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人助けと街

異世界に来て数日。日中は当てもなく歩き続け、夜は野宿。凜華が目を覚ました森はとうの昔に地平線の彼方へと消え、今は見渡す限り何もない草原に二人は居た。

「……で、どう?」

「短気だな。まだに決まっているだろ。大人しく火の番をしていろ、それしか出来ないんだからな」

「……」

 空中に浮かぶホログラムのウィンドウ。それを幾つも出し、ホログラムのキーボードを迷いなく高速で打ち込みながらノールックでしっかり凜華を貶してから返事をする狼嗣に対し、凜華は手持ちのライターと森で拾った枯れ木で起こした焚き火を見ていることしか出来ない。それは事実だ。

「ぶっ!?」

「殴っていい?」

「殴ってから言うな!」

 だが、ムカつくので殴る。そもそも敵同士なのだから殴っても問題ないが、今は元の世界へ戻る為に休戦中なのだから少しは歩み寄りをした方がいいだろう。だが、それをしないのが凜華である。まぁそれ以前に人間的に好きになれないということもあるが。

「お肉が上手に焼けましたーっと」

 待っている間、凜華は仕留めた変な猪肉(骨付き)を焼いてから塩コショウを振ったというワイルドな料理を作ると、見た目とは裏腹にワイルドにかぶりついて食べ始めた。

作業をしていた狼嗣はそれを呆れたような目で見ていたおり、それに気づいた凜華に焼けたばかりの骨付き猪肉を顔にぶん投げられる。しかしそれを見事にキャッチして同じくかぶりついが。

 食器も無い現在、かぶりつく以外の食べ方がないのだ。

「俺は文明人なんだがなぁ」

「私だってそうよ」

「いいや、お前は原始人だ。なにせ、かぶりつく様がよく似合っているからな」

「……」

 今度もグーパンで殴られた狼嗣は無言で訴えるが、凜華は無視して肉を咥えながら返してもらったデバイスで自分もホログラムウィンドウを出現させる。そのウィンドウは何重もの円が描かれ、中心とその近くに青い丸がひとつずつある。

デバイスの機能の一つで、生体反応を感知する生体レーダーだ。範囲は半径五キロ程の優れものだが、感知するのは人だけでなく小動物までも感知する。しかし、それに関しては絞込み機能を使えば人のみ感知させることも出来るし、そもそも生体反応も生命力の強さで表示される丸の大きさが変化するので絞り込み機能を使わなくても判別は可能だ。

本来、生体レーダーは逃げ遅れた民間人の救出や保護に使うことを想定したものだが、今回は周囲にあの変な猪の様にこちらに向かってくる生物が居ないかどうかの確認する為に使用した。手持ち無沙汰だったので眺める為の使用だったが、それは凜華にとって最良の結果を引き寄せる結果となった。

「ん?」

 小さな青い点が乱立する中、南東三キロ程の所に人と同じ反応が七個とそれより少し大きめの反応十数個が固まっている。丸が細かく震えているので、メートル単位で移動しては戻るを繰り返しているようだ。

(ペットと遊んでるのかな?)

 こんな広い草原だ。ペットと一緒にピクニックにでも来ているんだろう。

 そう思い、凜華は頬を緩ませた直後───

「ぇ」

 ───反応が小さくなった。

 小さくなった反応は人。つまり人が重傷を負ったか死にかけている。

「っ────!」

「あ、おい!」

 狼嗣の制止も聞かず、凜華は気づけば走り出していた。

すぐに我に返ったが、足を止めることはなくそのまま変身。完了すると同時にスーツの機能を最大限使って最高速度で反応があった場所へ向かう。

(見えた!)

 その間わずか三秒。変身してなければ絶対にありえない速度で到達した凜華は、瞬時に状況を把握するべく目を動かす。

 居るのは金属製の鎧を身に纏う兵士風の男たちと馬車の一団。そして一団を襲う黄色い毛並みに剣の様な角が生えた狼の群れ。

 どちらに加勢するかは言うまでもない。

凜華は剣を抜くと一番近くに居た狼数匹の首を追い越し様に切り飛ばし、驚いた様子の兵士の隣を抜け、兵士に向かって飛びかかる狼を縦に真っ二つにした。

「加勢します!」

 未だに状況を理解出来ていない様子の兵士たちの立て直しも待たずに狼の群れに向かって走り出した直後、攻撃を感知したセンサーが鳴らした警告音が耳を打つ。

 考えるよりも先に体が動き、飛びのくと同時に空から光の雨が降り注ぎ、兵士達を避け、残りの狼だけを正確に穿った。騒ぐ兵士達を尻目に凜華は空を見上げる。

(あれって確か……)

そこには空を飛ぶ複数の黒い球体があり、狼立ちが息絶えたのを確認すると役目を終えたように凜華が来た方向へ飛び去っていき、すぐに変身した狼嗣が現れた。

「急に走り出すから何事かと思えば、人助けとはな」

「悪い?」

 皮肉かと思い悪態をついた凜華だが、狼嗣は頭を振る。

「いいや、よくやった」

「え、きも」

 悪人が善人の善行を褒める。普通なら何か企んでいると思うところだが、凜華はそれよりも嫌悪感が勝ってしまい、気づけば拒否感をつい口に出してしまっていた。その事に気づいた凜華は敵だとしても言い過ぎだとすぐに反省して謝った。

「ごめん」

「……マジトーンやめろ。余計に傷つく」

 あ、傷ついてたんだ。

 流石にそれまでは口に出さずに飲み込み、近くに人以外居ないことを確認した凜華は変身を解除すると狼嗣も変身を解除する。そして兵士たちに向き合い、凜華は両手を挙げて敵意が無いことを示しながら笑顔を浮かべる。

「大丈夫ですか。怪我人を見せてください。応急処置程度なら出来ますので」

「敬語出来たのか。驚きだな」

「うっさい」

 狼嗣の横槍をいなしてから兵士へ一歩近づくと、目の前に槍を突きつけられた。

突きつけた兵士の顔は警戒一色。他の兵士たち───負傷者すらも警戒しており、凜華は思わず「えぇー」と声を漏らしてしまう

「いち早く駆けつけ、加勢して、敵を全滅させて、命を助けたというのにこの対応か。素晴らしい歓迎だな」

「ま、まだ混乱してるのよ。そう、話せばちゃんと分かってくれるはず……あの、私たちはですね」

「──────!」

 一縷の望みをかけ、話しかけて返ってきたのは聞いたことのない言語。凜華の脳裏に冷たいものが走る。

(これはもしかして。いや絶対に……)

「言葉が通じてないな。異世界なんだから当たり前だが」

(ですよね───!)

