王妃様、ヒロインだったんですね。
俺ことアルフォンス・リッケンバッカーは、ホームポイントであるイガルシヴ皇国へ帰国した。
アーシラ王国へは名付けの儀式のために一時的に滞在していただけなので、アーシラ王国友好大使である父上はすぐにイガルシヴ皇国へと戻らなければならなかったんだよね。
両親ともアーシラ王国出身だから俺も生粋のアーシラ人だけど……生まれも育ちもイガルシヴ皇国だから気分は在日外国人だ。
そんな感じで俺としてはアーシラ王国のお屋敷よりも、イガルシヴ皇国にある大使館の方が実家感が強かったりする。はぁ~、久々の実家の安心感半端ない……。
イガルシヴ皇国へと帰って来て早々に、母上がシンシア……現皇妃である前作ヒロインへと連絡を付けてくれた。
後日、お忍びでうちにやって来ることになり、俺はその間、兄弟と一緒に体を鍛えたり、三歳児にはちょっと早いとは言われつつも勉強をしたりして過ごしていた。
そして今日、お茶会と称して前作ヒロインがうちへとやって来る。
最近、母上に「あんまり頭が良すぎるのも悪目立ちするから、年相応に振る舞うことも覚えたら?」と言われたので、俺は前作ヒロインが来るまで居間でスケッチブック相手に落書きして暇を潰していた。
年相応に振る舞うには兄弟を見本にしているけど、前世の事がバレてから猫が剥がれてきているので、アーシラ王国から帰ってきた後、大使館で働いている使用人達に「名付けの儀式を終えて、随分大人びられたようで……」と口々に言われるようになってしまった。
気にするほどではないけど、ただでさえ白銀の髪に赤い目という珍妙雪兎カラーで敬遠されているのだからと、親しみやすい子供となるべく俺は幼児に擬態することにした。身体は間違いなく幼児なんだけどなぁ……。
しみじみとそんな事を思いつつ、せっせと落書きしていると待ち人が訪れたようだ。ストロベリーピンクの髪をすっきりと結い上げた涼しげな水色の瞳の女性が、母上と一緒に居間へと入ってくる。
二人がテーブルをはさんで向き合うようにソファに座ると、俺はスケッチブックを持って母上に近寄った。
とことこと歩み寄ってちらりと女性をうかがうと視線が合った。
「まぁ、スーの息子さんよね。大きくなったわね。私、シンシアよ。赤ちゃんの頃に一度会っているのだけれど覚えている?」
赤ちゃんの頃に会ったっけ?
俺って生まれたときからほぼ俺としての意識があるけど、会った記憶無いよな……? もしかして昼寝でもしてる時とかに来たとか?
もっと早い内に転生ヒロインの存在を知っていたら、面倒なことにもならなかったのに……! 俺の馬鹿! 寝坊助!
地道に幼児やっている俺とは違って、すっかり大人になってしまった前作ヒロインは、確かに乙女ゲームの頃の面影を残してはいるけれど……なんだか、ちょっと雰囲気がゲームで見ていたときよりも凛々しいような?
まぁ、これから関わっていく内に、原作ヒロインと転生ヒロインの違いも分かっていくだろう。俺はじっとシンシア様を見て、それからにっこりと笑ってみた。
「はじめまして、シンシアさま!」
ちょっと舌足らずな感じで挨拶してみる。指導監督は母上だ。その母上は満足そうに頷いている。
「元気なご挨拶。礼儀正しい良い子だね」
「ふふふ、そう思うでしょう?」
母上が微笑みつつ、含みのあるように言えば、シンシア様が不思議そうな顔をした。母上に視線を向ければ、母上がこちらを見ている。
俺は課題の存在を思い出したので、ぐいぐいとスケッチブックを差し出した。
「ははうえー、みてみてー」
「あらアル、何を描いたの?」
「とうきょうスカイツリー」
「え」
よく描けてるわねぇと母上が俺を褒めた正面で、シンシア様が絶句した。
ギギギギ……と、油をさし忘れた歯車のような音が今にも聞こえてきそうな様子で俺たちの方を見たシンシア様の口元が、ひくひくと動いている。
「どういうこと……?」
「こういうことです」
母上が俺を抱き上げて膝の上に乗せる。
俺はクレパスを駆使してできるだけ写実的に描いたスカイツリーをシンシア様に向けて見せる。
シンシア様が唖然とした様子で俺たちを見ている。
「え……というか、待った、名前……」
何かに気づいた様子のシンシアが様の言葉を拾って、母上が相づちを打つ。
「ええ。先日アーシラ王国に帰国したでしょう? その時ようやく三歳になったから、名付けの儀式をしたの。ほら、アル。シンシア様にご挨拶してね」
本当はこの名前を名乗りたくはないんだけどな、改名の希望は通らなかったからな、致し方ないよな……。
母上に促された俺は、やけっぱち気味ではあるがにっこり笑ってシンシア様に挨拶をする。
「はい! シンシアさま、アルフォンス・リッケンバッカーです。以後、お見知りおきを」
