サラリーマン「あ、そうだ。俺は伝説の勇者だった」
「あ、そうだ。俺は伝説の勇者だった」
会社帰りにコンビニで買ったからあげを、公園のベンチで食べていたときのこと。夕焼けがとてもきれいで、涼やかな風を肌にうけ、ここちよくからあげを食べていた。
そのときに突如、そのことを思い出したのだ。そうそう。そういえば俺は勇者だった。
俺はくちのなかのからあげを飲み込み、ベンチから勢いよく立ち上がる。
「ギガファイヤー!!!」
魔法をとなえる。
すると遠くの空から、「カー」とカラスがなく声が聞こえる。
……やはり、間違いない。
伝説の勇者のみ使える召喚魔法『ギガファイヤー』を、あっさりと使えてしまった。やはり、俺は伝説の勇者だったのだ。残業が忙しくて完全に忘れてた。思わず身ぶるいする。
「こうしてはおれん!!」
カバンの中から社員証をとりだす。社員証には死んだ魚のような目をした男がうつっている。俺だ。そしてその裏には『五箇条の社訓』が書いてある。毎朝の朝礼で、唱和しているのだ。
「破……ッ!!」
俺は社員証を両手でへし折る。そして踏みつける。
すると不思議なことが起こる。身体に力がみなぎるのだ。おそらく社員証の魔力により封印されていた真の俺の力が、よみがえってきたのだろう。
みなぎる力をもてあました俺は、あまり意味はないけれども、公園のなかを走り回る。
「もう俺は、会社に行かん! 世界を救わなければならない! 魔王を倒し、姫を救わなければならないのだ! それが俺が、命をかけて、この人生でなすべきことだ!」
夕焼けの空に向かって吠えると、公園にいた親子がフェードアウトしていく。そんなことよりも心配なのが、この貧弱な装備品だ。こんな装備で魔王と対峙できるのであろうか?
あらためて、自分の防具を確認してみる。
スーツとカバンしかない。こんなもので守れるのは、せいぜい家庭一個分くらいのものだ。それはそれで、ものすごく大変なことだと思うが、世界を守れる装備品ではない。
武器はどうだろう。めぼしい武器は、ネクタイくらいしかない。俺は公園の木を魔王の首に見立てて、ネクタイをまきつけるシミュレーションをしてみる。
……いや、だめだ。
こんな攻撃は、避けられるに決まっている。こんなものにおとなしく巻かれてくれるのは、泥酔した新橋のサラリーマンくらいだ。
「至急、装備品を整える必要がある」
そこで俺は、からあげを買ったコンビニのATMで、三千円をおろす。そしてそのお金で、からあげを買う。
「よし! これをあとで食べよう! 次は姫を探しに行こう!!」
魔王のしわざによって、姫はある場所に、幽閉されている。
その場所には心当たりがあった。スピーディー早野ビルの屋上256階だ。
俺は電車で東京駅まで移動し、駅から徒歩五分のところにある高層ビルに歩く。スピーディー早野が建築したと言われる、スピーディー早野ビルだ。
俺はビルのエレベーターにのりこみ、屋上のボタンを押す。エレベーターがゆっくりと静かにしまる。階数を示す数字が、2……3……4……と増えていく。その数は100を超え……200を超え……そして300を超えていく。屋上は256階にあるので、これは相当におかしい状況だ。
「しまった! 魔王の罠か!!!」
俺はエレベーターを止めようと、ボタンをおしまくる。しかし、どのボタンを押しても、何も反応しない。階数はすでに800を超えようとしていて、エレベーターの中にはお経のような変な音が聞こえ始めてくる始末だ。
「南無三!!」
俺はエレベーターのドアを、全力でパンチする。
すると階数の表示が「死」に変わり、ゆっくりとエレベーターのドアがひらく。ドアの向こうはまっくらな空間が広がっている。
どろり、とした粘着質な空気。ものすごく良くない予感がする。
しかし俺は伝説の勇者なので、こんなことに億している場合ではないのだ。自分の人生をかけて、成すべきことがある。
俺は歯を食いしばり、暗闇のなかを駆けぬける。