 狼嗣の言葉でそれは確信となり、凜華は頭を悩ませる。

 デバイスに通訳機能はあるが、それは元の世界の言語であって異界の言語には対応していない。対応させるとしてもサンプルが多く必要だ。

「まずは色々と話させないといけないってことよね」

「そうだな」

「───!」

「──────!!」

 すぐに通訳機能を起動し、わーわーと喚く兵士たちを放置してサンプルを集めるべく、狼嗣は無言で、凜華は落ち着けようと身振り手振りでこちらの意思を伝えようとする。

「翻訳完了だ」

「はやっ」

そして先に翻訳を終えたのは狼嗣だった。

「今データを送ってやる」

 すぐにそのデータを送ると言う狼嗣に目を丸くして驚く凜華を残して狼嗣は翻訳したばかりの言語に設定して通訳機能を起動した。

「すまない。我々はこちらには来たばかりであまり言葉が話せないんだ。多少聞き苦しい部分もあるかもしれないが、容赦してくれ」

 デバイスの通訳機能は便利なもので、自分では日本語を話しているつもりでも出てくるのは設定してある言語だ。そして耳に入る言語に関してはデータがあればどの言語だろうと自動的に翻訳されて聞こえるようになっている。

 なので、翻訳と同時にすぐに会話をすることも可能となるのだ。もちろん通訳のみならずデバイスに搭載されている機能は全て意思一つでオンオフが可能だ。

「……それほど流暢に喋れるのなら問題ないと思うがな」

 言葉が通じるようになったからか、ヒートアップしていた兵士たちの頭が少しは冷えたようで、警戒はしているものの声を荒上げることをしなくなった。

 危機は脱したと言うべきか、あのまま話し合いに持ち込めなければ狼嗣は馬車の中の人物を人質にとって交渉を始めるつもりだった。もちろん、最後の手段のつもりだったのでこのまま会話が出来るのであればそれに越したことはない。

「理解しているかもしれないが、あの狼どもを始末したのは我々だ」

「……金か」

「話が早くて助かる」

「ちょっと、私は───むぐっ」

「ははははは、報酬に関して話し合うこともあるだろう。その間、我々は少し離れているよ」

 そんなつもりじゃない、と続く言葉は狼嗣の手で防がれて凜華はずるずると少し離れた場所に引きずられていく。狼嗣が手を離すと、凜華は日本語で烈火の如く喚き立てた。

「私はそんなつもりで助けたわけじゃない!」

「分かっている。だが、あの馬車を見るに文化レベルは中世程度。街に入るにも税が必要かもしれないだろう」

「だからって、人の不幸につけ込むような形で!」

「税を払えずに侵入でもするか?」

「そ、それは……上手く交渉してあの人たちにお願いして」

「出る時は?」

「通行証みたいなのを……」

「他の街では通用しないかもしれないだろう。通用したとしても、食料はどうする? 手持ちの食料も無限じゃないんだぞ。そこら辺で野垂れ死にでもするか?」

「……」

「まだあるか?」

「無いです……」

次々と正論で論破され、凜華は徐々に俯き、最後には力なく頷いた。

「俺が交渉するから、静かにしていろよ」

「……分かった」

 短い付き合いながら、自分よりも狼嗣の方が口が立つと理解していた凜華は素直に頷いてみせた。狼嗣は納得したかと思い、狼嗣は兵士たちの下へ向かおうした。しかし、そのまま相手の思い通りに行くのもしゃくだった凜華が声を張り上げた事によって足を止めた。

「でも、法外な請求をしたら抗議するから!」

負け惜しみである凜華の最後の抵抗に対し、少しイラっときた狼嗣は無言でチョップを喰らわしてから歩き出す。凜華はチョップされた事に抗議の目を向けながらそれに続く。

話し合う兵士たちで見え難いが、兵士の中に離れる前には居なかった少女を見つけた狼嗣は、その少女があの馬車に乗っていた人物かと当たりを付けて声をかける。

「さて、話し合いは終わったかな?」

「はい。ですが、その前にまずはお礼を言わせてください」

 兵士の壁が割れ、一歩前に出てきたのは十代半ばの少女だった。

「危ない所を助けていただきありがとうございました。私はティエリア・オスマルクと申します。貴方がたのお名前を伺いしてもよろしいでしょうか」

 仕立てのいい黄緑のドレスを身に纏った綺麗な金髪の少女───ティエリアは強い意志を宿した目で狼嗣と凜華を見つめる。それを見て狼嗣は箱入り娘という推測を捨てて百パーセント営業スマイルを顔に貼り付けた。

「これは失礼。我々はこちらに来たばかりで、貴族の方とは思わず……私はロウジ。ロウジ・キシベと申します。こっちは私の相棒でリンカ・アカツキです」

「キシベ様とアカツキ様ですね」

 ティエリアの名乗りに沿って欧米風の名乗りをすると、それが正解だったようで特に引っかかりもせずにティエリアは納得したようだ。

「こちらに来たばかりとなると、私のことも知らないということですね?」

「えぇ、申し訳ありませんが」

 じっと狼嗣を見つめるティエリアと見つめ返す狼嗣。数秒ほどだったが、先にそらしたのはティエリアだった。

「報酬の件ですが、今は手持ちもありません。ですので、報酬を上乗せしますので近くの街まで護衛していただけませんか?」

「構いません」

 凜華なら即答するだろうし、狼嗣としても報酬が増えるのは歓迎だ。なので相談もしなかったが、今のやり取りを見たティエリアは───二人だけだが、どちらがリーダーなのか理解したようで再び狼嗣に目を向ける。

