数秒逡巡してから、それでも
数秒逡巡してから、それでもリーダーの女性は頷いた。
(ま、これが精神的な飴ってやつよ)
にんまりとした笑みは、ヘルメットで見えない事を計算してのものだ。
「ところで教官は、どこを出たんですか?」
「もち、最高学府よ。しかも首席でね」
「はあ」という力の抜けた返事を聞きながら、通話をチーム全体に戻し。
「はいはい。遊ぶのはそのくらいで、帰る準備するわよ。
あとで結晶を換金できるとこ、教えてあげるから。
でも、ちょろまかすのは、オマケの分だけよ。
そのくらいなら、会社も目をつぶってくれるけど、やり過ぎたら警察につき出されるからね」
最後に忠告を添える。
これで教官として基本は全て伝えた。ここからは彼ら次第。
(まあ、どこかで野垂れ死なないように、くらいは祈っててあげるわ)
正直なところ、油断はあった。
そもそも研修が行われるのは、元素世界でも安全なエリア。
遭遇する生物もDランクが殆ど。極々稀にCランクを見掛けるくらい。
研修上がりのヒヨコなら苦戦すれど、実戦を何度も潜り抜け、しかもエリートと称される彼女にとっては、動物園を歩くくらいの感覚だった。
しかも、研修も無事終了を告げた矢先。気を緩めてない方がおかしい。
最初は風だった。
いや、風なんて生易しい表現では足りない。
空気の塊を頭上から叩きつけられたほどの圧力。
地表の砂が轟と巻き上がり、さながら煙幕の如く視界を覆った。
跳ねた小石がヘルメットのバイザーに、パチパチと音を鳴らす。
四人は反射的に両腕で頭部を庇い、身体を屈めた。
女性ふたりのスカートが、千切れんばかりの勢いで捲れる。
次は静寂だった。
立ち込める砂煙が、空気の流れと重力によって、少しずつ晴れていく。
四人は全身に張っていた緊張を微かに緩和させる。
両腕を下ろしながら、顔を上げた。
ほぼ同時に全員が息を飲む。
否応なし。
眼前に立つそれを、見てしまったからだ。
異形だ。
人を冒涜的に歪めたような姿をしていた。
まずデカい。二メートル五十はある。
膝を曲げ、頭を前につき出した姿勢にもかかわらず、だ。
完全直立すれば、三メートルを超える。
青い光沢を持つ肌は、まるで石から彫り出したような質感だった。
だらんと力なく下ろした腕は長く、手首が膝まである。
そこから身長と比較しても、圧倒的に大きな手が付いていた。
小振りなナイフのような鋭い爪を備えた、殺傷能力の高そうな手だ。
一方で四肢は細い。まるで棒切れ。
殴り付けてしまえば、簡単に折れそうな気すらしてくる。
頭部は球体。鼻口はない。
瞳らしき感覚器が八つ、正面の外側をぐるっと囲むように並んでいるだけ。
胴体も薄い。
子供のマネキンを大人サイズに無理やり引き伸ばしたら、こういう感じになるのかもしれない。
つるんとしており、生物らしい要素の欠片もない。
いや、「いきもの」という理から、逸脱してしまったようだ。
背中には薄い皮膜のような羽根が二対。
今は折り畳まれているが、広げれば五メートル以上にはなる。
腰から伸びる尾が、地面に円を描いていた。
身長の半分くらいはある長い尻尾だ。
イフリート。
前文明の遺跡にあった、炎の魔神を指す単語。
炎の元素生物において、ほぼ頂点に位置する個体達に、恐怖と畏敬を添えて与えられた名。
この異形の呼称でもある。
脅威ランクはS。
元素世界に百体ほどしか存在しないと言われる超希少個体だ。
八つの目が四人を一瞥し、球状頭部を小刻みに震わせる。
呆然とするしかない四人のヘルメット内に声が響いた。
低く重厚に。
ゆっくりと明瞭に。
「抗え」
最後にやって来たのは、恐慌だった。
本能的感じ取った自身の生存危機に、それでも声を上げられたのは、歴戦の勇士が持つ胆力の賜物だった。
「全員各個に退避! 何でもいい! 逃げろ!」
彼女の名誉のために添えておこう。
この指示はいい加減なものではない。的確極まりない対応だ。
脅威ランクSの個体に出会った場合、取れる対処はひとつしかない。
自己の安全を神に祈りつつ、とにかく逃げる。それしかない。
仲間? パーティー? チームメイト?
生き残りたければ、ひとまず忘れろ。
後悔なんてのは、生き残ったものだけできる特権。身に余る幸運の結果だ。