爵家の執務室に、緊張と慎重を孕んだ声が響く。
声の主──アルバートは告げた後、眼前に座る公爵家当主ユルゲンを見据える。
当のユルゲンは悠然とした微笑を浮かべたまま、冷静に返した。
「ん、何がだい?」
「……この度、王位継承争いに当たって。トラーキア家が擁立するリリアーナ殿下の陣営、その直属の魔法使いとしてお声がけ頂いたことは非常に光栄です、公爵閣下。ですが──」
今回呼び出された経緯──スカウトを受けたことにアルバートはしっかりと感謝を述べて、しかしその上で。
彼の中で、譲れないことを述べる。
「閣下ならお分かりでしょう。──俺は、一度折れた人間です」
きっぱりと。彼は己の恥ずべき過去を掘り返す。
忘れようはずもない、エルメスが学園に来たばかりの頃。
かつての理想を学園の風潮に踏み躙られ、圧倒的な力であり方を歪められた、己の弱さ故に歪まざるを得なかった時期。
それすら跳ね除けようとするエルメスの在り方が許せず、反抗し認めず喚き、どうしようもない醜態を晒したあの時のことを。
今は多少なりともましになれたとは思う。されど、そう振る舞ってしまった過去はどう足掻いても消せない、消すことは許されない事実のはずだ。
それを認識した上で、アルバートは続ける。
「そんな自分が。折れてしまった過去を持つ、力でも決して優れていると言えない人間が。……あのエルメスをはじめ、一騎当千の人間が集う直属の魔法使いに名を連ねることは……許されるのでしょうか」
遥か目上の人間を相手にしての、けれど真摯なその問い。
ユルゲンは侮ることなくそれを受け入れた上で、穏やかに口を開いた。
「──だからこそ、だよ」
「!」
「自分で言うのも何だが、この件はすごく良い話だ。子爵家嫡男である君にとって、王族直属となることは紛れもない栄達だろう。普通なら一も二もなく飛びついても良いスカウトであるはず。
……にも関わらず、君は今の言葉を口にした。資格があるのかと問うた。それこそ、私が君に求めるものだ」
血も涙もない冷血公爵。
巷でユルゲンに対して噂されているそれが、全くの的外れであることをここでアルバートは悟る。
「君は人が折れることを知っている。弱いことを知っている。……その上で、弱きままに甘んじない心も身に付けている。それはきっと、我々に最も足りないものでね」
「……どういう、ことでしょう」
観念的な話に首を傾げるアルバートに、ユルゲンは苦笑して。
「端的に言うとね。──強すぎるんだよ、あの子達は」
それでもしっかりと、彼の懸念を述べた。
「彼らは揃いも揃って確固たる目的を持ち、それに邁進することを厭わない。だからこそ強いし、だからこそ在り方が何というか……尖っているんだ。それは素晴らしいことだけれど──それこそ時に、想像を越え過ぎてしまうことがあってね」
その上で、とユルゲンが最後にアルバートを見据えて告げる。
「だから、君だ。ある意味で真っ当な感覚を持ち、向上心があり、そして何より──エルメス君に真っ向からものを言える人間。引っ張る者に対して、支える者としての役割を君には期待したい。……受けてくれないだろうか?」
「──」
少しの間、アルバートは俯いて考え込む。
けれどそれは悩んでのことではない。……また彼らと肩を並べる資格を得た、万感の思いを噛み締めるための時間だ。
故に、ユルゲンの言う通り本心では一も二もなく受けたかったその申し出に。
迷いなく顔を上げ、力強く頷いて言うのだった。
「──是非。よろしくお願い致します!」
◆
そのような経緯があって、第三王女陣営、王女直属の魔法使い最後の人員としてアルバートが加入し。
そこから数日間、互いの親交と修行に日々を費やした。
王女との仲は全員良好で、リリアーナの方も初日にエルメスに見せたような噛み付くような態度は……時折カティアに見せる以外はなりを潜め。
魔法の修行の方も──流石に数日ではさわり程度しか触れられないが、確かな創成魔法を扱う者としての一歩を踏み出していた。
かくして、数日経ったある日。
重要な呼び出しを、エルメスは受けた。
「殿下に……エルメス君も居るね。それじゃあ、行こうか」
王宮の一角。呼び出しに応じたリリアーナとエルメスにやってきたユルゲンが声をかけ、二人を伴って歩き出す。
リリアーナに裾を握られ歩くエルメスが、ユルゲンに問いかけた。
「公爵閣下。それで、本日の行先は……」
「ああ。──謁見の間だよ」
「っ」
そうして改めて告げられたその場所に、さしものエルメスも肌が粟立つ。
謁見の間。
そう。すなわち──これから遂に、この国の王様に会うのだ。
「国王陛下は、当然次代の継承者争いが起こっていることは把握しておられる」
エルメスの緊張を把握しつつ、ユルゲンが続ける。
「その上で、半ば黙認に近いことをなさっていた。……いっそのこと誰か王太子を決めてしまえばいいのではないかと言いたくなるかもしれないが、そうもいかなくてね」
これまでぼかされてきた国王の態度。自然とエルメスも耳を傾ける。
「勢力に差があればその手も有効なんだけれど、困ったことに現時点では二勢力がほぼ完璧に拮抗してしまっている。……こんな段階で強引に王太子を決めてしまうと、むしろ混乱を助長しかねないんだ」
「なるほど」