「魔装を使える方が二人も護衛に加わって頂けるなんて、これほど安心できることはありません。重ねて礼を言わせてください」

「我々は雇われた身ですし、礼は無事に街に着いてからでお願いします」

「そうですね。そうしましょう。ウィル、負傷者の治療は?」

「問題ありません。治癒魔法で治療し、万全とは行きませんが動けます」

 魔法と聞き狼嗣は少しだけ眉を動かすが、ティエリアは気づかずに流れるように指示を出していく。

「では、負傷者は馬車近くに。負傷していない者を外側に配置してください」

「畏まりました。それで……」

「私は外に。凜華はティエリア様のお近くに置いた方がいいかと」

「助けていただいた方を歩かせるのは忍びありませんが……それがいいでしょう」

 ウィルと呼ばれた兵士が狼嗣たちを見ると、狼嗣はすぐに察して提言するとティエリアはすぐに頷いて見せた。素性の知れない者の提案を受け入れた上に、その片方を近くに置く事をすぐに了承する。すぐそばに居るメイドもティエリアに従うのか口を出すことはない。

器がでかいのか、それともただの考えなしか。はたまた別の思惑があるのか。

(それにただの貴族令嬢にしては荒事に詳しすぎる。一番最後だったら厄介だな)

 貴族令嬢に限らず戦闘に明るいとメリットデメリットがあるが、なんの情報もない現在ではデメリットが勝り過ぎている。

 魔法などという言葉も出たのだから、未知の攻撃で背中を刺されるかもしれないと警戒するのも止むなしだろう。だが。

(魔装……その意味は不明だが、口ぶりから察するに強力なものらしい。俺たちが変身した姿をそれだと勘違いしてくれているのは僥倖だ)

 この勘違いを利用し、外にいる兵士から情報を引き出す。面倒そうな貴族令嬢は凜華に押し付けることに成功した狼嗣は兵士たちを観察し、すぐに口が軽そうなのを見つける。

 因みに凜華から情報が流れる可能性もあるが、大した情報を持っていないし、それらしい口止めをすれば問題ないと狼嗣は確信していた。なんだかんだ言って、そこまで馬鹿ではないだろうと。

「おい。聞かれてもデバイスや俺たちの身の上話は適当に濁せよ」

「なんでよ」

「異世界の技術は争いの種になる。俺たちの所為で戦争が起きたら嫌だろう?」

「……分かった。適当にやっとく」

それからかなりの時間を要して夕方頃に街へと到着した。その間襲撃は無く、狼嗣も兵士から十分な情報を得る事が出来ていた。それに対して凜華の方は、狼嗣の予想の斜め上を行く結果をもたらした。

街に着き、入るための検問で止まった馬車から出てきたのは、凜華と凜華にベタ惚れになったティエリアだった。

「何故そうなった」

「リンカお姉様、宿はお決めになられていらっしゃるんですか? もしお決めになられてないのでしたら、ぜひ我が家に来てくださいませ」

「あ、うん。彼と相談してからね」

「何故そうなった!?」

 丸め込むとかほだしたとかそういうのではなく、女子校で憧れの先輩と後輩のような関係となっていた。それかたらし込んだというべきか。

 検問を全て兵士に任せたティエリアから凜華の手を引っ張って引っペがし、狼嗣は日本語で凜華を問いただす。

「何故あぁなった!」

「あ、いや。普通に話してたはずなんだけど……どうしてあぁなっちゃんだろ」

(天然たらしか、こいつの方がよっぽど罪作りだろ)

 困惑しながらも答えた凜華だが、故意よりも無自覚の方が罪深い。恐らく中学高校でも同じことをして来たのだろう。だが、嫌われたり警戒されるよりは好かれた方がいいというも事実。

 狼嗣は言いたいことを全て飲み込むと、馬車の方から突き刺さるような視線を無視し、そのまま日本語で対応を提案する。

「あのガキの家に後ろ盾になってもらうぞ」

「それは賛成だけど……何を企んでるの? それとガキは失礼でしょ」

「ガキはガキだろう。……伝手がないままでは何かと不便だからな。後ろ盾は欲しいところだ。入れ込み過ぎると取り込まれるなどして帰還が遠のくかもしれないから、程ほどにするがな」

「取り込まれるって考え過ぎじゃない? 精々が強い旅人って印象だろうし、取り込む価値はそんなにないと思うけど」

 楽観視というより行き当たりばったり。そんな凜華に頭を抱えそうになるが、狼嗣は寸前に我慢し、頃合を見て共有しようとしていた情報の一部をすぐさま凜華へと伝えることにした。

「いいか。連中が勘違いしている魔装というのは魔法を使う者の極地。物質化するほどの高密度の魔力で武装する高難度の魔法らしい」

「へぇー」

「天才の中の天才が使うことが出来るもので、使える者の実力はまさに一騎当千。そんな奴が二人揃って国に属さずにうろついていて、娘の恩人と来た」

「あ、それはやばい。確実に仕掛けてくるじゃない」

 ようやく事態を理解した凜華は危機感を抱いたので狼嗣は凜華にだけ聞こえるように溜息をつく。チラリと見てティエリアは日本語を理解していないようだが、翻訳魔法などがあった場合を考えて小声で凜華に耳打ちする。

「報酬を貰ったら宿は適当な場所を見つけるぞ」

「分かった」

「……反論がなさ過ぎてちょっと気持ち悪いな、お前」

「うるさい。ひっかかる所はないし、概ね貴方の意見に賛成なだけ。……また言い負かされそうとかじゃないから」

(言い負かされるのが嫌なだけか)

 凜華にとってぐいぐい来るティエリアは苦手な部類だ。

 馬車に乗ってしばらくは堅苦しい空気(これも苦手)だったが、話していく内に緊張が解けたようで冒険の話をして欲しいと言われた。なので、悪の組織との戦いを適当にファンタジーっぽくして話すと懐かれてしまい、気づけば今のティエリアになっていた。

(あぁいうの中学高校でよく居たっけ。お姉様って久しぶりに呼ばれたなぁ)

