54話 真似
同刻、校舎を覆う結界の前。
カティアは瞠目した。
「何よ……これ」
彼女を中心として行っていた校舎防衛戦は、それなりに上手くいっていた。
襲い来る魔物は紛れもなく強力で、先程以上の激戦になったけれど──それ以上に味方の士気と能力が非常に高く、現時点では辛うじて拮抗まで持ち込めていた。
しかしその瞬間、予想だにしないことが起こったのだ。
辺りを飛び回っていたコウモリのような魔物たちが全員──突如周囲に居る大型の魔物に喰らい付いて。
そのままぼこぼこと魔物を黒いもので覆い尽くしたかと思うと、現れたのはあちこちに目のついた黒い釣鐘型の、悍ましい何か。しかも、それが複数。
戦線に影響があったわけでもない。守りを破られたわけでもない。
ただ、その光景のあまりの不気味さは──生徒たちの士気に関わるほどの動揺を与えるには十分だった。
「っ、落ち着きなさい!」
このままでは、辛うじて維持できている戦線が崩壊する。そう予感したカティアは動揺を鎮めるべく声をかけ、同時に考える。……このような現象が、どうして起こったのかを。
当然、考えられる原因は一つ。
然程の間もなくそれに思い至ったカティアは向こうを──彼女の従者が去っていった方向を一瞬眺めて、告げる。
「何があったかは知らないけれど……頼んだわよ、エル……!」
間違いなく向こうでも激しい戦いが行われている、或いはこれから行われるだろうことを予感しつつ、カティアは意識を戦場へと戻すのだった。
◆
「……」
コウモリの魔物がクライドを取り込んで生まれた、黒い魔物。
ぐねぐねと胴体部分が蠕動する様子から、ひと時も目を離さずエルメスは観察を続ける。
さて、どう来る。
そう思った瞬間、動きがぴたりと止まり。側面から生える複数の触腕が──ブレた。
「!」
直感に従ってバックステップ。
一瞬後、地面を叩き割る凄まじい轟音がエルメスが立っていた場所に響く。
冷や汗と共に観察すると──案の定、そこには陥没した地面に張り付く複数の伸びた手が。
見た目から予想される通りの攻撃だが……その速度が予想を遥かに超えている。あれだけでも先ほど一撃で葬った竜種を超える脅威となりうるだろう。
そう分析しつつ、エルメスは傍らの少女に声をかける。
「サラ様。今の攻撃、見えましたか?」
「……ごめんなさい。影を追うくらいで精一杯です」
「了解です。では下がって、観察と出来る範囲で結界でのサポートを……」
立てた戦術を、最後まで言い切ることは叶わなかった。
何故なら、黒い魔物から生えた別の触腕。その先にある手から──突如として、凄まじい熱量を放つ豪炎が生まれたからだ。
(魔法──っ!)
血統魔法にも引けを取らない威力。それを感じ取ると同時に間髪いれず炎が放たれる。
どうにか紫焔の大剣で迎撃。相殺には成功したが、予感した以上の威力に軽く手が痺れる。
しかし、この程度なら打ち勝てる──そう思ったエルメスを嘲笑うかのような光景が、次の瞬間目の前に展開された。
「……嘘だろ」
魔物が持つ複数の触腕。
その全てに──別々の魔法が宿っていた。
ある手には極小の嵐、ある手には空気が歪むほどの冷気、ある手には暴れる紫電。
当然、その全てがそこいらの血統魔法を超えるほどの性能を持っていると一眼で分かる。
一斉にそれらが放たれた。
「ッ!」
「『精霊の帳』──!」
攻撃に特化したこの剣では防ぎきれない。そう瞬時に判断して魔法を解除、同時に強化汎用魔法で防ぐ、と言うより一瞬の時間稼ぎを行う。
その間に、サラが魔法を発動。即座に破られた強化汎用魔法を、血統魔法の結界が受け止める。
だが──それすらも数秒でヒビが入る。よって続けてエルメスが素早く詠唱を行い『精霊の帳』を再現。二重の結界を展開することで辛うじて全ての魔法を防ぎ切った。
「……これは、まずい」
