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第1章*「虞美人草」その6



高林藤子は次のように自身の身の上を語り始めた。



わたくしの母はもともと社交場で働いており、そこで父に見初められました。若い頃は大変な美貌だったらしく、父の一目惚れだったと聞いております。


当時はまだ明治に変わってまもなく、激動の時代と言っても…流れる所には流れるんでございますね。父は貿易商を営んでおり、母を手に入れるために金を湯水のごとく使ったと聞きました。とどのつまり母はその金に目が眩んだわけなのです。…ここまで話して、なんだか嫌になってしまいましたわ。…ごめんなさい、続けますわね。


後にわたくしが、その下に弟が二人生まれました。

しかし、わたくしが4つのとき、養子に出されることになるのです。


理由ですか?他愛のないことですわ。醜いから。母が「お前みたいな醜い顔の子どもを連れて歩きたくない」と言うからです。これは物心つく頃からずっと言われておりました。


そんなことないですって?…ありがとう存じます。


養子先は母の実家、わたくしの祖母が法律上の「母」になりました。

4つといっても、数えでまだ3つだった幼いわたくしは祖母を本当の「母」だと思い込んでおりました。


この家には、嫁に出た長女である母の他に下に弟が5人おり、まだ全員学生で大変貧しく、そのうえ祖父は数年前に亡くなっており祖母が一人で家計をを支えているという具合でした。


そんなところに、わたくしのような子どもは食い扶持が増えるだけで邪魔でしかありません。

一番下の兄とは大して歳も変わりませんでしたが、毎日のように祖母がいないときによくいじめられていました。

厠に行けないように廊下で待ち伏せをして嚇かす、服を隠す…一番辛かったのは、「お母ちゃんはお前を仕方なく貰ったんだ」と言われること。


…そんなとき、上から2番目の兄がいつも路地で泣いてるわたくしを泣き止むまで負ぶって海まで連れて行ってくれるのです。


牛乳配達をしてもらってくるミルクも毎日飲ませてもくれました。あのミルクの味は一生忘れません。


兄のことが大好きでした。

唯一の心の拠り所だったのです。


わたくしが女学生の時分でございます、急に実家の両親が引き取りたいと申し出て来たのです。

弟でございますか?二人共健在でおりました。


わたくしをとある資産家の男が見初めたため見合いをさせたい、そのため実家に帰化させるということでした。

つまり、莫大な持参金目当てでございますね。


「醜い顔」だと言って家を追い出しておいたくせに、その頃のわたくしは若い頃の母に瓜二つに育っておりました。皮肉ですわね。


見合い相手は、22歳も年上の宝石商の男でした。

ええ、今の主人です。


わたくしのことを道のどこかで、学友といるところを見かけたらしいのです。

一目惚れ?ええ、よく言えば、そうなりますわね。


お母ちゃんは…あ、祖母のことをこう呼んでいました。

祖母は「今更、引き取るなんて勝手だ。とんでもない」と大いに反対してくれましたが、実家の母ときたら「この子はあたしが腹を痛めて産んだんだ」の一点張りで一向に引きません。

金に目が眩んだ亡者…いえ、悪魔でした。


わたくしはまもなく実家に引き取られ、その男と結婚することになりました。

見合いの日のことはあまり覚えておりません。

ただ、「この信楽焼の狸のような男を愛せるのだろうか」と夢うつつに考えていたことと、指に見たこともない程大きなダイヤモンドが輝いていたことだけ。


見合いの日だけ実家で寝泊まりしたようなものでした。

だって、すぐに結婚させられてしまったんですもの。


式は大変盛大なものでございました。

唯一、私の心の救いだったのは、夫が東京に新居を構える予定だということ。当時のわたくしは、東京にどうしても行きたいという思いがありました。

ですが、家移りしてからわかったことなのですが…夫は、私とあの卑しい実家と貧しい養家を離したいという考えがあったようなのです。そのもとに湧いて出た東京行きでございました。


親子程歳が離れている夫との結婚生活は、口で説明するのはなかなか難しゅうございます。

世の中ではうまくやっているご夫婦も沢山あると存知ますが…。


夫はわたくしに、着る物まで注文してまいります。

町の方々がわたくしが紫が好きだと?それも夫の好みですわ。それも大変気苦労でございました。


これでも、縁があって嫁いだのですから…うまくいくよう努力はしてみました。

…だけれども、なかなかそうはきませんわね…。

「子はかすがい」と申しますでしょう?

わたくし、2回流れてしまっていますの。夫に三行半を突きつけられても当然の女なんですのよ。

だからと言って故郷に帰るわけにもいきませんし。


わたくし、女学生時代ほんの少しだけ英語が出来たんです。

ですが堪能に会話出来る程ではなかったため、夫の仕事の役立つからと勧められ神田の英語学校に通っておりました。


そんなとき、たまたま小さな個展の前を通って偶然ある一枚の絵に出逢ったんです。


『浜と乙女』。

神戸の海と少女を描いた油絵です。

すぐに兄のものだとわかりました。だって、そこに描かれた「乙女」はわたくしなのですから。

他の兄達に虐められて泣いているわたくしではなく、その絵の中のわたくしは笑顔で花が咲き誇っているのです。


兄の居場所を探すのは雑作もないことでした。

母校である上野の東京美術学校で教鞭を取り、学生時代からとある評論家の先生の所に下宿しているとのこと。


兄は再会を大変喜んでくれました。

わたくしも、自身の半身と出逢えたような嬉しさを感じた位でした。

兄は画家になることを家族に半ば反対され馬鹿にされていたため、東京に出た後はあまり連絡はよこさなかったようなのです。

一度だけわたくしに手紙を出したようなのですが、実際届いておりませんので他の兄達に隠されたのかもしれません。


兄と過ごす時間は日に日に増えていきました。

月に一度が二週間に一度。

一週間に一度や4、5日明けないこともあったくらいです

端から見れば、不審に見えたかもしれません。


養家を嫌っていた夫には、兄との再会のことはとても言えませんでした。


だけど…逃げたかったんだと思います、「今」から。


兄といると、子どもの時分に戻れるような気になれるのです。


本当は、この懐中時計だって持ってきたくありませんでした。

主人が結婚記念日にくれた、このガーネットの飾りが付いた金時計。

しかし兄との限りがある時間を知らせるには必要でした。わたくしは、わたくし自身の持ち物なんて何一つ持っておりません。


こんなことをしてまで兄と共に過ごす時間がわたくしにとっては救いでした。


わたくには本当の「兄」なのです…。

…世間からしたら伯父だとしても。








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