 普通に話してただけなんだけどなー、と思いつつ凜華は何度目か分からない溜息をつく。

「俺も少し疲れた。とっとと済ませよう」

この正義馬鹿が言い負かされそうなだけで反抗しないのはおかしいと思っていた狼嗣がそれを見て疲れたのかと誤解してそんなことを言うが、凜華は特に疲れてなどいない。

「私は疲れてなんて……っ」

「リンカお姉様、お話は終わりましたか!」

 すかさず反論しようとした凜華だが、その前に狼嗣が離れたことですぐさまティエリアが凜華に抱きついた。言葉が通じないからといって口論している所を見せるわけにも行かないので口を噤むしかなく、抱きつかれた凜華は昔にも同じことがあったなと思い出して遠くを眺めた。

「リンカお姉様、宿は決まりましたか?」

「あー、うん。もう少し相談させて欲しいかな」

「我が家でしたら一日と言わずずっと居て頂いても構いませんよ! そうだ、お食事などはいかがでしょう。我が家の料理人に腕を振るわせますわ!」

「え、えーと」

 ぐいぐい来るティエリアに目で狼嗣に助けを求めると、狼嗣は軽くため息をついて凜華を助けるべく割って入る。

「オスマルク嬢、我々は一時的に雇われた身ですのでそこまで世話になる訳にはいきませんので」

「そうですか。リンカお姉様だけでもいかがですか?」

 この差よ。

 凜華に対してはしつこく。狼嗣に対してはあっさり。明らかな態度のティエリアに狼嗣は営業スマイルの下で舌打ちをする。ここまであからさまだと逆に清々しさすら感じると同時に狼嗣はティエリアにやはりガキであると評価を下した。

 そんなやり取りをしている間に兵士たちが検問を終わらせたようで戻ってきたのを見て、ティエリアは姿勢を正して顔を引き締める。

「ご苦労様です。リンカお姉様、キシベ様、報酬の件は我が家に戻ってから。それと街の中なら安全ですのでキシベ様もどうぞ馬車へ」

「では、お言葉に甘えて」

ティエリアと凜華とメイド、そして誘われた狼嗣を馬車に乗せて再度動き出す。

「それリンカお姉様、お話の続きを聞かせてください!」

「あ、うん。えーと、どこまで話したっけ」

 チラッと狼嗣に目を向ける凜華だが、狼嗣は無視して窓の外から街を眺める振りをしながらメイドを観察する。

 メイドは中年女性。それなりの経験をしてきたベテラン風で、全く気配を感じさせずに無言で主人の後ろに控え続けていた。まるで暗殺者や諜報員のような印象を受けるほどだ。

(外の護衛は見せかけで、本当はこいつがこのガキの護衛……と言われた方が納得だな。まぁそれなら俺たちが助ける前に手を出しているはずか)

 そんなことはないと思いつつも、メイドを油断ならない相手として狼嗣は要注意人物に認定すると今度こそ街の風景を眺める。

 建築物や人々の服装から察すると元の世界の中世時代の文化。顔立ちから西洋辺りが近い。それと、どうやらティエリアの一族は貴族でありながら民衆に人気があるようで、ほとんどの人々が好意的な眼差しを馬車に向けている。

人々の視線を受けながら馬車は街の大通りを抜け、徐々に人影がまばらになっていき、高級住宅地らしい大きな邸宅が集まった街区へと入る頃には完全に見当たらなくなる。

凜華とティエリアの会話が続く中、馬車が止まったのは他の邸宅と同じ大きさではあるものの荘厳さは一段階上の邸宅。門の前には護衛の兵士と同じ鎧を身につけた兵士が二人立っており、御者と少し話した後で門が開かれた。

「あれ、付いて来た人達はいいの?」

 凜華の言葉に狼嗣が釣られて外を見ると、付いて来ていた兵士たちが門の外で立ち止まり、敬礼をして馬車を見送っている。

「彼らは我が国を守る軍の方々。我が家に仕える騎士であれば共に来ることが出来ますが、そうでない者は用が無ければ入ることは許されません」

「そうなんだ」

「……」

「まぁリンカお姉様!」

 その辺りの事は既に兵士たちから聞いていた狼嗣は無反応だが、凜華は納得したようで兵士たちに向かって軽く会釈をした。それを見たティエリアの凜華の株が上がり、ヒートアップしかけた所で馬車が玄関に着いて扉が開かれた。

「お帰りなさませ、お嬢様」

「あ、え、えぇ。ただいまセヴアス」

 出迎えたのは人が良さそうな老年の執事。その後ろには二手に分かれたメイドたち。

 メイドとティエリアが降りた所で凜華と狼嗣が降りると、セヴアスが一歩前に出て頭を下げた。

「私はオスマルク家にお仕えするセブアス・チシャスと申します。衛兵から話は聞いております。お嬢様を救っていただきありがとうございます」

「いえ、お気になさらず」

 凜華が口を開く前に狼嗣が先んじて営業スマイルで答えるとセヴアスは首を振る。

「いいえ、お嬢様は大事なオスマルク家の令嬢。何かあればご両親はもちろん、我々も大変悲しんだことでしょう」

「セヴアス……」

 セヴアスの深い愛を感じたティエリアが感動し、メイドたちもその目に涙を滲ませた。

「セヴアスさん……」

「お前は違うだろ」

 凜華も感動していたので狼嗣がツッコミを入れると、中年のメイドが咳払いをしてティエリアたちを我に返らせ姿勢を正させる。咳払い一つで戻るとはよく教育が行き届いている証拠だ。中年のメイドはメイド長かなにかなのかなのだろうかと狼嗣は思うが、すぐに分かるだろうと今は置いておくことにした。

 セヴアスは気にせずにティエリアと向き合って笑顔を浮かべている

「お嬢様、お父上とお母上は執務室にいらっしゃいます。大変心配しておられましたよ」

「リn……アカツキ様、キシベ様。どうぞ中へ」

 セヴアスに言われたティエリアは両親を待たせていると思ったのか、すぐさま二人を家へと招き入れた。

中へ入ると正面には二階へ続く大階段。床には赤い絨毯が敷き詰められ、壁にはいくつかの絵画が飾られている。手すりに使われている木材は歴史を感じさせる飴色をしており、建てられてから大分経つ事が窺い知れる。凜華は珍しそうに周りを見回し、狼嗣は案内をするティエリアの背中から顔をそらさず目だけで周りを見て情報収集を行う。