「……っ」
険しい面持ちで呟くエルメス、苦悶の表情を浮かべるサラ。
桁違いだ。単純な物理的な能力においても、そして何より……あの魔法の能力においても。
というか、あり得ない。あのコウモリの魔物が持つ魔法は情報共有の類だったはずだ。仮にそれ以外の複数魔法を扱え、かつクライドの魔法能力で底上げしたとしてもあれほどの威力の魔法を、しかも多属性同時に用意するなど不可能だ。
何か、からくりがある。その方向で思考を回すエルメスは──程なくして辿り着いた。
ここに来るまでに見かけた、複数のコウモリの魔物。情報共有の魔法。そして『他者を取り込む』という今回見せたあの魔物の特性。
その全てが、荒唐無稽だけれど辻褄が合ってしまう、最悪の予測を打ち立てる。
「まさか……他の魔物の魔法を共有している……?」
彼の予想が正しいことは、外の光景。
外でも同じように、コウモリの魔物が他の魔物を取り込んでいる光景を目の当たりにすれば明らかになっただろう。
そして彼は思う。だとすれば、まずいと。
まずはその性能。今の予想が確かならば、目の前にいる魔物は。
理論上今校舎を襲っている、全ての魔物の魔法を扱える、ということだ。
加えてその場合──対策の立てようが無い。
力の源がここ以外であるのなら潰しようがないではないか。唯一の対策としては今コウモリの魔法を解析して再現、それでジャミングもどきを行うくらいだが……
(……無理だ)
それをするには、魔力出力か魔法の扱いで向こうを上回っている必要がある。
同じようなことをしたアスターとの戦いの時は、両方で大きく凌駕していたから支配の炎を乗っ取ることができた。
だが今回は前者に差がなく、後者はむしろ負ける可能性の方が高い。あの魔物は人間と違い、魔法生物であるが故に己の魔法は完璧に扱い切っている。
結論、真っ向から勝負する以外道はない。
それに辿り着いたエルメスだったが……尚も、絶望を追加する光景が展開された。
掌に乗せた複数の強力な魔法。それらを眺めていた黒い魔物が──あたかも今、ふと思いついたとでも言うように。
ぱちん、と柏手を打つと同時に──二つの魔法を合体させた。
「な──」
合わせたのは炎と風の魔法。結果、先程よりも遥かに強大となった炎嵐が生まれ、魔物は躊躇なくそれをエルメスの方角へと撃ち放つ。
「エルメスさんっ!」
咄嗟に少し離れた場所にいたサラが結界で防御。しかしそれをあっさりと炎嵐は突破し、エルメスを平然と呑み込む。
悲鳴に近い声を上げるサラ。しかしその一瞬後、ぼっ、と炎嵐を抜け出してサラの元まで飛び退いてくる影が。
「エルメスさん! その──」
「大丈夫、軽傷です」
軽く服の裾を焦がし、いくつか軽度の火傷を負っているが、素早い離脱の判断が功を奏してか宣言通り大怪我は負っていない。
これなら『星の花冠』を使うまでもなく自前の強化汎用魔法で対処可能だ。そうして傷を治しつつ──しかし、依然険しい顔でエルメスは魔物を見やる。
「……あの、魔物……」
強力な近接の能力を持ち合わせ。
複数の強大な魔法を自在に操り。
そして今、その魔法を複合させることまでやってのけた。
そう、それはまるで──エルメスを真似しているかのようで。
いや、実際そうなのだろう。
あの魔物は今、戦い方を覚えている最中なのだ。現在相対している人間の中で一番強いエルメスの戦闘を、魔法を『解析』して、『再現』している。
まさしくこれも、エルメスと同じように。加えて魔法生物である特徴を最大限生かし、一部ではエルメスすら凌駕する性能と速度で。
それを見ていると、改めて感じる。
『魔物に知性を持たせる』ということ、その途方もない恐ろしさに。
エルメスたちが向こうの脅威に圧倒されていた、その時だった。
ふっ、と。
突如として黒い魔物が展開していた魔法を消し、だらりと手を下げる。