五分ほど走り続けると、何かがすすり泣くような声が聞こえる。その声の主は、間違いなく姫のものだ。俺は勇者だから分かるのだ。
「姫……!! ご無事ですか!!?」
「……誰?」
怯えるような、そして憔悴しきった声。
「伝説の勇者です! 伝説の勇者が来たからには、もうご安心を!! 魔王からあなたを救いに来ました!!」
「伝説の……勇者……?」
声の主をみつける。
スーツを着た、美しい女性がいる。
おもわず、安堵のため息がもれる。
間違いない。姫だ。
「そうです! さあ、もう大丈夫です! 魔王はどこにいますか!?」
姫はやはりまだ怯えながら、しかしゆっくりと暗闇の向こうを指差す。俺は力強くうなずき、暗闇に向かって歩をすすめる。
しかし、その暗闇にぼよんと弾き返される。やわらかい、弾力性のある見えない壁があるらしい。俺は回転しながら受け身をとる。そしてその見えない壁に目を凝らす。
すると、壁からひとつ、またひとつと、人間の目のようなものが浮かび上がってくる。これまで閉じられていた無数の目が、眠りから覚めて一つづつ開いていくように。
「なんと……」
ついには目の数は、おそらくは百をこえる。
間違いない。この壁こそが……魔王……。
俺は壁に向かって全力パンチを繰り返すが、ぽよんぽんよんと跳ね返るばかりで、ちっとも効き目がない。
「グオオオォ…………!!!」
壁は身体の真ん中に、大きな口をあらわす。
そしてその口は……俺ではなく、姫に向かっていく!!!
「きゃあーーーー!! 助けてーーーー!! 勇者様ーーーー!!」
「あぶない! ギガファイヤー!!!!!」
俺が魔法をとなえると、遠く空からカーという鳴き声がして、続いて大量のカラスがおしよせてくる。
召喚成功……!カラスの群れは、壁の目という目をつつきあげる!!
壁がひるむ。
一瞬のスキがうまれる。今だ!!
俺は自分の首のネクタイをはずして、壁にぐるりと巻きつける。そして弾力性のある壁を、全力でしめつける。壁はしばらく必死で抵抗してきたが、まもなくその力がふっと抜ける。
気がつくと壁は、どろどろの液体にかわっている。
俺はついに、魔王をやっつけたのだ……。
「姫、ご無事ですか!!」
ぐんにゃりと崩れ落ちている姫にかけよる。
「ありがとう……助かったわ……」
「よかった。そして姫。改めてお願いが……」
「はい、なんでしょう?」
「俺と結婚してください!!!」
いささか告白がスピーディーすぎる気もしたが、ここはスピーディー早野ビル。違和感はないはずだ。
しかし……。
「ごめんなさい! 無理なんです!」
「え、どうして!? 伝説の勇者なのに……!?」
「だって……」
「だって……?」
「ネクタイの……ガラが……」
「ネクタイの……ガラが……?」
「ダサい……」
「……え? ちょっと信じられない。もう一回言って……」
「うん。大事なことだからもう一回言うね。ネクタイの……ガラが……超ダサい……」
「あ、超がつけ加わってる。若干、火力上げるのやめて……」
しかし、その時である。
夜空からたくさんの天使たちが、舞い降りてくる。
一人の天使が俺のネクタイをみつけると。キラキラとした光をまといながら、それを空へと運んでいく。
「俺のネクタイが……空へ……」
天使たちは仲間と戯れながら、空へとネクタイを運んでいく。そんな神秘的な光景を、姫と二人で見上げて眺めている。
「俺、やめるよ……もうネクタイするのやめるよ」
「いいの? やめちゃうの?」
「いいんだ。社員証も粉砕したし、もう会社には入れない。二度と打刻もできない。考えてみたら、ネクタイなんて必要なかったんだ」
「じゃあ、本当に必要なものは?」
「守るべき、あなたです!!」
「分かった……じゃあ……結婚しよっか……?」
天使たちが舞い、戯れる中で、俺達はプロポーズの言葉を交した。
姫のほほが赤く染まっているのは、夜空の向こうにある夕焼けが、彼女をてらしているからかもしれない。
〜完〜