ティエリアの案内で二階へと上がった突き当たり。両開きの扉をノックするとすぐにその扉が開かれ、金髪のティエリアに似た雰囲気の女性が飛び出してきたと思うと抱きしめた。

「ティエリア!」

「お母様、苦しいです」

 抱きしめられたティエリアは苦しそうではあるが嬉しいのか笑顔を浮かべている。それを見てまた凜華が感動したのか微笑みながら何度も頷いており、狼嗣が軽く肘でつついて注意した所で女性がこちらに気づいた。

「こちらの方々は?」

「私を助けてくださった方々です」

「あらまぁ!」

 ティエリアの答えで居住まいを正し、上品に微笑んで優雅に一礼する。

「ティエリアの母、マリアベル・ルベリア・オスマルクです。この度は娘を助けていただきありがとうございます」

 桃色のドレス。ゆるくカーブが入った金髪と優しそうな眼差しの青い瞳の女性───マリアベルはまさに貴族夫人に相応しい容姿をしているが……。

(今更取り繕ってももう遅いと思うんだがなぁ)

(いいお母さんだね、ティエリアちゃん)

 既にその株は無いに等しい。親しみ易さを感じた凜華は和んでいたが、狼嗣はマナーの観点から冷めた目でマリアベルを見ていた。

「お母様、今更取り繕っても無駄かと」

「はぅっティエリアが反抗期になっちゃったわっ」

(よく言ったガキ)

 狼嗣が思っていたことをティエリアが言うとマリアベルはショックを受けたようで少し涙をにじませた。これは日常茶飯事なのか付いて来たセヴアスは何の反応も示さず、客である凜華がフォローしようとあたふたしている。

「マリア、お客様を待たせてはいけないよ」

「あ、そうだったわね。失礼しました」

 中から聞こえた男性の声でマリアベルは二人のことを思い出したのかようやく部屋へ通された二人。

 中は執務室らしい内装で、机を挟むように対面に置かれたソファ二つ。そして窓際に執務机が置かれた必要最低限の物しかない部屋。執務机にはマリアベルとティエリアと同じく金髪碧眼の男性が座っていた。

「初めまして。私はオスマルク公爵家当主。オルステッド・フロイス・オスマルクだ」

 公爵。名乗る事を許されているのは王族関係者もしくは宰相クラスなどの国家の最重要人物のみ。

(家を見てから上級貴族とは思っていたが、公爵とはな)

 面倒事が増えそうだと思いながら笑顔で手を差し出すオルステッドに狼嗣も営業スマイルで握手をする。

「ロウジ・キシベです。こっちは相棒のリンカ・アカツキ」

「初めまして」

 凜華も握手し、椅子を勧められて二人は座り、対面にティエリアが座ろうとした所でマリアベルがティエリアへ気遣いの言葉をかけた。

「ティエリア、怖い思いをしたでしょう。休んではどう?」

「私は大丈夫です、お母様」

「でも……」

 本人は大丈夫だと言うが、母親としてまだ心配なのか食い下がろうとするマリアベルへオルステッドから援護が入った。

「ティエリア、マリアベルの言う通りだ。大事をとって休んでおきなさい」

「……分かりました」

一度は拒んだティエリアだが、オルステッドに言われて観念したようで名残惜しそうに凜華を何度も見てから部屋を出てき扉が閉められる。オルステッドとマリアベルが座ると「まずは」と前置きをしてから本題へと入る

「娘を助けてくれたことに礼を言おう」

「偶然見つけただけですので」

「いいや、偶然だろうと助けてくれた事実に変わりはない」

 オルステッドが呼び鈴を鳴らすと、すぐにセヴアスが革袋を乗せたお盆を持ってきて机に置いて去っていく。その口からは何枚もの金貨が覗いている。

「娘を助けてくれた礼として金貨100枚。それと娘の護衛依頼の報酬として追加で金貨50枚。計金貨150枚が入っている」

「ありがとうございます」

 革袋を受け取り、デバイスの中へと収納して公爵家での用事は終わり。宿を取らなければ街中で野宿になる。

 せっかく街に居るのに野宿になるのは凜華も狼嗣も嫌なので、早々にお暇させてもらおうと頭を軽く下げた。

「それでは、我々はこれで」

「まぁ待ちたまえ」

 しかしまわりこまれてしまった。

 オルステッドに呼び止められたが、報酬は貰ったのでもう用はないはず。すぐに去りたいが、相手は公爵。無礼を働くのは後々の事を考えると得策ではないので仕方なく狼嗣は先を促す。

「何でしょう」

「礼金だけなのは我々の気がすまない。これを受け取ってくれ」

 差し出されたのは手紙。家紋が刻まれた封蝋で封がされており、宛名には二列の記号が記されている。

「これは?」

「君たちの身分をオスマルク家が保証する旨を書いたものだ」

 来た。

 凜華と狼嗣は同時に思い、狼嗣は笑顔でその手紙を受け取る。警戒しているのを悟ったのかオルステッドは突然吹き出して顔を綻ばせた。

「大丈夫だ。君たちを取り込んで自由を奪うつもりはないよ」

「え?」

 ポーカーフェイスの狼嗣に対して凜華は素直で、狼嗣が注意をする前に凜華は声を上げてしまった。

狼嗣は頭を押さえ、オルステッドは声を上げて笑う。

「確かに魔装を使える君たちを雇いたいとは思うが娘の命の恩人だ。君たちがその気ならまだしも、そうでないのなら諦めるしかないさ」

「それじゃあ、これは」

「他の国か貴族かはたまた組織か。とにかく他に取られないように唾を付けとこう。そういうことでしょう?」

「その通り」

 つまりオルステッドは二人を雇うことを全く諦めておらず、気が変わって雇ってくれと言うまで待つと言外に言っているのだ。

(私たちは戻らないといけない。だから公爵家に雇われるつもりはないし、何処かに所属するつもりはない。でもそれを言って信じてくれるかどうか……)