納得できる。選ばれなかった方が反発し、選ばれた方はそれを抑え──とむしろ対立が加速することはエルメスでも想像はつくからだ。
「とは言え、『好きにやれ』と言うのも色々とまずい。だからこの場を設けて、改めて注意事項のようなものを仰るおつもりだろう」
ひどく俗に言ってしまえば、継承争いの『ルール説明』をしようというのが今回の呼び出しの趣旨というわけだ。
そして、それはすなわち──
「第一王子殿下と第二王女殿下も、それに参加なさるのですよね」
「ああ。エルメス君にとっては初めて両殿下に謁見することになるね。それが目的で今回君も呼び出したのだから。流石に全員連れてくるわけにはいかないけれど、君くらいはね」
そこで、ぴくりと。緊張の面持ちでついてきたリリアーナが体を固まらせ、エルメスの裾を掴む力を強めた。
それでも歩みは止めないリリアーナを軽く見やった後、ユルゲンが口を開く。
「……改めて、今回戦うことになる両殿下を確認しておこうか」
「はい」
エルメスにとっては重要な情報だ。集中を高めて聞き入る。
「まずは第一王子──へルク殿下。現時点で最も多くの貴族の支持を集めている候補者だね」
「……それほどを集める器量が本人におありで?」
「ないとは言わないけれど……覚えているかな。彼には背後に、恐ろしく優秀なブレーンがついているという話」
リリアーナの謁見前にちらりと言われていた話だ。頷くエルメス。
「その人の存在が仄めかされてから、明らかに第一王子派閥は拡大した。恐らくはその人間が派閥の王子に並ぶ核で──そして何より、驚くほど情報が無いんだ」
「!」
ユルゲンをもってしても情報を得られなかった、謎の強力なブレーン。
なるほど、確かに警戒すべきだろう。第一王子陣営で最も重要な情報を再確認した後、ユルゲンは次に移る。
「続いて第二王女──ライラ殿下。この国で大きな影響力を持つ『教会』の支持を得た候補者で、ご本人もこの争いには乗り気でいらっしゃる」
「ほう」
「……私の考えだが、より警戒すべきはむしろこちらだと思っている。教会にはただでさえ厄介な噂も多いし、そこが本気で擁立するということは何かがあるだろうからね」
「了解です」
ユルゲンの見立てであるならば、それも心に留めておこう。
あとは、実際に目にして確かめるだけだ。そう考えて──エルメスは遂に目の前に来た、謁見室の扉を見上げる。到着したのだ。
「……」
心を決めて、扉を開く──前に。
エルメスは、改めて隣の少女を確認する。
彼以上に緊張に満ちた面持ちをした、リリアーナのことを。
「……リリィ様。大丈夫ですか?」
「ええ。……覚悟は、してきましたわ」
リリアーナと今話題に出た両殿下との関係は、はっきりとは聞かされていないが──断片的な話を統合するに、これまではそれなりに良好だったことは推測できる。
──それが王位継承争いが始まって、壊れてしまっただろうことも。
始まらない方がよかった、つまりアスターが君臨したままの方が良かったと言うつもりはリリアーナもないだろう。彼女自身アスターの振る舞いに問題があるとは思っていたようだし。
けれど、過程はどうあれこれまで仲が良かった兄姉と争うことになるのは確かで。
エルメスとユルゲンが見守る前で、リリアーナは宣言する。
「今更、怖気付いてはいられませんもの。わたくしはお兄様、お姉様のために──お兄様、お姉様と……真っ向から、ぶつかります」
謁見室の扉を見上げて、そう言い切ったのち。
「だから……その、師匠」
くるりとこちらに再度振り向いてから、少しだけ躊躇いがちに。
「最後に……もう一度だけ。わたくしに勇気を、くださいませんか……?」
おずおずと両腕を前に伸ばし、可憐に頬を染めて控えめな上目遣いでそう問いかけてきた。
……苦笑と共に、彼女の望みを察する。
望まれるままにエルメスはゆっくりとリリアーナに近寄り、彼女の小さな体を引き寄せて包み込むように抱きすくめる。
「っ……」
途端に、ぎゅっと全力でしがみついてくるリリアーナ。子供特有の高い体温と柔らかな感覚が腕の中に広がる。
……ここ数日で分かったことだが、彼女はある意味で年相応、ひょっとするとそれ以上にひどく寂しがりやなのだ。
「……はしたないと、お思いでしょうか。いくら師匠でも、出会ってまだ数日なのに……」
「いえ、これが不思議とそうは思わないんですよね」
きっとリリアーナがまだ11歳の子供ということもあるだろうし……
何よりエルメスにとってはやはり、色々な要因で他人の気がしないからだろう。
「……思った以上に仲良くなってくれたみたいだね」
そんな師弟の様子を見て、ユルゲンも柔らかに告げる。
「やっぱり、彼女の面影が強いからかい?」
「ええ。……ひょっとして、師匠も子供の頃はこんな感じで?」
「いやーどうかな。流石にもう少し可愛げは無かったと思うよ」
苦笑を交換し、数秒後にリリアーナを解放する。今の会話はエルメスに抱きつくのに夢中で聞いていなかったようだ。
ともあれ、これでようやくリリアーナも覚悟が決まりきったのだろう。
先頭を歩き、謁見室の扉に手を触れると──一挙に、それを押し開けるのだった。
区切りの都合で二分割。
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