戦意を喪失したかのような動作だったが……その直後。
釣鐘型の胴体中央下部。丁度胴体を顔と見立てた場合に口元に当たる部分。
そこが──がぱり、と三日月に開いたかと思うと。
「──は」
その中から、恐ろしく不気味な不協和音が迸った。
「はははははははははははははは!!」
「──」
哄笑には、聞き覚えがあった。
ひどく変質しているけれど。加えて別の何かと二重の音声になっていて非常に聞き取り辛いけれど。
そのイントネーションに、人を小馬鹿にしたような声色に、覚えがありすぎた。
「……まさか」
クライドだ。
生きていた……いや、意識が残っていたのか。
驚愕する二人の前で、その人格を証明するように魔物が引き続き声を上げる。
「ああ、ああ。とても良い気分だ! どんな魔法でも使える、どんなことでもできる! そうだよねぇ、この僕が人類の敵を操るだけなんて、その程度に収まるわけないよねぇ!」
「……貴方は」
「おやぁ? なんだいエルメス、自分だけの特権だと思っていた魔法と同じことを僕にされてさぞ悔しいと見える! なんて醜い嫉妬だ!」
……うん、クライドだ。
皮肉にもその物言いで確信してしまったエルメスに向かって、彼は尚も続ける。
「そうだよ、君如きにできることが僕にできない訳がない! 僕は既存の魔法の枠すらも超える、変革する人間だ! 君じゃない、僕が、僕こそがそれに相応しいんだよぉ!」
「……人間、ですか。そのような姿になってまでですか?」
「うん? 何を言っているんだい」
誰もがするだろう指摘を行なったエルメスだったが、クライドは逆に心底不思議そうな、何も疑問を持っていないような声で。
「僕は僕のままだ。何も姿なんて変わっちゃいない、紛れもなくクライド・フォン・ヘルムートそのものだよ」
「──な」
「容姿もうん、声高に自信を持つほどではないが少なくとも君よりは間違いなく優れているだろうね。ああ、それとも他に何も責めるところが見当たらないから仕方なく容姿を貶めようとしたのかな! お手本のような醜悪さじゃないか!」
まさか。
自覚がないのか。自分が変質した、取り込まれたことに。恐ろしい外見の黒い魔物に変わっているということに。
「それで、何を話していたっけ。──ああうんそうだ、僕が学園の連中を変革の礎にして、サラ嬢を……え? そうか、サラ嬢ももう手遅れだったんだ、仕方ないから僕の手で葬ってあげるのが彼女の幸せで、えっと、それで僕こそがこの国を変える中心となって……あれ、エルメス、君なんでまだ生きてるの?」
「……ああ」
すぐに悟った。
考えて見れば当然だ。支配下だと思っていた魔物に食いつかれ、肉体に侵入され、神経を侵され、おそらくは思考や魔法すらも一部同化されて。
──正気でいられる、訳がない。
「まあもう一度殺せば良いだけか。そうだね、考えてみれば君の僕に対する罪が一度殺した程度で済まされる訳がないもんね」
「……分かりました」
どうやら目的と意思だけはブレずに残っているらしいが、関係ない。
覚悟を決めよう。
あれはもう、人間と見做さない方が良い。人語を話すとしても、少なくとも今は、魔物と全く同じ脅威として対処する。
そう考えなければ、そう意識を持たなければむしろこちらが危ない。
何せ……言葉と共に再度展開された魔法には、今までと比べても全くの翳りがないのだから。
「サラ様、行けますか」
「……はい」
もう一度、彼女にも確認する。
彼女はひどく青い顔をしながらも頷いて、少なくとも戦う意思は保ってくれているようだ。
とりあえず、向こうの手の内は見た。
──ならばそれを踏まえて、対策するだけ。もう一度、超えるだけだ。
再度、エルメスは魔力を高め。仕切り直しの合図として地面を蹴るのだった。
次回、反撃開始。お楽しみに!