 凜華はオルステッドを見る。

人当たりの良さそうな男性だが、得体の知れないものを感じる。伊達に情念渦巻く貴族社会に身を置いていないと言う事なのだろう。

例え娘の恩人だろうと初対面の相手の言葉を信じることはないだろう。凜華も無条件で人を信じるほど馬鹿ではないので当然だと思うし納得もする。

そして信頼も信用も出来ない男が公爵家の後ろ盾を得て何をするつもりなのか、公爵相手に何を言うのか狼嗣に目を向けると狼嗣は横目で凜華を見ていた。

「……何?」

「後で話がある」

 それだけを言うと狼嗣はオルステッドと向き合う。オルステッドは変わらず笑みを浮かべたままだ。何やら面白いものを見つけたか様子だが、狼嗣は無視して途切れた会話を再開させる。

「そちらの考えは分かりました。気が変わった時はよろしくお願いします」

「あぁ、待っているよ」

「では、今度こそ我々はこれで。行くぞ」

「あ、うん」

「そういえば宿は決まっているのかしら?」

 今度こそ公爵家を去ろうと狼嗣が腰を上げた所で今度はマリアベルに呼び止められた。狼嗣が内心で悪態つくが、それを知る由もないマリアベルは屈託のない笑顔を浮かべており、それに毒気を抜かれた狼嗣は浮いた腰を下ろす。

「これから彼と相談して決めようかと思っています」

 今まで黙っていたし、二度も別れの挨拶をした狼嗣は答えにくいだろうと気遣って代わりに答えた凜華だが、それは悪手だった。オルステッドの目が光ったかと思うと狼嗣が口を出す前にオルステッドが動き出していた。

「もうすぐ日没だ。この時間では既に宿の部屋は空いていないだろうし、野宿させては公爵家の名折れだ。どうだろう、今日だけでも構わないから我が家に泊まってはいかがかな?」

「報酬を頂いた上にそこまで世話になっては……」

 何とかかわそうと狼嗣が謝辞しようとするがオルステッドは首を横に振る。

「いやいや、大事な娘の命を救ってくれたんだ。一日のみならずいつまでもここに居てもらっても構わないほどの大恩だ」

「しかしですね」

(さっき今回は諦めるって言ったのに、全然諦めてないよこの人!)

 自分が招いた状況ではあるが、ついさっき言った言葉を翻し、外堀から埋めようとするオロステッドに凜華は目を白黒させる。頑張って断ろうとする狼嗣にほんの少し罪悪感を感じながら、自分が何か言えば足を引っ張りそうなので無言を貫いていると。

「我が家なら食事と部屋はもちろん。いつでも風呂に入って貰って構わない」

「お風呂!」

 風呂と聞いて凜華は反射的に身を乗り出して反応してしまった。すぐに我に返り顔を赤くしながら謝るが、既に後の祭り。大きなため息を吐く狼嗣の突き刺さるような視線を受けながら、二人の公爵家宿泊が決定した。


「こちらの部屋をお使いください」

 セヴアスに案内された部屋は、控えめに言って高級ホテルのスイートルームのような高級感のある一室。ライトスタンドや数脚の椅子とテーブル。そして明らかに一人用ではない大きめのベッド。デバイスの機能が伝えてくるサイズから判断するとキングサイズに匹敵する大きさだ。

「お食事は七時頃にご用意が出来ますので、その際は部屋まで呼びに参ります。そちらのテーブルに置いてあるベルを鳴らせばメイドが参りますので、入浴など用がある際はお使いください」

 呆然とする二人に手早く伝えるとセヴアスは呼び止める間もなく部屋を去っていった。

(これは、あれだな……)

 残された二人は大体のことを察して暫く無言でいたが、凜華が沈黙を破る。

「ねぇ、これってあれだよね」

「あぁ。俺たちを恋人か夫婦と勘違いしているな」

「だよね」

同時に大きくため息をつき、ふと凜華が狼嗣に目を向けると目が合う。そしてそのまま互いに顔を合わせていると、突然凜華が顔を真っ赤にしたと思ったら狼嗣に腹パンを叩き込んだ。

「おまっいきなり何をする!」

「うるっさい!」

 言い捨てると乱暴に椅子に座る凜華に狼嗣は小さくため息をつくと椅子を引いて少し離れた所に陣取ると、凜華は露骨にも椅子の向きを変えて狼嗣の方を見ないようにする。それを見て狼嗣はわざと凜華にも聞こえるように息を吐くとそもそもの原因を追求した。

「こうなったのは誰の所為か分かっているだろう」

 凜華の呻く声が聞こえ、狼嗣は責めるような視線を放ち続けると観念したように凜華がバツの悪そうな顔で呟く。

「だって、もう何日も入ってないし、体を拭くだけじゃすっきりしないし」

「気持ちは分かる。日本人としては湯を張った湯船に浸からないと満足できないからな。俺も同じだ」

「ならっ」

「だが自制できる。身を乗り出して大声を出すなんて真似は絶対にしない」

「ぐぎぎ……!」

 いつの間にか狼嗣の方を向き歯と手を握り締めながら顔を歪める凜華だが、狼嗣の言っている事は正論なので反論など出来ず呻くことしか出来ない。既に数日を共にしているが、口で勝ったことは一度もない。なので凜華は正義の味方としてはあるまじきことだが、敵前逃亡を選択した。

 ベルを鳴らしてメイドを呼ぶ。

「お待たせしました。ご用件を伺います」

「お風呂を使わせてっ……ください」

 メイドに怒鳴るわけにもいかないとヒートアップした頭に残った理性が判断し、途中で尻すぼみするように用件を伝えるとメイドは気にしていないのか微笑みを浮かべながら「ご案内致します」と一礼した。


「───以上です」

「ご苦労、仕事に戻ってくれ」

「はっ」

 メイド長から報告を受け、オルステッドは唸る。

「まさかホーンイエローウルフの群れを一瞬で殲滅とはな」

「ホーンイエローウルフは確かC級。群れになるとB級になるのよね」

「あぁ。一瞬で殲滅となると彼らは一人で少なくともA級冒険者チーム数個分の実力の持ち主となるな」

 冒険者とは都市であればどこにでも支部がある冒険者組合に所属する者たちの事だ。草むしりなどの雑用から魔物の討伐まで。有名となれば王族や貴族から指名依頼が来ることもあり、国家間の行き来もほとんど自由という恵まれた職業だ。