「こらアル、三歳児を装いたいなら、もっと無邪気に、もっとあざとく」
「うぐ……ははうえきびしい……」
ちょっと母上厳しすぎない? 駄目出しされてしまった……がっくり。
うなだれた俺をまじまじと凝視していたシンシア様だけど、ふっと思い出したかのように目を丸くした。
「あ、アルフォンス・リッケンバッカーって、まさかあのアルフォンス? 嘘でしょ? どういうこと?」
「僕もそれ思ったけど、もう遅かったんですよ……」
俺が遠い目をしていると、母上がほっぺをうりうりとつついてきた。ちょ、やめろし。誰のせいでこうなってるんだと思うんだ。
むっとして見上げれば、母上がデレデレとした顔をしていたのでそっと視線を外した。この子煩悩め……。
対して絶賛混乱中らしいシンシア様は、眉間の間を揉みほぐすように考える人みたいな格好になって低くうなり始める。しばらく成り行きを見守っていると、シンシア様は苦々しそうに顔をあげた。
「ええと、まず。スー。あなたの息子はアルフォンス・リッケンバッカーという名前に決まったのね? それは、ひとまずおめでとう」
「ええ、ありがとう」
「それとアルフォンス君……あなたは前世の記憶があるの?」
「正解」
考えるのに疲れたのか、シンシア様がティーカップとかを避けてテーブルに突っ伏した。
「これどんな状況なの……」
「それがねぇ……」
俺の代わりに母上がほうと頬に手をついて、ここに至った経緯を話してくれる。
アーシラ王国での名付けの儀式から俺の前世カミングアウトまで、あらましを母上から聞いたシンシア様は若干遠い目をしながら「ふふふ」と淑女らしく微笑んだ。
「そっかぁ続編かぁ……私には関係ないけど、スーはまた死亡フラグ乱立していくのか……大変ね」
「アルも似たようなこと言っていたけど、何その不気味なフラグは」
「シンシア様、母上は続編の存在知らないんですよ」
「だからうっかり自分からフラグを建造しにいったのね」
散々な言われようだな母上……。いや俺もかなり文句言ったけどさ。
シンシア様は母上と違って続編もプレイしていたらしく、俺が知っていることは大概知っていた。さすが転生ヒロインとでも言うべきか。母上はもうちょっと前作ヒロインを見習え。……まぁ死んだ後に発売されたのなら仕方なかったんだろうけど。
「ああもう、母上がもっとしっかりしてたら僕はもっと平和な暮らしができたのに……」
「あら、私のせいにしないで? 人生なんて、あなたの心持ち一つで変わるんだから」
「役に立たないアドバイスありがとうございます」
冷たくあしらうけど、母上は堪えた様子はなくご機嫌で俺の手のひらをにぎにぎしてる。……うん、分かるよ。幼児のもみじのお手て可愛いもんな。でも俺でそれはやらないでくれ。非常に恥ずかしい。
「それにしてもシンシア様がいてよかったです。母上みたいなぼんやりでうっかりしている中身の人間が、華麗に断罪ルートを避けれるわけないと常々疑問に思っていました。どこかに協力者がいるとは思ってたんですが、まさか前作ヒロインを味方につけていたとは」
「そういうこと……」
シンシア様がなんだか納得したように頷く。俺の言いたいことは伝わったらしい。やっぱ思うよね。父上との様子を見ていても母上流されやすいタイプの人間だって丸分かりだしなぁ。
意志疎通できてる俺とシンシア様と違い、母上は何だか釈然としないらしくてシンシア様を恨めしそうに見ている。シンシア様が苦笑した。
「でもアルフォンス君、あなたは一つ誤解しているわ。私がやったことなんて、一番最初にエルバート様を焚き付けた事とスーと友達になった事くらいなの。あなたが思うほど干渉してないのよね」
「はぁ?」
予想とは違うシンシア様の言葉に間の抜けた声をあげてしまった。え、シンシア様がヒロイン補正のチートで母上と一緒にシナリオ破壊したんじゃないの?
考え事をしようとしたら、むにっと母上に頬を摘ままれる。ちょ、母上邪魔。ぺしっと手を払う。
「スーも言ったじゃない。心持ち一つで人生が変わるって。あなたのお母様、出会ったときはとんでもない自殺願望者だったのよ? それをエルバート様の愛で救われて今に至るの」
「ちょっとシンシア!」
母上がシンシア様に抗議の声をあげた。
母上が俺を膝から下ろして立ち上がろうとしたので、俺は後ろをくるりと向いた。
「ははうえ、しー」
人差し指を口に当てて静かにするようにお願いすると、母上は美少女な顔を赤くして固まった。ふっ、さすが母上。ちょろい。
それにしても母上が自殺願望者? 確かに流されやすい、ことなかれ主義者の母上ならありえそうだけど……でもシンシア様が言うほどにひどかったのか?
