時間にすれば二分にも
時間にすれば二分にも満たなかっただろう。
四肢を全て引き伸ばすと、魔神はようやく押さえつけていた足をのけた。
ぐったりと転がる男。
辛うじて息は残っているが、身動ぎすらできない様子だ。
魔神が羽を広げる。
二対四枚のそれは、翼ではなく薄い皮膜状。
炎のように朱色で、表面がゆらゆらと波打っていた。
羽ばたくと魔神の巨体が宙に浮く。
揚力を生んだのではない。飛行魔法に近いものだ。
もう一度羽根が動く。
突風だけを残して、魔神の姿が消えた。瞬間移動の如き加速。
行き先は考えるまでもない。
「助かっ……たの……ぐぇぅ」
止まる気配すらない嘔吐感と、途絶えかける意識に懸命に抗う。
ここで気を失えば、待っているのは確実な死だ。
どうにかして救難信号を出さなければならない。
* * *
救難信号は出した。
追ってくる気配はない。どうにか逃げ延びられたようだ。
しかし、足を止めたりはしない。
「こっちが無事ってことは、あっちはダメか」
ギリッと奥歯を軋ませる。
緊急回避。不可抗力。しかし、三人の後輩を犠牲にしてしまった。
「仇は取ってやるからな」
速度が落ちてきた。
タブレットを素早く操作して、加速の魔法を発動させる。
風と水の魔力でアップした走行速度は、百メートルを三秒で駆け抜ける。
かなりの距離を稼いだはずだ。
最短の帰還ポイントまで約十キロ。
魔法のリキャストと、スタミナの低下を考慮しても、七分ほどだ。
更にタブレット操作。
近くの地面が隆起し、自身の分身を生み出す。
見た目だけで動きもしない安っぽい物だ。
Sランクの生物は謎に包まれている。
だが、あのイフリートの姿から感覚器官は目、おそらく視覚に依存しているはずだ。
こんなダミーでも、少しは生き残る足しになるかもしれない。
「仇は絶対に取ってやるからな」
彼女はプロ。しかも歴戦の勇士だ。
生き残る事に罪悪感を持つようなアマちゃんではない。
仲間の死は復讐心として、戦う燃料にする。
振り返った。追ってくる気配はない。
「くそっ。仇は絶対に取る」
Sランクは避けるのが常識だ。だが、今回の相手は違う。
棲息外のエリアに現れ、しかも向こうから攻撃してきた。
危険な、危険過ぎる個体だ。野放しにはできない。
必ず討伐隊が組まれる。各企業と軍部が精鋭を揃えるはずだ。
「人間様を舐めるんじゃねぇ」
悪態をついたところで、地面の砂が後ろから、少し流れるのが見えた。
スピードを上げつつ、首だけで後方確認。
大丈夫。何もいない。
顔を前に戻した瞬間だった。いきなり視界が青だけになる。
状況を理解する前に、奇妙な浮遊感。
自重が首に掛かる。
彼女を抜き去っていた魔神が、頭を掴んで吊り上げたのだ。
猛禽類がネズミを捕らえるのに似ている。
事態を把握した彼女の反応は早かった。
腰の直刀剣を取ると、僅かに見える指の隙間を頼りに突き込む。
冷気の魔法を帯びた切っ先が、魔神の脇腹に下方から刺さった。
硬質の肌を破り、十センチほど進む。
いい手応えだ。
魔神の体格と元素生物のタフネスを考慮すれば、致命傷にはほど遠い。
だが、有効打ではあるはず。
刀身を捻りながら引き抜くと、更なる攻撃を加えんとする。
不意に視界がクリアになった。
重力を感じる。魔神が手を放したのだ。
タブレットに指を踊らせる。
落下速度を緩和させる浮遊の魔法を打ち込む。
ミスだった。
いや、この表現は良くないな。
瞬時の選択で正解を選択するのに必要なのは運だ。
であれば、彼女の運はここで切れていたというべきだろう。