 ただ、実力主義であるので血の気が多い者が多いのが難点ではある。

「それで貴方、どうするの?」

「どうするとは?」

 狼嗣と凜華たちと居た時とは打って変わって凛々しい表情をするマリアベルに真意を問われたオルステッドだが、本人は分かっていながらもとぼける。マリアベルは呆れたらしく無言でティーカップに口を付けた。

 しばらく無言で居たが、沈黙に耐え切れなくなったのかオルステッドが観念して先ほどの質問に答え出す。

「まずは少しずつ、といったところだな」

 オルステッドの言葉の意味を理解したようでマリアベルは目で続きを促す。

「彼らを取り込もうと思っていたが、お前も見ただろう。女性の方は押せば折れるだろうが、男性の方は違う」

「えぇ、彼はこちらを警戒していたわね」

 同感だとオルステッドは頷く。

キシベと名乗った男性は手紙を渡すまでは終始笑顔であったが、その後は面倒になったのか少し素が漏れ出ていた。しかし、そこから見えたのは予想していたものとは全くの逆。

「女性の方は正義感が強く、人を信じやすい。だが彼は全くの正反対。手段は選ばず、抜け目がなく猜疑心が強い……見たことのない服を着ているが、精神的にはバランスの取れたカップルじゃないか」

 取り込むには彼女には信頼を、彼にはメリットを提示しなければならない。正反対の条件を同時進行で進めなければならないが、そこは腕の見せどころ。伊達に生まれてからずっと策謀渦巻く貴族社会に身を置いているわけではない。

「他の誰かに知られないように静かに動くしかないわね」

「それか冒険者になってくれたらありがたいな」

 冒険者組合は実力者が揃うという性質上、特定の国や人物に仕えるということを現役でも引退後でも禁止するという規則がある。それを利用し、仕えさせるという事は無理でも懇意になることは可能。そしてそれを可能とする娘の恩人という大義名分もある。

「……娘を利用するのは、忍びないわね」

「だが、ティエリアには悪いが頑張ってもらわないといけない。公爵家の繁栄のために」

 公爵家としては間違ってはいない。だが、親としてはどうだろうか。

 そんなことを思い、心の中で娘に謝りつつオルステッドは衛兵から聞いたティエリアが懐いているという情報を元に、()を篭絡させるべく頭を巡らせ始めたのだった。


「なるほどな」

 小型イヤホンを外し、狼嗣は一人呟く。

 オルステッドの本音を聞く為に凜華にも秘密でオルステッドの服に小型盗聴マイクを仕込んだ狼嗣だったが、盗聴した内容は予想通りのものだった。

連れのせいで途中で切り上げるしかなかったオルステッドとの会話だが、勢いよく取り入る短期的ではなく少しずつ取り入ろうとする長期的な策で行く事で固まったことは、狼嗣たちにとっても好都合である。

「しかし、冒険者か」

 兵士から聞き出した情報の中には無かった冒険者。それになれば公爵家が静かに動かなくても良くなるようだ。堂々と会えるようになるというのか、それとも手を出せなくなるということか。

「……この辺は要相談といったところか」

 勝手に決めて仲違いをしては元の木阿弥。少しは気を使わないといけないことが少し煩わしいと思う狼嗣だが、仕方ないと思うことにし、服の裾を軽く引っ張って判明した問題を呟く。

「それと服、か」

 所変わって公爵家の浴場。

 まるで銭湯の様に大きな浴槽とシャワーがあるだけの浴場。そこでデバイスに入っていた外出セットで全身を洗い終えた凜華は、湯船に浸かりながら気持ちよさそうに目を細めていた。

「ふぃ~……お風呂は魂の洗濯って言うけど、本当にその通りだよね~」

ただのお湯を張っただけの浴槽だが、それだけでも落ち着くし癒される。そして何より数日ぶりの風呂。

「極楽極楽」

心行くまで満喫するべく凜華は火照った頭にタオルを乗せて、何十年も言われ続けているお決まりの言葉を呟く。

その後、凜華が湯船から出たのはおよそ二時間後の事だった。

「ふぅ、さっぱりしたー。着替えはっと……ん?」

 デバイスから着替えを取り出し、着ようとしてそれが目に止まる。しなやかな手触りの無地で薄い生地で作られたそれの名は、ネグリジェ。

 これがここにある理由を考え、凜華は着替える服を決めた。

「これは……うん無理」


「お待たせー」

「随分とゆっくりしていたな」

 風呂を出て上機嫌な凜華だが、待っていた狼嗣は正反対の不機嫌だった。

 食事の前に身を綺麗にしなければならないのだからすぐに出てくるかと思えば待たされること二時間。狼嗣でなくとも機嫌も悪くなるのも当然だろう。

「久しぶりのお風呂なんだから仕方ないでしょ。それに汚い姿で食事するのも失礼だし」

「俺が入る時間が無いんだが?」

「……」

「聞いてるのか?」

 睨む狼嗣から顔を背ける凜華に狼嗣は詰め寄り、その圧に押されて凜華は後ずさる。

「……気持ちよくて、つい」

「……はぁ。もういい、俺は体を拭いて済ませた。風呂は食事の後に入る」

 気が済んだのか、そう言うと狼嗣は椅子に座って俯きながら大きく息を吐いた。それで気持ちを切り替えたのかすぐに顔を上げるとウィンドウを出すと「見ろ」と一言。凜華もすぐに切り替えて狼嗣が出したウィンドウを覗く。

 どうやらデバイスのエネルギーを表示したものらしく、変身エネルギーと時空間エネルギーの二項目がペイルライダーとブリュンヒルデの二人分表示されている。

 残量はパーセンテージで表示されていて、変身エネルギーは両方とも減っていない。時空間エネルギーはブリュンヒルデは2.6%だが、ペイルライダーは2.7%→2.8%となっていた。エネルギーが充填された証左であり、何らかの方法でエネルギーを得たということだ。