少女めいていて、いつも父上にたじたじになっている母上。時折見せる聖母マリアのような慈愛に満ちた微笑みからは想像のつかない過去の姿に少し戸惑ってしまう。
黙りこんで色々と考えていると、シンシア様が声をあげて笑った。
「アルフォンス君はめちゃくちゃタフそうだから心配ないわ。あなたのお母様はエルバート様がいたからこうして幸せを掴んでいるけれど、あなたならちゃんと自分で運命も乗り越えられる」
そう言うとシンシア様が席を立った。結構な時間喋りこんでいたらしく、約束の時間を過ぎている。
忙しい皇妃業の合間に来てもらっているらしいので、あんまり引き留めることもできない。母上は明らかに自分から矛先がズレたのでほっと安堵の表情を見せていたけど、これは後で是非とも詳しく追及させてもらいたいものだ。
帰り際、シンシア様は玄関にまで見送りに来た母上に向かって笑いかける。俺は母上の隣で母上達のやり取りを見上げた。
「まだまだ回避しないといけないバッドエンドがあるから、スーも大変ね」
「何を言ってるの。私達のストーリーはもう終わったじゃない」
「私の……シンシアのストーリーは、よ。あなたの息子のストーリーにあなたが巻き込まれないなんて言い切れる? あの死に芸シナリオライターの構成力はこの三年でも散々体感したでしょうに」
何か心当たりがあったのか、母上はぐっと言葉を呑み込んだ。
シンシア様が母上の肩をポンと叩く。
シンシア様と母上が並んでいるのを眺めていて、ふと思った。
これ、見ようによってはヒロインと悪役令嬢の和解の図だよな……? うわ、何それ尊い。ちょっと食い気味に見つめてしまう。
「息子が可愛いあなたが、息子の死亡フラグを見過ごせるの?」
「無理だわ」
「……」
即答する母上。
俺はそっと顔をそらした。
ちょっとぼんやりしている間になんか母上がとんでもないことを言っている……!? 母上、そんな躊躇いもなく言うか……!?
真顔でシンシア様に返す母上に照れてしまうのは仕方ないと思う。
母上がぎゅっと俺の手を握ってきた。さっきの発言からのこれに、驚いて目を見開いてしまう。
でも真っ直ぐに母上を見返せなくて、そっぽを向いてしまった。
でも嫌じゃないと意思表示するために手を握り返すと、シンシア様が「早く私もセロンとの子が欲しいわぁ」とぼやきながら、早々に馬車に乗り込み帰っていってしまった。
見送りが終わって、母上にいい加減手を離せと言おうとしたら、不意に頭上に影が落ちる。
母上の頬が自然と緩んでいた。
「やっとお話は終わったのかい」
「エルバート様」
シンシア様とのお茶会の間、書斎に引きこもって外交官としての仕事をしていた父上が、待ちかねたように母上を抱きしめている。
父上が拗ねた表情をして、母上の耳元に唇を寄せた。
「終わったのならもういいだろう。これからは僕との時間だ」
「そう言いますけど、お仕事は終わったんですか?」
「仕事するから、僕と一緒にいて?」
父上の誘いに、母上はしょうがないとでも言うように笑う。
「アル、これからお父様のお部屋に行くけれど、あなたはどうする?」
「うまにけられたくないから、いかなーい」
ゲロ甘桃色空間に俺がいれるとでも?
いたたまれない、絶対にめちゃくちゃいたたまれなさすぎるだろ……!
ぐいっと強行に手を抜き取ると母上が悲しそうな顔をした。だが俺の意思は揺るぎない。無理ったら無理。うっかり父上からの殺気もあてられたくないし。ヒロインはすごく良い人だったし。ヒロインと悪役令嬢の生のツーショットを見れて眼福だし。そこに母上の親バカっぷりにあてられて、ちょっと今キャパオーバー気味だし。
父上は最初から俺を部屋に帰すつもりだったのか、エッタを連れてきていたので俺はエッタと一緒に部屋へと戻る。
部屋へと戻ると、エッタがお茶を用意するべく一度退出したので少しだけ一人の時間になった。
そこで俺はようやく自由になる。
自由になったので、俺は崩れ落ちるように膝を着いて雄叫びをあげた。
「やべぇぇぇ!! 推しがッ! 推しがヒロインと対立することなく喋ってたッ! しかも母上俺に甘すぎだろ!! 俺母上の息子に生まれてきて良かった……! 妹よ、俺達のユートピアはここにあったぁぁぁ!!」
毎日毎日推しのIFルートを見ている俺だけど、攻略対象との戯れと、前作ヒロインとの戯れは全然違う。
何事もなく平和な時間を悪役令嬢が過ごせていることを実感し、感動してしまった。しかも悪役令嬢は実は自他共に認める子煩悩というオマケ付き。その子煩悩の方向は俺だぞ。アイドルでいうならファンサの直撃を常に受けてる感じだぞ。
父上が怖いので惚れることはないけれど、スーエレンは俺の推しに変わりない。そうじゃなきゃ、たとえ成り行きで買ったとはいえ、乙女ゲームガチ勢なんてやらねぇよ。
感動の矛先を誰に伝えるべきかも分からずに一人で見悶えていると、前世の妹が遠くで「何それ私も見たかった」と嘆いた気がした。