「貴方、まさか私がお風呂に入っている間に……」

 悪事を働いてエネルギーを得たのか、と拳を握り締める凜華だが狼嗣はすぐに否定する。

「落ち着け。お前と俺は一蓮托生。少なくとも帰還するまでお前と仲違いするようなことはしない」

「じゃあなんで……」

「推測だが聞くか?」

「えぇ」

 狼嗣の推測はこうだ。

 ティエリアの兵士たちと接触した時に死の恐怖や絶望などの感情エネルギーを吸収したか、狼を殺した時に吸収したか、もしくはその両方が起こったのかもしれない。

 凜華としては確かに納得できる推測だ。たった二時間で出来る悪事も限られているし、下手に悪事を働いて公爵を怒らせるような馬鹿な真似をこの男がするとも思えない。するとしたらもっと親密になってから裏で公爵を操って国を乗っ取ってもっとでかい悪事をするだろう。

「つまり人を助けるか、害獣を駆除すればエネルギーが手に入るってこと?」

「恐らくな」

 口ではそう言っているが、狼嗣は確信しているようでこの方針で行くことが既に決定しているようだった。もちろん凜華も反対はしない。むしろ大賛成だ。やることは自分が今までやって来た事なのだ。だが、一緒に活動する仲間が悪の組織の幹部だというのは何の皮肉だろうか。

 そんな凜華の思いを感じたのか狼嗣は鋭い目で凜華を見る。

「何か問題があるか」

「別に……貴方と一緒にってのがモヤモヤするだけ」

「俺もお前と一緒にいいことをするなんて、正直吐き気がするが背に腹は代えられない。我慢しろ」

「吐き気がするって、いくらなんでも酷すぎじゃない?」

「濁してはいるが、お前もそうだろう?」

 狼嗣の酷い言葉に訴えるが、狼嗣は問い返してきたが、凜華は少しもそんなことは思っていないので当然反論する。

「私はそこまでじゃないわよ。落ち着かないっていうか信用が出来ないっていうか、そんな感じ」

「お前も十分酷いじゃないか」

 その言葉に頭に来た凜華は気づけばその事を言っていた。

「敵同士なんだから当たり前でしょ」

「忘れてないようで何よりだ」

 自分の言葉で凜華は狼嗣との関係を再び理解することになった。

 敵同士。数日ほど共に行動していた二人だが、それは絶対に変わることはない。例え帰る事が出来なくなろうが、いざとなれば凜華は狼嗣と戦う覚悟を最初から決めている。だが、それはそれ、これはこれだ。

 そう思うと、自然と口から言葉が出ていた。

「敵同士でも力を合わせることは出来る。そうでしょ?」

「……お前、本当に」

 凜華の思いがけない言葉に狼嗣が言葉を続けようとした時、ノックが鳴った。

 すかさず返事をした狼嗣と中へ入ってきたセヴアスの会話を聞きながら、凜華は自分の言葉に驚き、狼嗣が何を言おうとしていたのかを考える。

(本当に……おめでたい奴? それとも、そんなことを思っているのか?)

「おい」

(どっちも言いそうだけど、もっと酷い事かも。結構酷いことしてきた奴だし)

「殴るぞ」

(いや、もしかして良いことかも。本当に優しいんだなとか、本当に心が綺麗……)

 そこまで考え、凜華はえづいた。

「いきなりえづくな。流石に傷つくぞ」

(うん、無いな)

 片手をチョップの形で振り上げて固まっている狼嗣を無言で見つめ、狼嗣が良いことを言うなど考えられなかった凜華はそう確信する。

 というか、ちょくちょく女々しいなこいつ。

「食事の用意が出来たとさ。行くぞ」

「うん」

「ご案内致します」

 セヴアスに案内された先は、貴族家によくある長机が置かれた食堂だった。

 天井にはシャンデリアが吊るされてあり、テーブルクロスがかけられた長机の上には等間隔に燭台と人数分の食器が置かれている。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 アンティーク感のある椅子は全て同じ物で統一されており、部屋の中を観察する暇もなくセヴアスと執事が椅子を引いたので凜華と狼嗣は促されて着席した。

 一番奥に当主であるオルステッドとマリアベル。オルステッドの右手前にティエリアは二人が来る前に既に着席しており、凜華と狼嗣はティエリアから二人分ほど置いた距離に対面するように座っている。

「何度も言うようだが、娘のティエリアを救ってくれて感謝している。ありがとう」

「いえ」

 食事前ということもあり、狼嗣は軽く流すとオルステッドもそのつもりだったようで微笑むと手元にあったベルを鳴らした。

 セヴアスが入って来ると、ティエリア以外のグラスに赤ワインを注ぎ、ティエリアにはジュースらしきものをメイドが注いでいく。

 それが終わったのを確認してから、オルステッドはグラスを軽く上げた。

「新しい出会いとティエリアの無事を祈って、乾杯」

「「乾杯」」

 乾杯で始まった食事に出てきた料理はオスマルク公爵家自慢のお抱え料理人の自信作と紹介され、料理に使われている食材は元の世界にあったものや見たことのないものなど様々な彩があり、見た目も良く、味も良かった。食後の酒として秘蔵のワインなどが出され、どこぞの接待のような印象を感じるものだった。

 ワインを飲み干し、お開きの空気となった所でオルステッドが狼嗣に声をかける。

「キシベ君、男二人で飲まないか?」

 話したいこともあるし、と付け加えるオルステッドに狼嗣は二つ返事で了承した。

「じゃあ、先に戻ってる」

「粗相するなよ」

「はいはい」

 結構な量を飲んだはずの凜華だが、少し顔を赤くしているだけで酔いが回っている様子もない。

 それを横目で確認してからオルステッドに勧められて近くの席へ着く。

 マリアベルとティエリアもメイドに付き添われ、食堂を出ていき、配膳係としてセヴアスが残ったが居ないものとして扱っても構わないだろう。

こうして狼嗣はオルステッドとサシで話し合うことになり、狼嗣が部屋へ戻ったのは、既に日付が変わった頃だった。

「うぅ……」

「お姉様ぁ……」

 そしてベッドで一緒に眠る凜華とティエリアを見て、狼嗣は無言でソファに横になる。

(……起きたら、説教だな)

 そう心に決め、狼嗣はようやく眠りについたのだった。

 日本語と現地語を分けるため、これ以降では日本語は『』で囲んで表記することにします。

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